涙の慟哭

「あれは――…」
「…なんや、えらい…懐かしい顔が揃うてるやないの」

そう言って目を細めた市丸は、誰にも気づかれないように真白へと視線を移した。彼女の顔は真っ青で、極限まで下げられている霊圧が微かに揺れている。叶うことなら、側に行って抱きしめてあげたい。目を塞いでやりたい。だが、それはいくら願ったってできない。彼女に背を向けたのは、他でもない自分なのだから。
真ん中に立っていたおかっぱ頭の男・平子真子は被っていた帽子を人差し指でパン、と弾き、そのままその指で帽子をキャッチしてクルクルと無意味に回す。

「久し振りやなァ、藍染」

並ぶ顔ぶれは、百年前に尸魂界から突然姿を消した者たちだった。

「何だ…? あいつらは…」
「あれは……!」
…平子真子……!

日番谷は訝しげに平子達を見る。彼が護廷に入隊した時には既に平子達は居なかった為、その存在を知らないのだ。山本は驚きに満ちた瞳で「やはり現世に…身を潜めておったか…」と呟く。

「久し振りのご対面や。十三隊ん中にアイサツしときたい相手がおる奴いてるか?」
いてへん!
「ウルサイなァひよ里! オマエには聞いてへんねん!」
ウチにはきいてないてどういうコトやねん!! みんなにきいてんやろみんなに!!
「オレは別にいいぜ」
「ボクもいいよ」
「ワタシハ……十三隊にはいまセン」
「俺もいねえ!」
「ベリたんいないね? なんでー?」
「――――……」

皆が「いない」と口にする中、リサだけはザッと瞬歩で姿を消した。その後に平子も「ほな俺も」と同じようにいなくなる。
そんな彼らのやり取りを吉良の近くで見ていた真白は、ゆらりと揺れる視界に咄嗟に目をこすった。知らないうちに涙がたまっていたらしい。こんなところで、こんなことで泣くわけにはいかないと強く涙を拭い、松本と雛森の元へ行き膝をついた。

「縹樹君!?」
「井上さんが来るまで、応急処置だけ施します」
「けどこれはっ………」
「大丈夫です」

紅い花弁が、視界の端に映った。チラチラと見えるそれをこれ以上見たくなくて、真白は誤魔化すように吉良へ微笑んだ。

「死なせません、絶対に」

手のひらを下にして、松本の抉れた腹部へと意識を集中させる。何かをしていないと、発狂しそうだった。

「久し振りのご対面や。十三隊ん中にアイサツしときたい相手がおる奴いてるか?」
いてへん!


聞くつもりはなかったのに、聞こえてしまった自分の耳を今は呪う。――やっぱり、過去は過去だと割り切っていて良かった。でないと、でないと……。
真白が必死に松本の治療をしている頃、リサは京楽の元へ来ていた。うつ伏せになったままピクリともしない彼を、リサは容赦なく踏み潰す。

いつまで死んだフリしてんねん!!
うっ!!

「いたたた…」と顔を上げた京楽は、目の前にいる女に向かって情けなく笑いかけた。

「参ったねえ…。ちょっと見ない間に随分綺麗になっちゃって…」

しかし、リサは冷めた目で京楽を見下ろすと今度は顎を蹴り上げる。

「そこで寝とき!! あたしがどんだけ強くなったか見したるわ!」
「リサちゃん。…元気そうで良かった」

リサは少しだけ振り返ると、「アホ!」と決まり文句を言って姿を消した。残された京楽は「全くだよ…」と呟いた後、フッと目を閉じて笑う。

「けど、アホなのは君達もじゃないのかな」

白い髪を靡かせる大切な子を思い浮かべた京楽は、ここが戦場であるにも関わらず、彼女が泣いていないことを切に願った。
ところ変わって平子真子は、刀を肩に担いで総隊長・山本と対峙していた。

「…恨みを……晴らしに来おったか」
「藍染になァ。あんたのことは別にや。恨んどるとしたら、あんたらがここにメッチャ強い結界張って戦っとったことにやな!」

どうやら平子達は、外で結界を見張っていた死神を見つけて中に入って来たらしい。

「…平子真子。…今は、おぬしらを“味方”と考えて良いのかの」
「…そんなもん決まってるやろ。――あかんわ」

スッパリと切り捨てられた問答に、山本はキン…と鯉口を切る。しかし平子は更に台詞を重ねた。

「俺らはあんたらの味方ちゃう、俺らは藍染の敵。ほんでもって、一護の味方や」
「………彼奴の味方ではないのかの」
「…どいつやねん」
「縹樹、真白」
「ハッ……言うたやろ。あんたら・・・・の味方ちゃうって」

それ以上は何も言わず、平子はサッサとこの場から退散した。羅武達の元へ戻ってくると既にリサも帰ってきており、戦闘準備は万端だった。
真白は松本に治療を施しながらも、意識はワンダーワイスへと向けている。彼の行動の一挙一動は、この戦場において最も注意すべきことだと考えているからだ。じわりと滲む冷や汗が、こめかみから流れ落ちる。それすら気に留める余裕のなかった真白の視界に、またあの“紅”が映り込んだ。

「!」

そのせいで手元がぶれ、意識が一気に散漫する。そうしている間にも、ワンダーワイスがまた奇声を発し、大量のギリアンが出現した。
死神側は全員驚き、目を瞠る。既に疲労が蓄積されている中でこのギリアンの数は、いくら隊長達でも殲滅しきれない。どうするかと皆が考えるよりも早く、全く動じていない声が何故か真白の耳にするりと入り込んできた。

「――いくで」

バッと平子達の方へ目を向ける。そこには目を疑う光景が広がっていた。

「………仮面………?」

紅い花の奥に見えるのは、仮面を被った者達がそれぞれ刀を手に駆け出していく姿。次々とギリアンを倒していく彼らを、真白はぼやける視界で確と見続けた。

「……これが、理由?」

我ら死神を圧倒し、ギリアンを倒していく彼らは『死神』とは言えなかった。だからなのか。だから自分は置いて行かれたのか。探してくれなかったのか。――目すら合わせてもらえなかったのだろうか。考えても考えても答えの出ない問いを無理やり頭の中から消して、真白が松本へ視線を戻した時だった。平子が東仙に斬られたのだ。瞼の上をスッパリ斬られただけだったが、心臓に悪い。気にしたくないのに、つい気にしてしまう自分が心底嫌になると、真白は短く息を吐いてそのまままた松本の治療を再開した。





「………わかってるよ、ツキ」

戦況は、ことごとく変化していく。先ほどまで優勢だったはずなのに、たった一人の存在によってそれは覆る。良い方にも、悪い方にも。

「吉良副隊長」
「なんだ………って、縹樹君、まさか!」
「……ここ、お願いします」

わかってるよ、月車。彼らは私を置いていった人達。それでも、私は――……。
あれから猿柿ひよ里が藍染の挑発に乗り、倒された。平子はそれに激昂し斬魄刀を解放して戦うも、藍染には敵わなかった。そこへ漸く黒崎一護が戻ってきて、彼に奇襲をかけるも刃は届かず。そうして死神達は、仮面の軍勢と共同戦線を張って一護を守ることにしたのだ。

「ねえツキ。わたしね……今まで惣右介君のこと、疑ったことすらなかった」
「(……はいです)」
「だからこそ、不思議だよね。………わたし――…」

キン、と鯉口を切る音が微かに響いた。真白はそのまま藍染に斬りかかろうとした瞬間、勢いが急激に削がれた。

「…みんな………みんな…!! みんな一体、何をしてんだよッ!?

一護の声が空を突き抜ける。そのおかげで皆が正気に戻ったのか、誰もが日番谷の刀の先を見た。そこには本来なら彼の刀で串刺しになった藍染が居るはずなのに、何故か戦闘不能で倒れていた雛森がいた。
日番谷の絶叫が場を揺らし、駆け抜ける。その怒りのまま藍染へと向かうが、それでは格好の的だ。

「――隙だらけだ、全て」

日番谷だけでなく、直行する彼に気を取られた他の隊長達までもが一瞬にして倒された。その中には平子も含まれている。そんな光景を目の当たりにした真白は、ヌゥッと藍染の背後を取り斬魄刀を振り上げた。

……あ、かん、真白…!

平子の止める声が聞こえた気がしたが、真白はそのまま振り下ろす。しかし既に藍染は居らず、少し離れた先に此方を見て笑う彼の姿があった。

「漸くお出ましかい? 縹樹君」
「まるで私が来るのを待ってたみたいだね、その口振りだと」
「君なら真っ直ぐにギンの所へ行くのかと思ったのだが」
「読みが外れたみたいで結構」

余裕の笑みが憎くて、真白はギュッと月車を握る力を強める。

「久しぶりの再会だろう? 平子真子とは何か話さないのか?」
「そうやって私を揺さぶるつもり? なら残念」

にっこりと、この戦場に似つかわしくない程の満面の笑みを向けてやった。

「その程度の挑発じゃあ、私は揺らがないよ」

白がふわりと揺れる。平子は浅い息を何度も吐きながら、真白の背中を目で追った。見慣れない真っ白な髪を高い位置で結ぶ彼女との再会は百年越しだと言うのに、まるでつい昨日まで見ていたような錯覚に陥るのは何故だろう。

鎌鼬かまいたち

無数の風の刃が藍染を襲う。不敵な笑みをそのままに、藍染はそれらを何の造作もなく避ける。それを暫く続けていると、流石の藍染はすぐに気がついた。

「……なぜ、私が分かる?」
「さあ? 何ででしょう」
「…まさか、」
「……ふふ、そのまさか。私、貴方の始解なんて見たことないよ」

それは、衝撃的な発言だった。死神代行の一護ならともかく、あれだけ藍染と関わる機会の多かった真白が彼の始解を見たことがないなんて、とても信じられる話ではないからだ。藍染にとっても予想外だったらしく、先程まであった笑みはすっかり姿を消し、此方を品定めするかのような目に変わる。

「だからこそ、不思議だよね。………わたし、惣右介君の始解を見たことないんだよ」

ツキは数刻前の会話を思い出し、(ざまあみろ、なのです)と口悪くこっそりと藍染を罵った。
卯ノ花や平子、その他の隊長達も真白の台詞は衝撃的だったようで、地に伏せながらも藍染と向かい合う真白に目を向ける。

「何故戦う? 平子真子達は君に見向きもしなかった」
「……そうだね」
「いつまでも引きずっているのは君だけだった」
「………そうだね」

ああそうだ、認めよう。過去は過去だなんて思ったって、それに納得は出来ていなかった。ふとした瞬間に彼らの面影を探し、泣きそうになるくらいには引きずっていた。

「こんなものを大事に持っているくらいには、引きずってる自覚はあるよ」

そう言って取り出したのは、古びた筆。毛先もボサボサでとても字を書ける程のものではないそれを、平子は下からジッと見つめ、ハッとしたように「まさか……」と呟いた。

「これしかなかった。あの人が置いていったものは、これしか……。だからずっと持ち歩いていた。繋がりが消えないように」

それさえも、無駄な行為だったのだけれど。自嘲した真白はそれをしまって、双眸を藍染へ向ける。彼の瞳とかち合った直後、激しい戦いが幕を開けた。

「ハァッ!!」

刀と刀が交わり、互いに傷を作っていく。けれど真白の方が傷の量も深さもあり、徐々に体力は無くなっていく。それでも真白は斬魄刀を振り上げる手を止めなかった。
脳裏に濃く残る、ひよ里が倒された瞬間。松本の治療をしながら地に落ちていくひよ里を見て、真白は何もかも放って駆け出しそうになった自分を必死に理性で止めた。微かに感じる霊圧のおかげで狂わずに済んだが、もしもあの一撃でひよ里が事切れたのなら、きっと真白は怒りのままに藍染に向かい、殺されていただろう。

「何故そんなに必死になる? 彼らは百年前に死んでいるというのに」

理性がブチリと切れた音が、自分でも判った。

黙れ!!

咆哮が戦場を駆け巡り、仮面の軍勢達の元へ届く。皆が真白と藍染に注目している事さえ気にせず、二人の口論はヒートアップしていく。

「死んでなんかいなかった! ずっと、ずっと生きてた!」

一夜にして居なくなり、『死んだ』と聞かされたあの時の絶望は今でも覚えている。

「私の………私達の日常を奪ったのは、あんたでしょ!!」

内から込み上げる蓄積された百年間の想いを止めることは、もう出来なかった。

「返してっ………かえしてよ! あの日々を!」

陽の光を浴びて輝く白い髪。溢れる涙。
平子達は泣きそうな表情で真白を見上げる。見慣れない姿なのに、彼女の泣き叫ぶ声だけはあの頃と変わらなかった。

平子あの人達がもう私に会いたくなかったのは、判ってる。でもっ………でも、私はっ………ずっとずっと、会いたかった――!!」

ああ。今すぐ、震える背中を抱きしめたい。
そう思ったのは、一体誰だろう。