いっそこの世がモノクロなら

「ん、んー……」

今日も今日とて爆音――ではなく、真白は自然と目を覚ました。覚ましたと言ってもぱっちりと意識が冴えているわけではない。ぼんやりと天井を見つめ、二度寝しようかどうしようかと悩んでいる程度だ。
ここで真白が昨日のことをすぐに思い出せていたらパッと飛び起きていたところだが、百年も続いた朝寝坊は厄介なもので、彼女の思考を緩やかに奪ってゆく。そんな真白の意識を無理やり覚醒させたのは、爆発したように突然増幅したとある人物の霊圧のせいだ。

「これ…雛森副隊長…!?」

寝間着のまま市丸の部屋から飛び出した真白は、急いで雛森の下へ向かう。どうやらまだ朝の早い時間帯のようだ。この時間だと定例集会があるはずなのに、なぜ穏やかな彼女が――ぐるぐると考えながら目的地に到着すると、真白の目には今まさに市丸に斬魄刀を向けて走り出す雛森の姿が飛び込んできた。
真白は本能のままに人差し指と中指をぴたりとくっつけ、声を発しようとした。――だが、それよりも先に市丸の盾になるように間に割って入った人物を見て、真白は無意識に言葉を飲んだ。

「吉良、副隊長……」
「吉良くん!! どうして…」
「僕は三番隊副隊長だ! どんな理由があろうと、隊長に剣を向けることは僕が赦さない!」

仲の良いはずの二人が、刃を向けあっている。それは普段の鍛錬とは比べ物にならないくらい、互いに殺気を放っていた。

「お願い…どいてよ、吉良くん…」
「それはできない!」
「どいてよ…どいて…」
「だめだ!」

複数のやり取りは、やがて怒りを爆発させる。

どけって言うのがわからないの!!
だめだと言うのがわからないのか!!

怒りが頂点に達した雛森に、吉良の声など全く聞こえやしない。それどころか冷静な判断さえ出来なくなっていた。

弾け!! 『飛梅とびうめ』!!!
「な…ッ」

解号とともに、ドンッ!と大きな爆発が生まれる。真白は今の雛森を見て、ただ呆然とするしかなかった。なぜ彼女はあんなに激昂しているのか、なぜ市丸に刃を向けたのか、なぜ、なぜ――。
考え、ふと真白は視線を横に向けた。吉良までもが始解してしまったことに驚くが、それよりも視界に映り込んだ“あるもの”に気を取られ、真白はゆっくりとそこへ近づく。そっと指先で触れてみたそれは、もうすっかり乾ききっていた。

「赤い……なに、これ…?」

上から流れ落ちているそれを、辿るようにゆっくりと見上げる。雛森と吉良の戦いが日番谷によって無理やり終わりを迎えたことなど、最早真白にはどうでもよかった。
この赤いものは何なのか。上に何があるのか。早く知りたいようで、知りたくなかった。

「――…え………」

そして、とうとう見てしまった。
雛森があんなに激昂した、理由を。
壁に流れ落ちた“赤いもの”を。

「あ、あ……」

乾いた“赤”に触れていた指先が震える。喉奥が熱い。
真白の霊圧の揺れをすぐに感じた市丸は、上にあるものを見て立ち尽くす真白を見つけ、目を瞠った。どうして彼女がここにいる、まだこの時間だと寝ているはずなのに、と。そんな市丸の様子に、先ほど彼に忠告した日番谷は訝しげな表情を浮かべ、彼の目線の先を追う。そこには昨夜、市丸について忠告した真白の姿があった。

「おい、いちま――」
「アカン」
「は? っおい!!」

周りにいた他の副隊長達は、日番谷の焦った声に目を向けた。市丸が真白に向かって走り出していたのだ。いつもは飄々としているくせに、と誰もが思ったに違いない。けれど、市丸にしてみればこの状況は何よりも不味かった。

「ああ、あ……っ!」
「真白――」
「あ…あい、ぜんさん……あいぜん、さ…」
「真白!」
藍染さん!!!

真白の精一杯の声が、その場にぐわんぐわんと響く。普段の真白を知っている者達は目を見開き、その場に縫いとめられているかのように動けなくなった。市丸だけが、そんな真白を抑えるように必死に名前を呼びかける。

「やだ、藍染さん、やだ!」
「落ち着き、真白」
「だって! あ、藍染さんが!! なんで…どうして!」
「せやから、落ち着き言うてるやろ、真白」
「落ち着けるわけっ……」

感情のままに言葉を吐こうとした真白は、急に冷静さを取り戻す。敬語が外れそうになったのだ。いつもつけている仮面を外す勇気なんて、今の真白には到底なかった。けれどそれで藍染の死を理解できるかと言われれば、それとこれとは別なわけで。
真白の目を塞ごうと市丸の手が覆う。いつもならそれを甘受する真白だが、今日はいつもと状況が違った。目の前にある“赤”は、幻覚ではない――本物の“赤”なのだ。

「どうして、藍染さんが…っ……だれが…っ誰ですか! あの人を殺したのは!」

グワッと市丸に迫り、衝動のままに市丸に尋ねる。――ああ、だからか。だから雛森はあんなに怒り、市丸を……市丸を?
どうして、彼女は市丸に刃を向けた? 他にも人が居たというのに、いったい何故?

「縹樹」
「っ、ひ、つがや…隊長……」
「こっちに来い。十番隊うちで頭冷やせ……松本!」
「っはい!」
「でっでも…!」

市丸の腕の中から無理やり真白を連れ出した日番谷は、力強く真白の手首を掴んだまま十番隊へ。考えが纏まらないままの真白は、頭だけを後ろに振り返らせて市丸を見るが、彼は笑みすら浮かべず無表情に真白を見返していた。
遠くなる市丸に、無性に不安が募る。けれど彼は昨日言ってくれた。『どこにも行かない』と、『遠くに行っても帰ってくる』と。

「(なのに、どうしてこんなにも――…)」

角を曲がると、とうとう市丸の姿は見えなくなった。先ほどまでのパニックをおくびにも出さなくなった真白に、松本は後ろからついて行きながらも心配そうに彼女を見やる。
真白を十番隊まで連れてきた日番谷は、総隊長への報告に向かった。扉の前から動かない真白の手を今度は松本が引っ張り、執務室の中へ。無理やりソファーに座らせると、手慣れたようにテーブルの上にお茶を置いた。ほわほわと湯気が立つそれをちらりと視界に入れ、次いで前の席に座った松本に視線を移す。

「それ飲んで、ゆっくりして行きなさい。顔色ひどいわよ……それに、アンタ死覇装は? まだ寝間着のままじゃない!」
「あ…えっと、急いで出てきたので……」

暗に『着替える暇がなかった』と言っている真白に、松本は深い溜め息を吐いた。それでも女かと言いたげな彼女に、真白は縮こまるしかなかった。

「とりあえず、着替えてらっしゃい。そんな状態じゃ戦えるものも戦えないわ」
「は……」
「ほーら! この栗饅頭も持っていきなさい」
「いや、それは――」
「なあに? アタシの栗饅頭を食べられないって言うの?」
「う……」

そう言われてしまえば、真白に断る術はない。なにせ副隊長と平隊員では天と地ほどの差があるのだから。そこに隊歴がいくらか含まれようとも、差は埋まることはない。

「では、お言葉に甘えて……」
「――ギンと、どういう関係なの?」

執務室から出て行こうとした真白を呼び止めた松本の台詞に、思い切り振り返る。松本の視線は手元の湯のみに注がれ、真白と目が合わない。

「どういうって……た、ただの上司と部下ですよ…」
「(…そんな風には見えなかった。今までずっと一緒に居たけど、ギンがあんな顔をするなんて…)」

市丸とは幼少期から共に過ごして来た。彼が誰かに興味を持つなんて、今まで無かったことだ。それなのに、どうして。松本はそこまで考えて、ハッと頭を振った。

「ごめん! 深い意味はないのよ。ただ…幼馴染みの身としては心配で」
「幼馴染み…? って、松本副隊長は市丸隊長の……」
「そ。もー、あんな奴を幼馴染みに持つと大変よー? 変な女からのやっかみは多いし」
「あはは! それは確かに嫌ですね」

嫌な空気は一瞬でなくなり、笑いが部屋を包む。密かにホッと息を吐いた松本は、「ほら、早く行きなさい」と真白を外へ促した。今度こそ執務室から出た真白は十番隊から自室へ足を向ける。歩きながら頭の中でぐるぐると考えるのは、先ほどの松本のことだ。

「…知らなかった」

市丸と松本が幼馴染みだなんて。
長い年月を市丸とともに過ごしたというのに、結局は何も知らなかった。

「……着替えよう」

こんな時に余計なことなんて考えるのはよそう。彼のことを何も知らないのならば、後でたくさん聞けばいいだけのことだ。
寝間着を脱いで死覇装に着替えた真白は、ふと目に入った布団に視線を留めさせる。一瞬邪な考えが頭によぎったが、すぐに自室から外に出た。

「(早起きしたから眠たいなんて誰にも言えない…!)」

なんて恥ずかしい。誰にも知られていない筈なのに、胸の内から羞恥が募る。しかしその羞恥もすぐに消え去り、ふっとした瞬間に殺されていた藍染の姿が目の前に映る。

「……なんで、こんなことに……」

こんなことなら、もっとたくさん話しておけば良かった。
そんな想いが溢れてくるが、今更もう何もかも遅い。真白は必死に奥歯を噛み締めて、昨日と同じように懺罪宮へと足を走らせるが、爆発的な霊圧を感じた。これは――…。

「更木隊長……!」

十一番隊隊長、更木剣八。その名の『剣八』とは、代々護廷十三隊で最も戦いを好み、最も多くの敵を殺してきた者に与えられる通り名である。その意味は――『幾度斬り殺されても、絶対に倒れない』。

「……心配するだけ無駄、かな」

あの人なら負けることはないだろうと真白は確信を持ち、そのまま懺罪宮――ルキアの下へ向かった。