二人はゴクリと唾を飲み込むと、やがて覚悟を決めたように徐ろに服を脱いだ。ぎょっとする真白の気配を感じながら、ツキはぴくりとも反応せずに二人の行動の一つ一つを見やる。
「これが、証拠だ」
思わず息を飲んだ真白。視線の先にあったのは、自分と同じように花の刺青があったのだ。違うとすれば、花の種類とその色だ。
真白の胸元にある花は赤い。しかし紅綺と紅音のそれは青かった。
「私たちも同じような実験をされていたの。でも成功したのが真白ちゃんだけだった」
「あの女と爆発から生き残った俺たちは、残った資料を掻き集めて読み漁った。俺たちは何の実験をされていたのか、見える花弁は何なのか」
服を整えながら語るその口ぶりからは想像もつかないほど、大変だったに違いない。
「それで……何が解ったの?」
「……この花の呪いを解く方法」
「そして私たちは、この方法を自分達に試したの。……本当に、呪いが解けるのかどうか」
それで死ぬことになっても良かった。むしろ今生きてる事こそが奇跡なのだから。
「結果的に、呪いは解けて花が満開になっても死なずに済んだのよ」
にこやかな笑顔で笑う紅音。その隣で一歩前に足を踏み出した紅綺は、研究所で得た情報を口にした。
「この花は、所謂霊力の塊だと思ってもらっていい。刺青が広がっていく度に霊力が増し、体内にある花の成分が反応して圧倒的な力を手に入れることが出来る」
そこで一度言葉を切ると、ツキの奥にいる真白を見て続けた。
「けれどそれは、自分の魂を削って莫大な力を得ていただけだった。大きな力を使えば使うほど、代償も大きい。その力を制御する役割を“花薬”が担っていたんだ」
「けれど“花薬”が切れて、制御できなくなった。そのせいで“紅い花”が見えていたのよ」
「そうだったんだ……」
正直情報量が多過ぎて、真白はいまいちピンと来ないが、何となくは判った。要は今までの力は自分の魂を削って得た力で、使い過ぎると死んでしまうということだろう。――まるで諸刃の剣だ。
「“花薬”は定期的に投与しなければ、やがて効果が切れて力の制御が出来なくなる。でも“花蜜”は違う。“花蜜”は一度体内に打ち込めば、あとは一生投与しなくてもいいんだ」
紅い瞳が真白を射抜く。この話が真実かどうかなんて、彼の瞳が如実に語っていた。
気づけば真白はツキの後ろから移動し、紅音と紅綺に近づいていた。「真白しゃま!?」と彼女を止める声が聞こえたが、真白は振り向かなかった。
「………信じてくれるの?」
「信じる信じないじゃない。……友達でしょう」
鼻っから疑ってなかったと笑う真っ白な彼女に、二人は瞳に涙を滲ませた。それに否を唱えるのは勿論この少年。
「なにいってるですか! もしそれでしんでしまったらどうするです!」
「死なないよ」
「でもっ――」
「つーき」
漸くツキに振り返った真白は、甘くとろけるような声色で名前を呼んだ。紅音と紅綺は聞いたこともないそれに顔を赤くしてしまう。ツキも頬を赤く染めてぐっと押し黙り、視線をうろうろと泳がせた。やがてぎゅっと目を閉じると、「わ、わかったのです」とつい言ってしまった。
「そのかわり! すこしでも“いへん”があったら、そのときは真白しゃまのめいれいでもかんけいないです」
冷酷な眼差しで紅音と紅綺を見る。ぞくりと背筋が粟立つのを感じながら、二人は生唾を飲み込んだ。
「ぼくのてでおわらせてやるです」
それはとても脅しには聞こえなかった。それもそうだ。ツキは本気でそう思っているのだから。
「あまり物騒なこと言わないの」
「こればかりは、いくら真白しゃまでもきけないです」
「もう……意地っぱりなんだから」
「いじっぱりでもいいです」
ツンとそっぽを向くツキに溜息を吐くと、真白は紅綺に腕を突き出した。
「……お願い、してもいい?」
紅い花弁が舞う。それは視界を覆い尽くして、太陽も月も奪ってしまった。
へにゃりと眉を下げて笑う彼女にこれ以上何も言えず、紅綺は一瞬だけ目を閉じて注射器を手に取った。スッと真白の腕を撫でて、深く息を吐く。
「(――願わくば、)」
願わくば、この花の刺青を彫ったあの夫妻の隠された想いを、彼女が知らないままでいますように。
自分の内でそんなことを願った紅綺は、ゆっくりと“花蜜”を真白の体内へ入れる。やがて注射器の針が肌から抜かれると、「目を閉じて」と言う紅音の指示に従った。
どれほどそうしていただろうか。「開けていいよ」と柔らかな声で促され、真白はゆっくりと瞼を開けた。
「――うそ………」
周りを見渡し、信じられないと言いたげな様子の真白に、紅音はにひっと歯を見せて笑う。紅綺もホッとしたような表情を浮かべ、目元を緩ませた。
「真白しゃま………?」
ただ一人だけ、不安そうに真白を見上げるツキを彼女はぎゅうっと抱きしめた。
「ちゃんと、ツキが見えるよっ……!」
「!」
「あんなに、っ、ずっと……花が見えてたのに……!」
「っ、真白、しゃまぁっ……!」
その喜びを噛みしめるように震える。ずっと、百年以上も見え続けていた。赤くて、紅くて、アカクテ。視界の端にそれがチラつく度に嫌になった。
その長年の彼女の悪夢が、なくなったのだ。これがどうして喜ばずにいられようか。嬉しそうに泣き笑う主に、ツキも満面の笑みを浮かべた。
「――ありがとう、紅音、紅綺」
「いいえー! 役に立ててよかった」
「あと少し遅かったら、取り返しがつかないところだったからな。間に合ってよかった」
「うん!」
日が昇り、窓から光が差し込む。それさえ神秘的に感じ、真白は目を細めながら窓の外を見つめる。
「それじゃあ、そろそろ行くね」
「えっ…もう行くの?」
「やることはやったからな」
「待って!」
窓に足を掛けて今にも出て行こうとする二人の服の裾を引っ張り、慌てて引き止める。
「…今、何してるの?」
「「……………」」
答えられないのか沈黙する二人に、真白は「また、一緒に暮らそうよ。やっと……やっと再会できたんだから」と提案する。少し早口になっているのは、気持ちが焦っているからか――。
紅音と紅綺は優しく真白の手を解くと、同時に彼女に抱きついた。咄嗟のことで上手く受け止められず、そのまま後ろにドサっと倒れてしまった。
「ちょっ、アカ!? コウ!?」
「真白」
「真白ちゃん」
名を呼ばれる。たったそれだけなのに、真白にはひどく特別なことのように思えた。
「「だいすき」」
拙く告げられた“あいのことば”。
それは、彼女が求めてやまないものだった。
「やだ、まって、」
するりと温もりが離れていく。反射的に手を伸ばしても、もう遅い。二人は窓枠に足を掛けて、今にも跳んで行こうとしている。
「いや、いやっ…! おいていかないで……!」
まるで幼子のように追いかける真白。その様子を紅音と紅綺は、互いに顔を見合わせて苦笑した。
「真白」
「真白ちゃん」
また、名を呼ばれた。まるで
だからこそ、真白は大きく息を吸った。
「アカ、コウ!」
乱暴に涙を拭って、二人の姿を瞳に映す。真白が大きな声を出すとは思わなかったらしく、紅音も紅綺も目を丸くしていた。
「――だいすき!!」
白い髪が太陽の光に照らされ、キラキラと輝く。涙まじりの笑顔を見ながら、紅音と紅綺は窓から飛び降りた。
「………、真白しゃま…」
「…さて、もうすぐ烈さんが来るよね」
「っ、はいです」
「その前に、この顔をなんとかしないとね」
目元を赤くして笑う真白に、ツキは何も言えず、ただ頷くだけだった。
・
・
「ヒック、うぇっ……ック…」
「いつまで泣いてんだよ」
「だってぇぇ……っ、真白ちゃんが、真白ちゃんがぁっ…!」
「……変わってなかったな」
「っ、うんっ、うんっ………かわってなかった!」
とある建物の一角で泣き崩れる紅音の側に立ち、遠くを見つめる紅綺。暫くそうしていたが――。
「アカネ、コウキ」
突然降ってきた自分達を迎えに来た声に二人は一瞬で無表情になり、暗闇に紛れるように消えて行った。
「真白」
「真白ちゃん」
次、彼女の名前を呼ぶことが出来るのは――いつだろうか。
もう一度見た空は、青かった。