みんなが笑えるように

それは、長くも短い静寂だった。

「あんたを斬ったところで、日常が戻ってくるわけじゃない。それは判ってる」
「ならば再度問おう。何故戦う? 平子真子達は――」
「判ってる。……これはただの、私のエゴ」

スッと鎌を構えて、鋭く細められた瞳を真っ直ぐに藍染へ向ける。ニッと笑んだ彼女の表情は、この戦場でやっと見れた挑戦的なものだった。まだ目尻に残る涙をグイッと乱暴に拭うと、また藍染に向かって飛び出した。しかしそれは思わぬ人物によって止められた。

「待て」
「っ、そ、うたいちょう……」
「ここから先は、儂がやろう」
「ですが!」
「総隊長命令じゃ。お主は雛森と松本、それから倒れておる他の隊長達を見てやれ」
「……御意」

頭を下げた真白は瞬歩で下がり、地面に倒れている隊長達の側へ。やはり一番酷いのは雛森だ。松本の様子も気になるが、彼女は吉良が見ているのでまだ安心できる。そっと雛森の側で膝をつくと、胸の中心を斬魄刀が貫通したせいでまだ血が止まっていない部分に手を翳し、治療を始めた。

「……、…縹樹、さ………」
「喋らないで下さい。肺が傷ついているんですから」
「ごめ、なさ……」
「雛森副隊長が謝る必要なんてありません。……こうなったのも、全部……」

そこまで言って、真白は口を閉ざしてしまった。雛森の前で「藍染のせいだ」とはっきりとは言えないからだ。彼女はまだ藍染に囚われている。自分が平子にそうなように。
頭上ではワンダーワイスによって山本の炎が封じられてしまった。徐々に厳しくなる戦況だが、真白は山本から直々に命じられてしまったため、動くことは出来ない。山本が倒され、一護が戦っていても、真白は治療に専念するしか無かった。

「――この、霊圧………」

その手が止まったのは、約数二十年ぶりに懐かしい霊圧を感じたからだった。雛森の胸の傷口が塞がり、痛々しい傷跡を指で撫でるとジャリっと立ち上がって歩き始める。途中で隊長達の傷を直しながら進むと、「待ちィ」と声をかけられた。その声の主に目を瞠るも、すぐに表情を戻して振り返る。そこには瓦礫に背を預けて座る平子が居た。

「………何ですか」
「なんや、その似合わん敬語。昔は何べん言うても使わんかったクセに」
「そうですね。ですが、今は私が敬語を使っていない姿を想像できない人だっているんですよ」
「……………」
「それだけ月日が経ちました。……貴方方がいない日々が、日常に変化するくらい」

見慣れない白い髪が、風のせいでふわりと靡く。高い位置で括られているそれをそっと手で撫でると、今まで頑なに合わせなかった目をやっと平子と重ねた。
あんなに綺麗だった金色の髪が、短くなっている。帽子だって被っていなかった。自分が変わったように、彼だって変わった。

「貴方が私に会うつもりが無かったように、」

私だって、と彼女は続けた。「会うつもりなんて無かった」それだけ言うと、真白はくるりと踵を返してさっさと遠ざかる。本音を告げられた平子は手のひらで顔を覆いながら、深いため息を吐いた。そんな彼を見ていない真白も、上手く誤魔化すことが出来たかと不安になりながらある霊圧の主の元へ急ぐ。

「(……バレてない、よね)」

懐にしまった筆を、死覇装の上からギュッと握る。潤みそうになる視界をぐしぐしと袖で拭い、喉元から迫り上がる嗚咽を必死に飲み込む。

「(会うつもりなかったなんて、嘘。ほんとは、本当は……ずっとずっと――)」

会いたかった。
その一言を嘘で隠したのは、やはりあの台詞があったからだった。

「久し振りのご対面や。十三隊ん中にアイサツしときたい相手がおる奴いてるか?」
「いてへん!」


会いたかったのは、自分だけだったのか。絶望にも似た感情が生まれ、平子に『会いたかった』と言えなくなった。百年にも及ぶ空白の時は、その一言すらも奪う程の長い時間だったのだ。

「………やっと見つけた」
「あ? あれ、お前………」
「アンタ! 真白!」

ビシッと指をさして名前を呼んだ一護に手を振ると、真白はニヒッと歯を見せて笑った。笑いかけられた男・黒崎一心は、やれやれと言った様子で頭の後ろを掻いた。

「お久しぶりです、志波隊長」
「おいおい、俺ァもう死神やめてんだよ。隊長はやめてくれ。名前も今は黒崎だ」
「えぇ、じゃあ……一心さん」
「おう」
「知り合いなのか………?」
「うん。とてもお世話になったの。ところで藍染は……」

キョロ…と辺りを見渡すも、彼の霊圧はカケラも感じない。瓦礫の山となったそこにいるのは自分達だけ。そんな時、目の端に止まったのは倒れている浦原と夜一だった。

「どうして、二人が……」
「……藍染は、市丸を連れて尸魂界の空座町に向かった」
「そんな!」
「悪い。止められなかった」
「……だったら、藍染が事を全て終える前に止めればいいだけ。そうですよね?」

傷だらけになりながらも真っ直ぐに自分を見つめる真白に、一心は笑ってぐしゃぐしゃと彼女の頭を撫で回した。そのせいでせっかく髪紐で留めていた髪が乱れ、真白は「何するんですか!」と怒る。軽く謝る一心に呆れながら髪紐を取るとちょっとぷつりと切れてしまった。仕方がないとそのまま下ろしていると、穿界門を開いた一心がこちらに向かって手招きをしている。じわりと滲む手汗をそのままに、真白も断界に入った。

「真白」
「はい」
「お前はこのまま先に行け」
「……判りました」

何故一心がそんな事を言うのか予想できないが、彼がこの状況で言うのだ。疑う余地もなく真白は頷き、瞬歩の速度を上げて一気に断界を突き抜けた。拘突の気配が無いのは、藍染のせいだろう。
尸魂界に着くと、本物の空座町が広がっていた。まだ綺麗な形状を保っているが、藍染が何もしていないわけがない。とりあえずと瞬歩で移動していると、転々と血を流して倒れている人々を発見する。恐らく全員死んでいる。真白は小さく舌を鳴らしながら空座町を駆けていると、光の柱が立った。(あそこか!)真白はそう遠くないと安堵しながら向かうと、そこには今まさに藍染によって殺されそうになっている市丸がいた。
――考える暇すらなかった。

「な、」

市丸の驚く声を聞きながら、真白は胸元から吹き出す血をそのままに鎌を振るう。隙のできた藍染を横一線に斬りつけると、ぽわんとした何かが空中に浮く。それをしっかりと手のひらに収めると、トドメを刺そうとする藍染から逃れるために炎を放ち、自分と彼との間に炎の壁を作った。本格的に崩玉の力を取り込んでしまった藍染にしてみればあの程度、すぐにでも何とかしてしまう。その前にこの奪った魂を市丸に渡そうと、真白はやっとの思いで彼の袖を掴んだ。その中に、腕はない。

「ぎ、ん」
「何してんねん! こんなっ……すぐに治療せな、」
「これ、を………」
「これって……」
「たぶん、ぜったいに……松本副隊長の……」
「なして、こんなん………なんで……」
「……言ってたでしょ、ギン」

真白の髪が白くなり、自分の最大の秘密を市丸に明かした日。彼もまた、己がどうして死神になったのか真白に話したのだ。遠い過去の記憶だからか、すっかり片隅に追いやられてしまっていたけれど。今だから、何故市丸が裏切って藍染に着いて行ったのか解る。ぜんぶ、松本の為だった。
ずっと守ってくれたから。平子が居なくなってからの百年間という長い年月を、藍染から守ってくれたから。これは、せめてものお返しだ。

「ギンが死ぬ必要なんて、ないんだよ」
「真白が死んだら意味ないやろ!」
「ふふ、……だいじょうぶ」

炎の壁が消され、藍染が現れる。いつのまにか背中を支えていてくれたらしい市丸の手をそっと下ろし、真白は斬魄刀を構えた。周りには一般人もいる。おそらく一護の学友だろうと踏んだ真白は、巻き込まないように戦わなくてはと血の回らない頭で必死に考える。――ああ、紅い花が舞う。ヒラヒラと、藍染を覆い隠そうとする。

「やはり、君か。まずはギンを殺さなければならないんだ。そこを退いてくれ」
「……もう、誰も殺させない」

今にも斬魄刀を落としそうで、必死に力を入れてそれを握りしめる。「ギン!!」と松本が上から降ってきて市丸の側に座ったのを確認すると、真白はダッと力強く足を踏み出した。

「何故そんなに必死になって守ろうとする? 君は裏切られ続けてきただろう」
「裏切られてない」
「では、君を置いて現世へと逃げた浦原喜助や平子真子達は?」
「っ、」

お前がその名を口にするなと、声を大にして言いたかった。咄嗟のところで唇を噛み締めて刃を振るい、また一定の距離を保つ。
勝てるとは思っていない。だって市丸や他の隊長達が倒されたのだ。けれど、どうしても怒りが治らない。

「ずっと、ずっと悔しかった。憎かった。どうして私だけ置いて行かれたのかとか、やっと会えたのに誰も私に会いに来てくれないとか。真子達にも、ギンにも置いて行かれた時は泣くことしかできなかった」

頬に次々と涙が流れる。我慢していた涙が、ここにきて決壊したらしい。ぐしぐしとどれだけ拭ってもそれは止まらなくて、勝手に出る嗚咽をとにかく飲み込んだ。

「でも、違った。私が憎かったのは、力が無かった私自身だった」

涙をそのままに、月車を大きく振りかざす。

「私の大切な人達が笑っていられる為には、藍染アンタが邪魔なんだよ!」

刃を落とすと藍染は素早く距離を取った。しかし真白はその隙すら与えず、すぐさま彼の懐に飛び込んだ。

月ノ海 第六番『氷月ひょうげつ

ピッと薄皮一枚切られたそこから、パキパキ…と氷が藍染を覆っていく。それでも表情一つ変えない彼に舌打ちしつつ、それを砕いてやろうと斬撃を放つ。しかし超高速再生の前では無意味な攻撃だった。

「これで終わりか?」
「っ、終わりじゃない!」

まだ卍解が残っている。けれどもう月車の貯めた月の力や自分の残った霊力を考えると、とてもじゃないが卍解は無理だ。
どうするかと思考を巡らせた時だった。一心を肩に担いだ一護が現れたのだ。

「いち、ご君……?」

どうして一心がと聞きたかったが、とても聞ける雰囲気ではない。この短時間で何故か髪の毛が伸びているし、雰囲気も違う。何より、そう――霊圧をまったく感じないのだ。

「(いや、まあ……いっか。一護君のあの眼……)」

彼の眼を見て安心したのか、真白は構えを解いてその場に立つ。藍染に言いたいことは山程あったのになと思いながら、真白はゆっくりと倒れた。

「真白!」

市丸の焦る声が聞こえた。まだ藍染がいるのにと目を向けると、一護が彼を連れてどこかへ行く後ろ姿が見えた。ホッと息を吐くとこれまで我慢していた痛みが一気に真白に襲いかかってきた。小さく呻く彼女を、市丸は松本に支えられながらやっとの思いで側に近づいた。

「真白、真白っ!」
「ぅ、……ぎん…っ……ぶじ…?」
「ボクの心配より自分のこと心配しぃ! こんな、っ……ご免、ご免な……」
「……そっか、ギンだったんだね」
「え?」
「ずっと謝ってくれてたでしょ。……ずっと」

力の抜けた笑みを向けられ、市丸は泣きながらまた謝った。いつだって自分は、この女には敵わない。

「ギンも真白も早く治療しないと! 出欠多量で死んじゃうわ! 卯ノ花隊長……もしくは織姫!」
「そのひつようはありません」
「へ?」

焦る松本に返事をしたのは、舌ったらずな男の子だった。濡れた烏のような真っ黒な髪に、月を連想させる金色の瞳。そう、真白の斬魄刀の“月車”である。ツキは具象化して主である真白の側に膝をつくと、くしゃりと泣きそうに顔を歪めた。

「真白しゃまぁ!」
「泣かないで、ツキ。だいじょうぶだよ、……おねがい」
「まっまかせてくださいなのです!」
「それから、ギンの腕も」
「まっ…………まかせてください、なのです…」
「ありがとう」
「ちょ、ちょっと待って! 斬魄刀でしょこの子! 斬魄刀が治療するの!?」

驚くのも無理はない。斬魄刀が治療するなど聞いたこともないのだから。唯一その能力を知る市丸は落ち着いているが、実際に治療を受けたことはない。安心してくれと真白は松本に言うと、ツキに目を向けてこくりと頷いた。昔、真白が虚のせいで深く傷ついたあの日のように、ツキは両の手を主の身体の上に広げる。

月聖げっせい神癒しんゆ

金色の光が傷口に集まる。それはふよふよと金糸のようなものになり、だんだんと傷口を癒していく。心臓部にまで達しそうになっていた傷口は、しばらくすると跡も何も無かった。いつの間にかぐったりと意識を飛ばしている真白の治療が終わると、今度は市丸の腕へ。同じようにふよふよとした金糸が腕の切断面をくっつけようとうごめく。やがて千切れた腕は元どおりくっついた。

「良かった……! ありがとう月車!」
「真白しゃまの“ごめいれい”はぜったいなのです。これくらいはとうぜんなのですよ」

テキパキと真白の死覇装を整えると、不意に彼女の心臓部に咲く紅い花の刺青が見えた。それは松本や市丸も見てしまい、ツキはグッと主の死覇装を握り締めながら言った。

「……真白しゃまがみる“げんかく”をはやくなんとかしないと、真白しゃまが……」
「……真白が、なんや?」
「…………しんでしまうのです」

ぽたりと涙を一粒落としたツキは、そのまま具象化を解いて刀に戻る。幻覚を見ていることすら知らなかった松本は市丸を見るが、彼は顔を真っ青にして繋がったばかりの右手を強く握り締めていた。