「な…何だ、この霊圧は!? 明らかに隊長クラスだぞ!!」
「(この、霊圧…昨日感じた……ううん、今日も感じた…! これって、まさか――)」
誰も知らない、感じたことのない霊圧に動揺を隠せない浮竹だが、ルキアや花太郎、真白は違った。その強さを直に見てきた者にとって、これほど強烈な霊圧を忘れろという方が無理だろう。
バッと橋の側を高速で飛び上がった男の姿に、ルキアはただただ目を奪われた。信じられないとでも言いたげな瞳は、真っ直ぐに彼に向けられている。
橋に着地した一護は、話しかけようとするルキアの横を素通りして花太郎に声をかけた。自分より幾分も低い背の花太郎の肩に手を置き、安否を確認したあと、彼は後ろを振り返った。
「…ルキア」
名を呼ばれ、彼女は振り返る。
「助けに来たぜ」
何の迷いもなく告げられた台詞は、ルキアの脳内にぐわんと響く。仲の良さげな二人の様子に遠目から見ていた真白は、ほんの少し寂しげに肩を竦めて目を細めた。
「なんだその顔!? 助けに来てやってんだから、もうちょっと嬉しそうにしろよ」
「…莫迦者……!」
ここで暴言を吐かれるとは思わなかった一護は反論しようとするが、ルキアの目を見て言葉が出なかった。
「来てはならぬと言った筈だ…。あれほど…追って来たら許さぬと…!」
「(…、朽木さん……)」
「ぼろぼろではないか…莫迦者…!」
うつむき、ひたすら『莫迦』と告げるルキアの隠された本音に気づいた真白は、ぐっと拳を握り締める。自分じゃできない。護廷に所属する自分では、ダメなのだ。それをまざまざと見せつけられ、無意味な己に嘲笑した。
「…まったくだ。だから…後でいくらでも怒鳴られてやるよ」
一護は後ろを向く。ルキアを連れ去った、自分を一度ボロボロに負かせた男を一直線に睨みつけた。
「あいつを――…倒した後でな!」
本当に白哉を倒すつもりなのか。だとしたらなんと無謀な――真白は信じられないと目を瞠ったが、すぐに自分の考えを改めた。
「(あの更木隊長を倒した男…もしかすると、もしかするのかもしれない…)」
さて、それだと自分はどうしよう。ここでルキアを守る役目を担うか。それすらもう必要のないもののように思えてきた。
真白が考えあぐねていると、一護とルキアが目の前で突然口論し始める。こんな状況なのに、まるで普段通りのやり取りをする二人に思わず見入ってしまった。
「……相変わらずだな、貴様は…。相変わらず…私の言うことを少しもきかぬ…」
「あたりめーだろ! てめーの言うことは俺の心配ばっかじゃねえかよ! こんな時ぐらい自分の心配してろ!!」
ルキアに背を向けてぶっきらぼうに言い放った一護は、顔だけ振り向いて挑発的に笑ってみせた。
「心配すんな! 死にゃしねえよ! これでも俺、ちょっとは強くなったつもりなんだぜ」
――息が出来なかった。
どうしてここで彼を思い出すんだろう。彼は――海燕は、一護のようにオレンジ色の髪ではなく、真っ黒だったのに。いや、海燕だけじゃない。二十年程前まで十番隊の隊長を務めていた男にも、彼はよく似ていた。性格は似ていなくとも、考え方が嫌と言うほど。
「は、はは…そんな……まさか、ね…」
自嘲気味に笑った真白は、戦いが始まる前にこの場から逃げようとルキアに近づいた。あることを伝えるために。
「朽木さん」
「真白…」
「お守り、持ってる?」
「こんな時に何を――」
「持ってる?」
真剣な目で問うてくる真白に、ルキアはこくりと頷いた。本当は私物の持ち込みなど一切禁止なのだが、お守りだけはバレなかったのだ。だからルキアはずっと真白から貰ったお守りを肌身離さず持っていた。これがあったおかげで狂わずにいられたと言っても過言ではないだろう。
「良かった…それ、ちゃんと持っててね」
「わ、判っているが…なぜそんなに、」
「それが、朽木さんを守ってくれるから」
真剣な瞳がルキアを貫く。真白のこんな眼差しは今まで見たことがなかったルキアは、しばらく動くことが出来なかった。気づいた時には彼女はいなくなり、白哉の重い霊圧が身を圧迫していた。
・
・
「黒崎一護…きっと彼はあんなところで死なない」
瞬歩で駆け走りながら覚悟を決める真白。浮かぶ情景は変わらず今までの日常だった。
「…ごめんなさい、みんな」
私は、旅禍の味方になる。
「いや、違うか。旅禍じゃない…朽木さんの味方に、だね」
くすりと笑い、あてもなく突き進む。屋根伝いからぴょんっと飛び降りて地面に着地すれば、後ろからどんっ!と誰かに飛びつかれ、真白は慌てて振り返った。
「び、びっくりした…何なんですか!」
「えへへ〜、だって真白に会うの久しぶりなんだもーん!」
「草鹿副隊長……」
背中によじ登りけらけらと笑うのは十一番隊副隊長、草鹿やちる。まるで子どものような容姿だが、実力は一級だ。
隊士のことをいろんなあだ名で呼ぶやちる。しかし貴重なことに真白のことは名前で呼ぶ彼女は、にぱっと子どもらしい笑顔を浮かべた。
「ねーねー! 真白もきて!」
「きてって…どこにですか?」
「いーから!」
ぐいぐいと死覇装を引っ張られ、真白はなす術もなくついて行く羽目に。拒否することも簡単だが相手は他隊の副隊長、自分よりも上な相手に『NO』なんて到底言えるはずがなかった。
「たっだいまー! いっちーいなかった!」
着いた先は、十一番隊のとある部屋。納屋のようなそこには更木隊長を始め、一角、弓親、荒巻がいた。そして真白の知らない女が、不安げにこちらを見やる。
「……? えっと、彼女は…」
「旅禍だよ! いっちーの仲間!」
「りっ旅禍!? というか…いっちーって、黒崎一護……?」
「! くっ黒崎くんを知ってるんですか!?」
「は、はい。さっきまで一緒に……」
「つーことは、」
にやりと一角が真白に歩み寄り、肩に腕を置いた。邪魔そうに身じろぎするが一角はつい先日の怒り(無視されたこと)のせいで、微動だにしない。
なんだと彼を見上げれば、ぐりぐりと強い力で頭を鷲掴みにされた。
「いたっ痛いです! ちょ、」
「お前も仲間ってわけだ!」
「は……? 仲間って、そりゃあ同じ護廷の人間なんだから当たり前――」
「旅禍の味方だろ? さっきまで一護と一緒にいたのに、捕らえることもせずにここにいるっつーことはよ」
指摘された内容にぐっと言葉に詰まる真白は、目だけをちらりと織姫に向けた。未だに不安の色を隠せない彼女に、真白は深い深い溜め息を吐く。
「面倒ごとはごめんですけど…そうも言ってられませんしね」
「それじゃあ……」
「言っておきますけど、“旅禍”の味方ではありません。私は“朽木さん”の味方です」
きちんと訂正を入れると、それでも織姫は嬉しそうに涙を滲ませて頷いた。なんて純粋な笑顔――真白はそっと瞳を伏せて、一角の腕から抜け出した。聞きたいことを思い出したのだ。
「あのっ!」
「あ?」
「吉良副隊長はどうなりましたか…?」
自隊の副隊長のことが気がかりだった真白は食い気味に一角に尋ねる。彼女の勢いにたじろいだ一角は弓親に振り返り、あー…と言いづらそうに頭に手を当てて目線を上に上げる。彼らしくない仕草に不安が募る真白は、無意識に一角の死覇装をぎゅっと握りしめた。
「…牢に入れられてる」
「ろ……っそれって、いつ出られるんですか…?」
「まだ分からねぇ。ただ…そこまで重くはねえだろ、せいぜい一週間ぐらいじゃねーか?」
「一週間……」
長い。それだと旅禍騒動は終わってるじゃないか。真白は眉間に皺を寄せて険しい表情を浮かべるが、だからと言って吉良をどうこうするつもりはない。己の上司である市丸を守る為とはいえ、副官同士で本気の私闘をしたのだ。牢に入れられたのも頷ける。
――だけど、なんだろう。この胸の違和感。
「真白!」
「ひゃい! ………あ」
「…っく、ハハハハハッ!!! 『ひゃい』ってなんだよ『ひゃい』って!!」
「ちょっと…い、一角、笑ったら…し、失礼だよ…」
「…綾瀬川五席、笑いたいなら笑ってくださった方が良いんですけど」
真白が疲れたようにそう言うと、弓親は遠慮なく大笑いした。小屋に響く二人分の笑い声を消したのは、
「うるせえよ」
彼らの隊長、更木剣八の一言だった。
ぴたりと止んだ笑いに内心「(ざまーみろ)」と口悪く思った真白は、改めて織姫に向き直る。少し居づらそうに背を丸める彼女に近寄り、思い切り手を上から下に振り下ろした。
「いったーーー!!!」
「痛くしたんだから当たり前です」
「な、なに、」
「背、伸ばしてください」
織姫の方が背が高いため、必然的に下から見上げる形になる真白。けれど決して威厳は損なわれない。どくりと心臓が波打つのを感じた織姫は、何故か真白から目を離すことが出来なかった。
「貴方は旅禍です。私達の世界に入ってきた、侵入者」
「おいおい、その言い方は――」
「真実が何であれ、それが事実です。つい先日まで続いていた日常を、貴方達が奪った」
彼女が放つ言葉はとても一高校生が抱えるには重すぎた。けれど、織姫は決して目をそらさなかった。それどころか丸まっていた背がだんだんと伸び、凛と立つ彼女の美しさに弓親は目を見開いた。
「もしかすると、貴方達が来なくても日常は壊れていたかもしれない。――いや、もうすでに壊れていたのかもしれない」
ずっと疑問に思っていた。たかが旅禍が来た程度で、こんなに瀞霊廷が乱れるなんて有り得ないことだ。一護の強さが常識はずれだったことも一つなのかもしれないが、それでも『有り得ないこと』が多すぎる。
一つは、隊長の死亡。そしてもう一つは――罪人“朽木ルキア”の処刑の速さだ。どんどん処刑日が早まることに真白が疑いを持ったのはここ最近の話ではなかった。四十六室の決定なら真白に出来ることは何もないのだが、どこか腑に落ちない。
「壊したのなら、とことん壊し尽くす。――腐りきった日常も、朽木さんの処刑も、何もかも」
だから、と真白は続けた。ふっと肩の力を抜いた彼女は織姫に穏やかに笑いかけた。
「私達と一緒に、戦ってください」
敵のはず、だったのに。
あまりにも優しい声でそんなことを言われてしまえば、織姫に断れるはずがなくて。
頼れる仲間も次々と傷つけられて、一人だと途端に不安になって。いつもはピンと伸びているはずの背が丸まってしまうくらいには、恐怖心を感じていたのだ。
「うっ…うん…うんっ……!」
だから、今だけは泣くことを許してください。
溢れ出る涙をめちゃくちゃに拭っていたら、ふわりとほんのり温かい手が触れた。
「……貴方の仲間も、きっと無事ですよ」
安心させるような声色が、織姫の心を和らげる。そこに確かな根拠なんてないのに、織姫には何よりも信じられる魔法の言葉のように思えた。