今日も君がここにいた

――おかあさん

「これだと■■■■が強いわね…。こっちの■■はどうかしら?」

――おとうさん

「■■だ! ■■が叶ったぞ!」

ねえ、おとなしくいうことをきくから。
だから、あのね。
わたしに“■■”をちょうだい。






「う……っ……」

ゆっくりと瞼を開き身体を起こすが、ズキリと一瞬痛んだ頭に手を添える。そろ…っと窺うように周囲を見渡してみても誰もおらず、真白は安心したように息を吐いた。

「…わたし…なんの夢を見てたんだっけ…」

夢を見ていたことは覚えている。だが、どんな内容だったかは思い出せない。必死にウンウン唸りながら考えてみるもカケラも浮かばず、仕方なしに諦めて立ち上がった。頭痛はあの一回だけ。

「なにか…大事なことだったような気がするんだけどなぁ…」

そう呟いて、真白はあれ?と首を傾げた。

「そういえば…なんであんなところで倒れてたんだろ…。旅禍と戦っ……てないし」

傷跡もなく、身体はいたってピンピンしているのに、どうしてこんな何もないところで倒れていたのか。いくら考えても結局分からず、真白は当初の予定通り懺罪宮へと足を走らせる。けれどもう外は真っ暗で、時間は夜だと告げていた。仕方がない、今日のところは戻ろう。真白は名残惜しげに白い塔に視線を移した後、踵を返して自室に向かった。

「縹樹?」
「あ…日番谷隊長」

自室までの道のりを歩いていると、前方から小さな人影が。真白の髪よりもキラキラと輝いて見える銀髪は、真っ暗な視界でもよく映えた。

「お疲れ様です」
「おう。……そういや、お前阿散井と仲良かったか?」
「阿散井副隊長? たまにお話させてもらう程度ですけど…」

彼が何かあったのだろうか。日番谷は難しそうな顔をして、口を閉ざす。まさか自分が寝こけている間に――と、嫌な方へと思考が傾く。いけないいけないと頭を振って日番谷の言葉を待っていると、彼はやっと重たそうに口を開いた。

「阿散井が旅禍に倒されたんだよ」
「……は? えっと、あの阿散井副隊長が…ですか?」
「阿散井副隊長っつったら一人しかいねぇだろ」
「そう、ですよね……え、うそ…!?」

阿散井の実力は少なからず把握しているつもりだ。元十一番隊で経験を重ね、現在はあの朽木白哉の下で副隊長を務めている彼は、相当の実力を持っている。付け焼き刃の力じゃ敵わないだろう。それなのに、倒された? 一体何の冗談だ。
――それとも、旅禍達の力が急速に伸びているということなのだろうか。

「ちなみに、倒したのは……」
「まだ分かってねぇが…恐らく、あのオレンジ頭じゃねぇかと思ってる」
「オレンジ頭……」

それじゃあ、一角は倒されたのか。あの屈強な男が、あんなヘロヘロの男に。
信じられない想いでいっぱいだったが、それが真実であり、事実。何より彼の強さを示す最大の理由は――。

「(浦原喜助が仕込んだ強さ…。あの人との修行なら、生半可な打ち合いじゃなかったはずだ)」

きっと、自分が彼と刀を交えさせたあの時より、彼は強くなっているんだろう。
グッと強く拳を握った真白を見て、日番谷はもう一つ口重そうに忠告した。雛森にしたものと、同じことを。

「それともう一つ」
「まだ何か……」

阿散井のことだけでも衝撃的なのに、まだあるか。真白はあんなところで倒れていたことを今更に後悔するが、次の日番谷の言葉に後悔さえも飛んで行った。

「三番隊には気をつけろ」
「――……三番隊…って…え?」
「お前のことじゃねえ。お前も三番隊だが、俺が言ってるのは――」

――市丸ギンだ。

「………え…」

まさかその名前が出てくるとは思ってもみなかった真白は、ただただ呆然とした。しかも同じ隊長同士の筈の彼が市丸単体を気をつけろだなんて、そんなのまるで、市丸が――敵、みたいじゃないか。

「それは…なんの冗談、ですか…?」
「……冗談じゃねぇよ」
「本気で、言ってるんですか…」
「ああ」
「だとしたら…余計、タチ悪いですよ…」

どうして、市丸を疑わないといけないのか。真白にはどうしても分からなかった。だって彼は、ずっとずっと昔から一緒にいて、どん底に沈んだ自分を引っ張り上げてくれた人だ。今だってそう、誰にも気づかれないように守ってくれている。そんな人を疑うなんて、真白には到底出来やしなかった。

「お前と市丸が仲良いのは知ってるが…だからこそだ。……吉良にも気をつけろよ」

それだけ言うと、日番谷は「夜遅くに悪かったな」と付け足して去って行った。足音は聞こえなかったが、きっともういないだろう。
ぽつんと一人残された真白はしばらくその場に突っ立っていたが、急に弾けたように瞬歩であるところへ向かった。霊圧を隠し、足音を立てずに。それはもう一介の平隊士のものではなかった。
目的地に着くと、真白は扉を開けようと手を伸ばす。が、そこから進まない。開けようと思っても、なかなか勇気が出ないのだ。それに、開けたところでどうなる? もしも自分がここに来ていたことが他の隊士にバレたら? 不安は絶えず浮かび上がり、余計に真白の身体を固くさせた。

「そないなところで立っとらんと、早よ入っておいで」
「あ……」

スーッと開いた目の前の扉。降ってくる声。その全てが安心した。離れていた時間は少しだけなのに、どうしてこんなに落ち着くのだろう。真白は不思議でたまらなかった。

「市丸…隊長……」
「ほら、風邪引くでー。こんなときに引くん嫌やろ」

グイッと腕を引かれ、無理やり中に入れられる。それがちっとも嫌じゃないのは、これが当たり前だから。百一年間変わらない――いや、もっと昔から変わらない、“当たり前”。

「なんか飲むか?」
「なんかあるんですか?」
「いーや、何もない」
「なんですか、それ」

クスクスと笑う真白。不安は少し薄れたらしい。
寝間着を着た市丸は、そんな彼女を頬杖をつきながら見ていた。柔らかい、彼の本当の笑みを浮かべながら。見られていた真白はハッと顔を赤くさせ、うろうろと視線を泳がせた後、顔をうつむかせてギュッと隊服の裾を握り締めた。

「……最近、どうしたんですか?」
「いきなりなんやー? ボクなんか変やった?」
「変でした。…すっごく変でした」
「ひどいなァ」

ケラケラと笑い声を上げる目の前の男に、反射的に顔を上げる。その瞳を見た市丸は薄く目を開き、優しく手を伸ばした。冷たい指先が真白の目元に触れる。

「……ほんに、今日はどうしたんや」
「え……」
「泣いてるで」
「うそ…」

気づけば、真白は泣いていた。もう随分泣いていなかったというのに、どうしてか今日は心が抑えられなかった。
日番谷からあんな話を聞いたからだろうか。ずっと側にいてくれた彼を気をつけろだなんて言われて、心が揺らいだのだろうか。

「…市丸隊長」
「こんなときくらい名前で呼んでくれてもえぇんちゃん?」
「……市丸、隊長」
「はいはい。なんですか」

いつまでたっても名前で呼んでくれない真白に、市丸は諦めて素直に返事をする。その声色がやけに暖かくて。真白は瞳を更に潤ませた。

「どこかに、行ってしまうなんてこと…ないですよね…?」
「……なんや、急に」
「急じゃないです。…ずっと、ずっと思ってました」

あの人たちがいなくなって、一年一年を数えるようになった。そして数えるたびに、市丸が今年も居ることにホッとしていた。
来年も、彼はここにちゃんといるのかな。そう思う日も年々増えていくのは自分でも気づいていた。

「……遠くに、行ったりしないですか…」

こんなことを聞くはずじゃなかったのに、なぜか言葉が止まらなかった。
暫くの沈黙の後、市丸は真白の心を晴らすように少し力を込めて涙を拭いてやる。「隊長っ」と慌てたようにこちらを見た彼女の頬を両手で包み、視線を固定させた。

「アホやなぁ、相変わらず」
「あ、あほ…?」
「とびっきりのアホやわ。ボクがどこに行くって? こんな真白置いて行くなんてボクには出来ひんわァ」
「こっこんなって!」
「安心しぃ。たとえボクがどっか行ってもたとしても、絶対に真白んとこ帰ってくるから」
「……そんな嘘、いらないです」
「ウソちゃうって。あん人みたいに、自分勝手なことは言わんで、ボク」
「……じゃあ、」

どの口が、と思った真白だが、口から出たのはまったく違う台詞だった。

「遠くに行っても、帰ってきてくれますか…?」

消えそうなそれに、市丸は真白の頭を撫でることで応えた。髪がくしゃくしゃになってしまうことすら構わず、真白はそれを享受する。自然と目を閉じれば睡魔が襲ってきて、とろんとした意識の中「おふろ、入らなきゃ…」と舌ったらずに呟いた。

「ほんならここで入って行き。今日は一緒に寝よか」
「いや…部屋、かえります……」
「そんな真白を帰らせるわけないやろ。ほら、さっさと入ってきぃ」
「ん……」

トタトタと足音を響かせて、真白はお言葉に甘えてシャワーを借りることに。水音が聞こえてきて、市丸は彼女に聞こえないように深く息を吐いた。まったく、所々鋭いのが難点だ。それか――誰かの入れ知恵か。

「……ごめんなァ、真白」

何に対しての「ごめん」なのか。問いかける者は誰もいなかった。