咲いた“紅い花”

見慣れた天井だった。まるで先程まで見ていた夢の続きのような、そんな錯覚が真白を襲った。けれど確かに違うのは、視界が赤いこと。ちらりと胸元を見れば“紅い花”は見事に咲いていた。

「……やっぱり、」

その花にギチリと爪を立て、抉るように何度も引っ掻く。じわりと滲む血に構わず、真白は夢中になって胸元を抉り続けた。
――やっぱりあの時・・・、これを取っていれば良かった。こんなものがあるから、私は。

ぐちゅり、と更に深く爪を立てた瞬間、スライド式の扉が小さな音を響かせながら開いた。無意識にそこへ目をやると、夢の中とは違う髪の短さで、けれど何百年経っても変わらない眩しさがあった。

「な、っにしとんねんボケ!!」
「いっ……! はなっ離して!」
「離すかアホ! 二週間も目ェ覚まさんかったくせに、起きた途端何しとんねん!!」

ベッドに乗り込み、血のついた手を捻り上げて真白に怒鳴る平子。真白はフーッと息を吐きながら目を吊り上げ、目尻に涙を滲ませながら下から平子を睨む。

「もうっ……もう嫌なの! “紅い花これ”のせいで全部赤く見えて…!」
「それでこんなアホなことしたんか?」
「ああそうだよ! ほっといて!」
「――真白、少し落ち着きィ」
「!」

宥めるような声が扉から聞こえてきて、真白はピタッと動きを止める。見ると、市丸が飄々としたようににっこりと笑顔を浮かべて立っていた。

「ぎん……………」
「平子サンも、そないに怒鳴ってもしゃーないですやろ」

ギンは静かに歩み寄ると、真白の手首を掴む平子の肩にポンと手を置く。チッと舌を打った平子は手を離し、ベッドの端に腰を下ろすことで落ち着いた。まさか市丸まで来るとは思わず、真白は呆然と彼を見上げ、すぐにくしゃりと表情を歪ませた。

ベッドの側にしゃがみ込み、下から真白の顔を覗き込んでそっと両頬に手を当てる。ひんやりとした冷たさに、真白は荒んだ心がだんだんと落ち着いていくのを感じる。

「……約束したやろ」
「…………」
「ここに傷つけるんはやめろって、俺とキスケと約束したやろ」
「……って、だって、」

血のついた手でシーツをギュッと掴み、俯く。はらりと重力に従って真っ白な髪が真白の表情を隠した。

「たいようが、見えないんだもの」

小さく、けれどはっきりとそう言った真白に、平子は目を瞠る。今の台詞を言った彼女がどんな顔をしているのか気になり、垂れた真っ白な髪を優しく掻きわけると……。

「………なんつー顔してんねん」
「ぐしゃぐしゃやん」

両目からはとめどなく涙が溢れ、鼻水まで垂れている。「ギンの綺麗な銀色もみえない」と嗚咽混じりになんとか言い切ると、ふわりと何かに包まれた。暖かい、太陽の香りが鼻腔を擽る。トク、トク、と心臓の音が微かに聞こえ、真白は更に涙を流した。

暫くして落ち着きを取り戻した真白は、スンと鼻を鳴らす。「なんか方法はないんか?」と平子が訊くと、少し考えた後昔の記憶を思い出すように口を開いた。

「………はなやく、」
「はなやく?」
「実験中は“花薬”を投与されてた、気がする」
「なんやそれ」
「真白しゃまのむねにさく、“せんにちこう”から“ちゅうしゅつ”されたくすりです」
「ツキ!」

ふわりと光の粒子を纏って現れたのは、真白の斬魄刀“月車”。少年は金の瞳を真白、市丸、平子へと順番に移すと、一瞬にして真白の前まで移動し、彼女の頬に流れる涙を小さな手で拭う。

「いまはもう“はなやく”はないので、とうよすることはできないです」
「そんじゃあどうすんねん」
「……真白しゃまがおっしゃったとおりなのです」
「それって、」

市丸が言おうとした時だった。ツキは真白の頬に手を当てながら大きな瞳から大粒の涙をぽろぽろと流す。子どもらしい丸い頬は涙で濡れ、真白の服に染みを作っていく。

「この“せんにちこう”はさいたあと、ゆっくりとちっていくです。はながすべてなくなるとき――真白しゃまはしんでしまうのです」

突きつけられた事実に、三人は誰も言葉を発することが出来なかった。それほどに衝撃だったのだ。まさかこの胸に咲く花が自分の命の残量だったなんて、誰が思ったろうか。

「このへやもそれにかんけいしてるです。“はなやく”をとうよすることによって、真白しゃまの“れいりょく”は“じゅんど”がたかく、“たいちょうかく”いじょうの“れいあつ”をゆうすることができるのです。
ですが、縹樹国之と縹樹瑠璃香がいなくなったことで、“はなやく”はなくなり、そのかわりに、この“れいしのうど”のたかいへやがよういされたのです」

舌ったらずな少年が口にした台詞は、とてもじゃないが理解しがたいものだった。

つまり要約すると、“花薬”を投与することで純度が高く、隊長格以上の霊力を手に入れることが出来たのだが、身体には相当な負荷がかかる為、定期的に“花薬”を体内に摂取しなければ己の霊力に押し潰されてしまう。

しかし、真白の両親・縹樹夫妻が死んでしまったことで“花薬”を摂取することは出来ない。そのため霊子濃度の高い部屋が用意されたのだ。

「……これ・・を取る方法って、なに?」

沈黙の中、真白はツキの柔らかい頬を撫でながら問いかける。ぐっと言葉を詰まらせたツキは、覚悟したように彼女の胸に額をコツンとくっつけた。

「――“月車ぼく”で、むねをつらぬくことです」




霊子濃度の高い部屋から出た平子と市丸は、同時にハァッと深く息を吐いた。とある特殊な術式によって入室する際に霊子濃度を下げているとはいえ、長時間い続ければ少しずつだが身体に負荷がかかる。

「……ほんで、解決策はあるんですか?」
「あるように見えるか?」
「…スンマセン、イジワルな質問しましたわ」

しかし時間はない。策がなくてもどうにかしなければならないのが現状だ。
真白の胸に咲く大輪の花が脳裏にチラつく。忌々しいアレが無くなればいいと思ったことはあったが、実際に無くなる恐怖に襲われるとは思いもしなかった。

「どうだったんだい? 真白ちゃんの容体は」
「京楽さん……」

笠を取って女物の着物を羽織っている京楽は、扉の外に佇んだままの平子と市丸に声を掛けた。その顔色が悪いことに気づいていながらこうして彼女の容体を聞くんだから、自分も意地が悪い。自覚しながらも聞くことをやめなかった己に苦笑しつつ、口を割らない平子達を見て彼は笠を被った。

「何処に行くんデスカー」
「今は中に入らない方が良いと思ったからね。大人しく隊舎に帰るよ」
「……詳しく聞かんのか」
「聞いたところで答えないだろう? 答えが返ってこないと解っているのに、何度も質問するほど暇じゃあないんだよ、僕は」

ヒラヒラと手を振って遠去かる背に視線を向けながら、平子もその後を追うように足を動かした。市丸ものそのそと緩慢な動作で動き始めると、一度振り返って扉を見て、もう既に小さくなりつつある平子の背中を追いかけた。


その日から二日後。胸の花は少しずつ消えていた。平子と市丸は毎日見に来ては、消え行く花弁を見て歯噛みするだけで、まだ何も解決策が見つかっていない。この日もただ話をして部屋から出て行くしかなかった。

「もう時間があらへんよ、平子隊長」
「……キスケに頼るしかないか。明日、キスケのとこ行くで」
「結局あの人かァ。ボクあの人苦手やねんけどな」
「苦手もクソもあらへん」

そんな会話をしながら二人は明日、浦原の所へ行くことを決意した。



その日の夜、事態は急変する。

「なにものですか!」

真白を庇うように斬魄刀を持ちながら守るように立つのは、その斬魄刀自身である“月車”ことツキ。金の眼を釣り上げて怒りをその身から滲ませる少年の後ろで、真白はいつでも戦えるように態勢を整える。

「随分と見目が変わったな」
「あら、でもそれって髪色だけじゃない。他は何も変わってないよ」

その声に、真白は目を瞠いてワナワナと震える。だって、有り得ないからだ。この声の持ち主はとうの昔に――。

「真白」
「真白ちゃん」

ぽたりと涙が流れる。名を呼ばれることはもう無いと思っていた。だから、もう自分も彼らの名を呼ぶことなんて無いと思っていた。

「うそ………、っ……こうき……? あかね…?」

血のような赤い髪が揺れる。それだけで二人がここにいるのは現実だと理解出来た。

「なっ…なんで、なんで二人が! コウもアカも、あの時死んだはずじゃ……」
「それが、死んでなかったんだよ」
「びっくりだよね、私達もびっくりしたもの! ……でも、だからこうして真白ちゃんを助けることが出来るの」
「…たすける?」

紅音が吐いた台詞に即座に反応したのはツキだ。少年は二人の目から真白を隠そうとその小さな身体で目一杯視界を塞ぐと、キッと強く二人を睨んだ。

「いまさらおまえたちがでてきたところで、いったいなにができるというですか!」
「それが、出来るんだよ」
「殺さずに、真白ちゃんを救うことがね」

ツキの睨みなど効かない二人は、濃い霊子濃度を物ともせず真白の手を取って立ち上がらせる。「わっ」と情けない声を出した真白に紅綺はニヤリと笑った。

「何だ、弱くなったか?」
「そもそも戦ったことないでしょ!」
「……そうだった」
「コントしてる場合じゃないよ、紅綺、真白ちゃん! 早くしないと……ほら、もう花弁が一枚しか残ってない」

鞄の中から紅音は小さな箱を取り出した。その箱の蓋を開けると、そこには注射が入っていた。

「ま、えっ……なに、」
「怯えるのも無理ねーよ。…注射なんて、あの時嫌っていうほど打たれてるからな。でも今は耐えてくれ。あの中身は……」
「これはね、“千日紅”の花の成分を凝縮した“花蜜”。花薬とは違って、濃度も薄まってない純粋培養! 何より……真白ちゃんの身体の中の“千日紅”と同じ花なの」
「同じ花?」

どういう意味だと首を傾げた真白に、紅音は頷いた。

「あの実験室にあった花なの」

まあ細かいことは置いといて! 紅音はすぐに準備すると、真白の腕に注射針を向ける。これには流石のツキも黙ってみている訳にはいかない。助かるかもしれないが、そもそもこの二人が本当にかつての二人と一緒なのか。だとしたら何故生き延びることが出来ているのか、何も解っていないのだ。このまま何の確証もないまま怪しげな液体を打たせるなんて、それをツキが許すはずもない。

「まつです」
「っと! もう、早くしないと真白ちゃんが――」
「それをうったら真白しゃまがたすかるなんて、ぼくがかんたんにしんじるとでもおもってるですか」

納得のいく説明をしろ。月車は鈍い光を金の瞳から放ちながら、紅綺と紅音に刃を向けた。