Moon Fragrance

固い約束
02



 クリフ・リゾートに戻るとこの時間、いつもは自室にいるルーが今日はリビングのソファーに腰掛けて読書をしていた。

「ただいま」
「ああ、おかえり」

 ですという語尾がなくなった私をレノさんがニヤニヤしながら見ていて部屋に戻ってしまいたかった。なんだかやっぱり恥ずかしくて、首の辺りがむずむずする気がした。
 お邪魔虫は退散するかなんて言いながらリビングを出て行くから、言葉にならない恥ずかしさを叫びそうになるのを堪える。

「……もう」

 ふうとひとつ溜め息をついてソファーに1番近いカウンターの椅子に座った。そしてルーのほうを向いて、報告をする。

「今日、バイクの改造が終わったの」
「楽しかったか?」
「はい!」

 あ、と思ったけれど、まだ出てくる素ではない返事にルーがクスリと笑った。そして話があるのだとわかったのか、読んでいた本をパタンと閉じる。

「少し散歩に行かないか」

 そう言って静かな動作で立ち上がると、私の手を優しく握った。それに了承して私も立ち上がる。
 ロッジを出て、ちゃんと整備されている森の小道を2人でゆっくりと歩いていった。その道は緩やかに登っていく。なかなか手を繋いで歩くことなんてなかったから、とてもドキドキしたけれど嬉しかった。
 細くて綺麗な指。大きくて男らしいけれど、それでも華奢な手。いつも優しく私の髪を梳いてくれる大好きな人の大好きな手だ。

「いつ、ここを発つつもりだ?」
「シド兄にも凄く心配を掛けているみたいなので、なるべく早く」
「なら、明日にも発つといい」
「え?」

 引き留めることはしないだろうと思っていたけれど、すぐに行けと言うとは思っていなかった。すぐに戻ってくるつもりでもあると戸惑い告げる私に、ルーがいや……と静かに否定した。

「シドが今、何やら造っているらしい。リクは必ず手伝いたいと思うだろう」

 シド兄のことだ。きっと飛行機か何かだろう。

「そういうことなら、シド兄は私がいなくても大丈夫だよ」
「私はリクの夢や目標を潰すつもりはない」

 どういうことなんだろうと考えるために無言になる。吹き抜ける風が森の木々を揺らして静かな2人の間に葉のさざめきを響かせた。
 私はこの小道の先になにがあるのかわからなかったけれど、ルーは知っているようで迷いなく歩いていく。ロッジが小さくなり始めたとき、彼が静かに口を開いた。

「リクの目標は、ただ技術を身につけることか?」

 思ってもみなかった質問に、私は隣を歩くルーの顔を見上げる。それは、違うだろうと続く気がした。

「……オレは、オヤジを超えたかった」

 その言葉は、すぐに空気に溶けるような、どこか遠いものだった。そしてまた、芯の通った声が宙に舞う。

「まだガキだったオレは、社長の席を乗っ取ってやろうとしたこともあった」

 驚いて立ち止まりそうになった私を、そう反応するとわかっていたのか自嘲気味にふっと笑った。

「だが、超えられたかどうかわからないまま、このザマだ」
「ルー?」
「今、生きているのは、忌々しくもその憎らしいオヤジのおかげだ。……ほんの一瞬でも死ぬかもしれないと思った自分に激しく憤った。だからこそオレはまだ諦めていない」

 手を繋いでいるルーの手にもう片方の手を重ねると、ルーの手が私の手を強く握り返した。その手は痛いくらいに力強く、負けない意志と少しの悔しさが伝わってきた。それは初めて見た、ルーの心の柔らかい部分だった。

「あの頃と見つめる未来は違えど、オヤジを超えたと己が納得するまで、全てを終わらせるまで死ぬわけにはいかない。死ぬつもりもない」

 ルーがチラリと星痕で黒く染まった自分の手を見た。

「オレは生きている。やらなければならないことがある。そしてリクが戻ってきたとき――」

 いつになく険しい顔のまま確実に、踏みしめるように1歩ずつ小道を歩く。そして視界が開けた先の展望台から、夏の神々しいまでの深緑が眼下に広がっていた。秋なら眩しいくらいに色めき、冬になれば雪の花が咲き、春になれば心躍るほどの薫りが満ちるだろう。
 次にルーの顔を見たときには、優しくも真剣な表示で私を見下ろしていた。

「オレはキミに伝えなければならない。だから、必ずこの場所で待っている」

 まだ悩んでいた私の迷いを断ち切る言葉。誰よりも信じられる固い約束。そのとき、私は期待してもいいんだろうか。

「リクを独りにするつもりはない。何も心配せずに、行ってこい」
「ねえ、ルー。まだ考えている途中なんだけど……私、夢があるんだ。戻ってきたら、聞いてくれる?」
「もちろんだ。リク、もう1度聞く。キミの目標はただ技術を身につけることか?」

 私は決心を持って首を横に振った。ルーと一緒なんだ。指標になる人はもういない。あるのは仕事の最中、ずっと猫背になっていた尊敬する背中の思い出。対する思いは違うかもしれないけれど、超えたい人がいる。もう自分ではわからないと諦めようとした、目標がある。

「私の目標は……、父を、おとうを超えたい」

 言葉に出した瞬間、いろいろな物が涙と一緒に込み上げてきた。
 私は子供の頃からずっと悔しかった。宇宙開発事業が頓挫したことも、超える目標がいきなりなくなったことも、大好きな宙を諦めようとしたことも。何もかも悔しかった。
 ルーに見つけてもらわなければ、私はまだ目を逸らしたままだった。私を導いてくれる温かい手が、背中を押してくれる優しい手が、こぼれ落ちる涙を拭っていく。

「絶対、待っててくださいね」
「ああ。何年キミを探し、待っていたと思っている」

 私たちは微笑みあって、2人寄り添う。必ず戻ってくる。彼の隣にいたいから。そして彼の隣で、ここから見える巡る季節を一緒に見たい。
 ルーは私に欲がないと言う。もっと我儘を言えと言う。私は充分に欲張りだよ。叶えたい夢がたくさんあるのに、その上まだあなたの隣にいたいと願っている。

「あの、ルー」

 展望台からの小道を下りてロッジへと戻った。夕食を食べて、入浴も済ませて部屋へと戻る。私の部屋のベッドの上でゆったりと腰掛けて本を読みながら、私が戻るのをいつも待っている彼に呼びかけた。ルーがパタンと本を閉じて、柔らかい動きで私を見上げた。

「どうした?」

 どことなく緊張している私を不思議そうに見ている。少し迷って、私はルーのすぐ横に腰掛けた。そしてそっと袖を掴む。

「なんだ。行く前から寂しくなったのか?」

 揶揄うように言いながらも、私を甘やかす低い声は次の言葉をわかっているようだった。私はこくんと頷いてルーの肩にすり寄る。声は小さくなったけれど、ひとつ我儘を言った。

「少しだけ、触らせてほしいです」

 優しくおいでと言ったルーの首に腕を回して抱きつく。痛くないかと確認しながら、体を触れ合わせた。結局、最後には少しずつ我慢できなくなっていったらしいルーに組み敷かれてしまったのだけれど。
 日付が変わる頃に私たちは眠りについた。愛おしそうに撫でてくれる手が心地よかった。暖かくて幸せで、またこの温もりを感じるためにちゃんと戻って来なければ。
 準備をして出発したのはすぐだった。交わした言葉は「いってきます」と「いってこい」だけだった。それ以外の言葉は邪魔になるとわかっていたから充分だった。
 私のためにツォンさんがヘリを飛ばしてくれた。何日も歩いて村を出て、隠れて巡航船に乗って再び歩いてミッドガルのスラムにたどり着いた記憶と違っていて、思っていた以上にあっさりと着いてしまってなんだかちょっと拍子抜けした。

「ツォンさん、ありがとうございました」
「帰るときは社長に連絡を頼む」
「わかりました」

 ツォンさんと話すと事務的になってしまう。それが可笑しくて笑いながら了承すると、ツォンさんは変な物でも見るように私を見てからヘリのほうへと戻っていった。仲間と言って失礼じゃないだろうかとは考えたけれど、特別な人でなくとも半年以上ともに過ごした人の後ろ姿に少しだけ寂しさを覚えた。
 それでも頑張らないといけないと自分を奮い立たせて、自分の家のある方へと向かう。実家の廃工場のシャッターが開けられており、中から爆発したような音と聞き慣れた声の悪態が聞こえてきた。

「だー! くっそ、ホントに鉄くずにしちまうか!?」

 相変わらずの威勢に、呆れて笑ってしまった。今日はまだしも、きっと明日から口喧嘩が絶えないだろうことは想像に難くなかった。
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