君の笑顔は色褪せない

その日、日番谷先遣隊はとあるアパートにある井上織姫の部屋に集まっていた。しかし家主は現在行方不明となっており、未だに見つかっていなかった。

「…一護…」
「…ルキア」

遅れてやって来た一護は、目の前に広がる馬鹿でかいモニターに目を奪われたが、今は持ち前のツッコミスキルを出せるような場合ではない。仲間が消えたのだ。その心は計り知れないほど不安であろう。
人数が揃ったことを確認した日番谷は、発生していた霊波障害の除去を松本に尋ねると、完了したという返事をもらう。

「繋いでくれ」

ザザ…と砂嵐が消え去りモニターに映ったのは、総隊長ではなく、十三番隊隊長の浮竹だった。

「!? 浮竹…? 総隊長じゃねえのか…?」
《代わって頂いた》
「理由は?」
「――――…」

目線を落とした浮竹は、やがて覚悟を決めたように口を開いた。

《井上織姫が現世そちらに向かう穿界門に入る時、最後に見届けたのが俺だからだ》
!!!
《…その反応を見ると、やはり彼女はそちらには到着していないようだな…》

バクバクと心臓が嫌な音を立てる。真白は次々と浮かぶ嫌な予感を掻き消すように、詰まる息を吐きだした。

「…どういうことだよ、浮竹さん…。井上は…どこに消えたんだ…。尸魂界そっちで何か解ってんじゃねえのか…!?」

じわりとこめかみに滲む汗を拭うこともせず、一護は必死に己の中で暴れる感情を理性で押し殺し、浮竹に問うた。
浮竹は静かに目を閉じると、至って冷静な声で答えを口にした。

《…こちらの見解を言おう。…穿界門通過の際に、彼女につけた護衛の二人が生存して戻った。彼ら二人の話によれば――井上織姫は破面側に拉致。若しくは――既に殺害されたものと思われる》
「……っ」
浮竹隊長!!!

言葉を失った一護の代わりに、ルキアが声を張り上げた。彼女が己の隊長に向かって叫ぶなど見たことがなかった真白は、うっすらと目を見開くとともに嫌な予感が的中してしまったことに俯いた。
織姫とは特別仲が良かったわけじゃない。別に仲間でもなんでもない。強いて言うなら、同じ敵と戦う味方としか思っていなかった。尸魂界では少ししか会話らしい会話をしなかったし、何よりあの時は泣かせてしまった。――そんな自分が、彼女を心配に思うなど烏滸がましいにも程がある。真白は胸中でそんなことを思いながら、会話の流れが嫌な方へと変わっていく様をただ眺めていた。

「帰るぞ」
「!」

どうやらボーッとしていたらしい。いつの間にか六番隊隊長の朽木白哉が、真白の真後ろに立っていた。近くには十一番隊隊長の更木剣八も居て、「戻れ、お前ら」と溜め息を吐いている。
――井上織姫が、裏切った。
その可能性を示唆した総隊長に否を唱えたルキア達を、彼らは強制的に連れ戻しに来たのだ。

「……真白」
「…一護君」

白哉の呼ぶ声に気づかぬふりをし、そっと一護に話しかけた。残りたいなんて我儘を言うつもりはないが、せめて力になれたら――。そんな想いが真白の中には芽生えていた。

「貴方の師に、頼ってみて」
「あ……」
「…きっと、力になってくれるから」

力無く微笑んだ真白は、微かに此方を見た一護に背を向けて穿界門を潜った。

「――いらっしゃい。来る頃だと思ってましたよ、黒崎サン」

日番谷先遣隊が尸魂界に帰った後、一護は約一ヶ月ぶりに学校へと行った。担任に散々怒られ、友人らに熱烈な歓迎を受けると、その後幼馴染みの有沢たつきに織姫の居場所を訊かれたのだが、素直に一から十まで説明など出来るはずもなく。「お前には関係ない」と、一番言ってはならない台詞を吐いてしまい、結局顔面を殴られてしまった。
それからロクな説明も出来ずに、死神化して浦原商店へと向かったのである。

「…どうして、そう思った?」
「アタシなら知ってるかもしれない、と思ったんでしょ。『虚圏ウェコムンドに行く方法』」
「確かに思ったけど……俺は、ある人に言われたから思いついただけだ」
「…ある人?」
「――縹樹真白」

まさかその名前が出てくるとは思わなかった浦原は、口元に浮かべていた笑みを消し、驚きに声を失った。何故、彼女が自分を頼るように一護に言ったのか――まるで見当もつかないからだ。

「きっと力になってくれるって、言ってたぜ」
「真白、が……」

ああ、今は急がなければならないのに。どうしようもなく嬉しいなんて、笑える。
もう頼られることはないと思っていた。彼女の信頼を裏切った自覚はあるし、修復なんて到底不可能。――だからこそ、泣きそうなくらい嬉しかった。

「……そうですか」

グッと帽子を深く被ると、浦原は用意はできていると、一護へ中に入るように促した。





部屋で休んでいた真白は、見慣れた月景色をぼんやりと眺めながら、ある男を思い出していた。
人をよくバカにしてきて、揶揄ってきて、かと思えば誰よりも仲間を大切にして、副隊長という重責に誰よりも誇りを持っていた――元十三番隊副隊長、志波海燕。

「……ねえ、海燕。話聞いてよ」

窓枠に座り、足を立ててぼそりと呟く。ツキは気を遣っているのか、月明かりに照らされたまま沈黙を貫いている。

「現世任務行ってきてさ、…あの人に会ったんだよ」

――マジかよ!? おいおい、大丈夫だったのか?
……なんて声が、今にも聴こえてきそうだ。真白はそっと目を閉じて、次々と思い出す情景に暫しの間思考を委ねた。


「おーい、真白」
「………」
「てめっ、無視すんなよゴラ」
「…野蛮人」
「誰が野蛮人だ!!」

雨乾堂で休んでいた真白は、視界に飛び込んできた海燕を見て一言そう言った。たちまち海燕は目を釣り上げて声を張り上げるのだが、決して怒らないのだから、真白もつい笑ってしまう。
通い慣れた雨乾堂は居心地が良く、つい寝てしまう。同じように休んでいた浮竹の姿はなく、どうやら一人でこの部屋を占領していたらしい。

「で、なに」
「何じゃねえよ…ったく。平子隊長がお前のこと探してたぞ。ここに来るのも時間の問題じゃねえか?」
「真子が…? んー、じゃあまだここにいる」
「お前なあ…」

真白が何故そう言うのか、理由を詳しく聞いたことはないがだいたい予想はつく。ガシガシと頭を掻いた海燕は、ドシドシと足音を立てながら真白に近づくと脇に手を入れてひょいっと持ち上げた。

「はぁぁ!? ちょ、海燕!?」
「なら、うちの仕事の手伝いでもしてもらおうか」
「なんで! 私五番隊だよ!?」
「ここにいたら誰でも十三番隊の仲間だ。良かったな!」
「良くない!」

そんなやり取りは、平子達が居なくなっても続いた。

「真白ー」
「…名前で呼ばないでもらえますか」
「うおっ、冷てえ奴だな……」
「(こいつだけは…!)」

寿命が縮んだぞ、と平然とした顔で胸元を押さえられても、湧き上がるのは怒りのみ。何故この男はこんなにも普通に接してくるのか…真白には全く理解できなかった。

「……また泣いたか」
「…どこをどう見たら泣いたように見えるんですか。泣いてません」
「嘘つけ」

真白の目線に合わせるようにしゃがむと、海燕は己の頭にやるように真白の頭もガシガシと乱暴に撫でた。ボサボサになった白い髪を見て意地悪く笑うと、大きな木の幹に座り込む真白の隣に腰かけた。

「何ですか……」
「サボりに付き合ってやろうと思ってな」
「サボりじゃありません、休憩です。仕事はちゃんと終わらせてきました」
「おーえらいえらい!」
「ちょっと!」

再び髪をボサボサにされ、もう我慢ならないと怒る真白。すぐに崩れかけている仮面に気づき、ゴホンと咳をして誤魔化した。もちろんそれに騙されるはずのない海燕だが、問い詰めることはせずに「いーい天気だなあ」と空を見上げた。

「……志波、副隊長」
「おー?」

そのおかげか、真白はつい言うつもりもない台詞を口にしてしまった。

「どうしても、探してしまうんです」
「!」
「…探したくなんてないのに、ずっと…ずっと、彼の…彼らの姿を探してしまう…!」

涙こそ流れないが、海燕の目には真白が泣いているように見えた。

「……もーちょい気ぃ抜け、バカ」
「ばっ…!?」

まさか罵倒されるとは思わなかった真白は、顔を赤くして反論しようとするが、結局それ以上言えなかった。

「…どうせ馬鹿ですよ」
「お、自覚ありか」
「〜〜〜っ…!」

ああ言えばこう言う海燕。やはりこの男にはペースを掴まれてしまう。

「……心ってのは、厄介だよな」
「へ……」
「嬉しいこと、楽しいことだけ感じていたいのに、なんで辛いことも苦しいことも感じなきゃならねえんだーって、俺はずっと思ってる」
「………、」
「でも、しゃーねえよな。それも含めて心なんだからよ」
「……何が言いたいんですか」
「つまり!」

突然立ち上がり、真白に向かって手を差し出す海燕を見上げ、上官に対して差し出されたままは失礼だとすぐに手を重ねると、ぎゅっと強く握られ、ぐいっと引っ張って真白を立たせた。
急なことでバランスが取れず、情けない声を出しながら海燕に向かって倒れる。難なく真白を受け止めた海燕は、また頭をガシガシと乱暴に撫でた。

「そのままでいいってこった!」
「……志波副隊長にこんな話をした、私が馬鹿でした」
「おまっ、上官に向かってそれはなんだ!」
「では、お先に失礼します」
「待っ……ゴラ真白! 俺を放って行くんじゃねえ!」

そして、あの日も。

「……しば、副隊長…?」
「悪い、寝てたか?」
「いえ…こんな夜にどうしたんです…? 死覇装なんて着て…」

今から虚討伐かと目をこすりながら問いかけると、海燕はフッと穏やかに笑ってみせた。寝ぼけた頭が、その表情で一気に覚醒した。ガッと死覇装に掴みかかったその手は、情けなく震えている。

「…どこに、行くつもりですか…」
「…敵討ちだ」
「志波三席の…?」
「……ああ」

つい先日、胸から下を喰われた状態で帰ってきた十三番隊三席、志波都。彼女は海燕の妻だった。
偵察隊としてメタスタシアという虚の偵察に向かったのだが、結果として部隊は全滅してしまった。

「嫌だ…行かないで…!」
「真白、お前…」
だって海燕、死ぬつもりでしょ!

その顔を見れば判った。もう、覚悟を決めたそれなのだから。長い付き合いである彼女を騙せるなんて、無理な話だったのだ。

「死ぬつもりなんてねえよ」
「なくても! …なくても、海燕はっ…!」

それ以上、言葉は続かなかった。
痛いくらいに抱きしめられ、胸が苦しくて。真白は目の前の存在に縋るように、その大きな背に腕を回した。

「…誇りを、守りたいんだ」
「………!」
「無駄死になんてするつもり、カケラもねえよ。この戦いは…俺の誇りをかけた戦いだ」

そんなことを言われれば、もう止められるはずがなかった。必死に歯を食いしばり、泣きそうになる目に力を入れて。

「っ…馬鹿海燕…!」

いつものように、言ってみせた。
それが真白の精一杯だと判った海燕は、「馬鹿じゃねえよ」といつものように返したのだった。

「真白」
「…なに」
「思ったことは、素直に口にしろ。探したっていい。自分を誤魔化すことだけはやめろ」
「…いきなりなんなの」
「いいから。判ったか?」
「…はーい」
「っし! …じゃあ、行ってくる」
「……行ってらっしゃい、海燕」

遠くなる背に、手は伸ばさない。
代わりに声を張り上げた。

「海燕!」
「――っ!」
「ありがとう!」

ずっと言いたかった言葉を、貴方に。
雲が晴れ、月明かりが射し込む。光に照らされた真白の表情を見て、海燕は安心したような、穏やかな笑顔を浮かべて片手を上げた。
――それが、真白が見た海燕の、最期の姿だった。