星降る夜の事件
流れ星が見られたこと自体に満足して、もう戻ってもいいかなと思った頃に、下の方で階段がギシリと軋んだ。強ばった体を起こすと、フィルさんがいた。顔見知りだったことに安心した反面、こんな時間にここに来たことに警戒心も生まれた。
「こんばんは」
「こ、こんばんは」
「すみません、驚かせちゃって」
フィルさんは、あの後自分も天文学者さんに今日は流星群が見られるのだと教えて貰ったと話した。私もその話を聞いていたら、もしかしたら一緒に見られるかもしれないとここまで来たのだと言う。
「少しだけ、隣いいですか? もう遅いんですぐに戻りますから」
「は、はい……」
これが間違いだったんだ。だって玄関はすぐそこ。叫ばなければならない状態になるなんて、思ってもみなかった。
「マックハインさんは、星を見るの好きですか?」
「子供の頃はよく見てました」
「僕もなんですよ。でもミッドガルに行ってから、星がほとんど見えなくて」
数分話したあと、フィルさんの手が私の手に触れた。驚いて手を引っ込める。驚いただけじゃない、頭が警鐘を鳴らしていた。
「もう、戻りますね」
早口でそう言うと、逃げるように立ち上がった。手首を掴まれてゾワッとした。フィルさんは相変わらずにこやかな笑みを浮かべている。でもそれがなぜか胡散臭く見えてしまった。
「もう少しだけ、ダメですか」
「すみません、明日は早いので、そろそろ……」
「僕、マックハインさんのことが好きなんです。もっと話したくて」
ごめんなさいと謝ると、フィルさんも立ち上がって私を掴む手に力が入った。手首が少し痛い。
「離してください」
「好きな人、いるんですか? もしかして、この間の車椅子に乗っていた男の人?」
聞いてくるたびにフィルさんの力が強くなる。ヤバい。こうなったら振りほどけない。怖い。その手を掴んで離してもらおうとするけれど無駄な抵抗に終わっている。
「や、ちょっと、離してください……!」
「どうして? 昼まで仲良くしてくれてたのに」
フィルさんの腕が腰に回って引き寄せられ、顔が近づいてくる。鳥肌が立った。ルーファウスさんに抱きしめられたときにはこんなことなかったのに。今、体全体が拒否反応を起こしている。振り払おうとしても男の人の力は強すぎてどうにもできない。顔を背けても少しずつ近づく。
「そんなつもりじゃ……。嫌! 本当に、離して……!」
やっとまともに大きな声が出せた。
「うるさいな……誰か来ちまうだろ」
今まで全くそんな素振りもなかったフィルさんが、低い声で唸るように言った。瞬間的に強い恐怖が私を襲った。
やだ。助けて、誰か。こんなときに頭がズキンと痛んだ。思い浮かんだのは彼の顔だ。柔らかそうな光り輝く金糸の髪、透き通った綺麗な青い瞳。形のいい薄い唇。無意識のうちに私の口が呼んだのは、助けて……。
「……るー」
「やめろ。嫌がっている」
ロッジの方から、怒りに満ちた冷たい声が聞こえた。そちらの方に顔を向けると、フィルさんを睨みつけているルーファウスさんがいた。
彼がこちらへゆっくりと階段を下りてくる。
「恥ずかしがってるだけですよ。ね?」
人懐っこさはどこへやら、張り付いた笑みを向けて私に聞く。それに余計に恐怖して身が固くなった。
「恥ずかしがっているというのはな――」
側まで来たルーファウスさんが私の腕を優しく掴んで引くと、フィルさんから離してくれる。そのまま抱き寄せられて、額に柔らかいものが一瞬触れた。
驚いて顔を上げると、愛おしそうに細まった目が私を見下ろしている。瞬く間に恐怖が消えて、顔が一気に熱を持った。
「――こういう顔のことを言う」
ルーファウスさんはフィルさんを見て不敵に笑った。この人はなにを言い出すのかと目をパチパチさせると、私の顔を胸板に押し付けるように抱きしめる。
「2度と近づくな」
密着した体を通して聞こえてくる低く氷のように冷たい声は、完全な威圧だとわかる。
「私ですらあんなに嫌がっている顔は見たことがないというのに」
もうルーファウスさんに抱きしめられていることによって、言葉が全て頭の中を素通りしていく。やっぱりルーファウスさんに抱きしめられるのは嫌じゃない。むしろルーファウスさんの体温が心地よくて、耳に聞こえてくる鼓動が嬉しくて、手が自然と彼のジャケットを握りしめた。勘違いかもしれないけれど、それに応えてくれるように、ルーファウスさんの腕に力が籠った。
これは、この気持ちはなんなんだろう。心の底からあふれてくる温かさは初めて? 違う。知ってる。もっと大きな……。
「ちっ」
フィルさんの舌打ちが聞こえて、体がビクッと跳ねた。思い出しそうな気持ちは、またモヤの中に消えていく。
フィルさんが去っていく足音が聞こえた。
「リク?」
呼ばれて思い出したように顔を上げると、整った顔が近くに見えてドキッとした。離れようとすると、ルーファウスさんの腕にもっと力が込められた。
「嫌なら振りほどいてくれ。奴のように無理強いはしない」
ずるい。私がそうしないって、たぶんわかっている。私は控えめに首を横に振った。ルーファウスさんの大きな手が、私の襟足を撫でた。私はくすぐったくて俯く。
「私は気をつけろと言ったな?」
「はい。ごめんなさい」
言い聞かせるようにそう言ったけれど、ルーファウスさんの声は怒っていなかった。低く優しく、仕方がないと甘やかすような声だった。
私はそれに小さな声で謝る。ルーファウスさんが微かに息を吐いた。
「怪我は?」
「ありません。ありがとうございました」
「ならいい。他になにかされたか?」
「いいえ」
「それなよかった」
本当に安心したような声に胸が苦しくなった。
「あの男は……、他の女にも声を掛けていたらしい」
「へっ?」
「妙にリクに近づいてくるとは思っていたが、落とせそうな相手を探していたみたいだな」
「私、そんなにですか……?」
ルーファウスさんの腕の中でもぞりと動いて見上げた。
「話しかけられたから、丁寧に受け答えしていたんだろう。いけると思ったんだろうな」
「ひどいです……」
「リクがあまり他の男に興味のない人間でよかった。当分の間は奴に気をつけろ」
頷くとルーファウスさんが微かに笑う気配が伝わってきた。お互いそれきり無言になる。でもルーファウスさんは離してくれる気配がない。戸惑うけれど、このままがいいと思っている私がいる。夜のひんやりとした空気が、ルーファウスさんの体温を際立たせた。温かい。本当にこのままでいいのかな。
あれ? 待って、さっき、他の男にって言った? じゃあ、私は誰かに興味を持っていたの?
「リク? 何を考えている?」
それがルーファウスさんならと考えてやめると、呼ばれて顔を上げた。
こんなこと言えないと思って、首を横に振る。ルーファウスさんは、そうかと静かに言った。
「本当に星が綺麗だ。危なっかしいが、屋根に登られるよりはいいか」
「屋根?」
私、ルーファウスさんに屋根に登って星を見ていたなんて言ったことないのに、どうして屋根なんて。
不思議に思って星空を見上げるルーファウスさんの顔を見ると、私に視線を戻した星のように綺麗な青い瞳と目が合って秘密だと言われる。それにすらドキッとしてしまって、心臓が煩かった。
「さっき、誰かの名前を呼んだか?」
「名前、ですか?」
「なんだ無意識か」
残念だ、と本当にそう聞こえるように呟いて私を離した。夜風が、寒く感じた。
「冷えてきた。中へ戻ろう」
「体調、大丈夫ですか?」
「今は調子がいい」
ルーファウスさんは私の髪を一撫でして階段を上る。ゆっくりとした動作は、まだ骨折のところか星痕で体が痛むのだと思った。
タークスの人たちじゃなくて、ルーファウスさんが無理して私を助けてくれた。
ロッジの中に入ったところで、私はルーファウスさんの袖をそっと掴んで引き留める。
「ルーファウスさん」
「なんだ?」
「ごめんなさい……」
ルーファウスさんの綺麗な目がどういうことだと私を訝しげに見下ろしていた。
「また、迷惑をかけてしまいました」
「そういうことか。私に遠慮しなくていい。リクには、笑ってほしい」
その言葉、知っている。
まただ。ルーファウスさんが戻ってきてから、少しずつだけどなにかを思い出しそうになっている。彼の仕草も、言葉も、自分の中に見えた気持ちも。ルーファウスさんに関係していることなのかな。
少しぼーっとしていると、ルーファウスさんがそれと、と続けた。
「さっきのようになりたくなければ、思わせぶりな態度は取るな? 今はこんなだが、私も男だ」
袖を掴む私の手を見てそう言った。私はぎょっとして手を離す。
「それでいい」
それを見て自分で言ったのにルーファウスさんは自嘲気味に微笑んだ。というか、さっき思いっきり私のこと抱きしめておいて私にそれを言うの!? もしかして私で遊んで楽しんでる?
少し戸惑ってまじまじとルーファウスさんの顔を見てしまう。
「部屋に戻りなさい。おやすみ」
「……おやすみ、なさいです」
静かにそう言って私の言葉を聞くと、ルーファウスさんはまだ灯りのついている奥のリビングに行ってしまった。私は言われた通りに部屋へと戻る。さっきのことがあったからか、寝付くのに時間がかかった。ベッドに横になって考える。
さっき、誰かの名前を呼んだか? と聞かれた。さっきってフィルさんに掴まれてたときだよね。無意識に名前を? 誰の名前を呼んだんだっけ。確かあのときに思い浮かべたのは、そうだ。ルーファウスさんだった。じゃあ私はルーファウスさんの名前を呼んだのかな? でもルーファウスさんの名前を呼んだなら、口の動きで覚えていそうなのに。
ルーファウスさんは少し期待したような顔をしていた。私は、ルーファウスさんのなに? そんなことを考えるのは、烏滸がましいのだろうか。思い出すとドキドキするこの気持ちは、なに、かな。
ようやく眠気が来て、私は今日もそのまま眠りこけてしまう。
――愛している
夢の中で聞こえる声はいつも甘く、胸が締めつけられるほどに優しい。そして、この上ない幸せを感じた。
誰に向けられた言葉なんだろう。私なら、いいのにな。- 62 -*前 次#
Moon Fragrance