“紅”に染まる

「判決を言い渡ァす!! 元・五番隊隊長藍染惣右介、地下監獄最下層第八監獄“無間むけん”にて、1万8800年の投獄刑に処す!!」

厳しい声が天井の高い部屋に突き抜けた。聞いていた者はビリビリと肌を震わせるが、判決を下された当の本人は唯一見える左目を細めてみせた。

「――成程。君達如きがこの私に“判決”か。些か、滑稽に映るな」
「ぬぐぅ……ッ」
「大逆人めが!! 不死であるからと調子に乗りおって!!」
「さっさと眼と口にも拘束をかけろ!!」
「刑を2万年に引き上げろ!!」

罵倒が飛び交い、刑が引き伸ばされようとも。少しだけ見える藍染の表情はぴくりとも動かなかった。




ぶわっかもん!!!!

青空が広がる中、一番隊舎からは山本の怒声が外まで突き抜けた。彼の前には六番隊隊長・朽木白哉、八番隊隊長・京楽春水、十一番隊隊長・更木剣八の三人が並んでいた。三人とも一切山本と目を合わせようとせず、それが山本を更に怒らせる。

「隊長羽織を無くしたじゃと!? 破れたならともかく無くしたとは何事じゃ!! それでよくおぬしら平気な顔をしえおるな!! 心配になるわい!!」

そう、何故山本がこれだけ怒っているのかと言うと、この三人はかくもあろう事か隊長羽織を無くしたのだ。それぞれ理由はハッキリしていて、正確に言えば『無くした』とは少し違うのだが。怒りで震える山本に、最初に口火を切ったのは朽木白哉だった。

「…総隊長、心配めされるな。安物の羽織程度、私が立て替えておく故…」
「そういう心配をしとるんじゃないわ! それに安物でもないわ、馬鹿者!! よいか!! 戦いというものは勝てば良いと言うものでは無い!! おぬしらは一体隊長羽織を何じゃと思うとるんじゃ!!」
「邪魔」「安物」「お洒落?」

三人の返事にとうとうブチ切れた山本は、「馬鹿もん共がっ!!!」と再び怒鳴った。
それを外で聞いているのが十三番隊の隊長と三席の三人。中でも浮竹は朗らかに笑いながら、元気そうだと口にした小椿に頷いた。

「戦いから十日か…。左腕は失くされたが、体力の方は戻られたようで安心したよ。あの人の代わりをつとめられる死神は、まだ尸魂界にはいないからね…」

言いながら浮竹は思った。あの戦いから十日――あの子はまだ目を覚ましていない、と。
その頃、松本はこっそりと日番谷が鍛錬している様子を離れたところで見ていた。今回の戦いで市丸が尸魂界を裏切った時も驚いたが、その理由を知った時の方が信じられなかったと同時に、ストンと納得した部分もあった。彼は、小さい頃と何一つ変わっていないのだ。

「なんしてんの?」
「っ! び、びっくりするじゃない!」
「ご免やん」

ケラケラと笑う市丸に松本は怒りをぐっと飲み込んで、でもとりあえずゲンコツを落としておいた。

「あんた謹慎中でしょ。何外出てるのよ」
「あんななんも無いところで三ヶ月謹慎はキツイわぁ」
「あれだけの事をしておいて、それだけで済んで良かったと思いなさい!」

藍染と共に尸魂界を裏切った市丸の刑は、三ヶ月間の自宅謹慎と三番隊隊長降格、そして五番隊平隊士への移隊だった。何故それだけ軽い刑だったのかと言うと、全て十二番隊の虫型カメラによって撮影されていたからだ。勿論それに気づかぬ藍染では無かったが、たかがカメラに構っている暇など無かった為放置していた。それが結果的に市丸を救う形になったとは、彼自身思わなかったに違いない。

「……あの子、まだ目を覚まさないの?」
「覚まさんなぁ。……ながーい夢でも見とるんやないかな」

そう言った市丸はどこか遠くを見ていて、松本は肩を竦めた。ここまで市丸と真白が親しいとは知らなかったのだ。嫉妬を感じるかと言われれば勿論と答えるが、それは幼馴染みを取られたから来る感情であって、男女のそれで無い事は判っている。
これ以上日番谷を盗み見する訳にもいかないと、松本は市丸を連れて外に出た。空を見上げれば憎々しい程に真っ青で、松本は咄嗟に太陽を手のひらで遮った。

「乱菊」
「何?」
「五番隊の隊長さんとうた?」
「えぇ、会ったわよ。全然変わらないわね、あの人」
「………変わらん、か」

市丸は新しく就任した五番隊隊長を避けていた。自宅謹慎だからという理由もあるが、こうしてこっそり外に抜け出しても決して隊長に合わないように常に霊圧を探っている。今もそうだ。

「あんたまだ会ってないの? すぐ会いに行きそうなのに」
「ペーペーが隊長サンにすぐ会えるわけやないで、乱菊」
「どの口が言うのよ。あんた、あの人と仲良かったじゃない」
「……せやなァ」

それきり口を閉ざしてしまった市丸に、松本もそれ以上何も聞かず、ただ二人で肩を並べて空を見上げていた。――あの子はまだ、目を覚まさない。市丸は少し目を開けて、暖かく降り注ぐ太陽の日差しにまた目を閉じた。
――その日の夜、四番隊のとある病室。

「……ん…………」

藍染との戦いから十日。ずっと眠り続けていた女が、やっと目を覚ました。


夢を見た。
まだ私が死神になる前の頃だ。父と、母と、白衣を着た人達。そして私と同じような真っ白な服を着た男の子と女の子。それが私の世界だった。ちっぽけで、狭くて、痛くて・・・。けれどどうしようもなく信じていた。ありもしない“いつかきっと”を。――そんな世界が壊れた日を、私は百年以上経った今でも覚えている。

「…………まっくらだ」

見慣れた病室で目を覚ました真白の第一声は、シンとした部屋にすぐ消えた。痛む身体をなんとか起こしてカーテンを開けると、外も真っ暗だった。窓に映る自分の顔がとても情けなくて、真白はむに、と指で頬を引っ張る。

「……ああ…………まっかだ」

部屋の中も窓の外も明かり一つ無くて真っ暗な筈なのに、何故“あかい”と言ったのか。それは彼女の視界は確かに“紅”で染まっているから。ひらひらと舞う紅い花びらは視界全体を覆い尽くしていて、他の色はほんの少しの隙間からしか見えない。誰もいないひとりぼっちの病室で、真白はもう一度呟いた。

「――…まっかだ………っ!」

くしゃりと歪められた瞳からは、とめどなく涙が溢れ出た。

「ふふ、ここから出て、しあわせになんてなれると思わないことね……。その“花”が満開に咲く頃、あなたの命も終わるわ……。生きてしあわせになんて、絶対になれやしないのよ」

あの人の言葉が、呪縛のように耳元で囁かれる。乱れた呼吸のまま服の裾をまくれば、心臓部を中心に大輪の花が咲いていた。それは、見事に紅い花だった。爪を立てて心臓上の肌を掻き毟る。綺麗な肌にいくつもの線が浮かび、跡が残っていくことすら構わず、真白は何度も何度も爪を立てた。

「ああ、っぁぁああああっ………!!」

霊圧の濃いこの部屋のせいか、それとも他の“何か”のせいか。何が理由か全く解らないけれど、それでも確かなことは一つ。――彼女の傷跡は、 もう治り始めていた。





コンコンとノック音が鳴り、真白は目を開けた。はだけた服から見える肌は傷一つなくて、小さくため息を吐く。すると「真白?」と心配そうな声が扉の向こうから聞こえてきて、服を整えてから「はい」と返事をした。
入ってきたのは四番隊隊長の卯ノ花だ。彼女は起き上がっている真白の姿を見てホッと息を吐き、「目が覚めたんですね」と微笑みかけた。

「私、どれくらい眠っていました?」
「十日ほどです。なかなか目を覚まさないので心配していたんですよ」
「とうか………。っ、ぎん、市丸ギンは!」
「彼の動機を踏まえて、謹慎三ヶ月と降格処分です。護廷十三隊、ひいては尸魂界を裏切ったという事実がありますから」
「降格?」
「五番隊の平隊士として、三ヶ月後に復職するそうです」
「三番隊じゃないんですか?」
「五番隊の新しい隊長がどうしてもと仰ったようで」
「………五番隊の…新しい隊長……?」

まさか自分が寝ている間に新しい隊長が配属されたなんて思いもよらず、真白は「じゃあ三番隊の隊長は……」と問いかけるとにっこり笑顔で「それは自分の目で確かめなさい」と言われてしまった。

「それじゃあ傷の具合を診ますね」
「っだ! ……大丈夫です」
「あら、あんなに酷い怪我だったのですよ?」
「怪我はもう治りました」

頑なに肌を見せない真白に何かあると踏んだ卯ノ花は、仕方がないと諦めて踵を返す。ホッとした真白は、それでも服の胸元を力強く握りしめた。

「その調子でしたら、明日から復帰できますね」
「はい」
「今日はとても良い天気です。気分転換に外に出てみては?」
「…………そう、ですね」
「…あまり、無理をなさらないように」

卯ノ花にしては情けない声色だった。そんな声を聞くのは久しぶりで、真白はハッと顔を上げて扉の方を見るが、そこにはもう彼女はいなかった。シンと静まり返る病室が何故か急に寂しく感じ、つい癖のように窓の外を見る。雲一つない真っ青な空な筈なのに、真白の目に映る空はとても赤かった。

「……いい天気だね、烈さん」

そう言った彼女の表情は、泣きそうに歪んでいた。
翌日、真白は死覇装を着て三番隊へ。仕事復帰した彼女を隊の皆は暖かく出迎えてくれた。

「お帰り、縹樹」
「戸隠さん! すみません、迷惑かけてしまって」
「いつもの事だろ?」
「……………」
「ハハッ。でもまあ、今日はちゃんと起きれたんだな」
「流石に寝すぎたので…」

軽口を言い合う二人だが、真白は奥の方に片倉の姿を発見し、話もそこそこに彼の元へ向かう。真っ直ぐに目を合わせると、片倉は眉間に皺を寄せてふいっと顔を背けた。

「……無事で良かった」

ボソッと呟かれた台詞に、真白は目を丸くした後嬉しそうに笑った。

「ありがとうございます」

彼とは相性が悪いが、それでも何十年と同じ隊に居れば情も湧く。うろうろと視線を泳がせた片倉は、言いづらそうに「この前はすまなかった」と謝罪の言葉を口にした。「この前?」と首を傾げた真白に、彼は見舞いに来てくれた時の事だと言う。

「そんな上っ面の言葉などいらない。だいたい、僕はお前が嫌いだ」

すぐに以前見舞いに行った時の事だと思い浮かんだ真白は、素直にその謝罪を受け取った。こうして向こうから歩み寄ってくれているという事は、彼なりに何か思い当たることがあったのだろう。

「縹樹君」
「あ、吉良副隊長! 体調はどうですか?」
「それ僕の台詞じゃないかな……? まあ、僕は大丈夫」

次に声をかけて来たのは三番隊副隊長の吉良だ。

「次の隊長は仕事をしてくれる人でね、僕の胃も漸く落ち着いたんだ」
「そういえば、新しい隊長が就任されたんですよね。卯ノ花隊長に聞いても教えて下さらなくて……どんな人ですか?」
「そうだな……――」

吉良が答えようと口を開いたが、それを遮るようにくすりと笑い声が聞こえた。反射的に目を向けたと同時に真白は酷く後悔した。どうして霊圧に気づかなかったんだ、と。
吉良はそんな真白に気づかず、「ああ! あの人だよ、新しい隊長」と笑顔で紹介した。

「鳳橋楼十郎隊長」
「やあ、暫く見ない内にとても丁寧な言葉遣いになったね」

ウェーブのかかった長い金髪は、記憶のそれと相違ない。目を見開く真白に鳳橋、もといローズは苦笑する。この反応は予想していたが、やはり辛い。これが百年間のツケかと、まざまざと見せつけられた。

「どうして、ローズが、」
「縹樹君?」
「あ、いや、っ……わた、わたし、外回り行ってきます!」
「外回り!? ちょ、真白君!?」

「そんな仕事ないけど……」と驚いたような吉良の声なんて、既に遠いところにいる真白には聞こえていない。逃げられたローズはもう見えなくなった背中に目を閉じ、懐にしまっている物をそっと上から撫でた。

「………頼んだよ」

思ったよりも情けない声だと、ローズは嘲笑する。

「ねぇろーず! いまかくれんぼしてるの、いっしょにしよ!」

無邪気に笑う彼女の思い出すなんて、今更だ。