泡沫の記憶B

刀と刀が激しくぶつかり合い、鬼道が真白目掛けて放たれる。しかし迫る鬼道すらいなしてみせると、爆風を利用して平子の懐へ潜り込み、素早く刀を振るった。それを瞬歩で躱した平子だが、死覇装には一筋の切れ目と、そこから覗く肌からは血が流れ落ちる。

「なんつー強さやねん」
「スカウトしたいくらいだねぇ、あれは」

なんて軽口を言い合うが、そのこめかみからは冷や汗が流れる。それでも少女の攻撃は止まず、尚も激しい応戦を続けるしかなかった。

「もう諦めなさい」

ルージュで彩られた唇が、音を紡ぐ。その声が聞こえると真白は交わる刃を弾いて、一瞬にして自分の母親の前へ下がる。構える姿勢は、とても今日初めて刀を持った者には見えなかった。


浮竹は紅音を、海燕は紅綺を抱きかかえながら平子達の元へ急ぐ。その間も紅音と紅綺は気が気ではなかった。真白が死んでしまったらどうしようと、そんな思いばかりが渦巻く。

「……真白ちゃん、だいじょうぶかなぁ……っ」

泣きそうに震えた声が、三人の耳に届く。浮竹と海燕が言葉を返せない中、紅綺は「なくな、ばか」と返事をする。そんな少年の瞳もゆらゆらと揺れていた。

「はじめまして、わたしは真白! よろしくね」

数年前、突然連れてこられた紅音と紅綺の前に現れたのは、白衣を着た大人達と――自分達と同じくらいの真っ黒な少女だった。白い服に身を包んでいるはずなのに、何故か彼女だけは白く見えなかったのを鮮明に覚えている。

「ふたりのおなまえは?」
「……………」
「……ちかよるな」


冷たくあしらったことだって数え切れないほどある。時には手が出てしまった時だってあった。特に突然己の身に降りかかった“実験”のせいで、何度も八つ当たりした。それをやめたのは、ここに来て数ヶ月経った頃だった気がする。

それまではケロっとした顔でいつも自分達の帰りを待っていた少女が、あの部屋に居なかったのだ。アイツだけ逃げられたのか、と怒りで頭が真っ白になった時、扉が開いた。入って来たのは研究員に担がれたあの少女。ぐったりとした様子でそのままベッドに寝かされた少女は、ぴくりとも動かない。研究員は気にするそぶりすら見せず、さっさと部屋から出て行ってしまった。
紅音はしばらく少女を遠目から見ていたが、全く動く様子のない少女にやがて少しずつ距離を縮めていく。紅綺も紅音のそれを見て、後ろからついて行った。

「ねてるだけ……?」
「……しらね」
「…なにしてたんだろ」
「どうせおれたちみたいなことはされてねぇよ」
「そう、よね」


紅綺の台詞に、紅音は俯いて唇を噛む。その横顔を視界に収めた時だった。ベッドに横たわる少女から、呻き声が聞こえたのだ。二人が同時にバッと少女を見ると、冷や汗を流しながら苦しそうに胸元を抑えていた。

「い、っ……う、!」
「は………?」
「ちょ、こ、コウっ! ど、どうしたのかな、むねがいたいのかな!?」
「は、ぁっ………!」
「…っ、くそ!」
「コウ!?」


紅綺が自分達と同じ白い服の裾を捲ると、そこに広がっていたのは想像していた白い肌と、それから――自分達とは比べ物にならないくらいの青痣と注射痕だった。

「なん、だよ……これ……」
「ひどいっ……!」


自分達みたいなことはされていないと、勝手に思っていたのに。それがどうだ、むしろ自分達よりももっと酷いことをされていた。いや、それだけじゃない。この少女は自分達が来るよりもずっと前――生まれて間もない頃から、実の両親から“実験”されていたのだ。

「や、…っ、と、さん……っおかあ、さ……!!」
「っおい、おきろ!」
「お、おきて!」


紅綺と紅音の呼びかけに、少女の瞼がゆっくりと開かれる。そこから覗く瞳が二人を映すと、へにゃりと笑った。

「……おはよう」

嗚呼。二人は息を吐き出すと、涙が流れていることさえ気にせずに少女に抱きついた。
いつも自分達が目を覚ますと、少女は決まって同じ台詞を口にするのだ――『おはよう』と。

「おれは、紅綺」
「わたしは、紅音」
「ふふ、……やっと、やっとふたりのなまえをきけた。――よろしくね、こうき、あかね」


この時、二人は決意した。この儚い少女・真白を守ろうと。

「あっあそこ!」

紅音の差す指の先では、激しい争いが続いていた。黒い服の中、たった一人だけ白い服で戦うのは、自分達が守りたいと想う少女だった。

「真白!」
「真白ちゃん!」

ジタバタと浮竹と海燕の腕の中で暴れ、力が緩んだ隙に真白の元へ一直線に駆ける二人。後ろから引き止める声が聞こえた気がしたが、もう紅綺と紅音には関係なかった。

「なんや、子どもガキがあと二人……!?」
「……あら、もう見つかっちゃったのね」
「どうせアレら・・・はもう用済みだ。放っておけ」
「それなら、もういらないわね」

「真白」と瑠璃香が娘の名を呼ぶ。戦いながらその声に耳を傾ける真白は、母親から発せられた台詞に一瞬だけ動きを止めた。

「あの二人を殺しなさい」

あの二人とは、自分の名を呼びながら此方に向かって来ている大事な友達。
そんなの出来る訳ないと言いたいのに。理性が奥深くに沈んでいる今では、否定の言葉すら出なかった。浦原の攻撃を軽やかに躱し、彼の腹部に刀を突き刺すとそこから血飛沫が舞う。「喜助!」夜一が浦原に目を奪われている間に一度死神達から距離を取ると、もう一度紅綺と紅音へと視線を移した。

二人は浮竹と海燕に捕まったらしく、必死にもがきながら此方へ手を伸ばしている。その手に応えるように伸ばされた自分の手。

「真白」

しかし、自分の名を呼ぶ声でその手もぴたりと止まってしまう。

「殺せ」

浮竹と海燕の拘束から抜け出し、自分との距離を詰める二人の友達。近づく距離に紅綺と紅音の表情が綻んだ。

「真白!」
「真白ちゃん!」

二人の手がまた伸ばされた。その光景を見て平子達はやめろと叫ぶが、もう三人には聞こえていなかった。
スゥッ…と刀が上へ振り上げられる。少年と少女の瞳が見開かれ、戸惑うようにまた少女の名を呼んだ。

「………おはよう、紅音、紅綺」
「おはよう、真白ちゃん」
「おはよ、真白」


――嗚呼。
頬に何かが伝う。それを目にした紅綺と紅音が更に目を瞠ると同時に、真白は刀を振り下ろした。

「――なん、で………!」

平子達は驚愕で声も出なかった。

「いやっ………イヤァァァアア!!」

真白の刀は、自分自身の肩を深く斬りつけていた。重力に従って倒れた少女を中心に、真っ赤な血がまるで水溜まりのように広がっていく。

「ねえ、“そと”にはなにがあるのかしら!」
「えっとねぇ、まえに“ごほん”でよんだことあるよ。んーと、んーと、」
「“うみ”だろ」
「そう! って、コウのばか! わたしがいいたかったのに!」
「だって真白おせぇんだもん」
「おそくない!」


脳裏に浮かぶのは、とてもしあわせな光景だった。