Moon Fragrance

すべり落ちた雫
02



 その数十分後、先ほどツォンと名乗った人と白衣を身につけた男性がこの部屋に来た。

「お久しぶりですね」
「えっと、あの……」

 気さくに話しかけてはくれたものの、やはりこの人もわからない。

「聞いた通り、少し混乱しているようですね。まず、お名前は分かりますか?」
「リク・マックハインです」

 不思議に思いながら名乗ると、先生がうんと頷いてくれた。

「住んでいるのは?」
「弐番街の社宅アパートです」
「仕事の所属は?」
「兵器開発部門のメンテナンス課……」

 病院の先生に普段聞かれるような内容じゃないな、と思いながら答える。違和感が大きくなった。たしかに今の質問には答えられたけれど、頭の中はモヤが掛かったようにハッキリとしない。
 ルーファウスさんもツォンさんも、目の前の先生のことも。私、忘れていることだらけのようだし。

「そこまでは大丈夫そうです。あとで詳しくお話ししましょう。では、体の調子はどうですか?」
「頭と背中と腰、足が痛いです。ぶつけたような痛みが……」
「マックハインさんが見つかったとき、棚の下敷きになっていたそうです。今あげたところは基本的に打撲でした。じきに痛みも治まります。頭を打ったのかは覚えていますか?」
「……わかりません」

 棚の下敷き? そんな状態になるようなことをしたのだろうか?
 先生とツォンさんが顔を見合わせた。そのあと幾つかのアンケート式の簡単なテストを受けて逆行性健忘、いわゆる記憶喪失なのだと言われた。
 事故などの衝撃によって、それより以前の記憶がなくなるらしい。その抜け落ちた記憶の期間は人によってまちまちなのだと言う。
 私の記憶はアバランチというテログループが、七番街プレートを落下させた直後辺りから途切れているようだった。

「今、気になっていることはありますか? 混乱が深まりそうなことは伏せさせてもらいますけど、なにがあったのかも含めて答えられることなら答えましょう」

 気になっていること? たくさんあるけれど、まずは。

「ここはどこですか?」
「カームにある神羅カンパニーが所持している家です」

 カームは確か、ミッドガルから一番近い町だったはず。

「なぜ、ミッドガルじゃないんですか?」
「このカームよりも酷い状態だからです。あと、人も多く、ルーファウスの身の安全を守るためでもあります」
「そこになぜ私が……?」

 そうだ。ルーファウスさんの身の安全を守るためなら、私はここにいらないはず。社長だと言ったルーファウスさんとはなんの関わりもないはずなのに、どうして私もカームに連れてこられたのだろうか。
 答えるまでの一瞬の間に、先生が少し迷ったのがわかった。雨の音が大きくなった気がした。

「……マックハインさんの最後の仕事のとき、ルーファウスが近くにいたからです」

 その一瞬の間は、私が混乱するのを防ぐために悩んだのだと察した。とてもいい仕事をしたから特別待遇ですよと付け加えられた言葉に、気の抜けた返事しかできなかった。

「最後の仕事は、この外の状況と関係あるんですか?」

 私は、雨の雫を滑り落としている窓の外を眺めながら聞いた。

「ええ。こうならないようにルーファウスの指揮の下、あなたは仕事をやり遂げました」
「でも、こうなったということは失敗した……」
「いいえ。成果はちゃんと上げています。安心してください」

 その後も、最後の記憶から今までなにがあったのか、いくつか話を聞いた。プレジデントが亡くなったから、ルーファウスさんが継いで社長になったこと。迫りくる隕石のことや、それから世界を守るために星が隕石の衝突を食い止めたこと。ロケットが飛んだことや、シスター・レイをジュノンからミッドガルへと移設したこと。その所々の仕事に私が関わっていたこと。私にはまるで、SF小説のようだとしか思えなかった。
 そして、ピアスとネックレスに関しては、言葉を濁すように教えてもらえなかった。
 目が覚めたばかりだから今日はゆっくり過ごしてくださいと言って、先生は出て行った。ツォンさんも、私の状態のある程度のことは社長に報告させてもらうと部屋を後にする。ぽつんと1人取り残された私は、なにを考えるでもなく、じっとベッドに座って窓の外を見続けた。
 夕方を過ぎた頃、ツォンさんと同じダークスーツを来た女性が部屋に来た。

「初めまして、リクさん! イリーナと言います。私もタークスです。よろしくお願いします!」
「よ、よろしくお願いします……」

 彼女は初めましてらしい。とても溌剌としていて、少し機械的に見えたツォンさんとは正反対に見えた。あまりの勢いにたじろいでしまう。
 イリーナさんはあまり動かない方がいい私のために、夕食を持ってきてくれたようだった。

「女同士の方が話しやすいこともあると思うんで、なんでも言ってください!」
「ありがとうございます……」
「じゃあ、失礼しますね!」

 最後まで元気にイリーナさんは部屋を出て行った。置いていった夕食は、野菜がたくさん入った温かいスープだった。なにか食べたいとは思っていなかったけれど、口をつけたら優しい味で食べきることができた。
 イリーナさんは食器を下げに来るときもとても元気で、少し羨ましく感じた。ついでに持ってきてくれた服に腕を通す。
 いつの間にか雨も止み、ベッドの上で丸まるように膝を抱えていると、気がつけば寝入っていた。
  ――愛している。
 優しい声は、懐かしく感じる声は、夢……?
 布団を掛けていなかったはずなのに、朝起きたらちゃんと布団の中にいた。誰かが掛けてくれたのかな。それとも知らない間に自分で?
 モヤの掛かった頭は、考えることすら気力を削いでいく。子供の頃から思考があっちこっちと飛んでいくのに、今は自分じゃないようだった。
 体は痛んだけれど、静かに部屋を出てゆっくりと階段を下りていく。話し声の聞こえたリビングに足を踏み入れたところで、そこにいた全員の目が私を向いて怖くなってしまった。
 特に、赤色の髪が眩しい男性とスキンヘッドにサングラスをした男性が、私の様子をじっくりと窺うように見たから、ごめんなさいと踵を返した。部屋に戻ろうと歩き出そうとしたところでルーファウスさんに名前を呼ばれた。

「おはよう」
「おはよう、ございます……」

 ルーファウスさんの優しい声に、少しだけ安心した。他の人たちもそれぞれに、おはようと言ってくれてほっとする。

「リク」
「……はい」
「彼らはこれから状況把握のために全員出払う。指定されたチャイムの鳴らしかた以外、玄関を開けるな」
「わかりました」

 その鳴らしかたを教えてもらって、ついでに1階も2階も窓を開けるなと言われる。護衛がいなくなるから、侵入されたときに対処のしようがないとのことだった。

「私は基本的に2階の部屋にいる。なにかあれば来なさい」

 それにも了承すると、ルーファウスさんはツォンさんに支えられて2階の部屋に戻っていった。この家の中では好きに過ごしなさいと言い残して。

「ちゃんとお留守番してるんだぞ、と」
「社長を頼む」
「いってきますね!」
「少しの間、社長をよろしくお願いします」

 それぞれ言うことに頷くと、みんな家を出て行った。鍵をすぐに閉めてくれと言われたので、その通りにする。
 私も2階の部屋へと戻って今日もまたぼーっとしていると、昼過ぎ頃にドアチャイムが鳴った。でもルーファウスさんに教えてもらった鳴らしかたじゃなかった。
 玄関の方からガチャガチャとドアノブを乱暴に回す音が聞こえてくる。怖くなってルーファウスさんの部屋の方へと行って扉をノックした。

「ルーファウスさん、あの……」

 話しかけるとドア越しに固い声が返ってくる。

「部屋に戻って隠れていろ。絶対に出てくるな」
「ですけど……」
「早く……!」

 強く言われた言葉に小さくわかりましたと答えて部屋に戻る。隠れる場所なんて……。迷っていると窓ガラスが割られる音がした。仕方がないから咄嗟にクローゼットの中に隠れる。
 その数分後だった。うるせえ! と怒鳴り声が聞こえる。たぶんルーファウスさんの部屋だ。でもその声は彼ではない。恐怖で体が震え出す。
 どうにかしたいけれど、男の人の力には敵わない。それにルーファウスさんは怪我をしている。出てくるなと言われたとおり、私はここから出られなかった。
 どれだけ時間が経ったのかはわからない。家の中は既に静まり返っていたけれど、まだ外に暴漢がいるのではないかと思うと、ルーファウスさんの言いつけを守るしかなかった。彼は、大丈夫なのだろうか。
 どうしようか迷っていると、今朝聞いた声が聞こえた。

「社長! 姉ちゃん! いねーのか? 社長!」

 あの赤い髪の毛が眩しかった人だ。少しずつ声が近づいてくる。

「姉ちゃん?」

 部屋の中にいるのかそれくらい声が近かったので、恐る恐るクローゼットの外へ出た。

「姉ちゃん、アンタは無事だったか!」
「あ、の、ええと……」

 驚いたようだけれど、少しほっとした顔で私の両肩をガッと掴んだ。
 私の記憶がないのを思いだしたようで、赤毛の人は目を泳がせた後、そうかと呟いた。焦ったように言葉を続ける。

「あー、レノだぞ、と。社長はどうした!?」
「いないんですか!? ごめんな、さ、い……。ごめん、な、さい……」

 まさか、私が隠れている間に連れ去られた。泣いてもどうにもならないのに、自分のせいだと涙が出てくる。目の前でレノさんがおろおろしていた。
 
「お、おい、泣くなって……。何があったか話せるか?」

 そう聞きながら戸惑っているレノさんに小さく頷いてポツポツと話し始めた。

「チャイムが、鳴ったんです……。でも、合図と違ったので、無視していたら、乱暴にドアノブを回す音が聞こえて」

 レノさんは時々言葉に詰まる私の話を静かに聞いてくれている。

「どうしたらいいかルーファウスさんに聞きに行ったら、部屋に戻って隠れていろ、絶対に出てくるなって言われて……」
「ルーファウスさん、ね」

 レノさんが私が呼んだ呼び方を繰り返したけれど、意味がよくわからなかった。

「んで?」
「窓ガラスが割れる音がして、怖くてそのままここに……。うるせえって怒鳴り声が聞こえて……、ごめんなさい。なにもできなかったんです」
「犯人は見てねえんだな?」
「はい。ごめんなさい……」

 レノさんは怖かったなと小さく言って、私の頭の上に手を置いた。
 とりあえず、ミッドガルからの難民が押し寄せてきているから外に出ようと連れて行かれる。1階に下りると、歩くところにも困るくらいの人が、雑魚寝のような状態でひしめき合っていて驚いた。
 レノさんにスキンヘッドのサングラスの男性、ルードさんのことを紹介してもらった。ツォンさんとイリーナさんも合流してみんなで報告をし合っている。

「……あんたは無事でよかった」
「ごめんなさい」

 ルードさんにそう言われたけれど、とても居た堪れなかった。

「社長はリクさんを守りたかったんですよ! 大丈夫です。私たちが必ず見つけますから」
「今度は社長の言うことを聞いてくれて助かったぞ、と。また姉ちゃんまで探さねえといけなくなるところだ」
「こんどは、また……?」
「レノ」

 ツォンさんが嗜めるようにレノさんを呼ぶと、レノさんがしまったといった顔をした。なんでもないとはぐらかされたけれど、それが気になった。
 このカームの家はもう使えないからと、伍番街にある社宅の一軒家へと移動した。今度は乗っ取られないように、ミッドガルは倒壊するかもしれないと住人を出て行かせるための噂を流すのを手伝う。
 タークスの人たちは他にもいるらしく、彼らは手分けして情報を集めながら社長を探すことになっている。
 足取りが追えないのだと、日を追うごとに私はますますなにも手につかなくなり、与えられた部屋に閉じこもるようになっていった。
 
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