行燈を消して

「やぁ」
「…んぐっ……っ、藍染隊長…」

甘味処でみたらし団子を頬張っていた真白は、慌ててお茶で団子を流し込んで「お疲れ様です」と挨拶した。その慌てっぷりに五番隊隊長の藍染惣右介は苦笑して真白の隣に腰かけた。

「久しぶりだね」
「そうですねぇ、私が移隊してから会う機会も減りましたから…」
「……やっぱり、あのまま五番隊うちにいるのは…辛かったかい?」

心配そうに顔を覗き込んでくる藍染に、思わず真白は俯いてしまった。しかしすぐに隊長に対して失礼だと顔を上げるが、笑みを浮かべることはできなかった。

「…あのときは、辛かったです。喪失感でいっぱいでした」
「……そうか…」
「でも今は……」

湯のみに映る自分の顔を見つめる。なんて情けない顔、と嘲笑し、今度は逸らすことなく藍染と目を合わせた。
どちらも奥底に眠る『自分』を見せない。そのやり取りはとても隊長と平隊員のそれではなかった。

「よく眠れるようにもなりましたし、過去に取りつかれることもなくなりました」
「…本当かい?」
「本当ですよ。だいたい、私を置いて勝手に消えた人達のことを、どうして私がいつまでも引きずってなきゃならないんですか!」

クスクスと可笑しそうに笑う真白を、藍染はじっくりと観察する。本当にそう思っているのかを見極めているのだ。
店が立ち並ぶここは人の往来が多い。ガヤガヤと喧騒がうるさく聞こえてきて、彼は人の良さそうな笑顔を見せた。

「それじゃあ、僕は行くよ」
「あ、はい! お疲れ様です」
「縹樹君も、早く隊舎に戻るように」
「…はぁい」
「ふふ」

軽く諌められ、真白は若干声のトーンを落として返事をした。昔から変わらないサボり癖に、藍染は責任を感じつつもそれ以上何も言うことはなく、真白が頼んだみたらし団子を一つ手に取った。
その自然な動作に反応できなかった真白の目は丸くなり、「え、」と声が漏れる。

「これは、口止め料として貰っておくよ」
「わ、私のみたらし…! っあ、いえ…、……はい…」

口止め料。つまり、真白がここでおサボりをしていたことを黙っておくと彼は言っているのだ。みたらし団子一つで。
吉良や戸隠にバレたら説教何時間コースだと瞬時に計算した真白は、涙を飲んで頷くしかなかったのだった。

「あら、真白?」
「ヒッ!! あ、ま、松本副隊長……」
「『ヒッ』って、あんたねぇ…」
「すっすみませんすみません!」

甘味処を出てひっそりと三番隊に戻ろうと思っていた真白は、大袈裟なくらいにビクゥッと驚いた。声をかけた十番隊副隊長の松本乱菊は、呆れたように溜め息を吐く。慌てて最敬礼で謝った真白だが、さりげなく手に持っているものを隠す。

「あんたこの間、書類回りしたんだって?」
「へ、あ…あぁ、はい」
「隊長が嘆いてたわよ。『あいつももう少し真面目に…』とかなんとか!」
「それ、松本副隊長が言えることじゃないですよね…」
「ところで、それ何?」
「(うわぁ、スルーした挙句目敏い人……)」

自分の都合の良いものしか聞かないのか、乱菊は自分のサボり癖の話になると途端に話題を変えた。しかもその矛先が真白の持っている包みなのだから、真白は久々に頬を引きつらせた。

「いや、これは……」
「なーに? まさか…」
「うっ、浮竹隊長へのお見舞いです!」
「……お見舞い?」
「は、はい!」

苦し紛れに出たそれは、もちろんでまかせだ。十三番隊隊長の浮竹は確かに体調の浮き沈みが激しいが、今日の彼の体調なんて当たり前に知らない。しかし、隊長の名前を出すくらいには真白は焦っていた。

「(半年に一回しか発売しない限定の“いちご大福”、奪われるわけにはいかない……!)」

だが、真白は失念していた。ただの平隊員が隊長相手にお見舞いなど、普通は恐れ多くてできない。むしろ名前を出すことさえ憚られるのに、目の前の女は平気に口にした。だから乱菊の面白レーダーが発動してしまった。

「(浮竹隊長と何か関係があるのかしら!?)」

ワクワクと子どものような満面の笑みを浮かべた乱菊は、ガシッと真白の手を掴んだ。逃げられないようにがっしりと。
え、と思うより早く、風景が変わる。瞬きをしたらそこはもう十三番隊の隊舎だった。

「は!? ま、松本副隊長!?」
「ほらほら、早く入るわよ!」
「ちょ、まっ!」

楽しげに乱菊は「失礼しまーす!」と言うと、大きな音を立てて戸を開けた。真白はもうどうすることも出来ずに外で頭を抱えていると、中に入っていった乱菊が戻ってきた。どうやら、浮竹がいなかったらしい。

「雨乾堂にいるらしいわよ。さっ、早く行くわよ!」
「松本副隊長……」

こうなった彼女を止められる者などいるのだろうか。真白は最早諦めモードで乱菊の後ろをついて行くしかできなかった。
もうこのいちご大福は食べられないのか。次食べることができるのは一体いつになるのだろう。今日はたまたま非番が重なって、やっと数年ぶりに買いに行けたというのに…。と、心の中でならいくらでも文句を言えるのに、それを口に出せないことに真白の心は折れそうだった。

「十番隊副隊長の松本です!」
「松本? 入っていいぞ」
「失礼しまーす!」

今度は手首を掴まれ、一緒に中に入る羽目に。逃げられない現実に肩を落としながら、「失礼します…」と無意識に挨拶はきちんとした。
中に入ると、浮竹は布団を膝にかけて座っていた。彼の側には女物の着物を羽織った男が、こちらを向いてヒラヒラと手を振っている。ああもう、最悪なときに来てしまった。まさかこの男までいるなんて。真白はげんなりと肩を落とした。

「あれ? 京楽隊長もいらっしゃったんですね」
「やぁ」
「後ろのは……」

浮竹の目が真白を捉える。ぎくり、と思わず足が止まったが、すぐになんでもないように取り繕って頭を下げた。
部屋に充満する懐かしい匂いに、不覚にも真白は泣きそうになった。もう数十年は泣いていないのに、こんなちょっとしたことで泣きそうになるなんて情けない。

「三番隊平隊員の縹樹真白です」
「…縹樹……? いや、でも平隊員って…しかもその髪…」
「浮竹隊長?」

呆然と真白を見つめる浮竹は、己の知っている彼女と雰囲気も言葉遣いも容姿も違っていることにたいそう驚いた。隣にいる京楽は知っていたのだろう、緩く弧を描いていた口元は線のように結ばれ、瞳は悲しみの色を帯びていた。

「で、今日はどうしたの? 珍しい組み合わせだねぇ」
「あぁ、この子が浮竹隊長にお見舞いに行くって言ってたので、連れてきました!」
「おみ、まい……?」

顔をきょとんとさせた浮竹は、外していた視線をまたも真白へと向けた。ああ、これまでか…。真白は最後にいちご大福の入った袋をぎゅうううっと握りしめて、「はい」と冷静な声で応えてそれを差し出した。
受け取った浮竹はなぜかくしゃくしゃな袋に首を傾げたあと、中を覗く。飛び込んできたのは美味しそうないちご大福。だが、浮竹は別の意味で驚いた。

「これは……」
「なになに? 何が入ってたんですか!?」

松本が期待に胸を膨らませて、浮竹と同じように中を覗こうとする。けれどそれよりも先に怒声が耳を劈いた。

松本ォォオオオ!!!

「………。」雨乾堂は途端に静寂で満ちた。当の本人は「あーあ」とでも言いたげに肩をすくめた。

「隠してる書類がバレちゃったかしらね〜」
「松本副隊長……隠してるって…」
「あら、あんたもでしょ?」
「私は自分の仕事を終えてから出てきてますので、隠していません」
「なーんだ。仲間だと思ってたのに…この裏切り者っ」
「早く行かないとさらに怒られますよー」
「はいはい。てなわけで、浮竹隊長お大事に! 京楽隊長も」
「あぁ、ありがとな」
「じゃあね〜、ちゃんと仕事頑張るんだよ」

肩を落として出て行った松本に続こうと、真白も立ち上がる。けれどぐいっと死覇装の裾を掴まれて真白は上手くバランスが取れず、ウワッと情けない声を上げながら倒れた。が、予想していた畳の感触は無く、暖かい温もりに包まれる。

「へ……」
「真白ちゃん捕まえたり〜」

耳元に直接届く、楽しげな声。甘い、この男らしい香りが鼻腔をくすぐり、真白は不覚にもくらくらとしてしまった。だがすぐに腕の中から脱出しようともがくが、それさえも力でねじ伏せられてしまう。

「京楽っ、隊長! 悪ふざけもほどほどにしてください!」
「そんなに嫌がられちゃったら、余計に離したくないなぁ」
「何言って……っ、うひゃあ!?」
「んー、相変わらず柔らかいねぇ真白ちゃんは」
「〜〜〜っ! 離せこのエロオヤジ!!」
「あら? 敬語が崩れちゃってるよ?」
「っ、っ〜〜…」

軍配は京楽に上がった。悔しそうに唇を噛みしめる真白を見た浮竹は、やっと頬を緩める。

「やっぱり、あの真白なんだな」
「…仰ってる意味がよくわかりません」
「なぁに? あのいちご大福食べていいって?」
「半年に一度しか出ない限定のいちご大福。俺もこれを食べるのは久々だなぁ」
「僕も数年ぶりに食べるよ」

袋の中を楽しそうに覗く隊長二人を憎たらしく見つめる真白。止めたい気持ちからか何度も口を薄く開くが、なかなか声は出ない。その様子を横目で見ていた二人は、真白に気づかれないように苦笑した。

「ほーら、言いたいことあるなら言ってごらんよ」
「京楽の言う通りだ。言わなければ分からないぞ」

優しい言葉が真白の心に染み込む。彼らに甘えたい気持ちがふっと芽生えたが、心の中に聞こえてきた『ある声』にハッとなり、緩みかけの頬をきゅっと引き締めた。

「――言いたいことなど、何もありませんよ」

にこりと笑い、隙をついて京楽の腕の中からすり抜けて戸へ向かう。苦い顔をする二人をこれ以上見たくなくて、真白は深く頭を下げた。

「お邪魔してしまって申し訳ありませんでした。浮竹隊長、お身体をご自愛ください」

最後に「京楽隊長のことは八番隊に報告しておきますね」と言い残すと、パタンと戸を閉めて歩き出した。頭の片隅に未だ残る二人の台詞を掻き消すように、真白は床を踏みしめた。

「だめなのですよ、真白しゃま。まだ“そのとき”じゃないのです」

幼さの残るその声が、いつまでもいつまでも真白の脳内に居座り続けた。

「……髪が、白くなっていたな」
「綺麗な黒髪だったんだけどねぇ」
「名前も呼ばれなくなって、何年経つ?」
「…ザッと百年は経ってるんじゃない? あの敬語も」
「……すっかり使い慣れてたな」
「昔は敬語があーんなに苦手だったのにねぇ…」

もちもちのいちご大福を食べながら、二人はかつての彼女を思い浮かべた。

「いちご大福だって、きっと自分で食べたかったろうに」
「そうだねぇ…昔から、好物は二つ買う癖も変わってないしねぇ」

彼女も久々に食べられるはずだったそれを味わって食べる浮竹と京楽は、外の景色を眺めながら目を細める。目の前に広がる景色は日本庭園のそれなのに、二人には在りし日の真白の姿が見えていた。
肩上で切りそろえられた黒髪をふんわりと揺らして、きゃっきゃと可愛らしい笑い声を上げながら走り回る。雨乾堂の中にいる浮竹に向かって外から手を振り、舌ったらずに彼の名前を呼ぶ真白は、今はもういない。

「じゅうしろ! はやくげんきになって、真白とあそんでね! あ、しゅんすいまってー!」

もし過去に戻れるのなら、彼女がああ・・なってしまう前に戻りたい。
それは真白を知る誰もが願うことだった。