「なんで、………なんでローズが……」
木の根元に腰を下ろし、呆然と呟く。彼らは“
「やっぱり、此処におった」
ピクッと肩が揺れる。次いでそろそろ…と顔を上げると、男は真白の顔を見て優しく微笑んだ。
「ギン………っ!」
今にも泣きそうに震える声で男の名を呼んだ真白は、さらりと揺れる銀色の髪に顔を歪めさせた。市丸は開いていた距離を詰めると、そのまま真白の隣に座った。サァ…と風で揺れる葉の音が、静かな空間ではよく響いた。
「どうして、此処が判ったの」
「卯ノ花隊長が真白の目が覚めた言うてたから、三番隊行った後やったら此処におるんちゃうかなぁって。思た通りやったわあ」
「……処刑、されなかったんだね」
「十二番隊サンが虫型カメラを尸魂界に残しとったおかげで、藍染サンとのやりとりが記録されとったみたいでな。……乱菊の魂、取り返してくれてありがとォな」
「ううん。………ううん、」
小さく頭を振ると、それきり会話がなくなってしまった。それでも二人の間に漂う空気は穏やかで、市丸も真白も暫くそれに浸っていた。
「“紅い花”、見えるん?」
ぽつりと呟いた市丸の台詞は、彼が裏切る前もよく訊かれていたし真白自身言っていた事だ。今更驚くようなことでもない。ただ時期が悪すぎた。今の真白には世界全てが“紅い花”で埋め尽くされていて、彼の綺麗な銀髪だって赤く見えてしまうのだ。それを悟られたくないのに、唐突な質問に過剰に反応してしまった真白を市丸は少し開いた目で観察した。
「……見えるんやな」
「前も見えてたでしょ? ……すぐおさまるから、大丈夫」
「ほんま?」
「ほんと」
市丸に悟られたくなくて目を合わせない真白だが、それが仇となった。市丸は暫く考えるそぶりを見せたが、「ほんなら良かったわ」と言うと立ちたがった。「ギン?」少し寂しげな真白が彼を呼ぶ。その声色の変化に気づいた市丸は、くしゃりと彼女の真っ白な髪を撫でた。
「言うたやろ」
「?」
「『絶対帰ってくる』って」
ハッと目を丸くする真白に笑って、市丸はヒラヒラと手を振った。その背中にはもう“三”の字はない。隊長羽織もない。けれど全てを失ったその背中がとても軽そうに見えたのは、決して気のせいなんかじゃない。
「ほな、あとは頼みます」
「判っとるわ」
「不安ですわ、二人きりにすんの。手ェ出さんといてくださいね」
「出さへんわボケ!」
ふと、風に乗ってそんな声が耳に届いた。真白は市丸が消えた方をジッと見つめ、息を潜める。ザッ、ザッとだんだんと大きくなる足音に、自分の心臓がかつてないほどドクンドクンと波打つのが判る。やがてゆっくりと姿を見せたのは、もう会わないだろうと思っていた男だった。
「ぁ、………っ……」
震える手を口元に添え、大きく目を見開く。そんな真白の様子に男はボリボリと首裏を掻いて、それから言葉を選ぶように目を泳がせた。
「……迎えに来たで」
それだけ言うと、泳いでいた目が真白のそれと重なる。やっと合わさった瞳に、彼女は情けないほど動揺していた。藍染との戦闘中は決して重ならなかった。話しかけてもくれなかった。それなのに今、この場所に、彼がいる。
「なんで、此処に……」
「護廷に戻れるよう計らってくれたんや。ひよ里とかは戻らんかったけど……ローズには会うたやろ。アイツ、真白に逃げられたー言うてしょげとったで」
まるで昨日の続きのように飄々と話す男に、ブチっと何かが切れた。
「ああ、そうですか」
その口調は平子の知らないものだった。先程までの動揺した姿はすっかり消え去り、冷めた態度を前面に押し出しているそれは確実に自分を拒絶していた。
「用が済んだのなら、これで失礼します」
立ち上がって平隊士らしく一礼すると、そのまま平子の横を通り過ぎる。呆然と立ち尽くす平子は見慣れない真白の言動が信じられないようだ。しかし立ち直るのも早いが代名詞の男・平子真子。すぐに真白の腕を掴み、引き止めた。
「……なんですか」
「何やねん、その喋り方」
「目上の人間にはこれが当たり前のものですよ」
「気色悪ぅ! 似合わんで!?」
「敬語に似合う似合わないはありません」
心底軽蔑した眼差しが痛い。平子はごくりと生唾を飲むと、「…………すまんかった」と小さく謝罪の言葉を口にした。真白は冷めた眼差しから一転し、驚きの表情を向ける。百年前とは違う髪色を靡かせる目の前の女に、平子はもう一度同じ台詞を言った。
「すまんかった。……何処におっても探したる、言うたんは確かに俺やったのに」
「なにを、いまさら………」
「判っとる、全部今更や。現世任務に来た真白を避けとったんも事実やし、先の戦いで会いに行かんかったんも事実や」
ぐさりと突き刺さる平子の言葉に、無意識に俯く顔。瞳に映る草花が歪んで見えて、初めて真白は自分が泣いていることに気づいた。
「全部俺のワガママや。……せやけど、この百年間――真白を思い出さんかった日はなかった」
「、っ……ぅ………」
「藍染を恨んだ。憎んだ。殺してやりたいって何べんも思た。せやけど結局、最後は自分を恨んだ。何もできひんかった自分が、真白を置いて行った自分が、避け続けた自分が、心底憎かった」
一緒だと、真白は思った。どれだけ他人を憎んでも、結局最後はただ自分が憎くなって。
「力の無かった自分が、憎かった」
力の無かった自分を、憎むんだ。
「う、っぁ……ぅうっ………」
「死神や無くなった俺らが、真白に会えるわけなかった」
「そ、なの……そんなのっ……」
「ああ、それは全部俺らのエゴやった。……お前の気持ちを無視しとった」
「〜〜〜、っ…」
俯く真白の顔を覗き込むように、平子は膝をついて下から彼女を見上げた。涙で濡れた頬をぐいっと手のひらで拭うが、次々と溢れるそれは平子の手をどんどん濡らしていく。それに構わず、平子は変わらぬ笑みを浮かべた。
「見つけたで、真白」
「みーっけ」
台詞は違えど意味は同じ。真白の耳には遠い遠い過去の声が重なって聞こえた。
「ば、ばか、っ……ばかしんじ!」
「おん」
「ずっと、ずっと待ってたんだから……っ! ずっと……っ」
ぎゅうっと目をつぶって泣く真白の姿は、百年前とちっとも変わっていなかった。
「長いこと待たせてもたなァ」
「そうだよ………待ちくたびれたんだから…っ……」
「ほんなら、詫びにとっつぁんトコの善哉奢ったるわ。今なら杏仁豆腐もつけたろ」
「ふ、〜〜〜っ、ぅ、うぅぅ……」
嗚咽を漏らす真白が愛しくて、平子は堪らず掻き抱いた。こんな小さな身体で百年を耐えたのかと、彼は改めて後悔が募る。彼女を支えてくれた市丸には嫉妬したが、それ以上に感謝の想いが降り積もる。きっと市丸が居なければ、真白はとうに命を投げ打っていたかもしれない。
「………ぃ、たかっ………」
「ん?」
「――会いたかった………!!」
絶対に言えない言葉があった。口が裂けても言えやしなかった。それを口にしそうになった時は決まって『大丈夫』と言い続け、本音を隠した。そうしなければ今にも尸魂界を飛び出して探し回っていたに違いない。
けれどやっと、やっと言えた。この百年、莫迦みたいに想い続けたこの言葉を。
「……俺も、」
――会いたかった。
百年間の空白を埋めるように、二人はただただ抱きしめ合った。その様子を、高台に立つ一本の大きな木だけが見ていた。