月だけが知っている嘘

真白と京楽がいるこの病室は、真白以外が使うことの許されない特別な病室だ。この部屋の存在を知る者はごく僅かで、位置も特定出来ないように細工されてある。

「あの日…平子さん達が居なくなった日、私はやっぱり此処で目覚めた。外傷はまったく無いのに、気づいたら意識を失ってて。――そのときには、すべてが失くなってた」

戸惑いがちに開いた戸から入って来た卯ノ花が告げた内容に、真白は戸惑い、のちに絶叫した。嘘だと、こんなときに冗談を言うなと。しかし結局それらは無意味なことで、幾ら泣いても叫んでも平子が来ることはなかった。
『…何処におっても探したるわ』と、微睡みの最中そう言った彼の台詞を、こんなにも鮮明に覚えているというのに。彼はその約束を果たすことなく、何の痕跡もないまま姿を消した。

「目立った外傷もなく、意識もはっきりと戻ったから、私は護廷に復帰したのだけれど…やっぱり、五番隊には居られなかった。何処にいてもあの人を探してしまって、隊首室に藍染さんが入るたびに息がしづらくなって…」

食事も喉を通らなくなり、睡眠を取ることも困難になった。そんな生活を続けていき、とうとう真白は窶れていった。
それでも仕事は当たり前のようにある。当時書類整理が苦手な彼女は、主に虚討伐を担当していた為よく駆り出されていたのだが、食事睡眠を充分に取っていない状態で、いつも通りの戦闘なんて出来るはずも無く。その身に重傷を負いながらもなんとか虚を討伐したのだ。

――その後、真白は平子達が居なくなって以来、再びこの病室で入院。卯ノ花の治療の甲斐あってかすぐに全回復したのだが、とうとう真白は外に出なくなった。
五番隊に行きたくない、平子が居ないのに死神なんてしない、もう誰にも会いたくない。

そのストレスからか、真白の髪は露に濡れた黒から透き通るような白へと変貌してしまった。

そのことでまた余計に外へ出づらくなった真白の元に、市丸がやって来たのである。
彼は普段と変わらない様相でひょいっとこの病室を尋ねるが、当然ながら真白は全身全霊で抵抗する。「出て行け」と、力の限り叫んで周囲なんて構わずに鬼道をぶっ放す彼女の攻撃に、市丸は何を思ったのか無抵抗でその身に受けた。
白になった髪色に何を言うでもなく、ただ黙って真白の罵倒を聞き、怒りのこもった攻撃を受ける市丸を見て、真白もだんだんと訳がわからなくなったのか、ふっと攻撃をやめて今度は泣きそうに市丸と目を合わせた。

「……市丸隊長…いや、ギンは、何も言わなかった。髪が真っ白になったことも、外に出てこなくなったことも。手加減なんて一切無しの鬼道を受けたせいで、身体は傷だらけ。口から血だって吐いてた。それなのに…、」

彼は、自分に向かって手を差し伸べた。
目を細めて、口角は釣り上げて。

「ボクんとこおいで」

たったそれだけを、真白に告げた。

「一瞬、何を言ってるのかと思った。だって、ギンは五番隊に所属しているのにボクのところってどこだよって。見るからに混乱している私にギンはケタケタ笑って、『ボク、三番隊の隊長なってん』なんて簡単に言うから…。あのときはびっくりした」

驚きで何も言えない真白に、市丸は手を下ろさずにもう一度言った。「ボクんとこおいで」と。
何故市丸がそんな誘いを自分に持ちかけてきたのか、そんな疑問が頭の中に過ぎったけれど、気づいたら真白は差し出された市丸の手のひらの上に、自分の手を重ねていた。

「あのとき、どうしてギンが私を誘ってくれたのか…まったく判らなかった。…でも、やっと判った。ギンが裏切って漸く判った」

京楽は、ただ黙って話を聞いていた。彼も判ったからだ。何故市丸が真白を三番隊に引き入れ、降格したのか。

「全部、私を守る為だった。藍染惣右介という男から、私を。平子さんという盾がなくなったことで、彼の狙いが今度は私に向く。それを避けるために、ギンは私を目の届く範囲に置き、かつ私に権力を与えない為に平隊員に降格させた」

五番隊から遠ざけることで藍染と会う確率を減らし、席官から平隊員に降格させることで持っていた権力を失わせ、真白は平子達が何故居なくなったのかを知る術すらなくなってしまった。
牙を持たない者を、藍染がいつまでも気にかけることはないと知っていたからこそ、市丸はそうしたのである。――すべては、たった一人を守る為に。

「…ほんと不器用だねぇ……彼も、真白ちゃんも」

真白が語り終えたあと、京楽は椅子から立ち上がり笠を被って扉に向かう。「そうだ、」とくるりと振り返ると、机の上をちょいちょいと人差し指で示した。
指先を目で追うと、そこには紙袋がちょんっと鎮座してある。見たことのあるそれに「まさか…」と目を見開く真白に、京楽は慣れたようにウィンクした。

「前は僕らが食べちゃったからね。無理言って、店主さんに作ってもらったんだよ」

じゃあねと、今度こそ京楽は病室から出て行った。
一人になった途端に訪れる静寂に、何故か耳が痛くなる。気を紛らわせるように真白はおもむろに立ち上がり、京楽が置いて行ったお見舞い品を手に取った。
ガサリと袋を開け、中を覗く。そこには真白の大好物のいちご大福が二つ、しかも特大の大きさのものが入っていた。

「さすが、隊長格がお願いするだけで効果抜群じゃん…」

ふ、と目を細めると、真白はそれを持ったままベッドに座り、いちご大福にかぶりついた。みずみずしいいちごとモチモチした大福が絶妙にマッチしていて、いつまで経っても変わらない味に安堵した。

「…………、」

話せることはぜんぶ話した。
隠す意味も、もうないから。けれど一つだけ、不可解な点がある。

「…どうして、私を守ったの……ギン」

どれだけ考えても、たった一つ、それだけが判らなかった真白は、ふっと視界にちらつく“紅”にふるふると頭を振った。いつもは“紅い花”が眼に映ると、何故か市丸がやってきて気を散らしてくれたのに。
もうその“いつも”が来ないことに、真白はやっと自覚した。

「…置いて行かないって言ったくせに、クソ狐」

普段の真白からは考えられない汚い台詞だが、それを咎める者も驚く者もこの部屋には居ない。自分以外誰も居ないことに寂しさを覚えた真白は、残りのいちご大福をものの数秒で食べ終えてばふっと布団に潜り込んだ。

「…平子さん達が死んだなんて、嘘…だよね」

意識を失う寸前の、藍染の台詞が蘇ってきた。あのときは痛みのせいで朧げにしか覚えていないのだが、なにぶん強烈だった為、こうして覚えていられた。

「…別に、もう百年だし。過去は過去だし。……待ってなんか、なかったし」

まるで自分に言い聞かせるように布団の中で呟くと、窓の外から射し込む太陽の光から逃れるように丸まり、そのまま眠りについた。