花束とキミと

いつも通り寝坊して昼前ギリギリに出勤した真白は、いつも通り山のように積まれている書類に手を出そうとしたが、吉良から呼び出されてしまいその手は空ぶる。
また説教かと予想しながら立ち上がり吉良の所へ行くと、彼はいつになく真面目な顔つきで真白を見てきた。

「東流魂街62地区『花枯かがらし』で、虚が発生しているらしい」
「花枯? またなんでそんなところに…」
「分からない。ただ早急に対処しなければならないのは確かだ」

比較的治安がいい『花枯』で虚が出現するなど、あまり聞いたことがない。だからこそ早く行かなければ、住民の被害は計り知れない。真白の気持ちは自然と引き締まり、唇をきゅっと噛む。

「戸隠三席と片倉六席、そして縹樹平隊員の三名で行ってきてもらう。いいね」
「了解しました」

虚の数は少ないらしく、今回は席官二名に平隊員一名の編成らしい。しかし油断は禁物。敵の正確な情報など有りはしないのだから。
真白は斬魄刀を帯刀していることを確認して、戸隠と片倉と合流した。

「来たか、縹樹!」
「遅い」

到着早々ピシャリと言ってきたのは、六席の片倉だ。彼は市丸に気に入られている真白のことが気に入らないらしく、会うたびにこうして難癖をつけてくるのだ。しかしそのどれもが的を得ているため、真白はまともに言い返せたことがない。

「申し訳ありません」

その度に真白は大人しく頭を下げて謝る。これはもう日常茶飯事となってしまった。
片倉は一つ舌を打つと、戸隠を見る。戸隠は二人の相性の悪さに相変わらずだと苦笑し、すぐさま『花枯』へと足を向けた。その後ろに片倉、真白と続く。

「下級虚が複数いるというのは聞いてる?」
「はい」
「まだ平隊員の縹樹は始解できないだろうから、危なくなったらすぐに俺か片倉を呼ぶこと。いいな?」
「はい」

戸隠の命令に素直に従い、返事をする。よし、と頷いた戸隠は現地に到着したときに何が起こっていてもいいように、斬魄刀に手を置いた。
そうしてしばらく走り、目的地である『花枯』に到着する。そこはやけに静かで、三人は注意深く辺りを見渡すと所々に血痕があることに気づく。

「……まだ乾いてない。ついさっきだ」
「なら、虚もそう遠くないところにいるってことですよね」
「あぁ…だけど、他の住民はどこだ? 避難するにしても早すぎる」

戸隠と片倉が血痕の周りに集まって思案する。真白はどことなく嫌な予感がして、そっと刀に手を添えた――瞬間だった。ゾクッと強烈な殺気が真白を襲った。けれど戸隠と片倉は気づいていないのか、未だに血痕を見ていた。

「ハ……っ、」

その重苦しい殺気に息が詰まり、真白は短く深呼吸する。自分にだけ向けられる殺気それが嫌に恐怖心を煽られる。
ジャリ…と足を一歩後ろへすり下げたとき、真白は咄嗟に刀を抜いて反射的に背後を振り返った。
――ガ、キィィン…
斬魄刀の刃と虚の長い爪が重なった音が、静かにその場に響いた。戸隠と片倉がハッとなって真白の方へ目を向けると、そこにはすでに応戦している真白の姿が。

「縹樹!!」
「お前美味そうだなァ…」
「クソッ、打ち消せ、『片陰』!!

すぐに解号を口にし、始解した片倉は変化した斬魄刀で虚に斬りかかる。虚はケタケタと笑いながら真白から距離を取り、今度は三人に重い殺気を浴びせた。しばらくその距離を保っていると、複数の虚の気配がしたと思ったら、後ろからゾロゾロと多数の虚がやって来た。

「縹樹、お前は隙を見て鬼道を放ちながら応援を呼んでこい」
「は……」
「まだお前の斬魄刀は浅打だ。ここでお前を戦わせるわけにはいかない」
「っ、でも!」
「いいから行け! お前なんかがいたって役に立たないだろう!」

戸隠の言葉を後押しするように、片倉は突き放すように声を張り上げる。その指示に素直に従えばいいのだが、嫌な予感がまだ晴れなくて真白の足は固まってしまう。そうこうしていると、虚の大群が待ちに待ったとばかりに三人を襲いかかって来た。

「くそっ……仕方ない。絶対に死ぬなよ、縹樹!!」
「っはい!」

本当のことが言えないのがこんなにもどかしいだなんて。
真白は本来の自分を隠してから百一年目にして、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。だがここで始解をするわけにはいかない。まだ隠さなければならない事情があるのだ。

「ヒヒヒッ! 全員ワシが食ろうてやるわ!!」

ガパァッと大きく口を開けた虚を迎え撃つ戸隠。片倉も厳しい表情で下級虚の相手をする。浅打を構えた真白も負けじと鬼道で相対していた。

「グッ…!」
「ほれほれ、もっと甚振ってやろう」
「っ、くっそ…クッソォォォ!!」
「片倉!!」

我を忘れてしまったのか、片倉は隙だらけの構えで虚に斬りかかる。アッと思ってももう遅い。虚はニタリと笑うと、鋭い爪で片倉を貫いた。

「片倉さん!!」

真白の片倉を呼ぶ声が響く。ズポッと音を立てながら虚の爪が抜かれ、片倉はその場に崩れ落ちる。戸隠は片倉を気にしながらも助けにいける状況ではなかった。

「(…もう、むりだ)」

ぎゅうっと斬魄刀を痛いくらいに握りしめる。本来の真白の力であればこれくらい、始解せずとも鬼道だけで倒すことは可能だ。だが、一瞬で倒すとなるとやはり、始解してしまった方がいい。

「もう…むりだよ…」

もう、この力を使うしかない。
真白は泣きそうに声を震わせ、やがて覚悟を決めたように前を見据えた。

まわ――
「あかんで、真白」

口元を大きな手が覆う。驚いた真白だがその声でホッと肩の力を抜いた。なんでここに、なんて質問は愚問だ。いつだってこの人は、私が危機に陥ったら必ず来てくれるのだから――あのときだって。

「なんべんもあかん言ってるやろ」
「市丸隊長……」
「まだそん時やない。せやから斬魄刀はしもとき。鬼道の威力かてピカイチやねんから」
「……それ、わざと言ってますよね」
「んー? 始解しようとした人に言われたないわぁ」

それを言われてしまえばぐうの音も出ない。真白は斬魄刀をしまい、未だ後ろにいる市丸を見ようと首だけ動かした。目が合うと予想通り飄々とした笑みを浮かべていて、場違いなそれに少しだけ安心した。

「さァて、ほな行こか」

んーっ、と伸びをすると、市丸はどこかウキウキとした様子で斬魄刀に手をかける。瞬きをした瞬間、そこに虚は一匹も存在していなかった。
助かったと安堵する戸隠だが、歴然とする力の差に思わず歯噛みしてしまう。もっと自分に力があれば――そう思うことも少なくない。

「あ、っ…片倉!!」
「んー、まァこの傷やったら治るやろ。四番隊は優秀やからなァ」
「は、はいっ!」

戸隠は片倉を慎重に背中にかつぐと、市丸に礼を言ってから瞬歩で去った。おそらく市丸の言葉通り、四番隊に片倉を連れて行くのだろう。
残ったのは二人だけ。市丸は真白の頬にこびりついている血を親指で優しくこする。しかし拭い取ることは出来ず、逆に血を広げてしまった。

「あーあ、広がってもた」
「やめてくれますか?」
「ボクかて嫌やわ、真白ちゃんに汚い血がついとるの」

不機嫌そうにグイグイと力強くこすられ、真白の頬もぐにぐにと変形する。すると面白くなってきたのか、気づいたら両方の頬を摘ままれていた。
もうどうにでもなれ。真白は遠い目をしてされるがままにしていると、不意にその手が止まる。

「…隊長?」
「真白」

いつも狐のように細められている目を少し開け、市丸は真白と目を合わせる。幾度となく名前を呼ばれてきたはずなのに、どうしてか、久々にちゃんと彼に“名前”で呼ばれた気がした。

「今から花買いに行こ」
「花? いきなりどうして…」
「それかそこらへんに咲いとる花でもええなあ。いっぱい摘めば花束になるやろ」
「ちょ、隊長……」
「ほな行こか」

真白の言葉など聞く耳持たず。市丸はグイッと真白の手を引いて歩き出した。どうやら野花を摘むことにしたらしい。こうなれば彼は話を聞いてくれないし、詳しいことは話してもくれないことを知っている真白は、諦めて着いて行くことしかできない。
しばらくして花を摘み終え、束にしたそれを持ってまた『花枯』へと戻る。すっかり人影がなくなってしまったそこは、見ているだけで真白の胸を締め付けた。もっと早く来ていれば――そんな想いが駆け巡る。
手を引かれるまま歩いていると、ふと真白はある考えを思いつく。そして市丸の背を見上げれば、やっぱり彼は笑顔を浮かべていた。

「……市丸隊長」
「なに?」
「この花は、もしかして…」
「やっと気づいたん? 最近鈍いで、真白ちゃん」

やっと立ち止まり、市丸は優しく花束を地面に置いた。地面に吸い込まれた血は、今はもうすっかり乾いてしまっている。きっと数日もすれば色も消え去っているに違いない。
真白は無表情にしゃがみ込むと、スッと指先で地面に触れた。

「…………」

何も、言えなかった。言えるはずがなかった。悔やみの言葉も、反省の言葉も、たらればも。
何かを言ったところで、ここで死んだ人たちはもう二度と戻ってこないのだから。

「真白」
「…名前で呼ばないでください」
「ええやん。聞いとる人はおらんねんから」
「そういう問題じゃありません」
「固いなぁ」

呆れたように笑われ、真白はまた文句を言いそうになったが溜め息を吐くだけにとどめておいた。話の続きを促そうと下から市丸を見上げれば、彼はくしゃくしゃと真白の真っ白な髪を乱した。

「まだ、始解はしたらあかんで」

何を言うかと思えば、それは今まで何度もなんども言われて来たものだった。分かってる、と言いそうになったが、彼の表情を見てしまえばそんなことは言えなくて。
だって、笑っていないのだ。いつも何を考えているか分からない笑みを浮かべているくせに、こういうときに限って笑っていないだなんて、反則だ。

「ま、ボクが言わんでも斬魄刀に言われとるか」
「……なんで知ってるんですかねぇ」
「嫌やわぁ。ボクと真白の仲やないの。そんな引いた目で見んとって!」

暗い空気を断ち切るように明るい声を出した市丸は、「帰ろか」と口にした。もう夕暮れだ。夕日が差し込み、二人の影が地面に映る。――他の人影は、一つもなかった。
結局、『花枯』は全滅。謎の虚出現によって、すべて奪われてしまったのだ。

「今日は直帰でええよ。イヅルのことも気にせんとき」
「じゃあ、四番隊に行ってきます。片倉さんのことも気になりますし…」
「行くんやったら明日にし。今日はあかん」
「どうしてですか!」
「久々の虚討伐で疲れとるやろ。まさか自分では気づいてへんとか言わんよなあ?」
「……明日にします」
「ええ子や」

ぐりぐりと頭を撫でられ、真白はぶすりと唇を尖らせる。子ども扱いされたことが気に入らないのだ。もちろんそれを知っていて市丸はそんな行動を取ったのだから、とんだ嫌がらせだ。
隊長からのお許しを頂いた真白は、お言葉に甘えて自室に戻る。すっかり陽は沈み、今は月が顔を出していた。

「ごめんね、約束を破るところだった」

苦笑して、真白は月の光が入り込む位置に斬魄刀を立てかける。すると斬魄刀は眩い光を放ち、月光を吸収していく。その様子を見た真白はご飯を食べ、お風呂に入り、布団を引いてまた斬魄刀の前に座った。

「今日はいっぱい喋ろうね」

主人の言葉に、彼女の斬魄刀はより一層輝きを増した。それはまるで、斬魄刀が喜んでいるかのように見えた。