そのせいで用済みとなってしまったルキアを、藍染は未だ彼女の首にかけられた首輪に手をかけ、差し出すように持ち上げた。
「殺せ、ギン」
体が動かない一護は、ただ見ていることしか出来ない。市丸は「…しゃあないなァ」と呟くと、ゆっくりと腰から刀を抜いた。
「射殺せ、『神鎗』」
自分に迫る刀の鋒が、ルキアの虚ろな瞳に映る。痛みが来る――そう思った瞬間、体が暖かいものに包まれた。
「…兄……様…!」
ルキアの兄、白哉が藍染の手からルキアを奪い取り、かつ市丸の斬魄刀をその身に受けたのだ。けれど深くは刺さっていない。まるで二人を守るかのように光の壁が現れたからだ。
「この、光……っに……兄様っ…!!」
伸びた刀は市丸のところへ戻る。すると白哉の体は支えを失ったかのように、ずるりとルキアにもたれるように力が抜けた。
「兄様…何故…何故私を…!? どうして…兄様…兄様…兄様っ…!」
必死に白哉を呼ぶルキア。そんな二人に藍染は容赦なく歩み寄る。此方に一歩近づいて来た敵から白哉を守るように、ルキアは彼の頭を掻き抱いた。ザッ、ザッ、と血を蹴る音が嫌に響く。やがて藍染は己の斬魄刀に手をかけた。
しかし、それも意外な人物らに止められる。
「…これはまた、随分と懐かしい顔だな」
「動くな。筋一本でも動かせば、」
「即座に首を刎ねる」
「……成程」
四楓院夜一と砕蜂の両名から首元に刃を当てられているにも関わらず、藍染は余裕の笑みを崩さなかった。と同時に、ドォン!と轟音が響き、建物が次々と崩壊してゆく。
「………! こいつらは…!!」
建物を躊躇いなく潰し歩いて来たのは、東、北、南の門番達だ。その剛腕ぶりは誰もが知っている故に、まさか彼らまでもが敵だとは思いたくなかった。いくら夜一だとて、藍染を捕えたまま彼らと戦えるほど余裕はない。
どうする、と思考を巡らせたときだった。空鶴が西の門番である児丹坊とともに加勢に来てくれたのだ。
「ひゃあ、派手やなァ…」
児丹坊達が暴れているせいで、石クズが空から降って来る。傍観していた市丸は、それを手でパシパシと避けていると、その手をガッと掴まれた。
「動かないで」
そう言って市丸を捕えたのは、十番隊副隊長、乱菊。彼女が自身の斬魄刀を市丸の首元に添えると、市丸は「すんません、藍染隊長。つかまってもた」と軽い口調で謝罪する。
「…これまでじゃの」
「…何だって?」
「…判らぬか、藍染。最早おぬしらに…逃げ場は無いということが」
複数の足音が重なり、やがて大きな音へと変化する。気づけば、辺りには全隊長が姿を現していた。
これだけ囲まれれば、もう逃げられない。誰もがそう確信していた。
「…終わりじゃ、藍染」
そう告げる夜一。絶体絶命のピンチだというのに、藍染の口元は弧を描いていた。
「…どうした。何が可笑しい、藍染」
「…ああ、済まない。時間だ」
「! 離れろ砕蜂!!」
夜一と砕蜂が同時に藍染から離れた瞬間、彼を覆うように空から光が降ってきた。
「――ば…莫迦な………!!」
空はひび割れ、巨大な手が顔を覗かせる。ギシッ…と軋むような音が、皆の耳にはよく聞こえた。やがて窓を上下に開けるように手が空をこじ開けると、奥には大量の
光は藍染だけでなく、東仙と市丸にも同様に降り注ぐ。二人を捕らえていた檜佐木と乱菊は反射的に手を離した。
「…ちょっと残念やなあ。もうちょっと捕まっとっても良かったのに…」
乱菊だけに聞こえる声量で、市丸は続けた。
「さいなら、乱菊。ご免な」
その横顔が寂しそうに見えたのは、錯覚だろうか。
藍染、市丸、東仙が立っている地面が割れ、そのまま空に浮き上がる。後を追おうとした射場だが、総隊長である山本に「止めい」と止められてしまった。
「あの光は『
大虚と戦うたことのある者なら皆知っとる。あの光が降った瞬間から、藍染には最早、触れることすらできんとな」
総隊長の台詞に、悔しげに顔を歪める隊長達。――その時だった。
「
小さな人影が、真っ直ぐに市丸の元へと向かった。
「あれは……!」
「真白ちゃん……!?」
浮竹と京楽が驚愕に満ちた瞳で彼女を見る。その他の者達も、真白が斬魄刀を解放していることに驚きを隠せずにいた。
彼女が斬魄刀を始解出来ることは、限られた人しか知らない。ゆえに、なぜ真白が今、斬魄刀を始解出来ているのか全くもって分からなかったからだ。
「どこに行こうとしてるの、ギン…っ!」
「…始解、見んの久々やなァ」
「はぐらかさないで!」
「やっぱり、何回見ても大きい鎌や」
真白の斬魄刀は、鎌だ。それも彼女の背丈をゆうに超え、刃の部分は普通の鎌よりも何倍も大きい。
そんな大きな武器を軽く使いこなせるのは、彼女だからこそ出来ることなのだ。
「藍染さんが生きてたとか、でも実は裏切ってたとか、そんなことはどうでもいい! でも、ギンは違う!」
「名前、呼んでくれるんやな」
「それくらい、これからいつでも、何度でも呼ぶから…! 離れていかないで、ギンっ…」
ガキィン! と、反膜に刃をぶつける。けれど、やはり光をどうこうすることは出来ない。
「前に言ったじゃんか…! 真白を置いてどこにも行かないって! だったら…真白を一人にしないで…!」
幼い子どものようにぐずる真白に、市丸は手を伸ばしそうになったが、後一歩のところで思い留まる。もう、触れることは叶わないのだ。
「ずるいよ、ギンは…。勝手に私を守っておいて、勝手にいなくなるんだもの…」
「せやなァ…ご免な、真白」
「謝ってほしくない! 謝るぐらいなら…ここにいて、真白の側にいてよぉ…!」
目から大粒の涙を流す真白。その涙を拭ってやりたい衝動に駆られた市丸は、いつもより下手くそな笑顔を浮かべた。
「これからは、ちゃんと朝起きるねんで」
「なんで今、そんなこと……」
彼の表情を見てしまったら、もう二の句は言えなかった。最後は最大の力で月車をぶつけてみたが、やはり反膜は砕けず、真白はそのまま市丸から遠ざかってしまう。
「風邪、引いたらあかんで」
市丸の台詞は、最後の最後まで真白を心配するものだった。
「…大虚とまで手を組んだのか…。…何の為にだ」
「高みを求めて」
真白が京楽の腕に抱かれたことを確認して、浮竹は厳しい眼差しで藍染を見上げた。
「地に堕ちたか、藍染…!」
「…傲りが過ぎるぞ、浮竹。最初から誰も、天に立ってなどいない。君も、僕も、神すらも。だが、その耐え難い天の座の空白も終わる。これからは――」
藍染は眼鏡を外し、髪を掻き上げた。
「私が天に立つ」
その姿は、今までの藍染とは全く違っていた。
「さようなら、死神の諸君。そしてさようなら、旅禍の少年。人間にしては、君は実に面白かった」
「……で…」
小さな声が、小さく響く。けれどもそれは、何故か全員の耳に聴こえていた。
声の主である真白は、京楽の腕の中で必死に立ち上がろうとしていた。久しぶりに斬魄刀を解放したせいか、霊圧がごっそり奪われてしまったのだ。
「脱いで…その羽織り…!」
「…久しぶりに見たね。君のその目」
「早く脱いで…! お前なんかが、いつまでもその“五”の数字を背負わないで!!」
「やはり、まだ求めているのか。彼を」
「うるさいな……!」
「なら、良いことを教えてやろう」
背を向けたまま、藍染は笑みを深くした。
「彼らを殺したのは、私だよ」
真白の目が瞠る。その表情に、藍染はまた笑って今度こそ暗闇の向こうへと姿を消した。
「…なーんだ…」
「真白ちゃん?」
「いくら待ったって…死んじゃってたら帰ってこれないよね……」
その呟きを一番近くで聞いていた京楽は、ほんの少し目を丸くした。
「勝手に死なないでよ…ハゲ…」
その台詞を最後に、真白は気を失った。
京楽が目をやると、彼女の腹部からは大量の血が流れていた。死覇装のせいで分からなかったが、出血量は多く、重症だ。
「な…っ四番隊!」
京楽の慌てた声に、四番隊は急いで真白を治療し始めた。