Moon Fragrance

思わぬ再会
01



 朝早くに目が覚めた。まだ外は薄暗い。少しの肌寒さは、私を抱きしめているルーの体温に上書きされていく。私をすっぽりと包み込んでいる彼は寒くないのだろうか。風邪をひかなければいいけれど……。
 ルーより早く起きたのは初めてだ。いつも彼の方が早くて、髪を撫でたり頬をくすぐられたりしている。
 端正な顔をここぞとばかりに眺め見た。いつも真っ直ぐ前を見据えている彼の透き通った目は閉じられている。目を開けていても長いまつげは、瞼が閉じられていることによってますます長く見えた。
 規則正しく聞こえてくる寝息に寝ていることを確信して、そっと顔を近づける。恥ずかしいから起きませんように、と願いながら、薄く形のいい唇にそっと唇を触れさせた。んっと身じろいだ声が聞こえたけれど、まだ起きる気配はない。なんだか悪戯心に火がついてしまって、ナイトウェア代わりに着ている黒いシャツの上からそっと体をなぞった。調子に乗ってほどよくついている筋肉の割れ目をなぞっていると、その手を掴まれて視界が変わり、天井とルーの顔が目に入った。手は頭の上でまとめ上げられている。

「朝から欲求不満か?」
「ごめん、なさい」

 まだ少し眠そうだが、にやりと笑う顔にドキッとして謝罪が口をついて出た。自分が悪いのだけれど、その色っぽい顔は心臓に悪かった。

「応えてやってもいいが、どうする?」
「仕事、出来なくなるので、遠慮させてください」

 震える声でそう答えるとルーがふっと鼻で笑った。思考が使い物にならなくなるのは非常に困る。ルーが私の手を解放して体を起こした。

「あの、起こしてしまってごめんなさい」
「もう起きる時間だった。気にしなくていい」
「風邪、ひいたりしてませんか? 肌寒かったので」
「問題はない。リクが暖かかったからな」
「それは、よかった? です?」

 頭に疑問符を浮かべながら、それならよかったのかなと変に納得して私も体を起こした。不思議な受け答えをした私に彼がハハッと笑った。私の髪を一撫ですると宿舎に戻って準備をしてくると言って私の部屋を出て行った。
 もう一度、昨日の夜と同じようにベッドにビニールをかけて、畳んでテーブルに置いていたツナギを着て帽子を被ると下に降りた。歯を磨いて顔を洗って、工場へと出る。たくさんあった従業員用の机や、うるさく鳴り響いていた生産機材がなくなった工場は改めてみるととても広い。あの時の寂しさを思い出しつつ、ゆっくりとした足取りで伽藍堂になった工場を出た。シャッターを下ろして振り返り、お墓を眺める。私は両親になにを伝えればいいのだろう。
 少々重い足取りでお墓の前へと向かい、両親のお墓の前で立ち尽くす。とくに手を合わせるでもなく、私はぼーっと見下ろした。着替えてきたのだろう。目の端に、前から歩いてくるいつもの白い彼が見えた。
 彼がそっと私の横に立っても、私はただ目前にあるお墓を見下ろすだけだった。

「ご両親のお墓か」
「はい」

 静寂を崩さないように、彼が静かな声で聞いた。
 お墓は形だけのものだ。人は死ねば皆、ライフストリームとなり姿形など残らない。ここにあるのは、残された者の想いだけ。
 私はまだ手を合わせることを躊躇っているのに、隣でルーが手を合わせた。やっぱり私はなにを思えばいいのだろう。世間では私みたいな人間のことを親不孝と言うのだろう。彼は何を思ってくれたのか。

「手を合わせないのか?」
「正直、わからないんです。なにを思えばいいのか。両親にだって、なにも伝えずに出てきたんです。いまさら……私は」
「後ろめたいか?」

 後ろめたい? 少しだけ……。なにも言わずに出たこと、家も工場も勝手に捨てたこと。立て直せば2人は喜んだのだろうか。それだけはわからない。2人の目標は、工場を続けること? ロケットが宇宙へと飛ぶことなのか? それともその両方?

「後悔は?」

 後悔? それは……。

「ありません」
「ならば、それでいいのではないか?」

 はっきりと言える。後悔など存在しない。野垂れ死んでいないのだ。私は自分の手で生きることが出来てしまった。この10年、決して楽だとは言えなかったけれど、それに後悔はなかった。

「決めたことがあるのなら、それを貫けばいい」

 そうか、私が選んだ道はこれだ。彼の言葉に視界が開けた気がした。私はこのまま出来ることをしながら、自分の好きなことを、自分の技術を高めていこう。今は飛空艇の整備が、私のやるべきことだ。ならば自分の誇りにかけて、最後まで仕事を全うするだけ。
 私を手を優しく引いてくれる彼の手は、私を導いてくれる手だった。

「ごめん。おとう、おかあ、私……行くね。やっぱり、ここには戻れないや。やりたいことたくさんあるの。今、すっごく楽しいよ!」

 私はここで初めて手を合わせた。ふわりと緑を帯びた風が私の頬を撫でて吹いていった気がした。きっと気のせいかも知れないけれど、なんだかそれでいいと言われている気がした。

「社長、いえ、ルー、ありがとうございます」
「なにもしていない。リクが決めたことだ。さあ、行こう」
「はい」

 私は彼と歩き出す。墓地の敷地から出るときに、少し振り返って手のひらを一振りした。
 ハイウィンドへ向かい、乗る前に大きな機体を見上げる。社長がタラップに乗ったところで、後ろから控えめに呼びかけられた。

「あの……、マックハイン整備士長でありますか?」

 あ、そっか整備士長だったっけ……。呼ばれ慣れない役職に、くすぐったい気持ちで私を呼ぶ方を見た。
 もともとハイウィンドに配備されていた整備士たちだろう。10人前後が整列して私を見ていた。
 ある者は操舵士だと名乗り、ある者は機関士だと名乗り、私と同じ整備士だと名乗る者もいた。
 
「「よろしくお願い致します!!」」
「よ、よろしく……」

 あまりにも口を揃えて大きな声で言うものだから、たじろいでしまった。
 中には小さな声だが、私のことを《ちっちゃい》や《女だ》、言わなくていいだろうと思ったものには《けっこう可愛い》と言う声が聞こえた。ちらっとタラップの上で待っている気配がする彼を見ると面白くなさそうな顔をしていた。
 微かに溜め息をついて、早く乗って持ち場につけと指示をすると、また揃った声で失礼します! と言って乗り込んでいった。
 私も乗ろうとタラップを登り始めた途中で、専務のおっちゃんが私を呼んだ。

「リク! これ持ってけ!」
「えっ!」

 ぼすっと工具の入った革製の腰袋を投げ渡される。これはおとうが外で仕事する時にいつも腰に巻いていた工具入れだ。最初は堅かったであろう革が使い込まれて色が濃くなっている。

「おやっさんのだ。大事にしろよ」
「いいよ」
「いいから持ってけ。戻る気、ないんだろ」
「そのつもり」
「泣きついて戻ってくんなよ?」

 そう言っておっちゃんがニッと笑った。それに私も笑い返す。

「頼まれても戻って来ないね!」

 歯を見せて口をイーッとして、2人で笑い合った。

「元気でな」
「おう!」

 威勢よく応えて、腰袋を腰に巻いてタラップを駆け上がる。帽子を脱いで大きく振り、搭乗口のハッチを閉めた。宙にたずさわる者特有の挨拶だ。初めてしたけれど、とても誇らしい気持ちになった。
 すぐそこで待っていてくれたルーにお待たせしましたと言って笑いかける。

「そろそろキミのファミリーネームを神羅に変えることを検討しなくてはな……」
「へ!?」

 可愛いのは認めるが他の男に言われるのは気に食わない、と言ってそのまま歩き出した。口をパクパクさせながら呆然と立ち尽くす。今、なにかサラッと凄いことを言ったよね……。
 少し歩いた先で振り返り、意地悪そうに笑って早く来いと言った彼にハッとして小走りで追いかけた。
 熱い顔を手を団扇代わりに扇ぐ。一緒に歩き出して艦橋(ブリツジ)に続く廊下の窓からチラリと、うちの元社員たちが見えた。

「あれ……」
「ん?」
 
 立ち止まって見てみると全員いるわけではなかったが、みんな子供の頃から私を可愛がってくれていた見知った顔たちだった。

「うちの元社員たちです」
「みんなこの村に残っていたのか」
「離れられないんですよ。アレがあるので」

 窓の端からチラリと見える傾いたロケットを指さす。やっぱり毎日ちょっとずつ傾いているだけあって、ここを出たときよりも心なしか傾きが大きくなっている気がした。このままだと完全に倒れるのも時間の問題だろう。

「なるほどな」

 私たちはまた歩き出した。
 ブリッジに入って社長が艦橋窓の真ん前ど真ん中に悠然と佇む。彼がさあ行こうと言えばスタンバイ状態だった機関がうなりを上げて活動を始めた。上部の翼の回転が速まり、機体が垂直にふわりと浮き上がった。
 ハイウィンドがどれだけ使われてきたか分からないけれど、確かに飛んでる。そして、その中に私がいる。艦橋窓からは果てしない地平線が続いていた。空と陸、空と海が交わる場所へ。最北へと私たちは向かう。
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