遥か昔の物語

“外”は、ただただ眩しかった。
それが、少女の一番最初の外の記憶である。

「名前は?」
「………」
「…歳は?」
「…………」
「……なんで彼処におってん」
「……………」
「………ダァーッ! おいゴラ喜助!! これ代われ!!」

長い金髪を靡かせた男――護廷十三隊五番隊隊長の平子真子は、真っ黒の髪の少女が質問に対して何も喋らないことに苛立ち、後ろにいた白衣を着た男――護廷十三隊十二番隊隊長兼技術開発局初代局長である、浦原喜助に向かって叫んだ。
もうかれこれ30分は続けてみたが、何の進歩もない尋問に怒りが爆発したらしい。

平子が少女から少し目を離したことによって、少女は監視から一瞬でも逃れたことになる。その隙を狙って少女は立ち上がり、自分の胸元に爪を立てた。力の加減が全くないそれは、ぐちゅりと心臓上に咲く赤い花を抉る。
その行動を平子越しに見つけた浦原が瞬歩で駆け寄り、皮膚を抉る手を乱暴に掴んだ。

「何してるんスか……!」
「………」
「…もうだんまりは終わりっスよ」

浦原の鋭い眼光が少女を射抜く。後ろから見ていた平子は、こんな彼を見るのも久々だと微かに目を瞠った。
暫くの沈黙の後、少女は浦原を見つめながらぽつりと呟いた。子どもらしい、ほんの少し高い声だった。

「……ちょっと、まって」
「もうじゅ〜〜〜っぶん過ぎるくらい待ったわ!! さっさと喋れ!」
「平子サン…大人気ないっスよ…」
「さっきガン垂れてたお前に言われたないわ」
「…もうちょっとだけ、まって」

再びその台詞を繰り返した少女は、やはり浦原の目から逸らさなかった。

「この“おはな”がぜんぶなくなったらおはなしするから、ちょっとまって」

そう言って、浦原に掴まれていない方の手でまた心臓部分の皮膚を抉ろうとする少女に、浦原は今度はその手も掴んだ。両の手を拘束された少女は、ここで初めて表情を変えた。苛立ちだ。

「……なにするの」
「それはしないで下さい」
「どうして? べつに、このからだは真白のだから、真白のすきにしていいはず」
「真白……それが、貴女の名前っスか」

思わぬところで少女の名前が判り、少し進歩した尋問。やっとかいな、と平子は思ったが、次の少女の台詞に再び頭を捻らされた。

「なまえ? これは“こしょう”だよ。 なまえなんてものじゃない」
「……は? 一緒やろ?」
「なんのいみもこめられてないそれは、ただの音。真白をほかと“くべつ”するためのナンバーだよ」

意味がわからないという顔をする平子とは他所に、浦原は苦い顔をした。少女の言っている意味が判ったからだ。
“名前”ではなく、“呼称”。つまりそれは、誰かが彼女を呼ぶためにつけた道具の名前、という言い方をした方が適切かもしれない。新しい道具に呼び方をつけた、とこの少女は言いたいのだろう。

「……もう貴女は、自由なんです」
「……じ、ゆう…?」
「はい。…だから、貴女に新しい名前をつけましょう。“呼称”なんかじゃなくて、ちゃんとした“名前”を」

両手を掴んだままそう告げる浦原。少女はここで初めて目を逸らした。口を開けたり閉めたりして、うろうろと目を泳がせる。遠目からそんな少女の様子を見ていた平子は、ガリガリと頭を乱雑に掻いた。

「鬱陶しいやっちゃなァお前」
「、………」

びくりと、怯えた反応を見せた少女に、平子は「あー…」と少し言葉を考えて話を続けた。

「言いたいことあるんやったら言え。少なくとも俺は何でも受け止めたる」

平子の瞳はとても真っ直ぐで綺麗だと、少女は思った。ただ純粋に澄んでいるのではない。悪も善も知っている瞳だ。
その瞳に呑まれるように、気づいたら少女は自分の“望み”を言葉にしていた。

「…このままがいい」
「このままって……」
「おとうさんとおかあさんがくれたの、これしかないの。だから……だから、真白は『真白』がいい」

平子から浦原へ目線を変えると、浦原はびっくりした顔を見せた後、苦笑した。なんだ、案外子どもらしいじゃないかと。
掴んでいた手を血まみれの少女の手へと移動させ、両手で包む。子ども体温が手から伝わり、改めてこの少女が幼い子どもだということを認識した。

「わかりました。だったら、アタシと約束して下さい」
「喜助ェ、俺は無視かい」
「すいません、じゃあ平子サンとも」

グッと両手の中にある血まみれの手を、より強い力で握りしめた。こんなことをされるのは初めてで、少女の目には戸惑いの色が浮かんでいる。

人間らしい反応が増え始めたことに、浦原と平子は純粋に喜んだ。それと同時に、少女に対して“情”を抱いてしまったことにどうしようかと悩む。自分達は死神で、しかも隊長という位についている。――そう頭ではわかっていても、もう己の中に芽生えるこの気持ちはどうすることも出来なかった。

「もう、ここに傷をつけるのはやめて下さい」
「え……で、も、だって、それじゃあとれない…」
「とらなくていいんス。これは、貴女が…真白が生まれた証っスから」

この花の名前、何か知ってますか?
そう問われ、真白はふるふると頭を振る。ただ『紅い花』と認識していたから、名前と言われてもカケラほどもわからなかった。

「その花の名前は…――」


ハッと目が覚め、平子はゆっくりと起き上がった。屋根上で寝そべっていたせいか、身体は随分汗をかいている。夏の暑い日によくこんなところで寝ていられたなと自分でも思うが、ちょうど日陰だったから心地よかったのだ。仕方ない。

しばらくそこでぼーっとしていた平子だが、頭の中は今見た夢でいっぱいだった。
5歳頃のあの少女が自分に懐くまで、随分と時間を要した。まともに受け答えしてくれたのはあの日だけで、あれから何度話しかけてもやれ「うるさい」だの「まぶしい」だの言っていつも逃げられていた。
やっと見つけたと思えば、大きな木の幹で身の丈に合わない斬魄刀を抱えて眠っているのだから、変なところで子どもっぽい。

「(そういやァ、どうやって懐いてくれたんやったかのォ……)」

駄目だ、暑さのせいで思考が鈍る。
平子はスクッと立ち上がると、一瞬にしてその場から消えた。

「みーっけ」
「……ん、んー…しん、じ……?」
「隠れんぼは終いやで。さっさと帰らんとうるさい奴がおるからのォ」

平子は隊長羽織を真白にかけると、そのまま抱き上げた。腕にお尻を乗せ、背に手を回す。一気に包まれた温もりに、真白はまたうとうとと睡魔に襲われる。

「お前なァ、こないなところで寝るくらいなら部屋帰って寝ぇ」
「……おそとが、いい」
「…何でや」
「…だれかが、真白をさがしにきてくれる、から…」

眠気の中ごにょごにょと呟いたそれに、平子は思わず腕の中の少女を見つめた。顔を平子の胸に預けているため、どんな表情をしているかは見えない。
無性に今、真白の顔が見たいと思った平子だが、無理に起こすのも悪いと諦めて頭を撫でた。

「…何処におっても探したるわ」
「…ん……?」
「お前が…真白が何処におっても、俺が探したるー言うてんねん」
「……どこに、いても……?」
「おん。部屋におったら会いに行ったる。外におったら探しに行ったる。瀞霊廷におらんかったら、地の果てまで追いかけて捕まえたるわ」
「……ぜったい?」
「絶対、や」
「…ふふ、ふふふっ…やったぁ…やくそく、だよ…」

それっきり、真白は完全に睡魔に負けて眠ってしまった。この日から、真白は誰よりも平子を慕うようになったのだ――…。
このとき、平子の顔が夕日に負けないくらい赤くなっていたことに気づいた者は、誰一人居なかった。