遅すぎた開幕

爆音の目覚ましは既に鳴り終え、それでも布団の中はこんもりと山になっている。そこへひらひらと蝶――地獄蝶がやってきて、その山に静かに止まった。暫くするとガバッと布団の山が崩れ、止まっていた地獄蝶は優雅に部屋を舞う。布団の中から現れた真白は、寝起きにも関わらず目を瞠って未だひらひらと飛び回る地獄蝶へ意識を向けた。

「――嘘でしょ…!」

最後まで伝令を聞き終えると即座に死覇装に着替え、部屋から飛び出した。

「隊葬って、しかも亡くなったのが――雀部副隊長だなんて……!!」

――一番隊執務室に正体不明の七名が侵入
――五十二分前撤退
――隊士一名死亡 総隊長は御無事だ
――同刻、一番隊が警備にあたっていた黒陵門付近にも正体不明の侵入者
――百八十二秒間の戦闘で隊士百十六名が死亡
――雀部副隊長はここで致命傷を受け、何らかの方法で一番隊執務室まで運ばれた後、絶命
――尚、こちらの侵入者数は目撃者全員死亡の為不明だが、霊圧計測による痕跡から一名である可能性が高い

――最後に、侵入者達の侵入及び撤退経路は全て不明
――瀞霊廷外周の遮魂膜に何等の影響も観測されていない事から、遮魂膜を無視した移動方法を有しているものと思われる

「こんな、こんなことって……」

ギリッと強く歯噛みして、真白は隊葬が行われる場所へ急いだ。

着いた場所には、既に各隊の隊長、副隊長、そして席官達など集まれる全ての死神達が集っていた。真白も自隊の後ろに並び、此方に背を向ける総隊長を遠くから見つめ、口を噤む。
息すら吐けなかった。少しだけだが、雀部の山本に対する苛烈なまでの忠誠心は知っていたから。

「火を」

四つの炎が、その役目を果たす。空高く昇るそれに、真白は静かに目を閉じた。――どうか、安らかな眠りを。

「――隊長は、隊首会ですか」
「雀部副隊長が殺されたからな…。これ以上こっちが後手に回る訳にはいかないだろう」
「戸隠さん……」
「また寝坊などと言って、任務に支障をきたすんじゃないぞ、縹樹」
「片倉さん。……わかってますよ」

それから暫く暗い雰囲気のまま、皆手持ち無沙汰で隊長の帰りを待っていると、隊舎の扉がやっと開いた。入ってきたのは皆が待っていた人で、中にいた三番隊の死神達は全員姿勢を正し、己達の隊長の言葉を待った。

「自らの勢力を『見えざる帝国ヴァンデンライヒ』と呼称するこの賊軍の侵入と、近時の虚消失案件とは一つに繋がっているらしい。
敵の正体は恐らく『滅却師クインシー』。敵は此方の卍解を封じる、又は無力化する手段を持っているようだ。まだ根城は分かっておらず、攻め入る術は無い。が――直ちに全霊全速で戦の準備を整えよ。これは総隊長殿の御命令だ」
「「はっ!」」

声を揃えて御意の掛け声を上げながら、真白はちらりとローズの後ろに控える吉良を見る。彼の表情は、隊舎に戻ってきてからずっと何かを考えているものだった。

一先ずは全員待機らしく、隊舎での待機組と黒陵門付近での待機組と分かれた。真白は部屋に戻り斬魄刀を帯刀するとまた隊舎に戻る。急ぎすぎて帯刀するのを忘れるなんて、と自分に戒めながらぼんやりと窓の外を眺めていると、突如轟音と地響きが尸魂界を震わせた。

「何だ!?」
「敵襲か!!」

慌ただしく叫び声が広がる中、真白は反射的に目の前の窓を開け――眼前の光景に目を疑った。

「何、これ………」

光の、否――青い火柱が無数にあるのだ。一本一本がとてつもない霊子濃度のそれに身震いした真白は、思い出した。
黒陵門付近での待機組に、吉良や戸隠、吾里、片倉が居ることを。

「くそっ!」
「あ、ちょっ縹樹!? 何処に――」

自分を引き止める声を無視して、真白は走った。
――間に合え、間に合え、間に合え!
そんな思いで真白は必死に瞬歩で黒陵門へ急ぐ。どうか死なないで、生きて。馬鹿みたいにそればかり頭の中で繰り返していると、此方へ走ってくる死神達が。その流れを逆流して進むと、そこには既に幾人もの死神達の亡骸が転がっていた。ぐるりと見渡すと、その中には今まさに自分が探していた人達の姿もある。

「あ、あぁっ……」

吉良、戸隠、吾里、片倉。

「あぁぁ………っ」

霊圧が、感じられない。

「あああああああ!!!」

だが敵は既に散り散りになっており、誰がみんなをこんな目に合わせたのか判らない。けれどもう関係ない。全員敵ならば、全員を殺すまで。
その時、松本の天挺空羅が頭に響いた。

「卍解が、奪われる・・・・……!?」

卍解は使うな。それが松本からの伝令だった。けれど卍解を使わずに倒せるはずがない。
――一度、冷静になろう。霊圧が消失したとは言え、まだ死んだわけではない。「ツキ、」斬魄刀の名前を呼ぶと、ツキはふわりとその姿を現した。

「ほんとうにいいのですか? 真白しゃま」
「うん。…敵の目を気にしていたら、手遅れになる」
「それもですが、……これだけのにんずうとなると、“れいりょく”のしょうもうがはげしいですよ」
「大丈夫。最近は平和だったし、あの部屋にも頻繁に行ってたから、霊力は有り余るほどあるよ」
「……わかったのです」

ツキは諦めたように息を吐くと、両腕を広げて空を仰いだ。

月聖神癒げっせいしんゆ

しゅるしゅると彼の両手のひらから金の糸が現れ、倒れる死神達へ絡まる。やがてその糸が意志を持つようにふよふよと動き、傷ついた彼らを癒していく。
閉じていた瞳を開けて手を下ろすと、ツキの手のひらから糸は出なくなったが、既に死神達へ絡みついている糸は未だ治癒を続けていた。これでもう終わりだと真白に振り返ると、彼女は少し冷や汗をかきながらも笑って頷き、ツキの頭を優しく撫でた。やはり霊力の消耗が激しいのだ。

「これからどこにいくですか?」
「まずは隊長のところに行こう。吉良副隊長がいない今、あの人は一人で戦ってるだろうから」
「わかったです」

ツキが刀に戻ったのを確認して、己の隊長であるローズの元は行こうと一歩踏み出したが、ぐらりと身体が一瞬揺らぐ。だがもう片方の足で何とか踏ん張ると、霊圧を探ってローズの居場所を特定しようとしたが、それよりも別の霊圧が消えかかっていることに気がついた。気が動転していたせいで今の今まで気づかなかった自分が憎い。

「ツキ、予定変更!」

グッと強く地を蹴り、瞬歩で急ぐ。

「彼のところへ!」

大切な人を守れない絶望なんて、もう嫌だ。




時は少し遡り、星十字騎士団シュテルンリッターの一人であるエス・ノトと戦っている六番隊隊長・朽木白哉と副隊長・阿散井恋次。しかし白哉の卍解はエス・ノトに奪われ、攻撃の手段を失っていた。

「…じきに奴の底を引きずり出す。今暫くそこで見ていろ…」

阿散井に向かってそう言った白哉だが、自分の身体がおかしいことに気がつく。手足がカタカタと震えているのだ。敵が攻撃に使用している光の棘に何か毒でも仕込まれているのか――そう思考する白哉に、エス・ノトは言った。気が憑イテる? と。

「“毒カモ知レナイ”ト思ッタね? 違ウよ。此ハキッと、君ガ遥カ昔ニ無クシテ死マッタ物だ」

記憶ヲ辿ッテゴ覧。エス・ノトは口調を変えず、白哉に促す。

「隊長ニナッて、強クナッて、敵ヲ圧倒シテ倒ス様ニナッて、長ラク忘レテイタ感覚ダロう? 人ノ生キル上で、最モ重大ナ其ノ感覚ノ名は、“恐怖”だ

毒でも何でもなく、“恐怖”だと言ったエス・ノト。彼は更に自分の矢に撃たれた者はあらゆるものが恐怖に変わると続ける。それは無数に散らばる『たられば』が疑心暗鬼し、思考することもままならない。――白哉の心の芯は既に、自分への恐怖に取り憑かれているとエス・ノトは言い切った。

「(――恐怖だと? 下らぬ。恐怖の存在しない戦いなど無い。そんなものは死線を超える度、幾度と無く乗り越えてきた。私は恐怖を抑え込んだ事など無い。戦いの中で恐怖を受け容れ、それを叩き伏せて進む力を手にして来たのだ。恐怖など――)」

その時白哉の脳裏に浮かんだのは、愛する妹と頬を染めて笑う――真白だった。

「足ガ止マッテイる」

これは、幻覚か、それとも現実か。白哉にはもう判断がつかなかった。

吾々われわれハ、本能カラハ逃レラレナイ」

己の身体がゾッと震える。白哉はそれを振り切るように大声を出しながら斬魄刀を振り上げた。――だが、その刃は届かない。白哉は奪われた己の卍解で攻撃されたのだ。

「為ス術モ無イね。其ハウダロう。始解ノ姿デ自分ノ卍解ニ勝テル筈モナイ

淡々と語るエス・ノト。そんな彼を大きな影が覆った。

「てめえ如きが…千本桜を遣うんじゃねえ!!!」

阿散井がエス・ノトへ攻撃するが、それでも傷一つつけることが出来ない。エス・ノトが反撃しようとするよりも前に、白哉が斬魄刀で阿散井を遠くへ退け、敵の攻撃を一身に受けた。

「やめろ…」

攻撃は止まらない。

やめろおおオオオ!!!

咄嗟に卍解しようとした阿散井だが、不意打ちとも言える敵の攻撃を喰らい、瓦礫の山へ突っ込んで意識を失った。白哉は攻撃が止み、血塗れとなっても立ち続けている。

「(…恋次……ルキア………、…真白………)」

――カシャ、ン……。彼の斬魄刀は音を立てて粉々に砕ける。

「(済まぬ)」

白哉はそのままへこんだ壁に背を預けたまま、意識を失った。

――それから数刻後、真白は壮絶な争いの跡に言葉を失い、更に倒れたままのルキアや阿散井、そして大量の血を流す白哉を見つけた。

「ルキア! 阿散井副隊長! っ、白哉くん!」

グッと涙を堪えて、真白は必死に名前を呼び続けた。

「白哉くん! 白哉くんっ!! こんな、白哉くんが倒される筈ない! ねぇ、ねぇってば…、……目を開けて、……白哉くんっ……!」

その時、彼の霊圧を感じた。その一瞬で敵の霊圧が一つ消えたと思ったら、目の前にその持ち主が現れた。「いち、ご、くん……」真白のか細い声がその名を呼ぶ。するといつの間に意識を取り戻していたのか、ずっと名前を呼び続けていた彼がゆっくりと口を開いた。

「………ルキアと……恋次は………生きていたか……………?」
「――あァ、大丈夫だ。生きてる」
「……………、……そうか……良かった……」
「白哉くん、っもう無理して喋らないで……!」

懇願にも似た彼女の声色に、白哉は心の中で笑った。あぁ、彼女はやはり変わらない、と。
だからこそ、彼女には見つかりたくなかった。こんな自分を見つけて欲しくなかった。――それと同じくらい、

「………私は、もう長くは保たぬ」

彼女が傍にいることが、嬉しかった。

「護廷十三隊隊長として、瀞霊廷を踏み躙る卑劣の輩を倒す事もできず、多くの隊士達を死に至らしめ、その部下や家族達を悲しませ、挙句無様に敗北し死する事を、心より恥じる」

一護も、真白も、何も言えなかった。

「引きかえ、兄は人間だ。本来ならこの戦いに巻き込まれる事はおろか、ここに居る事すら無かった筈の者だ………。その兄に、最後に頼み事をする私の、悍ましき無様を許してくれ――…」

ひくり、と喉が震えるのを真白は感じた。

「頼む。尸魂界を護ってくれ、黒崎一護………!」

白哉の想いの乗った言葉に、一護は何も言わずにこの場から去る。残された真白はやっと白哉に話しかけた。

「白哉くん! 長くは保たないってなに! っ、こんな時に…冗談やめてよ……」
「フ…名で、呼んでくれるのだな……」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!? いっ今すぐ、私の斬魄刀で――」
「ならぬ」

真白の台詞を一刀両断した白哉。意識が混濁した中、何とか腕を動かして涙を堪える真白の頬に手を添えた。――あぁ、彼女の真っ白な頬が血で汚れてしまった。白哉は場違いにもそう思ったが、真白は気にせずもう我慢できないとでも言うようにぼろぼろと涙を流した。

「こんな、白哉くんが、こんな早く戦線離脱なんて、早すぎるよ……」
「……言うな」
「言われたくないなら、生きてよ……。生きようとしてよ…っ……。これからだよ、これから…、ルキアと、一緒にぃっ……っ、う、ッ……〜〜〜っ、」

泣くな。泣くな、真白。
そう言いたいのに、もう声が出ない。

「………、……真白……」

やっとの思いで彼女の名前を呼ぶと、くしゃりと涙で顔を歪めながら白哉を真っ直ぐに見つめる。彼女の瞳に自分が映っていることがこんなにも嬉しいだなんて。
白哉は己の気持ちのままに、最後の力を振り絞って声を出した。

「頼む。……真白、生きて、――尸魂界を、ルキアを、護ってくれ」

自分の勝手な言い分に、真白は何度も頷く。

「それから――もう、難しく考えずともよい」
「え……」
「思いのままに生きろ。私の知る兄は、縹樹真白は、もっと自由だった」
「びゃく、や、く……」
「任せたぞ――真白」

それを最後に、白哉の手から斬魄刀が離れ、落ちた。