――おかあさん。
「これだと拒絶反応が強いわね…。こっちの花薬はどうかしら?」
「いい反応だ。だとしたら、体内の霊力を少し上げても大丈夫かもしれない」
「…落ち着いてきたわ。この子の今の霊圧、あの山本を軽く超えているわ!」
「このままいけば……っ! 目標到達! 胸の刺青は!?」
「定着してる!」
――おとうさん。
「成功だ! 悲願が叶ったぞ!」
「斬魄刀とも繋がってる! これで、これでやっと生み出すことができた…!」
縹樹国之と瑠璃香が感動の声を上げる。他の研究員達も手を上げて喜んだ。ベッドに横たわる真白はその声を遠くに聞きながら、目尻から次々と流れる涙すら気にならないほど、心臓が強く波打つくらいの熱さに必死に耐えていた。
「う、……っ、あついっ…! あついよ…っ!」
「ふふ。その熱さはね、貴女が今、斬魄刀と繋がった証拠よ」
「おかあ、さ……」
「喜びなさい、真白。貴女の霊圧は山本なんて遥かに上回っているのよ」
「だれ………?」
聞き覚えのない名前に誰だと尋ねるが、瑠璃香には聞こえていない。少し離れて何かを作ったかと思えば、すぐにそれを真白の口元へ持っていく。グラスの中に入った液体を飲ませようとしているのだ。
「や、やだ、やだあっ!」
「もう、我儘言わないで。これを飲んだら、貴女はもう痛い思いをしなくていいのよ?」
「でも、」
「真白」
側で見ていた国之が、娘の名前を呼ぶ。涙で滲む視界のまま父親を見れば、彼はふっと目元を緩ませて優しい表情をしていた。それにホッと安心した――次の瞬間。
「飲みなさい」
希望が絶望に変わるとは、こういうことなのだろうか。真白はガクガクと身体を震わせ、熱さでぼうっとする頭のままグラスに口付けた。
ゆっくり、ゆっくり、正体の解らない液体を飲む。やがてグラスの中身が無くなった頃には、身体の全身が熱くなり、ガンガンと頭の痛みが強くなる。心臓がぎゅうっと掴まれたように痛くなり、真白はただ呻くことしか出来なかった。
「は、ぁっ、ハァッ! あつい、っいだいよ、かあ、さ、おと、さ……!」
「……すごい、霊圧……っ…」
「予想以上、だな」
「これで、やっと……」
「あぁ。これでやっと――」
――ドカァァン!!
国之の声は、いきなり響いた轟音によって途切れた。しかし研究室内に居た者は誰も慌てておらず、皆顔を見合わせてこくりと頷き合った。
「完成したその日とは、運命とは残酷なものだな」
「あら、完成したからこそ……とも言えるわよ?」
「ふ、そうだな。あの二人は?」
「数時間前に目覚めており、いつも通り帰りを待っております」
「あの部屋は防音だものね。振動も伝わらないように作られてあるから、さっきの音には気づいていないわね」
「――さて、そろそろ行こうか」
真白が最後の気力を振り絞って目蓋を開ける。いつもなら白一色の世界だったのに、研究員達の格好は見たことのない『黒』だった。
その格好が死神の死覇装だと彼女が知るのは、数年後の話である。
「真白ちゃんおそいわね……」
「じかんなんてわかんねぇだろ」
「わかんないけど、……コウだってそうおもってるくせに」
「……どーせ、あいつらがはりきってんだろ」
真っ白い部屋の中、紅い髪の少年と少女が真白のベッドの上に仰向けで寝転びながら、このベッドの持ち主の帰りを待っていた。その手足には注射痕がいくつもあり、見ているだけでも痛々しい。
「……きょうも、いてぇのかな」
「……いたくない“ひ”なんて、ないよ」
「…真白、ないてねぇかな」
「…ないてない“ひ”なんて、ないよ」
ぽつぽつと二人の声が順番に部屋に響く。そんな会話をしながらさらに数十分後、バンっと大きな音を立てながら扉が開いた。条件反射でガバッと飛び起きた二人はすぐに扉を見る。そこには、ずっと会話に出ていたベッドの持ち主、真白が肩で息をしながら立っていた。
「真白ちゃん! どうしたの!? そんなにあわてて!」
「つか、あいつらは? なんでひとりでかえってきて――」
「にげて!!」
矢継ぎ早に質問されるも、真白はそれら全てを切り捨てて二人に逃げろと叫ぶ。突然そんなことを言われても、紅音も紅綺も戸惑うしかない。
「にげてって、なにいってるのよ真白ちゃん……」
「こっからにげれるわけねぇだろ」
「ちがう、ちがうの!」
「……おまえ、ほんとどうした? なにがあったんだ?」
肩を震わせて項垂れる真白に、そっと触れて尋ねる紅綺。そこで彼は、彼女の手に一振りの刀があることに気づく。
「真白、
「――真白」
紅綺が訊くよりも早く、女の声が少女を呼んだ。真白はびくりと反応し、ゆっくりと振り返る。入ってきたのはいつもの白衣ではなく、やはり黒い服を着ている母親だった。
「おかあ、さん……」
「貴女の力を試すときよ。来なさい」
刀を持っている方の手をガシッと掴む瑠璃香。それに必死に抵抗するも、瑠璃香は物ともせずズリズリと真白を引きずっていく。
「まてよ! 真白をどこにつれていく
「何処でもいいでしょう? それより、貴方達はその部屋から出ないように。直ぐに終わるわ」
「なにがおこってるの!? 真白ちゃんをどうするの!!」
紅音の問いに何も答えず、無情にも扉は閉まってしまった。中から開けることは出来ない仕様のこの部屋。紅音と紅綺は手が赤くなっても扉を叩くことをやめなかった。
「真白ちゃんっ…どこにつれていかれたのかなあ!?」
「“かたな”ももってた……。“そと”でなにがおこってるんだよ…!!」
二人がぽたぽたと涙を流しながら、自分達ではどうすることも出来ないもどかしさから床をドンっと殴る。すると目の前の扉が突然開いたのだ。二人はハッとなって、もしかすると真白が帰って来たのかもしれないと顔を上げる。しかしそこにいたのは、瑠璃香と同じ黒い服に身を包んだ男二人だった。
瞬時に扉から離れて戦闘態勢を取る二人。その行為に目を細めながら、男――浮竹と海燕は安心させるようになるべく穏やかな表情を浮かべた。
「もう大丈夫。俺たちは助けに来たんだ」
「たすけに……?」
「そう。悪い奴らはもういない。君たちは自由なんだ」
「外に出ようぜ。ずっとこんな白い所にいたんだろ?」
紅音と紅綺は、伸ばされる手と、男の顔を交互に見やる。対して浮竹と海燕は、二人の手足に注射痕があることを確認し、眉間にシワが寄らないように必死に笑顔を保った。
「……あのおんなも、さっきおなじふくをきていたわ」
「『あのおんな』?」
「縹樹瑠璃香のことじゃないっスか?」
海燕の台詞に、浮竹は思い出したように頷いた。別の死神が対峙している、かつての仲間・縹樹夫妻。敵の正体が、殉職した筈の二人で浮竹達は驚いた。縹樹夫妻だけではない。他の研究員達も皆、元死神だったのだ。
「……そうだね、彼女も俺たちの仲間だった」
「っなら!」
「でも今は――敵なんだよ」
そう言った浮竹の声色が、とても悲しそうで。紅音はそれ以上何も言えなかった。
「……だったら、あともうひとり」
「ん?」
「おれたちいがいにも、あともうひとりいるんだ」
ずっと黙っていた紅綺が、浮竹の瞳を見ながら『あともう一人いる』と告げる。「あと一人?」と海燕が首を傾げた時だった。伝令神機が鳴り響き、慌てて繋げる。
《浮竹サン!!》
「平子? どうしたんだ、そんなに慌てて」
今戦っているはずの平子。伝令神機から聞こえてくる彼の声はとても焦っており、此方までそれが伝染してしまう。縹樹夫妻は確かに強いが、それも今は過去のもの。此方が押すことはあれど、その逆はないはずなのに。
《さっさとそっち済ませて、早よコッチ来てくれへんか!?》
「そんなに苦戦しているのか!?」
《違うんスよ、浮竹サン》
「浦原?」
《――もう一人、いたんです》
また『もう一人』。どういうことだと訊こうとしたが、それよりも先に伝令神機が奪われてしまった。誰にと焦るよりも早く、その本人が伝令神機に向かって叫んだ。
「そいつをころさないでくれ!!」
《――!? いきなり誰やねん!!》
「そいつは、真白はっ……たのむ…!」
「真白ちゃんも、わたしたちとおなじなの! おねがい、ころさないで!!」
平子達は伝令神機から聞こえてくる幼い声に耳を傾けながら、たらりと冷や汗を流した。
「殺すな言われても……」
「手を抜いたら、逆にコッチが殺されそうじゃのう…!」
夜一の攻撃を軽くいなし、そのまま腹へ重い蹴りを食らわせる。その度に少女の黒い髪がふわりと舞い、その色とは対照的な真っ白い服がはためく。ちらりと見える胸元には、“紅い何か”があった。
「フフ……ハハハハッ!! どうだ、俺の、俺たちの最高傑作は!!」
「最高傑作……?」
「…貴方達程の人が、どうしてこんな人体実験なんかしたんスか!! 何が目的で――」
「――私たちは、虚に殺されたんじゃないのよ」
よく通る声だった。声の主である瑠璃香は、娘である真白の頬をするりと撫でながら、ゆっくりと平子達を一瞥する。
「死神に、殺されたのよ」
この実験施設に集まる研究員達は、かつて仲間である死神によって殺された者たちの集まりだった。
「なっ………」
「…どういうことかなァ?」
さすがの京楽も、動揺を隠せないらしい。「あら、京楽隊長でも驚くのね」と嗤う瑠璃香は、さらに言葉を続けた。
「どういうことも何も、そのままの意味よ。私たちは仲間に、死神に裏切られた」
「運良く死ななかった俺と瑠璃香は、死神に憎しみを抱きながらこの実験施設を作った。――死神を殺すためにな」
「けれど実験体なんてそうそう集まらない。だからね、私たちは作ったの」
優秀な実験体を。
そう言いながら、瑠璃香は真白を抱きしめた。それだけで平子達は理解した。目の前にいる少女は、この二人の娘なのだと。
かつて死神達にその名を知られた最強の夫妻の遺伝子を受け継ぎ、かつ実験によって更に強くなった真白。彼女は己の意識を深いところに沈めながらも、母親の台詞に絶望し――一筋の涙を流した。