「おねがいです…見逃してください。虚さんをころさないで…!」
大切な家族と、離れたくない。
痛いくらいに伝わってきた気持ちに、真白はどうしようもなく泣きたくなった。自分だって離れなくなかった。ずっと一緒に居たかった。それなのに、どうして今、周りには誰も居ないのだろう。
「…縹樹さん、」
「判ってる。……ごめんね」
部下の促しに目を閉じて頷き、少女に聴こえない程度の声量で謝った。ごめんなさい、どうか私を許さないで。ゆっくりと瞼を開け、少女を、その後ろに居る虚を見つめた。
「……行くよ、月車」
鎌刃を持ち上げ、月光に照らされた斬魄刀が虚に降り注いだ。少女の叫ぶ声が聴こえないように、激しく地面を抉り、虚へ攻撃を重ねる。
「――“
狂風が起こり、虚だけを飲み込んで斬り裂く。「虚さん!!」と叫びながら手を伸ばす少女だが、風の壁はその手を拒む。バチッ!と激しい音を立てて弾かれた少女のそれは、地面に滴るほど血まみれになっていた。
「いやだ、やめてっ…!」
「行くんじゃない、死ぬぞ!」
「はなしてぇ! 虚さんっ…虚さん!!」
目をギュッと瞑って涙を流す少女の姿に、キリキリと胸が痛む。
「……ごめんなさい」
もう一度、小さく謝る。風音に掻き消されたそれは、自分にすら聞こえなかった。
やがて虚はチリヂリに刻まれ、仮面が割れる。狂風が止む頃には虚の姿は何処にもなかった。
「あ…ぁぁ…」
どうしてだろう、正しいことをしたはずなのに。
「いやぁぁあーーー!!!」
まるで私が、悪みたいだ。
・
・
「…真白しゃま」
「……うん、行こっか」
スッとツキの手を取り、解けないようにギュッと強く握る。そのまま瀞霊廷から出て、真白は虚討伐へと向かった。部下はいない。今日の任務は簡単なものだから。
――七十二地区『水無』で起きた事件から数日、真白は疲れた表情を取り繕うことすら不可能になっていた。見るからに頬はこけ、ピンと伸びていた背筋は丸まり、笑顔すら無くなった。
あの日から少女の行方は不明。と言うのは紙面上のことで、実際には死亡が確認されていた。ずっとともに居た虚が死んだことで、少女は半狂乱になり荒れ果てた家屋からかろうじて見つけた斧で己の首を斬り落とした。止める暇すらなかった。今でも最期に向けられた少女の瞳は忘れることができない。――あんな憎しみの濃い眼差しを、忘れられるはずがなかった。
「ヒヒヒヒヒッ! ニゲロ死神! 儂ヲオソレロ!!」
「鬱陶しいな…!」
身体のあちこちに傷が走り、吐く息は荒い。下手すれば落としてしまいそうになる斬魄刀を今一度強く握りしめ、真白はジャリッと地を蹴って方向転換し、今まで背を向けていた相手に飛びかかった。
「ヨワイ、ヨワイゾ小娘ェ! ソレダケ高イ霊圧ヲ持ッテイナガラ、ヨワイ!!」
「うるっさいなぁもう!」
ケホ、と軽く咳をする。すると口元に当てていた手のひらが血でべっとりと濡れていた。まさか吐血するとは思わなかった真白は目を見開き、思考を止めてしまう。そのせいで生まれた一瞬の隙が、勝敗を分けた。
「儂ヲ前ニ隙ダラケダゾ、死神!!」
「っ、しまっ――」
真っ赤な鮮血が、空を染めた。
「真白しゃま…っ…真白しゃま!」
「ぅ……」
腹を見事に抉られ、意識を飛ばしてしまった真白。ツキはすぐに具象化して傷口を見ながら、必死に主人の名を呼んだ。顔色は真っ青、おまけに先ほど吐血したせいで口元は赤く濡れていた。
死覇装を無理やりはだけさせ、直に傷口に触れる。視界の端に映った『紅い花』にビクリと反応したが、それもすぐに意識から消し去り、ツキはすぐに立ち上がって片手に大鎌を携えた。
「……何者ダ」
「おまえごときがしるひつようはないです」
ブンっと大鎌を一振りする。虚は身に迫る強大な霊圧の塊に逃げる暇すら無く、瞬きした後には跡形もなく消え去っていた。
周りに敵が誰もいないことを確認したツキは、また真白の側に寄って傷口へと手を伸ばす。直接は触れず、その上に幼い手のひらを広げた。
「“――――”」
ツキが何かを呟いた直後に、金色の光が真白の傷口に集まる。金糸のようにふよふよと漂うそれは、やがて抉れた傷口を癒してゆく。
このまま最後まで癒してしまおうとするツキの手に、ソッと何かが触れた。――真白の手だ。
「つ…き……」
「真白しゃまっ! まっててくださいです、いま“ちりょう”が――」
「…ううん…このまま…、烈さんの…ところへ…」
「いやなのです! 真白しゃまは、ツキが…!」
金色の睫毛で縁取られた瞳からは、今にも涙が落ちそうなほど不安定に揺れている。込み上げる咳をなんとか堪え、真白はもう一度ツキ、と呼んだ。
ツキだって判っているのだ。何故真白がそう言うのか。判っているけれど、それで頷けるかと言われればまた話は別。
「ツキ…」
自分がその声に弱いのは、自分が一番知っている。ツキはうじゅ、と顔を歪めて手のひらを退け、代わりに手を握った。
「……ありがとう、ツキ」
「…げんきになったら、いっしょにねてくださいです」
「ふふ、…うん。もちろん」
久しぶりに見れた真白の穏やかな笑みに、ツキはまた泣きそうになった。それを隠すように目を瞑り、ツキは真白とともにその場から消えた。