手足はあるのに影はない
霞んだ視界の中で違和感を覚えた。
目起きのふらふらした頭で、何がおかしいのかを考える。
布団の感触、匂い、電球の色、それから振動。
——そうだ。ここは揺れてない。
ごしごし目を擦ってしっかり目を開くと、船の中とは似ても似つかない日に焼けた木製の壁や床。俺が寝ていたベッドのそばには大きな窓があって、白いカーテンがゆらゆらと風に揺れている。
「Good morning, Kitty.」
知らないおばさんが、俺の顔を覗き込んできた。
質素なワンピースに白いエプロン姿の彼女は微笑んで俺を見ている。
だれ? と思わず声を出そうとする前に、彼女は布団をめくり俺を持ち上げた。ペンギンやベポより体が小さいのに、彼らよりもずっと安定した抱え方だ。
彼女は「いい朝ね」「朝ごはんを食べましょうね」と声をかけながら部屋から出た。
朝日が降り注ぐ明るい廊下を歩きながらも、彼女は喋り続ける。
どうやらここはキルデルランドという小さな島で、外の人たちは子供の島と呼んでいるらしい。
俺は彼女の腕の中でじっとしながら見慣れない西洋風の建物の内装を眺めているが、その内心パニックになっていた。
彼女は一方的に喋り続ける。
俺は、そのほとんどの意味が理解できた。
彼女が話すのは英語でそれはベポたちと変わりないのに。ただ、彼女はゆっくりはっきりと単語ごとに言葉を区切り、そして俺が知っているような単語しか使わずに話している。
もしかして俺の事情を知っているのかと思って試しに日本語で話しかけたが通じなかったし、俺のなけなしの英語力で話してみても意思疎通はできなかった。
なんだ、どういうことだ、どういう状況だ、ベポたちはどこだ。
そうこうしている間に、おばさんは一つのドアの前で立ち止まりギイと古びた音を立てながらドアを開けた。
バターの香りがふわりと鼻腔をくすぐる。
「Good morning! Mommy.」
いくつかの幼い声が揃って響いた。
部屋の中は騒がしかった。大きなテーブルを囲んで座るのは、子供子供子供、子供の山。ベビーチェアが必要な赤ちゃんから、十歳くらいの子供までひとクラス分くらいが五つのテーブルに分かれて朝食をとっていた。
俺はマミーと呼ばれたおばさんによって空いている椅子に座らされ、そのあとすぐ他のマミーよりも少し若い女性が俺の目の前にスープ皿を置いた。これが俺の朝食らしい。
まるで児童施設のようだ。
というよりも、児童施設なのだろう。
目が覚めるとベポたちはおらず、いるのは児童施設。施設の人たちは俺を受け入れている。
——なんだ、おれは捨てられたのか。
すとんと胸に落ちた。
そりゃあ海賊団に俺みたいな子供がいたら邪魔だろう。俺だって犯罪者集団とずっと一緒にいるのは嫌だ。彼らは優しかったけど、海賊船に乗り続ける度胸は俺にはないし、人に危害を加えたこともない俺が海賊としてやっていけるわけない。目の前で人が死んだら絶対に吐くし寝込む。
それに比べて、この島は平和だ。
窓の外に目をやると一面白い花が咲き乱れ、遠くには風車が回っている。
穏やかだ。定住の地にふさわしい。
一人、うんうんと頷く。
そうと決まれば俺はこれからお世話になるマミーに向かって最上級の笑顔を浮かべた。扱いやすい子供と思ってもらえるように。そして可愛がってもらえるように。
計算どおり、マミーもにっこり笑ってスープを掬い俺の口元に差し出した。
そうだ、もうここでは猫語は話さなくていいんだ。そう思うのに、口をついて出たのは「にゃあ」という鳴き声だった。習慣は恐ろしい。