雨雫を飲み干した

ザアアア、と降り注ぐ雨が身体を濡らす。意識を失った白哉の前から動くことができず、敵の霊圧がなくなったことにすら気づかなかった真白は、「朽木隊長!」と誰かが彼の名を呼ぶ声でやっと顔を上げた。

「縹樹! この惨劇は……!」
「……はやく、白哉くんを、」
「!! わ、判った! おいお前ら急げ! 朽木隊長が重症だ!」

運ばれていく白哉を見届け、真白はバラバラに砕けた彼の斬魄刀をぼんやりと見つめた後、少しずつ集める。刀のカケラで手のひらを切ったって気にならない。全部集めきった真白は、最後に彼が落とした柄も拾うと、瞬歩も使わずに彼が運ばれたであろう四番隊に向かった。

四番隊に入った途端、斑目の叫び声に出迎えられ少し足が止まる。けれどそれも一瞬で、真白は適当な隊士に袋を貰ってそれに白哉の斬魄刀のカケラを入れた。遠くの方で手当てをされた一護がいることも確認し、無事だったのかとホッと息を吐く。

「真白」
「……卯ノ花隊長」
「また、無理をしましたね」
「してないよ。だって見てよ、この身体。傷一つないんだよ」
「…………」
「みんな、みんな傷ついたのに。吉良副隊長も、戸隠さん達も、白哉くんも。……なのに、わたしだけ何にも……何にもできなかった……!」

嘆く真白に、卯ノ花は近づいて彼女の頭を撫でる。彼女の手のひらが傷だらけなことには気づいた。その理由も、彼女が握りしめる袋を見ればすぐに解る。
何もできなかったと悲痛な声で零す彼女を、卯ノ花は「馬鹿ですね」と笑った。

「ここに運び込まれた患者の誰もが、致命傷を免れていました」
「…………」
「目に見える傷は無くとも、貴女の霊力は今枯渇状態です。……よく頑張りましたね」

死神にとって霊力とは無くてはならないもので。それが真白にとってはより顕著なのだ。
卯ノ花に優しく褒められ、真白は「〜〜〜〜、っ、」と何かを我慢するような声を上げた。窓の外からザアアアと雨の音が聞こえてくるが、それに重なるように彼女の堪えるような泣き声が微かに響いた。

『重度創傷治療室』の前で壁に背を預けながら座り込む真白。立てた両膝に額を擦り付ける彼女を、治療室から出てきた平子は見つけた。はじめは何て声をかけるべきか悩んだが、面倒臭そうに頭を掻くとドスンッと乱暴に彼女の隣に座った。

「入らんのか」
「……合わせる顔がないです」
「そんなんルキアちゃんも阿散井も思ってへんわ」
「…二人は、無事ですか」
「容体は安定しとる言うてたわ。意識も戻っとる」
「そう、ですか…よかった」

よかったと言う割には、声に覇気がない。平子はどうしたものかとまた悩むが、もうどうにでもなれと考えることを放棄して真白の両頬に手を当ててその顔をぐいっと持ち上げた。
彼女の顔は涙やら鼻水やらでぐしゃぐしゃで、眉はへにゃりと情けなく下がっている。頬にこびり付く血は誰のものだろうか、とどうでもいいことを思いながら、平子は手加減のないデコピンを真白の額にお見舞いした。

「イタッ!!」
「なんつー顔してんねん! びっくりしたわ!」
「なん、なんでデコピン……」
「泣きすぎやボケェ。まだ戦いは始まったばっかりやぞ、シャキッとせんかい」
「でも、わたし、」
「『でも』も『だって』もあるか。まだ白哉が死んだワケやないし、万策尽きたワケでもない。悲観ばっかりしとる暇があるんやったら、次自分に何ができるか考え」

彼の台詞の一つ一つが、自分を鼓舞していくのが判る。

「俺らが見込んだ真白は、そんな弱ないやろ」

自分を信じているその瞳に応えたい。真白はごく自然にそう思い、グッと手に力を入れる。彼女の瞳に光が戻ったことを確認した平子は、もう大丈夫だと頬から手を離してポンポンと頭を軽く叩き、歩き出す。

「真子!」

そんな自分を、彼女が呼び止めた。いつもの隊長呼びでは無く、あの頃と同じような呼び方で。思わず平子は振り返り、此方を見つめる真白を見つめ返す。彼の驚愕した表情を気にせず、彼女は声を張り上げた。

「ありがとう!」

それだけ言って走りながら自分を追い越した真白に、残された平子はポカンと間抜けな顔を晒し、やがてくつくつと笑う。

「(……こんなんで喜ぶとか、俺は中坊か)」

今から向かう場所を思うと足取りが重くなるが、彼の心は少しばかり軽くなった。




真白は自室に戻ると、ずぶ濡れになったままの死覇装を脱いで身体をタオルで拭き、別の死覇装に袖を通す。部屋の隅にある引き出しの中に仕舞われたままだった紙を取り出し、今一度中に書かれた内容に目を通すとまた引き出しの中にそれを直し、立ち上がった。

「ほんとうにいいのですか? 真白しゃま…」
「……うん。もう逃げたくないし――それに、」

ふ、と柔らかく笑う真白。

「白哉くんに任されちゃったから」

雨音は強まり、大地を濡らす。彼女はそれを聞きながら一歩一歩着実に前へと進んでゆく。やがて目的地に着くと、緊張してきたのか張り詰める息を僅かばかり吐き出した。

「ええの?」

後ろからそんな声が聞こえ、真白は振り返った。まるで月のように静かにそこで佇む彼に、彼女は頬を緩めた。

「うん、いいの」
「ずっとこのまんまでおりたいって、言うたんはついこの間やで」
「そうだね。でも、その我儘ももうおしまいだよ」
「なして?」
「直々に頼まれたから」
「白哉クンに?」
「白哉くんと――…」
「……ほんなら、逃げられへんなァ」

その名を告げると、彼は――ギンは泣きそうに、けれど決して涙は流さずに笑った。

「せっかくお揃いやったのに」
「そんなお揃いやだよ、ダサい」
「フーン? 今に仕事でてんやわんやなるで、自分」
「息抜きの仕方は心得てるから」
「イヅルが可哀想や……」
「ギンに比べれば可愛い方でしょ」

ペシッと軽く彼の腕を叩く。大袈裟に痛がるギンに笑って、じゃあねと別れの言葉を口にした。ひらひらと手を振る彼に背を向け、今度こそ真白は目の前に聳え立つ一番隊舎の扉を叩いた。

「失礼します」

中に入ると、そこには各隊の隊長が揃っていた。七人と人数は少ないが、その中には平子やローズ、拳西の姿もあり、それが少し昔と重なった。

「真白ちゃん? どうしたんだい?」

まさかこんなところに真白が来るとは思っていなかった隊長達。一番に声をかけたのは京楽だった。平子ですらぱくぱくと口を開け、声が出ないらしい。

「総隊長に、ご報告を」
「山じいに? いや、でも山じいは、」
「判ってる。……少しだけだから」

敬語じゃない、彼女の砕けた話し方に京楽だけでなくこの場に集まる隊長達が目を見張る。その視線を受けつつも、真白は構わず山本の折れた斬魄刀の前で膝をついて頭を下げた。

「先ずは、御返事が遅くなってしまったこと、お詫び申し上げます。申し訳ございませんでした」
「返事ィ? 返事ってなんの――」
「真子、少し黙ったらどうだい」
「ローズかて気になるやろ」
「ウルセェ、黙って聞け」

拳西にまでそう言われ、平子はしぶしぶ口を閉じる。その間も真白の言葉は止まらない。

「――三番隊四席、謹んで背任致します」

その台詞に衝撃を受けたのは、一体誰だろうか。

「あ、あああ、アホか! なんで今やねん!」
「前に総隊長から直々に呼び出されて、打診されてたの。……本当は席官入りするつもりなかったからすぐに断ろうと思ってたけど、少しでいいから考えろってあと伸ばしにされて…」
「それで、なんで受け入れたんだい?」
「……そんなの、」

己の隊長ローズに問われ、真白はゆっくりと立ち上がって隊長達へと振り向いた。その瞳に浮かぶ覚悟を滲ませた光に、不覚にも飲まれそうになった。

「命を賭して戦った人達に頼まれて逃げ出すなんて、私のプライドが許さない」

判っている、自分の実力が隊長格と同等かそれ以上のものだなんて。それでも山本が提示したのは“席官”だった。中央からは恐らくもっと上の地位を言われていただろうに、それを跳ね除けてあの人は強制的に命令するでもなく考える余地をくれた。
そんなあの人に出来る最後の孝行なんて、それを受け入れることくらいしかなかった。

「次なんてない」

ぐんぐんと上がる彼女の霊圧に、砕蜂でさえも息を詰める。

「文字通り、持ち得る全ての力で倒してみせる」

ギラリと光る真白の瞳は、彼女の斬魄刀のように金色だった。


「では、私が参りましょう」
「あぁ、頼んだぞ」

物陰に隠れてこっそりと話を聞く人影が二つ。その内容に女は目に涙を溜めて男の襟ぐりを掴んだ。

「どうしようっ……このままだとあの子が!」
「…ここで俺たちが動いたら、彼奴を護る事はより困難になる。今はまだ、動けない」
「それは! そうだけど……でも、あの子からあれが奪われたら……」
「……大丈夫だ。今の彼奴は一人じゃない」

血のような赤い髪は、陰に覆われて黒く見える。

「俺たちは、俺たちに出来ることを」

二つの人影は、瞬く間に消えていった。