未来へとつづく夢
―――※―――※―――
「ルー、このデザインの中のどれがいいと思う?」
私は顔を上げて、またゆったりとした姿勢で本を読んでいたルーに幾つかのデザインが描かれた紙を見せる。
シンプルに真っ直ぐなもの、少し捻れた形のもの、ツタのようなカーブを描いたものに、紐を編んだような形を2本に分けて合わせたときにその編み込みがちゃんと浮き上がるもの。
「型を作ればもう少し複雑な見た目も作れるけど……」
ルーがふむと言いながら本を優しくパタリと閉じると、その紙を受け取って眺めた。口元を触りながら、その口には笑みが浮かんでいる。
「いや、これがいい」
そう言って選んだものを私に見せると、紐を編んだような形のものだった。
「難しいの、選んだ?」
「作れると思ったから描いたんだろう?」
「そうだけど……」
「それに……、やめておこう」
「えー」
教えてくれないのかと私が不満の声を上げると、微かに笑ってまた本を開いて視線を落としてしまった。彼が読んでいる本は、私たちが子供のころにルーが私にくれた本だ。表紙が外れそうなほど、私が読み込んでいたボロボロになってしまった本。ルーはプレゼントしておきながら、面白さが自分にはわからないと言いつつ何度かそれに目を通していた。
「もー……。本読む前に、指のサイズ測らせて」
「わかった」
そう言って彼は私に左手を差し出す。私は近くに置いてあったタコ糸を使ってルーの薬指のサイズを測る。手は大きいけれど、男の人なのにすらっと細く長い綺麗な指。彼の手なんて何度も触っているのに、妙に緊張した。そして私もと言おうとするけれど、ルーが既に知っているからと教えられる。
「そういえば、この指輪もいつ測ってたんですか?」
「リクが寝ているときに幾らでも機会はあった」
そう言われて恥ずかしくなり、自分の左手薬指に嵌められた綺麗なリングを見るように俯く私を笑いながら、彼はまた本に目を伏せた。
――初対面では口を開いてくれなかった彼女。普段なら面倒だと思っただろうが、なぜかとても彼女に惹かれた。自信なさげだった目が、実家の工場の中を楽しそうに指さした瞬間に切り替わった、彼女の強い目に。
「プレジデント。よく来てくれた」
「今日もよろしく頼む」
2度目に彼女の実家に向かったのは、あの日から2ヶ月経った頃だった。ロケットの試作を繰り返しながら、親たちは何度も打ち合わせを重ねている。
例の彼女はというと、この間は母親の足にしがみついていたのに今日はいなかった。オレは体のいい子守として連れてこられているんだろうが、そんなことはどうでもいいくらいリクが気になった。もしかすれば、最初は彼女の口を開かせたいだけだったのかもしれない。だがそんな思いも、すぐに消え去った。
「あの、リクはどこにいますか?」
「ごめんなルーファウスくん。リクならそこで……」
そう言って彼女の父親は言い淀みながら、後ろを振り返った。その方向を見るとリクが真剣な眼差しで、この工場では比較的若い従業員の手元を横から凝視している。オレの中で一瞬、時が止まった。その姿は、邪魔をしてはならない神聖なもののように見えた。彼女の興味も楽しいと思えるものもそこにしかないのだ。
どうすればあの眼差しをこちらへ向けてもらえる? オレより4つも年下の彼女がする、すでに職人とも言える仕事への好奇心に満ちた目を。
「ボクも見ててもいいですか?」
「触らなければいいよ」
「ありがとうございます」
オレは彼女のお父さんにお辞儀をして、リクの元へと向かう。目の前に立っても彼女は集中していてオレに気づかない。なぜかそれにすら嬉しくなった。
オヤジの付き合いのある大人や、その子供たちでさえもオレに好奇の目を向けた。だが彼女もその両親も、まったくもってそんな目を向けて来ないどころか、リクに関してはこの通りだ。オレは眼中にない。息苦しい世界で初めて息継ぎができたような心地だった。
大人になって再会しても全くオレに興味を持っていなかった彼女に、残念な気持ちとあの頃と変わらない安心した気持ちが入り混ざった。
逆にどうやって気を引いてやろうかと考えていると、見ているだけでも充分楽しめたのだが気を利かせたらしい従業員が彼女に呼びかけた。
「お嬢さん。お嬢さん!」
「にゃあに?」
はっと我に返った彼女は、首を傾げて舌っ足らずな口調で従業員に問いかける。それでもまだ彼女はオレに気づいていない。
「お友達が来てますよ。外で遊んでらしたらどうです?」
そう言われて初めて気づいたのか、オレの方を見て顔どころか耳まで真っ赤にし、口を覆いながら従業員の後ろに隠れてしまった。その影からオレを見る深紅の目は恥ずかしさに潤んでいた。
リクが口を開きたがらないわけがわかった。先日のときもそうだったが、オレの名前を呼びづらそうにしていた。きっと彼女は、自分が舌っ足らずなのを気にしているんだ。誰かに笑われたのだろうか。
子供の4歳差というのは大きい。先ほどとは打って変わっての状態に、妹のよう、と言うには違う感情が一瞬間だけ芽生えた。それを20年近くも持ち続けるなんて、このときのオレは考えもしていない。これは4歳も年下の“子供”に抱いていい感情なのか、理解しがたかった。
「リク。一緒に話そう」
そう言って手を伸ばすも、リクは泣きそうな顔で首を横に振った。従業員が彼女のその様子を見てしまったといった顔をしている。知っていたのか。
「笑わないよ」
目に涙を溜めて、それでも黙り込む彼女の唇は少し尖っていた。それは彼女の癖なのだと気付いた。初めてここに訪れたときも、彼女は時折そうやって唇を尖らせていた。きっと言いたくても言えないことがあるときにする癖なのだろう。
今も本当はなにかを言いたいに違いない。だが、どうやれば引き出してやれるだろうか。彼女は今もこうして、堅く口を閉ざしている。心まで閉ざされてしまうわけにはいかない。恐らく、宇宙開発事業がもっと拡大されれば将来の取り引き相手になるはずだ。いや、本当にオレが考えているのはそれだけか?
「なら約束をしよう。リクを笑うことがあれば、2度とキミの前には出てこない」
そう言うと、リクがショックを受けたような顔でオレを見た。そして慌てたようにこっちに来ると、オレが伸ばした手を掴んでまた俯く。その口元は尖ってはいたが、意を決したように小さな声で言った。
「やだ……」
「なら、またあそこの椅子で話そう」
リクが頷いて手を引かれるままついてくる。見ていた従業員がほっとしたような表情を浮かべていた。
椅子に腰掛けても彼女は俯いていた。あのショックそうな顔の理由はなんだったのかと考えていると、目の前に影が差した。そちらを見ると、オレと年が近いだろう絵に描いたような“悪ガキ”が意地悪そうな笑みを浮かべて立っていた。
「おいリク。誰だそいつ?」
リクが声のした方を見上げるもだんまりを決め込んでいると、そいつは話を続ける。
「今日は喋んねえのか? いっつも、チ(・)ド兄、チ(・)ド兄ってうるせえくれえ喋ってんのによ。都会の坊ちゃんにゃ、可愛こぶって――」
隣に座っているリクを見ると、さっきよりも大粒の涙を目に溜めて震えていた。
「おい……」
「チ(・)ド兄のばか!」
やめさせようとオレが言葉を発するよりも早く、リクが大声で叫んで走っていってしまった。
「リク!」
「オレ様は“シ”ドだ!」
「やってくれたな」
一睨みするとそいつはぐっと押し黙って、さすがにマズイと思ったのかバツの悪そうな顔で頭を掻いていた。そいつをその場に残してオレはリクを追いかける。小さい子供だ。ほぼ真っ直ぐにしか走っていかないだろうが、なにしろ土地勘がない。見失えば探すのは面倒だ。オヤジからもどんな嫌みを言われるかわかったものじゃない。
この中で遊んでいるのもあるのだろう、ミッドガルよりも自然が多いからかなかなかにリクの足は速い。やっと追いついたときには森の入り口付近にあった大きな木の下で声も上げず、えぐえぐと泣いていた。
「リク」
名前を呼ぶとビクッと肩を震わせる。振り出しどころか、悪化したかもしれないと思うと溜め息をつきそうになった。だがそうするわけにもいかず、オレは彼女の隣へと座る。
「いつもああやって揶揄われているの?」
聞くと僅かに頷く。普段は先ほどのように大きな声で返して収まっているのだろうが、今日はタイミングが悪すぎる。さすがにオレがいるときにしなくてもいいだろうに。だが、あんなことをされれば初対面の人間に口を噤むのもわからなくはない。これは話題を変えた方がいいだろう。
「いつもこの森に来るの?」
リクは小さく首を横に振った。本当は話したいのか、今も口を尖らせている。
「さっき約束しただろう? 笑わないから喋ってごらん。それとも、いないほうがいいかな?」
「……たまに、くるの」
リクはじっと考えた後ゆっくりと話し始めた。1音1音はっきりと発音するように。やっとまともに聞けた、小さくも柔らかい彼女の声に心がくすぐられるようだった。
「その、おおきな、き。とりの、すが、あるから。みにくるの」
「ああ、本当だ」
リクが指さす先を見ると、雛がいるのか親鳥がせっせと餌をやるために往復していた。
「自然は好き?」
「うん」
「空は?」
「しゅ、き」
たまに上手く発音できなくて顔を真っ赤にしながら俯きはするが、大きな収穫だった。口数は少ないものの、その日からリクはほんの少しなら会話をしてくれるようになった。ポツポツと拙い言葉で話しながら、オレたちはまた工場の方へと戻っていく。
工場の前へつくと、オヤジたちが2人の帰りを待っていた。
「ルーファウス」
「ごめん、にゃしゃい……」
リクが無表情を貫いているオレのオヤジに俯き加減で謝る。遮るようにその前へとオレは立った。
「父さん。ごめんなさい。ぼくがリクを……」
「帰るぞ」
オレの言葉を遮って、低い声で告げるオヤジの言葉に大人しく従う。眉間に皺を寄せるのはオヤジが不機嫌な証拠だ。リクを振り返ると不安そうな顔でオレを見ていた。
「せがれが大変な迷惑を掛けてしまった」
「気にしないでくれ。リクも楽しかったようだし」
「るー、ごめんね」
リクに大丈夫だとは伝えるが、やっと呼んでもらえた名前が彼女の謝罪とは。オヤジが先立って歩き出したのに、オレも黙ってついていった。その後ろでリクが控えめに手を振っていた。
ヘリに乗り込むとすぐに飛び立った。こんな空間を家に着くまで耐えなければならないのかと呪っていると、オヤジが口を開いた。
「ルーファウス。あのお嬢さんはお前の将来の妻になるやもしれない。あの家の技術は我が社の発展のために必要になる。あまり粗相はするな」
リクが、オレの……。その後のオヤジの嫌味など耳に入らなかった。重要なのはただひとつ。あの真剣な瞳をずっと近くで見ていられるのか。ならばやることは決まっている。
あの瞳に見合うだけのものを身につけるだけだ。
後継者としての本格的に勉強を始めるまでに、オレは何度か彼女に会った。工場を訪ねたときに手伝いながらせわしなく動いている姿も、従業員の手元を真剣に見つめる瞳も、その逆に優しい目でなにかを考えながら長時間ぼーっとする姿も、意識した瞬間に輝く目標に変わった。
彼女の気を引きたかった。大人になるまでに少しでも彼女の記憶に残ればいいと思った。功を奏したを言いがたいが、今の彼女の目がこちらへ向かないなら香りだけでもと香水をつけたりもした。
それから、あんなことになるなど、知りもせず。
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Moon Fragrance