夏に攫われてしまう前に
死ぬかと思った経験も、時間が経てばなぜかいい思い出に変わっていることがある。
無人島での出来事の直後はベポの背中が怖くて、抱っこもおんぶも拒否したけど、しゅんとするベポを見たら心苦しくなってその日の夜には俺はベポに背負われるのを受け入れていた。それに一晩も経てば「アトラクションみたいだったな」と思えるようになった。これが人間だったらまた話は違うだろうけど、ベポは俺の数倍身体が大きいシロクマだから、体幹がめちゃくちゃ強くて振り落とされるようなそれほど恐怖はなかった。ちょっと安全レバーがゆるめのジェットコースターくらいの恐怖だと考えたら、もう少し楽しめたかな、と思っているうちにまた船は次の島に到着した。
「にゃあ……」
俺は弱々しく唸った。
島に降りたらベポにおぶられた。船の中では楽しみだった念願のおんぶだけど、あまりにも気温が高くてぐったりとしている。
真夏を思わせる暑さ。上からはじりじりと太陽が俺を熱し、下では保温性に優れたもふもふの毛が俺を包む。カラッと晴れていて湿度が高くないから不快感は少ないけど、ぐっしょりと汗で濡れた肌にベポの毛がまとわりついて鬱陶しい。
俺はベポの背中越しに町の景色を眺めた。
カラッと晴れた青空。白壁の家々がぎゅっと寄せ集まっていて、俺たちの進む道は迷路のように細く曲がりくねって入り組んでいる。
町にあるのは民家がほとんどだけど、たまに広場があって島の人たちが楽しそうにしている。楽器を演奏するおじさん、歌う若者、踊る男女。陽気な空気が流れている。その空気に誘われたのか、それとも露出の多い薄手の服を着た褐色美女たちに引き寄せられたのか、ふらふらと俺たちと一緒にいたやつらがどんどん広場に入っていく。他にも用事のある人たちが離脱して行き、最終的に俺とベポの二人きりになった。
俺もせめてもう少し大きくて、英語が喋れたら現地民と騒ぐメンバーに入りたかった。
そう悔しく思ったけど、俺とベポが「みー」「みゃ」とふざけ合っていたら、町の人たちが優しく微笑んでくれるし、何やら話しかけてくれたり、投げキスをしてくれたりしたからすぐに不機嫌は吹っ飛んだ。
ベポは話しかけてきたおばさんに何かの場所を聞いて、そこに向かってずんずんと突き進んでいった。
何度も角を曲がり、階段を上り、下りると、公園が現れた。
いい匂いがする。香ばしい、食べ物の香りだ。
公園の中にはたくさん屋台があって、そこにいるのも親子連れが多かった。
ベポはその中でも特に匂いが強い方に進み、迷うことなく買った。
「ヒァ、キティ」
そう言って俺の口元に近づけてくる。
湯気こそ出ていないけど感じる熱、気滴りそうなほど浮き出た肉汁がきらめき、漂う獣くさい肉の香りが俺の胃を重くさせる。
今が冬ならさぞ美味しそうに見えるだろうけど、炎天下の中では拷問器具にしか見えない。
正直、食べたくない。
だけど、俺に食べてほしいと、ベポの目が言っている。そしてベポの紡ぐ英語もきっとそんなことを言っている。まったく聞き取れないけど。
断りたい。でもベポにはお世話になっているし。なにより期待を裏切れない。
渋々口を開けて、一旦閉じた。
――いや、俺今まだ歯が片手の数しか生えていないんだった。
肉を噛み切れるわけない。
ああ、これで肉を回避できる。
そう安心したのに、一連の俺たちのやり取りを見ていた屋台のおじさんが快活に笑いながらベポの持っている肉を一度引き取り、包丁で肉の先を小さく切った。そして大きい肉と肉片をベポに返した。
素晴らしいサービス精神。だけど、俺にはありがた迷惑な優しさ。
もうこれは食べるしかないじゃん。
覚悟を決めて、ベポの手にある肉片を食べた。
多少冷めているけど、まだ生ぬるい。匂いのとおり若干獣くさい大味。
美味しい。けど、今はしんどい。
二口めをすすめてくるのを断って、今度こそ口を閉ざした。残りはベポが楽しんでくれ。