Moon Fragrance

心配事はひとつじゃない
02




「うっ……夢? ここ……」

 まだあまり開ききらない目で当たりを見回す。
 清潔感のある白い個室。私の左側にはカーテンの閉まった大きな窓と私の左腕へと管が繋がる点滴のスタンド。右側には心電図の計器だろうか。

「病院?」

 体を動かそうとすると思うようにいかない。右肩は動かせないように固定されている。胸の辺りはコルセットのようなものが巻かれていて少し息苦しい。
 誰か呼ぶにはどうすればいいんだろうと考えたところでタイミングよくドアがノックされた。

「心電図が少し違う動きをしたから診にきたらやっぱり目が覚めてましたね。私はここの担当医です。よろしくマックハインさん」
「よろしく、お願いします。あの、ここは?」
「ああ、神羅ビル内にある医療フロアです。と言ってもエグゼクティブ専用なのであまり使われないのですけど。一般社員用の医務室とは違って科学部門からは隔絶されてるので安心してください」

 科学部門と隔絶されてるとなにが安心なんだろうと疑問が浮かぶ。科学部門だったらいい薬とか作れるんじゃ、うーん、他になにが……。
 ボーっと自分なりに思考を巡らせていると軽い笑い声が聞こえた。

「確かにルーファウスの言った通りの人だ。ボーっとしたらいつも何かを考えているって楽しそうに話していましたよ」
「え……あの、私……」
「そうだ貴女の体のこと話さないと、ですね。もう固定されてるのでわかると思いますが右肩にはヒビが、肋骨は右側にある第4、第5肋骨が折れてます。綺麗に折れてるので手術は必要ありません。固定していれば治ります」
「綺麗に、折れてる……」

 あまり聞き慣れない言い回しに思わず反芻してしまった。

「ええ、レントゲン見ます?」
「いえ結構です」

 レントゲンの機械を見せてもらえるなら喜ぶが写真はちょっと……。

「早くて全治1ヶ月ですね。今は痛み止めが効いてるからあまり痛くないでしょう?」
「そういえば……」
「さて、心電図はもういいかな。外しましょうか。タオルを胸のあたりにかけますね」
「あ、はい」

 医者だからあたり前だけど、手慣れたように心電図のパッドを外していく。この機械の中、どうなってるのかなって考えてしまった。

「ではルーファウスを呼んできます」

 心電図を外し終わってすぐ、思ってもなかった一言に私は慌てて先生を引き留めた。

「いえ、呼ばなくて大丈夫です。別に……」
「ダメですよ。目を覚ましたら呼べと命令されてますから」

 有無を言わさず出て行った先生に絶望する。
 社長が呼べって命令したって、何か話すこと……。私の処分とか? かなり迷惑かけたし……しかもあんな事件起こして……ああ……。本格的にクビがやばいじゃなかろうか。社宅って何日以内に出ないといけないのかな。寝てるの失礼だよね。起きた方がいい? でも体動かせないし……。

「……ク、リク!」
「は、はい!」

 あ……。社長がいつ部屋に入ってきたのか、唐突に現実に引き戻されて裏返った大声で返事をしてしまう。恥ずかしくて掛け布団で顔を覆った。
 私の上からは至極おかしそうな笑い声が降ってくる。

「キミは本当に……」
「うぅ……」
「半日以上眠っていた。今は金曜日の昼前だ。体の調子は?」
「動きづらいだけで痛くはないです」
「ああ、薬が効いてるのか」

 社長に対して失礼なのはわかっているけど、布団をかぶったまま受け答えをする。
 恥ずかしい。逃げ出したい……。すごく居た堪れない……。
 ネガティブな感情だけが頭をグルグルと駆け巡った。

「そろそろ顔を見せてくれ」
「……」

 どうするか迷って無言になってしまうと社長が腰掛けたようでベッドがギシリと軋む音が聞こえた。そして勢いよく布団を引っぺがされる。

「あ……」

 左腕には点滴の針がついてるし、右腕は固定されてるから動かせないしで抵抗もできずに蛍光灯の光にさらされる。
 これは覚悟を決めるしかない。

「あの……先日から色々と、ご迷惑をお掛けしました」
「迷惑だとは思っていない」
「あんな事件を起こしたのに……」
「言っただろう。楽しかったと」
「!?」

 視線を逸らしがちに話していると社長の綺麗で大きな手が私の手を包み込んだ。

「そんな状態じゃなければ、また私から逃げるか?」
「……っ」

 社長の青い目が私を貫く。私を捕らえて離さないこの目だ。私の苦手だけど、でも……。でも、なに?

「頼む、逃げないでくれ。これでも傷つく」

 ふっと笑うその顔は、それが本心なのか冗談なのか判別できない。それでも目はとても真剣だ。車の中で私の名前を聞いた時のように。
 血迷ってしまったんだと思う。きっと痛み止めで頭がぼーっとしているからだ。だから、あり得ない質問が口からこぼれてしまった。

「私は……社長を傷つけられるような相手ですか?」
「ああ。誰よりも」
「っ……そんなこと言ったら、勘違いされますよ」
「それでいい。真に受けてくれ」

 何を言っても真っ直ぐに返ってくる言葉に少しずつ息苦しくなってくる。

「なんで、そんな、口説き文句みたいなセリフを私に……」
「みたいじゃない。キミを、リクを口説いているんだ」
「あの、えっと……」
「キミが私の車を降りる直前からそのつもりだったんだが」
「え……」

 頭の処理が追いつかない。薬のせいだ。これは薬の……。心臓の動きが早い。さっき心電図を外されてよかったと思う。これじゃあ波形が大変なことになってる。
 口上じゃ勝てない。逃げ道が塞がれた。
 社長は一呼吸おくと前置きをして話だす。

「話したいことがあると言ったが、昨日2つ増えてしまった」
「なんで、しょうか……」
「昨日の男はキミの恋人か?」
「はいっ!? ケホッ……いっっ……」

 痛み止めが効いていてもさすがに噎せて咳をすると少し痛い。
 昨日の男って多分ミンスのことだよね。痛みで少し曖昧になってるけど、昨日確か社長に睨まれてるって言ってた気がする。
 え、恋人? なんでそうなった?

「ち、ちがいます。同期です。もう、1人しか残ってない同期。なんでそんなことを聞くんですか」
「彼はキミに気があるようだ」

 ミンスが私に? ないない。ご飯に行ったことすらないのに。それに沢山いたはずの同期がみんな、仕事が辛い、向かないって言って辞めていってしまって結局私の同期はミンスだけになった。だから必然的によく話すだけ。そんな浮ついた話なんて少しもない。

「そんなことないですよ。ご飯とか遊びに行ったりもまったくないんですよ」
「キミが断っているんじゃないのか?」

 そう言われて何度も誘われていることを思い出す……。そうだ、入社してからずっと機械をいじれることが楽しくて、勉強とか勝手に残業とか、気がついたら終電がなくなってて泊まり込んでるとか、そんなことばかりで全部断ってる……。

「心当たりがあるようだな」
「あ、はい……」
「彼に興味がなくて何よりだ」

 もう認識できてしまった。ストレートに出てくる気持ちの入った言葉に顔が熱くなる。

「さてもう1つは。タバコは吸うのか?」
「いえ。父が亡くなってから入社するまでは吸ってましたけど、今まったく。昨日はちょっと落ち着きたくて」
「そうか。別に吸うなと言うつもりもなかったが、ただの疑問だ」

 ふむ、と話し終えると社長はなぜか私の左手の感触を確かめるようにむにむにと触っている。
 なん、で……?

「……あの、まだお話があるのでは」
「ああ」

 相槌をうったまま社長はそれきり無言だ。まだ私の手を触っている。

「あの、私の手なんか触ったら、汚れますよ……」
「ん? 洗ってあるんだろう」
「それは、そうですけど……」
「たとえ汚れても問題ない」

 流し目で私の顔を見遣りながら手のひらや甲だけではなく、全ての指先をまるで壊れ物を扱うような優しい手つきで触っている。
 くすぐったいのも相まってぞわぞわとした感覚が沸き起こってくる。こんなに手を触られたのは初めてだ。

「??っ! あの、もう……」

 感覚に堪えられなくなってきてぎゅーっと目を瞑ると、ベッドが軋みをたてて社長がなんだか近づいてくる気配がする。
 え、なに? と思って目を開けたら、本当にすぐ近くで目が合った。鼻先にいる社長の宝石のような青い目が優しく細められて息が止まる。
 動けず固まると唇に柔らかい感触がほんの少しだけ触れた。
 今、私もしかして……。

「……っ」

 私の様子を伺うように体が離れた。

「な、なにしてるんですか……」
「味見だ」
「あじっ!? あ、遊ばないでください」

 味見ってなに! キスに味見ってなに!? 社長といると心臓が爆発して死にそう。そもそも私……!

「遊んではいないし、遊び相手にこんなことはしない。キミを見つけたから遊ぶ理由もなくなったしな」
「なんで私なんですか」
「それが私のしたかった話だが、キミの怪我が治ってからにしよう」
「そんなに待ったら逃げますよ?」
「逃がさないさ。キスくらい慌てることじゃないだろう」
「……」
「まさか……」
「……布団、返してください」

 ゴクリと生唾を飲んでやっと言えた言葉がこれか……。
 私の反応を見て社長の目が見開かれる。そうですよ、そのまさかですよ。産まれて26年、恋人がいたことはおろかキスなんて気の迷いでもしたことない。誰が機械いじり好きの女に好きこのんで……。

「はぁー……」

 ため息……。なんで、ため息!? しかも長い。なんかダメだったのかな。
 社長は左手で自分の顔を覆って、くつくつと笑っている。やっぱ20後半すぎてキスの1つもしたことないなんておかしいのかな。感情の整理が出来ない上に心臓の音がうるさい。

「そうか」
「あ、あの……なんで笑って……」
「いや、すまない。嬉しかっただけだ」
「……!」
「誰もキミに触れていないんだな?」

 口元に弧を描いてもう一度そうか、と呟く社長になにも言えずに口をパクパクさせているとノックの音が鳴った。返事も待たずに先生が入ってくる。

「もういいかい?」
「ああ」
「何か収穫があったみたいだね」
「かなりな」

 私がドギマギしていることなんて露知らず、社長と先生はかなり親しげに話している。友人なんだろうか。

「それはよかった。さてマックハインさん、昼食だけど食べられそうですか?」
「はい、大丈夫です」

 そういえばさっき社長が昼前だって言ってたっけ。

「食べさせてやるか?」
「! だ、大丈夫です!」
「だが右手がそれでは……」
「左利きです。なんの支障もありません!」

 これ以上、世話まで焼かれたら本当に心臓発作でも起こして死んでしまいそうだ。

「ルーファウス、怪我人をあまりからかってやるな」
「本気だが」
「はいはい。食べられそうなら点滴も外しましょう」

 先生が私の点滴を外している間、社長に電話がかかってきた。ドア付近で俯き加減に電話をしている社長はすごく絵になっている。
 こんな人が私のことを、口説いて……? なんで私なのかと聞いても教えてもらえなかった理由。怪我が治ったらって、なんで今じゃないんだろう。

「リク?」
「! はい」
「私の顔に何かついているか?」
「い、いえ。すみません。何もついてないです」

 私たちの様子を見ながら近くで先生が肩を震わせている。

「ここにいたいがすまない。仕事が入った。夕方過ぎに迎えにくる」
「むかえ……?」

 そう言って社長は優雅にコートを翻して部屋を出て行った。
 迎えってなんのことだろう。これくらいなら多分1人でもタクシーでも帰れるのに。

「あれ? マックハインさんに伝えてませんでしたっけ?」
「何を、ですか?」
「んー。じゃあ、マックハインさんって身内の方か、2週間ほど生活を手伝ってくれそうな友人はいますか?」
「……いません」

 なんか違う傷を抉られている気がする。

「それならルーファウスが連れて帰るって煩くてね」
「えっ。大丈夫ですよ。私、ピンピンしてます」

 連れて帰るってことは社長の家に行くってことだよね? とんでもない。とんでもない!!

「でも、マックハインさん、たぶん服の着替えとか大変でしょうし、さっき全治1ヶ月って言いましたけど2週間はあまり肩を動かして欲しくないんですよね」
「2週間!? あの、仕事……」
「ダメです。聞きましたけど、マックハインさん中・大型兵器の担当だそうじゃないですか、かなり腕使いますよね」

 仕事、機械いじりが2週間も出来ないなんて……って考えたら、私の顔を見て察したらしい先生が衝撃的なことを言い放った。

「いまちゃんと肩を安静にしてないと、一生肩が上がらなくなりますよ」
「そんな……」
「2週間でもまだ痛みはあるだろうけど、せめて2週間ですね」

 それも嫌だけど、社長の家に行くってことは私着替えるときどうするの? だって手伝ってもらった方がいいなら誰か人がいるよね。まさか社長に!?
 それは無理、無理。恥ずか死ぬ! っていうかまだ付き合ってないよね? そもそもお付き合いする気も今のところ……。そんなの失礼だよね。え、なんでこんなことになってる!?
 思考を散らしながらどうやら百面相をしていたらしい。気づいたら横で先生がお腹を抱えて笑っている。

「あの……先生」
「なんだい?」

 笑いすぎたのか先生は涙を拭っている。

「ここに泊まったり……」
「それは出来ません。医療フロアなだけであって入院施設じゃないですから。それにここに泊まらせてあげたら仕事しに抜け出すでしょう? もう一度言いますけど、今無理したら一生肩があがらなくなりますからね」
「その、マテリアとかそういう……」
「体力の回復や小さな傷の治療、解毒、そう言ったことはできるけれど、もうしわけないいけど魔法は万能じゃありません。今回は諦めた方がいいです」
「わかり、ました……」
「ベッドは起こしてもいいので、じゃあ昼食を食べたらそこのボタン押して呼んでください」
「はい」

 そう言って先生も出て行って私は広めの部屋に1人になった。
 出された昼食をちびちびと食べ終わって。痛み止めをもらって飲んで、社長が迎えにくるまで長すぎる時間を過ごした。6時間くらいなんて仕事をしていたらすぐなのに、今日は今までに感じたことのないくらいゆっくりと時間が過ぎていく。
 社長が、遅れてすまないと部屋に来たのは19時をすぎた頃だった。代替わりしてまだまだ忙しいだろうと思うのに、社長は午前中に来てくれた時と変わらなく髪も服装もかっちりとした姿だ。私だったら機械油塗れになってると思うのに感心する。
 部屋を出る時に先生には一週間後に見せに来てくださいと言われる。動かしたらダメですからねと念を押されて笑ってしまった。もちろん肋骨が痛かった。
 社長は私の怪我をしていない左手を取り、腰に手を当ててゆっくりとエスコートしてくれる。歩く振動で肋骨が少し痛むのであまり早くは歩けないのに、無理をしなくていいと言いながら社長はそれに合わせて歩いてくれた。私、初めて女扱いされてる。それに二度も社長の車に乗せてもらって、尚且つ社長の家に行くことになるなんて誰が考えただろうか。
 私の寿命は短いかもしれない……。
- 6 -
*前 次#


Moon Fragrance