移りゆく空模様

「あ」
「なぁに?」
「何だ」

ルキアを探し終えた一護は、何かを思いついたように足を止めた。それに織姫とルキアが反応し、尋ねると、彼は「そういやァ…」と少し言いにくそうに口を開いた。

「あの人は何処に居るんだ?」
「あの人?」
「ほら、あーっと……やべぇ、名前ど忘れした」
「莫迦者が! それでは分からんではないか!」
「んなこと言ったって、名前聞いたの一回だけだぞ!?」

ワーワーギャーギャー騒ぎながら、一行は白哉の病室に着いた。もともとルキアが白哉の元へ行こうとしていた為、それならばと二人もついて行くことにしていたのだ。
その騒がしさのまま一護が病室の扉を開け、ルキアが慌てて口を閉じる。いくら和解したからって怒鳴り合いながら義兄の前に出られるほど、彼女は無神経ではなかった。
白哉に軽く挨拶をしてから、話題は再び同じものへ。今度は白哉も混ざったのだが、何せ名前が判らないのであれば探しようもなかった。

「どのような特徴だった」
「特徴なあ……確かすんげー白い髪で、長さは結構あったような…」
「何だと……?」
「あっ、そうだ! 俺そいつに『なんで此処に来たんだ』とか聞かれたから、『俺のせいでルキアが処刑される羽目になったから助けに来た』って真面目に答えたら、そいつなんて言ったと思う!? 『ゼロ点』だぞ『ゼロ点』!! 初対面の奴にそんなこと言われるとは思わなかったぞ俺!!」

一人憤慨する一護だが、黙ったままのルキアと白哉に気づいてクールダウンし、二人を見る。ルキアは恐る恐るというような雰囲気で白哉を、白哉は目を伏せて黙っていた。

「その人なら、あたし知ってるよ!」
「ほっほんとか!?」
「うん! 真っ白な髪の人だよね!」

織姫がはいはい!と手を挙げて、「でも名前は知らないんだけどね」と明るく笑う。一護は「知らねーのかよ」とがっくりと肩を落として呟くと、ルキアが白哉と同じように一瞬だけ目を伏せ、一人騒ぐオレンジ頭の少年に話しかけた。

「その者は、私の友人だ」

友人…と一護はその言葉を反芻した後、「ああ!」と手を叩いて頷いた。織姫も覚えがあるのか興奮したように頬を赤くしてうんうん首を縦に振る。

「一角がそんなこと言ってたな、確か」
「あたしがやちるちゃん達と一緒に居たときも言ってたよ! 『私は朽木さんの味方だ』って!」
「な、なななっ…! あ、あやつめ…よくそんな恥ずかしいことを堂々と…」

織姫の台詞に顔を真っ赤にしたルキアだが、すぐに困ったような、少し悲しそうな表情を浮かべる。

「実は…私も会えていないんだ」
「ルキアも?」
「あぁ。あやつが私の味方として奔走してくれていたことは知っていた。兄様にも聞いたし…何より、真白は私の牢に来たからな」

その日を最後に、ルキアは真白と会えていなかった。それもそのはず。今彼女は、特別な病室で一人眠っているのだから。
この中でたった一人、白哉だけが知る真実に彼は窓から見える空を仰いだ。だんだんと陽が傾き、空は茜色に染まりつつある。ふと横を見れば寂しげな顔をするルキアに、白哉は己の身体の調子を確認してから立ち上がった。

「どっ、何処へ行かれるのですか、兄様!」
「会いたいのだろう?」
「へ……」
「白哉、知ってんのか!?」
「……知っている」

名前を呼び捨てにされたことに白哉は一瞬言葉を詰まらせたが、今はそれどころではないと返事を返した。
真白の許可も得ずに勝手にルキアや旅禍を連れて行くことに、白哉自身も些かどうかと思ったが、どうせ顔は見たいと思っていたところだ。それに、ちょうど訊きたいこともあった。

「(ルキアの持っていたあの御守り…あれの詳細を聞かねば)」

しかし、市丸が裏切ったことを彼女は受け止めているのか。それだけが心配だった。

勝手知ったるように四番隊の隊舎内を歩き進む。だんだんと四番隊員の姿が見えなくなったことにルキアは驚くが、そんな彼女を放って白哉はピタリと足を止めた。――結界だ。
目に見えないそれを、やはり慣れた手つきで破ると再び足を進める。もちろん結界を貼り直すことも忘れずに。

「にっ兄様……!」
「じき着く」

もう、誰の気配もしなかった。
やがて白哉は一つの扉の前で立ち止まった。見かけは普通の病室と変わらないはずなのに、一護は何故か足がすくんだ。入ってはいけないと、体全体に危険信号が走る。
それなのに、白哉は構わず扉に手を掛けた。

「待っ――」

思わず声を掛けようとした一護だが、完全に扉を開けきった白哉がスタスタと中に入ってしまい、仕方なく重い足取りで一護も続く。その後ろにルキア、織姫と着いて入るが、途端にずしりと重い何かが背に乗るように襲いかかり、彼女らは思わず片膝をついた。

「な、んだ…これは…!」
「体が…っ、重っ…」
「ルキア! 井上!」

焦ったように二人に駆け寄る一護だが、彼も立っているのが精一杯な様子だった。一人平然としている白哉は、三人を一瞥して斬魄刀を手に取る。鞘に収めたままのそれで、床をトン…と一回突いた。
すると三人は、憑き物が取れたかのように体が軽くなったのが判る。ルキアと織姫はすっくと立ち上がり、ぐいんぐいん体を動かす。

「い…今のは何だったのですか、兄様」
「この部屋だけ霊子濃度が特別高い。故に、一気に変わった濃度に体が追いつかなかったのだ」
「何故この部屋だけなのです? 尸魂界はもともと高いですが…」
「…高くする必要があるからだ」

それにしても、この部屋は何なのか。一護はぐるりと部屋を見回した。特別何かが置いてあるわけでもなく、誰かが居るわけでもない。そこで一護は、ぽつんと置いてあったベッドが視界に入った。シーツはぐしゃぐしゃで、側にある机には紙袋が綺麗に折り畳まれて置いてある。

誰かがいた痕跡に、一護は白哉に目を向けた。眉間に皺を寄せ、見るからに苛立ちを露わにしている彼に、流石の一護もぎょっとする。さっきまで普通だったのに、何故いきなり不機嫌になるんだ。おろおろする一護を放って、白哉は伝令神機を取り出した。

「…真白が居ない。いや、あの病室にいる…あぁ、もぬけの殻だ」

怒りを含んだ声色で話を続ける白哉は、窓に近づいた。ギジリとベッドに体を乗せ、そっとそれに触れる。

「…窓からだ。しっかり閉まっているから、錯乱してはいないだろう。……京楽が見舞いに行った筈だ、何か話は……そうか…、」

一気に声色が変わり、白哉の纏う雰囲気は哀愁を帯びたものへと移りゆく。二言三言話すと、伝令神機を切って一護らへ振り返った白哉は、「暫くは放っておけ」と言い切った。

「放ってって…あんたがここまで俺たちを連れて来たんだろうが…!!」
「此処にいないのに、どうやって会わせろと?」

口元をひくひくと釣り上げて怒りに笑う一護を、白哉が一蹴する。ベッドから降りて三人を部屋から出るように促すと、彼はまた斬魄刀で床を突いてから自身も外へと出た。
何か言いたげな三人に「焦らずとも、帰ってくる」とだけ伝えると、また先頭を切って歩き出した。変わらない真っ直ぐな背に三人は顔を見合わせたが、すぐにその背を追いかけた。



一方、病室を勝手に抜け出していた真白は、白い着物を汚しながらも走っていた。素足のまま出てきたせいで、足にチクチクと当たる草や土が痛いが、それでも尚走った。

「はぁ…はぁ…っ…はっ…」

漸く足を止めたそこは、尸魂界を一望できる高台だった。目印のように傘を広げる大きな木の幹まで進み、真白は腰を下ろした。荒い息を整え、夕日から隠れるように膝に顔を埋めると、しばらくそこで無音のひと時を過ごした。

「………、」

涙は流れなかった。もう充分すぎるほど京楽の前で泣いたからか、不思議と泣かなかった。ちらちらと紅い花が浮かんでは消え、真白の神経を逆撫でした。

「……やっぱりあのとき、紅い花これは消しとくべきだった。いや、そもそも――」

そこまで呟いて、真白は口を閉じた。そこから先は言ってはいけないと、何かが己を自制したからだ。

隣に立てかけておいた斬魄刀をしっかりと腰に差し、真白は高台を後にする。あの病室に帰らなければ。まだ体調が全回復していないのにこうして外に出てきたことを真白は悔い、せめて卯ノ花に見つからないようにと祈った。

「な、な……」

しかし、祈りは届かなかった。届くどころか、最悪な展開が待っていようとは思いもしなかった。
四番隊隊舎で真白を待ち受けていたのは、卯ノ花だけでなく六番隊隊長の朽木白哉までいるのだから。二人の後ろには一護とルキアが揃って並んでいるのも見える。
何故その二人が居るのか疑問に思うも、真白はこの世の終わりを覚悟した。

「遅かったですね、真白」
「は、ひ……って名前…!」
「あら、もう此処では名前で呼んで良い筈では?」
「う゛…ま、まだ私は入ってません…」
「いいからさっさと入れ」
「うわっ……っ、くっ朽木隊長!?」

白哉がグイッと乱暴に真白の手を取り、無理やり隊舎の中へと連れて行く。そんな白哉を見たのは初めてなので、ルキアは目をぱちぱちと瞬かせて着いて行く。
連れていかれた先はやはりあの病室で、真白は霊子に包まれた瞬間ホッと息を吐いた。体が喜んでいるのがすぐにわかる。

「何処に行っていた」
「えっと……いつもの、高台に…」
「ハァ…」

呆れたように溜め息を吐かれれば、真白は肩を竦めて小さく謝った。その姿は幼い子どものようで、ルキアや一護は驚いた。
クスクスと笑い声が後ろから聞こえる。見れば、卯ノ花が口元に手を当てて優しく笑っていた。

「うふふ、ごめんなさい。何せ、そんな姿を見るのは随分久しぶりでしたから」
「……笑いごとじゃない、です」
「とってつけたような敬語はおやめなさい。似合ってませんよ」
「…〜〜〜っ、もう……」

ルキアや一護が居るから自重しようとしていた真白の思いをばっさりと切られ、諦めたように項垂れた。この人に勝てたことなど今まで一度もないが、まさか今も勝てないとは。

ひとしきりそんな会話をしたあと、真白はゆっくりとルキアを見た。五体満足に立っている彼女の姿に、安心したように息を吐いた。あの時は私情が先走ってルキアの安否を確認出来なかったが、“お守り”が無事発動したことは知っていたからあまり心配はしていなかった。
が、それでもこの目できちんと見なければ、本当に安心したとは言えなかった。そんな真白の気持ちを白哉は知っていたのだろう。だからこうして此処に連れてきた。

「……無事で良かったです」
「あ……」
「ごめんなさい。藍染さ……いや、藍染が、あんなことを企んでいたなんて知らなかった。もっと早くに動いていれば良かった。四十六室まで行けば良かった」

ぽろぽろと語られる『たられば』に、ルキアは思わず「莫迦者!」と目の前の真っ白い女に叱咤した。

「何をすべて自分の所為にしている! これは貴様の所為ではない! 自意識過剰もいい加減にしろ!」
「じ、自意識…過剰……?」
「ああそうだ。私が一言でもお前に『貴様のせいでこうなった』と言ったか!?」
「い、いえ、」
「誰かがそれをお前に言ったか!?」
「いいえ……」
「だったら、いつまでも自分を責めるな!」

あースッキリしたと、ルキアはフンッ!と鼻を鳴らして仁王立ちした。側で聞いていた一護は(こいつ…友達に対しても容赦ねェな…)とぶるりと体を震わせる。
散々言われた真白は、白の中で唯一黒い瞳を丸くさせ、やがて大きな声で笑い出した。白哉と卯ノ花はそれに目を見開き、呆然と彼女を見やる。

「ふふっ、あはははっ…! そっか…自意識過剰かぁ…」

ひとしきり笑い終えると、真白は優しい笑顔でルキアの目の前に立つ。窓の外はすっかり暗く、あたりは静けさに包まれていた。

「お守り、ちゃんと持っててくれたんですね」
「っそうだ、あのお守りは何だったのだ…? 藍染に殺されそうになった時、私を守ろうとした兄様の前に光の壁が現れた。アレがお守りの正体なのか…?」
「…はい。私の霊力を込めたものです。それに細工を施して、お守りの持ち主が危険に晒されたときに圧縮された霊圧が光の壁となって出現するようにしました」
「何故だ…! 何故そんなものを私に――」

咎めるように問い詰めるルキアは、それ以上言葉を続けられなかった。くしゃりと泣きそうに歪んだ表情を見てしまえば、自然と言葉も出なくなる。

「……友達を、失いたくなかった。それだけじゃあ…だめですか…?」

少し震えた声だった。消え入りそうに言われた台詞に、ルキアは歯噛みして真白に抱きついた。ろくに友達らしい付き合いなどしてこなかったが、それでも確かに、私達は友達なのだ。
ぽたりと涙を流したルキアは、込み上げてくる嬉しさをそのままに真白の耳元で「やはり、真白は莫迦だ…」と言った。