鉄格子に手を伸ばした

見つからないようにというのも案外難しく、そこかしこに散らばる死神達から姿を隠すように霊圧を消して、やっとの思いで懺罪宮にたどり着いた。しかしもちろんそこにも見張りはいて、真白はゴソゴソと死覇装からあるものを取り出して、堂々と見張り番に近づく。

「お疲れ様です」
「誰だ?」
「三番隊平隊員の縹樹です。隊長から極囚の様子を見てこいと命を受けました」

許可証ですとそれを見せると、見張り番はマジマジと隅から隅まで見た後、通行を許可して鍵を手渡した。どうも、と軽く頭を下げて横を通り過ぎてから真白はぺろりと舌を出しておどけてみせた。
実は先ほどの許可証、まったくの偽物だ。いや、まったくというわけではない。紙は本物だが、記入者は市丸ではないのだ。

「(あの人もう少し筆跡を疑うようにしないと、誰にでも出し抜かれそうだなぁ)」

なんて、出し抜いた奴に思われているなんて知らない見張り番は、くしゅんっとくしゃみを一つしてみせた。
足音さえ鳴らさずに進む真白は、ルキアに近づくにつれてその速度もゆっくりになってゆく。見えた白い扉がひどく怖くて、一瞬だけ進むのを躊躇した真白だが、それでもやっぱり足は勝手に進んだ。――ああ、なんだ。真白はふっと込み上げてくる笑いを抑えられなかった。

「(…こんなにも、朽木さんのことが大切になっていたなんて…)」

自分の中で、自分でも気づかぬうちに大きくなっていたルキアの存在。ここまで親しくなるつもりもなければ、親しくなりたいとも思わなかった。ただ適度な距離を保てれば、それでよかった。
なのに、こうして囚われた彼女に会いにくるくらいには、彼女のことが大切になっていたらしい。
白い扉に手が伸びる。想像通りそれは冷たくて、硬くて。鍵を開けると扉は大きな音を立てながら上に上がる。そろっと中に入ると、扉はまたけたたましい音を立てて閉まった。二人きりとなった世界だが、ルキアは誰が入ってきたのかすらどうでも良いのか、だだっ広い部屋の中でこちらに背を向けて立っていた。その背の小ささに真白はたまらず彼女の名を呼んだ。

「朽木さん!」

グワングワンと響く声に、ルキアは反射的に振り返った。居るはずがないと、来るはずがないとずっと思っていた声だったからだ。けれど振り向いたルキアの瞳には、暗がりの中でもその白い輝きを放っている大切な大切な友人の姿が映った。
ガタンッとルキアは立ち上がり、ヨロヨロと覚束ない足取りで開いた扉に近づく。ソッと伸ばされた手に応えるように、真白も手を伸ばした。
しかし、その手が合わさる前に再び扉が開いた。驚いた真白はバッと後ろを振り返る。こちらの様子に気づいていないのか、話し声は止むことなく呑気に続けられ、真白はその声の主に少しだけホッとした。

「どれ、いっちょお顔を拝んでやっか! おーい、ルキアちゃ――…」

やっとここまで来れたからだろう、扉から顔を覗かせた男――志波岩鷲は陽気な声で中に呼びかけたが、瞳に映った人物にそれは途中で止められた。
一瞬で変わった岩鷲の様子に、真白は怪訝そうに顔を歪めた。まだ岩鷲が誰か分からないのだ。

「…誰だ…? 一護の…仲間か…?」

岩鷲の脳裏によぎるのは、頬に血をこびりつかせて冷たい瞳をこちらに向けてくる、ルキアの姿。
固まって動けない岩鷲の脇から、明るい声が部屋に響いた。山田花太郎だ。

「ぼくです、ルキアさん!! よかった! ご無事なんですね!!」
「お前…花太郎! どうしてここに…」
「話は後です……って、え、」

ようやく真白に気づいた花太郎は、途端に顔を真っ青にさせる。岩鷲と花太郎が入ってきたときから霊圧を消していた真白は、ルキアの手首を掴む花太郎を見たあと、未だ動かない岩鷲に視線を移した。

「誰かと思ったけど…その服の紋様って…」

真白の小さな言葉に、ルキアもそこを見た。ルキアこそ、よく見慣れたものであったに違いない。彼女の記憶の奥底に眠る、忘れてはならないものなのだから。

墜天ついてんの崩れ渦潮…。お前…志波家の者か――…?」

志波。
その名は、ルキアにとっても、真白にとっても、忘れられない苗字だった。

「なんだ、まーた浮竹隊長と遊びに来たのか? たまには俺とも遊ぼうぜ!」

陽だまりのように笑う人だった。幼い自分を軽々と抱き上げ、高い高いをする彼につられて笑い返すと、笑い声を聞きつけた浮竹がすっ飛んで来て。
――幸せな、日常だった。
真白の存在に顔を青くさせていた花太郎は、二人に知り合いかと尋ねると、岩鷲は皮肉げに嗤った。

「――ああ…知ってるぜ。忘れるもんかよ」

静かな部屋に、その声はよく響いた。

「そのツラ…そいつは…俺の兄貴を殺した死神だ」

己の兄を引きずりながら、片手に斬魄刀を持ったまま志波家にやって来たのは、目の前にいる女で間違いない。

「な…何言ってんですか、岩鷲さん…。ルキアさんがそんな…」
「…兄貴の傷は刀傷だった…。首筋を裂かれ…胸を一突きにされてた…。虚と戦ったって言うんなら、どうして刀傷で死ぬ!? それにあの時、こいつは俺に言ったんだ!! 『自分が殺した』ってよ!!!

荒い息遣いが聞こえる。まさかこの男が志波家の者だとは思わなかった真白は、彼の吐いた台詞にずきりと胸を痛めたが、自分が同情する意味などないと小さくかぶりを振った。

「…良いのだ、花太郎。其奴は正しい」
「ル…ルキアさん…?」
「(…真白には知られたくなかったが…仕方あるまい…)」

やっと出来た友には、知られたくなかった。けれどそんなこと、思ったところでいつかは知られたに違いない。それなら、今ここで、自分の口で言えて良かったとルキアは思った。

「志波家の者よ…。確かにお前の兄――志波海燕は私が殺した」

ルキアがその台詞を言った直後、岩鷲は我慢ならないと地を蹴ってルキアの胸ぐらに掴みかかった。抵抗したっていいはずなのに、彼女の手はぶらんと下がったまま。

「好きにしろ。お前になら…私は殺されても文句は言うまい」

知られたくなかったと、ルキアは思った。だが真白は、すでに全てを知っていたのだ。それこそルキアと仲良くなる前から。
だからこそ、真白は想う。このとんでもなく不器用な彼女の想いが、皆に分かれば良いのにと。不器用な兄妹が、互いに想いを通わせ合えたら良いのに、と。

「や…やめてください、岩鷲さん!! そんなことしに来たワケじゃないでしょう!! 助けに来たんじゃないんですか!? 決意を託されたんじゃなかったんですか!? ぼくら!!

――ドクン
花太郎の叫びを掻き消すかのように、それは近づいてきた。重苦しくのしかかるものに、真白は覚悟を決めた。彼の者がこの場に来てしまったということは、もう自分は言い逃れなんて出来やしない。もとよりするつもりすらなかった。
たとえ彼の敵になろうとも、真白にはこの方法しか思いつかなかったのだから。

「…あ…ああああ……あれは……ッ」

真白に気づいたときとは明らかに違う怯え方をする花太郎。それもそうだ。なぜなら開いたままの扉から覗くその姿は、真白よりもずっとずっと上の人物。

…朽木白哉…六番隊…隊長…!!!

正一位の称号を持つ四大貴族の一つ、朽木家の現当主であり、護廷十三隊六番隊隊長。その身に背負うにはあまりに大きな肩書きを持った男の姿に、真白は気づかれないように苦笑した。まったく、馬鹿でかい肩書きのせいであんなにも他人に対して不器用になってしまったのだから、いっそのこと一度全部捨ててみれば良いのに。
それを白哉がしないと判っていて、真白はいつも憂うのだ。あの日以来いつも自分を心配してくれている、彼のことを。
花太郎と岩鷲が揉めているのを側で見ている真白は、岩鷲の台詞に目線を下げたルキアに目を奪われた。どうして、ルキアがそんな表情を浮かべなければならないのか。どうして、ルキアがこんなにも責められなければならないのか。
今にも本当のことを言いたくて言いたくて、真白は花太郎が出て行き、その後ろを岩鷲が追いかけたのを見届けてからルキアに向き直った。

「……朽木さん」
「真白……お前だけでも逃げろ!!」
「…、私ね、――……」

ルキアの目が大きく見開く。それとは反対に真白の目は細まり、穏やかに微笑んだ。
その間に、とうとう白哉は斬魄刀を解放してしまった。隊長格が斬魄刀を始解したとなれば、死神ですらない岩鷲など敵うはずもない。白哉の斬魄刀の刀身が消えたかと思えば、瞬きすらしていないはずなのに気づけば岩鷲の身体には無数もの刀傷が刻まれていた。血は噴き出し、彼はたまらず地に膝をつき倒れてしまう。

「――岩鷲……さん…?」

呆然と岩鷲の名を呼んだ花太郎。その声を聞いた白哉が顔だけを後ろに振り向かせた。

「もうお止めください!! 兄様!!!」

妹の声すら、届かない。
真白の姿も目に入っているはずなのに、白哉は決して彼女を見ようとはせず刀を構えた。

「兄様…っ!!」

刹那、颯爽と現れたのはルキアの上司、浮竹だった。彼の斬魄刀を握る手を掴み、「ふうっ」と一息ついた浮竹は、次いでルキアの側にいた真白に目を瞠った。まさか彼女までいるとは予想していなかったのだ。

「真白……お前までここにいたのか!」
「あ、えっと……」
「……何故兄が此処にいる。持ち場に戻れ」

浮竹が尋ねたからか、やっと白哉も真白に声をかけた。どうやら咎める気はないらしい。
ここで「判りました」と頷けば、きっとこれまで通りの日常が戻る。寝坊して遅刻した自分を軽く説教してくる吉良に笑い、山のように積み上がった書類をさっさと片付け、配達を戸隠に押し付け、朝食兼昼食を食べ終えたら散歩して、良い寝床が見つかれば昼寝して、そんな自分を見つけた市丸とお喋りしてから隊舎に戻り、二人揃って吉良から説教ウン時間コースを受けて、また仕事をして。
そんな生活を百一年送ってきた。敬語だってもうお手の物だし、敬称をつけて他人を呼ぶことすら当たり前になった。
百一年間送ってきた日常を守りたい。だけどそれ以上に、真白は強く願ってしまった。――彼ら・・のようになりたいと、また、願ってしまったのだ。