メルクマールは何処ですか

「はっ」

まるで、嘲るようにグリムジョーは息を吐いた。

「ははははははははははははっ!!! 上等じゃねえか、死神!!」

ふわりと浮き上がり、血だらけの体で真白をキツく見下すグリムジョーに、彼女は何も言わずやはり鎌を肩に担いだ。余裕のある態度にグリムジョーはギリ…っと歯噛みしたが、すぐに悪役よろしく笑ってみせた。

「次は、こっちの番だぜ」

刀に手をかける。ズア…ッと高まってゆく霊圧に、一護は左目を抑えながら臨戦態勢に入り、真白をチラと横目で見た。しかし彼女は、伸し掛かる霊圧をもろともせず、無表情に空を見上げるだけだった。
グリムジョーが完全に刀を抜く寸前、彼の肩にとある者が手を置いた――元九番隊隊長、東仙要だ。

「刀を納めろ、グリムジョー」
「東仙…!」

ス…と目を細めた真白は、斬魄刀をそのままに東仙から目を離さなかった。東仙は一度真白を見たきり、グリムジョーと話を続ける。

「なんでてめえがここに居んだよ!?」
「“何故”か…だと? 解らないか、本当に?」

一歩一歩、東仙はグリムジョーに近づく。その様を下から眺めていた真白は、東仙の声など聞きたくもないとばかりに二人から背を向けた。聞くに耐えないのだ、裏切り者の言葉など。
これが市丸だったなら――なんて、矛盾でしかない想いを胸中に浮かべて、真白はルキアの元まで走る。
すでに乱菊によってこの場から居なくなっていたルキアを追いながら、真白は浮かぶ汗を拭えなかった。





「ルキア」
「真白、どうしたのだ?」
「ううん…その、一護くん……今日も見なかったなって」
「ああ…」

日に日に気分が沈むルキアの原因が判る分、どうすることも出来ない。霊圧探知は得意だが、何故か一護の霊圧はちっとも感じられないのだ。この地上の何処にも。
目線を落としたルキアにおろおろしていると、ちょうど鯛焼きのお店が目に入った。二人の間に漂う甘い匂いに、真白とルキアは互いに目を合わせ、無言でお店に向かう。

「すみません!」
「あいよ!」
「えっと、二つください。餡子で」
「二つね! しょうがない、一つオマケしといてやるよ!」
「え!? い、いいんですか?」
「おうよ! 可愛らしい嬢ちゃんらにサービスだ!」
「わーい! ありがとうございます!」

ポンポンとテンポよく会話する真白を、ルキアはぽかんと口を開けながら見ていた。鯛焼きが三つ入った紙袋を持ってほくほくとした顔で帰って来た真白は、そんなルキアに気づいて首を傾げる。何か可笑しいところがあったかと。

「い、いや。あんな風に話をしているのをあまり見たことがなかったから…」
「え、そう…かな? ごくごく自然体だったけど…」

空を見上げながら先ほどの自分を思い返している真白を隣で見て、ルキアは柔らかく笑んだ。知り合って長いが、こんな風に話すようになったのもつい最近。それから今まで、こうして彼女の“初めて”を、ルキアは何度か見つけた。

「そういえば、もらったオマケはどうしようか…」
「ううん…ルキア二個食べる?」
「いっいや! 私はいい! の、だが……」
「?」

ガサリと紙袋の中を覗くと、ルキアはそれを真白に返した。頭にはてなを浮かべた友人に、歩きながらとある一人の男を思い浮かべた。

「それを、恋次に渡してやってくれないか?」
「阿散井副隊長に?」
「あぁ。彼奴は鯛焼きが好物でな」
「へえ、流石幼馴染みさん。良く知ってるね」
「付き合いが長いからな」
「でも、それならルキアが持って行った方が喜ぶんじゃない?」
「いや……」

真白の提案はごく普通に考え浮かぶものだ。上司部下の関係の真白より、幼少からともに過ごしてきたルキアの方が嬉しいはず。
それなのに、何故ルキアは渋った表情を浮かべるのか。

「私は、一護を探さねば」
「……そっか、わかった」

強い眼差しで遠くを見るルキアに頷き、真白は「ほどほどにね」と声をかける。

「そういえば、阿散井副隊長は今どこに?」
「浦原の所だ」
「……“浦原”…?」

嫌な予感がする。無意識に震える身体を必死に抑える真白に気づかず、ルキアは「ああ」と首を縦に振った。

「“浦原商店”という、駄菓子屋にいるはずだ」

そして現在、真白は紙袋を片手に一人で歩いていた。ルキアが即興で書いてくれた地図を元に“浦原商店”へと向かう足取りは重く、とてもじゃないが平常心では居られなかった。
加えて思い返すのは、『十刃』がやって来た日のこと。ルキアの元へ参った真白は、織姫に治癒される友人の姿をただ見ていることしか出来なかった。そんな彼女に、遅れて来た一護が堪らず問いかけた。

「アンタ、あんなに強かったのかよ」
「…無我夢中だと、人は嫌でも強くなるもんだよ」
「無我夢中……」


ルキアの治療が終わって、いつも通り適当なアパートの屋上で夜を過ごそうとした真白を、一護が引き止めた。どうしても訊きたかったからだ。自分がグリムジョーと戦っても引き分けどころか下手をしたら負けていたのに、真白は一瞬で圧倒した。
その強さを、どうしても知りたかった。

「力っていうのは、焦っても一朝一夕で手に入るものじゃない」
「…………、」
「…黒崎くんが、内なる虚に怯えてるのは知ってるよ」
「!!」


まさか、ルキアのみならず真白まで知っているとは思わなかった一護は、地面に落としていた目線を上げて真白を見つめた。当の本人は瞬く星々を一つ一つ追いながら、やがて眩い輝きを放つ月に視点を定めた。

「怖い? 制御できない力は」
「…あぁ、怖ぇ」
「ふふ、そうだよね。私も、怖かったよ」
「…真白さんも、制御出来なかったのか?」
「んー…、そうとも言えるのかなあ。とりあえず、今の私の強さは、それを制御できるようになったってこと!」
「どっどうやって!?」


食い気味に尋ねた一護に、真白は愛しげに斬魄刀を撫でた。

「秘密!」

そう言った時の一護の顔と言ったら、思い出しても笑えてくる。クスクスと笑いをこらえきれず、口元に手を当てた。
――行きたくないと思えば思うほど、着くのは早く感じるもので。“浦原商店”と書かれた看板が真白の目には忌々しく映った。途端に笑いは身を潜め、あるのは冷たい眼差しだけ。

「……浦原って、絶対あの人だよね」

でなければ、阿散井が此処に居る説明もつかない。
詰まる息を思いきり吐き出し、真白は震える手で戸を叩いた。

「すいませーん! 此処に阿散井って人いらっしゃいませんかー!」

女は度胸。大きな声で中に問いかけると、トタトタと可愛らしい足音が聞こえてきた。暫く待つと、引き戸がガラガラと音を立てて開いて、ちょこんと女の子が此方を見上げた。

「あ…あの…」
「ど、どうも初めまして。えっと、私縹樹というんですけど、此方に阿散井恋次という方がお邪魔してると思うんですけど…」
「……えっ、えっと、…」

女の子――ウルルがチラと部屋の中を振り返ると、再び真白を見上げて「どっどうぞ……」と招き入れた。
真白としては入るつもりはなかった。此処に阿散井が居るのなら、鯛焼きを渡して帰るつもりだった。――浦原に会うなど、到底出来やしないと思っているからだ。

「あ、いや、これだけ渡して貰えればいいですので…」
「…中に、いらっしゃいます、…」
「いや、だから…(なんなの…! てかこの子誰!? あの人の子ども!?)」

根負けしたのは真白。既に中に入って此方を振り返る雨に、肩を落として扉を閉めた。もう逃げられない。一瞬過ぎったあの人の優しげな微笑みを掻き消すように、真白は足を踏み入れた。

「こ、ここでお待ちください…」
「は、はぁ…」

連れて行かれた先は、なんと地下。あんな寂れた駄菓子屋の地下がこんなことになっているなんて想像すらしないなかった真白は、ぽかんと口を開けたまま雨に頷いた。こんな芸当が出来るのは後にも先にも一人しかいない。思わず逃げ出したくなる気持ちをぐっと抑え、手に持つ紙袋に力を込めた。
目の前で繰り広げられるのは、戦闘を模した訓練だ。阿散井と茶渡が互いの得物を手に、土煙を上げながら戦う姿を遠目に見つめた真白は、精巧に作られた義骸の手のひらに目線を落とした。――それと同時だった。自身に伸し掛かる霊圧に、反射的に義魂丸を飲み込んで死神化し、斬魄刀を抜いた。

「――…おや、勘は鈍っていないようっスね」
「は、ッ……ハッ…!」

合わさる二つの斬魄刀。眼前にあるのは、見慣れない帽子をかぶった、己の良く知る男だった。

「いきなり、何……っ!」
「夜一さんには会っていないと聞きまして。このままだとアタシにも会わないつもりじゃないかと思ったので、少し荒療治っスが、こうさせてもらいました」
「……っ、ふ、ざけないで下さい!」

ギィィン! と刀を弾き、その勢いで少し距離を置く。下駄を履いて飄々と立つ男を強く睨み、怒りを露わにした。

「『会わないつもりじゃないかと思った』…? じゃあ逆に聞きますけど、どうして私が貴方に、貴方達に会おうとなんて思うんですか……?」
「………、」
「勝手に置いて行って、追うことすら許されなくて、…『探したる』って、ただの口約束を馬鹿みたいに何十年も夢見ました。いつか、いつかひょっこり帰って来るんじゃないか…。そう思ってずっと待ってたのに、結局…貴方達は帰ってこなかった」

斬魄刀を持つ力を強める。痛いくらいのそれは、今の真白には必要な痛みだった。こうでもしなければ、きっと泣いてしまう。

「抜け殻みたいな私を、ずっと側で見守ってくれたのは――貴方じゃない」

私にさえ気づかせず、道しるべになってくれた。
紅い花弁が映るたびに狂いそうになる私を、いつだって引き戻してくれた。
陽の光を見て泣きそうになった瞬間、どこからともなく現れて影を作ってくれた。

「留守番を命じられた子どもの時間は、もう終わったんです」
「真白――」
「呼ばないで!!」

力一杯叫ぶ姿を、男――浦原喜助は帽子の影に隠れているのをいいことに顔を歪めた。離れていた年月が、これほど溝を作っていたとは。
いつの間にか阿散井と茶渡は戦いをやめ、不穏な雰囲気を醸し出している浦原と真白を眺めていた。

「……おい、あれどう思う」
「……知り合い…?」
「だよな。あー…止めに行った方がいいのかァ? いやでも、二人とも解放してないし、万が一にも縹樹あいつが浦原さんに勝つなんて――…」

阿散井がそこまで言いかけたときだった。真白の霊圧が急激に高まり、射殺さんとばかりに浦原と対峙する。

廻れ、『月車』

刀の形をしていたそれは、扱い慣れた鎌へと変化する。命を屠ることを目的とした斬魄刀を両手で構え、軽やかに跳んだ。グンっと後ろに『月車』を引き、空中でブンっと思い切り振りかざす。無数の斬撃が生まれ、容赦なく浦原へと降り注いだ。

「ばっ…おい縹樹!!」

慌てて止める阿散井を一瞥すらせず、瞳に浦原しか映さない真白。当の本人である浦原は、百年ぶりに彼女の瞳に映ったことに、不謹慎にも嬉しいと感じてしまった。
――強くなった。とても。

「真白」
「だ、から! 呼ばないでって、――!」

ぐちゅりと、肉を屠る感覚が真白を襲った。自分の身体はどこも痛くないし、そもそもこれは、『月車』から伝わる感覚だ。
恐る恐る見てみれば、浦原が鎌を右手で受け止めていた。動かせないように強く握りしめられたそれは、より深く浦原を傷つける。

「はっ離して!」
「真白」
「やだ、キスケが傷ついちゃうから! 〜〜っ…離してよ…!」

さっきまで武器を向けていたとは思えない真白に、変わってないと浦原はくすりと笑った。いつだってこの子は、誰かが傷つくのをひどく恐れ、又、敵の命なら誰よりも早く狩ってみせるのだ。

「真白、」
「っ…なに…」
「すみませんでした」

パサリと帽子が落ちて、浦原の顔が晒される。なんの隔てもなくなった男を、真白は改めてきちんと見た。
無精髭にボサボサの頭。ひょこっと曲がった猫背に下駄。――百一年前の記憶と、ぴたりと当てはまる。

「……会いたく、なかった」

だらりと両手を降ろし、かろうじて斬魄刀を持つ。小さな声で呟かれた言葉は、しっかりと浦原に届いていた。

「今更…会いたくなんて、なかったです」

斬魄刀を鞘に収め、真白は浦原に背を向ける。落としてしまった鯛焼きの入った紙袋を拾い、阿散井に手渡すと何を言うでもなく出て行った。
シンと静まり返った部屋は、なんとも居心地が悪い。阿散井は真白と浦原の関係性を知らない分、詳しく話を聞いてもいいのか考えあぐねていた。