泣き寝入りなんてお断り

耳をつんざくような爆音が部屋に響く。布団の山からにゅっと出てきた手が、その爆音を止めてまた微かな寝息が聞こえる、というのがこの部屋の常だが、今日は違った。布団をがばりと剥いだ部屋の主、真白はしぱしぱと目を瞬かせながら欠伸をする。
やがてのそりと身体を起こすと顔を洗いに洗面所へ向かう。ばしゃばしゃと適当に顔を洗ってきゅっと水道を捻り、鏡を見た。その瞬間、真白は「っ、月車!」と咄嗟に斬魄刀の名前を呼んで始解した。

「朝早くから失礼する」
「……ほんと、こんな早朝から女の部屋に入ってくるなんて、どうかしてんじゃない…」

(どうやってこの部屋に入れた?)真白は表面上は余裕の表情を保ちながらも、胸中は不安一色だった。斬魄刀の力で結界まで張った真白の部屋に入る術なんてないのだから。鉄壁の守り、とまで自負していたのに…どんな手段を使ったのか。けれどそんなことを考えている暇なんてなかった。
迫る敵の攻撃に応戦しようと鎌を振るう。これだけ大きな鎌なのだから、振るえば部屋が崩壊してもおかしくない。だが部屋は全くの無傷。――これこそが真白自身の失態だった。

「(しくった! 結界を張ってるから部屋に傷はつかない。つまりこの戦いを周囲に知らせる手段がない!)」
「自分自身の策に溺れたな、縹樹真白」
「うるさいな……!」
「貴女は今回の我々の戦いにおいて、少々邪魔なので。こうして不意打ちとも取れる戦法を取ってしまった」
「ああそう!」
「やはりこうして来ておいて良かった。貴女の斬魄刀の能力は放っておくべきではない」

冷静に話をする敵に、真白は必死に怒りを滲ませながら月車で攻撃し続ける。敵の狙いが自分にあることは充分理解できた。だったらこいつはここで倒しておかないと――そう思ったときだった。

「どうだ、そろそろ無力な自分に別れを告げては」
「……は、どういう――」
「貴女は護れない。朽木白哉も、吉良イヅルも、誰も」
「っ――……」
「瀞霊廷は消える。これは確約された未来だ」
「黙れ!」

我慢の限界だった。沢山の仲間を失い、吉良や戸隠、そして白哉をもあんな目に合わせた滅却師こいつらが、憎くて憎くて堪らない。
冷静さを失った真白は、とうとう注意されたことすら忘れて叫んでしまった。

卍解!! 『月天月車がってんげっしゃ』!!
「真白しゃま!!」
「……冷静さを欠いた者は、何とも操りやすい」
「――っ!」

そう言った男の手には大きなメダルのようなものがあり、そして――確かに卍解をしたはずなのに、影も形もなかった。

「あ………」
「私の任務はこれにて完了。失礼する」
「ま、まって、」
「あぁ、私の名前は――ユーグラム・ハッシュヴァルト。いずれ、貴女を殺す者の名だ」
「待って! 返して! 私の卍解を……ツキを!」

男、ユーグラム・ハッシュヴァルトは真白の叫びに振り返らず、影の中に消えていった。一人部屋に残された真白は元の刀の形状に戻った斬魄刀をカラン…と床に落としたまま、放心状態。

「……昨日、誓ったのに。ここを護るって、なのに…」

卍解を使うなと、あれほど言われたのに。馬鹿な挑発に乗せられて卍解を使うよう誘導させられた。
未だに自分の名を呼んだ月車の声が、頭から離れない。「……つき、」名を呼んでも、返事はない。

「ツキってば、……つき、…つきぃっ……!」

斬魄刀をぎゅっと抱きしめ、真白は大声で泣いた。
その慟哭を聞きつけた市丸や平子達が「なんや! どうした!?」と部屋にやって来る。卍解を奪われたことでこの部屋の結界も剥がれてしまったらしい。けれど今の真白にはどうだってよかった。ずっと一緒にいたツキが奪われたのだ。恐らく能力自体は使えるのだろうが、いつもの力は発揮できないし、月車の呼応がない。つまり卍解と一緒にツキも奪われてしまったのだ。

「おい、どないしてん真白!」
「しんじ、」
「何泣いとるん真白…何があったん?」
「ぎ、んっ…」

後ろから京楽や浮竹達の姿も見える。そんな中、真白は目の前にいた平子にしがみついた。

「……われ、ちゃった、」
「ん?」
「うばわれ、ちゃったよぉ……! わたしの、卍解っ……っ!」
「――は………?」
「どうしよう、どうしっ……っく、ツキが、呼んでもきてくれないの…! ツキが、あいつに、うばわれっ…………あ、ぁぁあ、あああああっ………」

月車との離別。それはあの実験施設から出て初めてのことだった。


「――落ち着いたか?」
「……………、」
「とりあえず水飲みィ」
「………………」

取り乱した真白を、平子はこのまま部屋に置いておけないと言って四番隊にある彼女専用の部屋へ連れて行った。相変わらず濃すぎる霊子にぷはっと息を吐きながら、己の斬魄刀を中心にトンと突いた。すると霊子は霧散し、呼吸もしやすくなる。
真白をベッドに座らせ、市丸は持ってきた水を手渡す。それでも彼女の瞳の曇りは晴れず、二人は顔を見合わせて首を横に振った。

「真白」
「………」
「今から零番隊サンが来るから、俺は行かなあかんねん。代わりにギンを置いて行くから、なんかあったら絶対ギンに言うんやぞ」
「…………、うん」
「…ほな、あとは頼んだで、ギン」
「ハーイ」

市丸の軽い返事に平子は最後まで心配そうにしていたが、そろそろ行かなくては間に合わない。名残惜しげに部屋から出て行くと、シンとした静けさが部屋に戻る。衣擦れの音一つしない部屋だが、市丸はやはり飄々と笑って真白の隣に座った。

「真白」
「……、…………」
「もう諦めてもたん? 昨日あんな啖呵切っといて」
「………い、」
「頼まれたんちゃうかった? 総隊長サンと白哉クンに」
「…………さい」

ぼそぼそと話す真白に、市丸は決定的な一言を口にした。

「ああ、それとも尻尾巻いて逃げるん? 弱なったなァ、真白チャン」
うるさい!!

それは自分に対する最大の侮辱だった。勢いよく立ち上がって肩で息をする真白は、側から見ても解る通りとても憤っている。目尻を釣り上げてじわりと涙を滲ませる彼女に、それでも市丸の口は止まらない。

「うるさいって、ボクなんか間違まちごうた事言うた? ホンマのことしか言うてへんけど」
「だから、うるさいって……」
「卍解……いや、ツキを奪われたくらいでいつまでもメソメソしとる真白、ボクは見たァないわあ」
「誰がっ――」

「奪われたんやったら、奪い返す為に敵を叩きのめすんが、ボクの知ってる縹樹真白やで」

もう、市丸は笑っていない。彼の言葉の一つ一つは全て自分を鼓舞するためのものだって、真白は嫌でも気がついた。ギッと奥歯を噛み、立てかけておいた斬魄刀を持つとドスドスと足音を立てながら扉へ向かう。取手に手を掛けると、真白はくるりと振り返った。

「ありがと………ギン」

頬を赤く染めた彼女の瞳は、もう揺れていなかった。

「――零番隊、だっけ」

四番隊舎の中を歩きながら平子の台詞を思い出す。見たこと無いが、確か人数は少数で、それぞれが隊長格の実力を持つというのは聞いたことあるが、果たして本当なのだろうか。

「行ってみよっか、」

『な』と続くはずだったそれは最後まで言えなかった。目の前に細長い手が迫ってきているのだ。
真白が反応するよりも速くその手は彼女を捕まえ、急速でどこかへ進む。「待って待って待って!! 何これ! 何処向かってんの!?」と涙目で叫ぶ真白の声など知ったこっちゃない。漸く手が止まると、そこには見知らぬ人影と、平子達護廷の隊長達が集まっていた。

「……………へ?」
「真白ちゃん!? どうしてここに……って、まさかそれ…」
「この者も連行名簿にあったのでな。妾が連れてきた」
「連行……名簿…?」

京楽の驚いた声が聞こえた、と思いながら思考が追いつかない真白に、浮竹が「承諾しかねる!」と声を張り上げた。彼のこんなすがたを見るのは久しぶりで、真白はびくりと身体を震わせて「十四郎……?」と名前を呼ぶ。怒りで頭がいっぱいの浮竹は名前で呼ばれたことに気がつかない。

「真白は今、卍解を奪われて霊力も戻っていない。そんな状態のこの子を連れて行かせる訳にはいかない」
「なら尚の事、連れて行かねばなるまい。此処よりは霊子濃度も高いし、何より――」

自分を差し置いて話が進む状況に、ついていけない。真白は未だ拘束されたままぽかんと呆けていたが、『このまま卍解が戻らなければ、斬魄刀を打ち直す』という台詞に固まった。それに気づかず、浮竹と零番隊の女はまだ言い争いを続けている。
その不毛な争いに終止符を打とうと、他の零番隊の隊員が重い腰を上げた瞬間、バキッと何かが壊れる音がした。場は一気に静かになり、音の出た方へ顔を向ける。そこにはやっと謎の手から自由になった真白が立っていた。

「そろそろ人を無視して話を進めるのやめてくれませんか」

その声は冷え切っているが、彼女の脳内はグツグツと怒りで煮えきっている。据わった目に誰もが一歩後ろへ下がったが、そんなもの今の真白は気にならない。

「斬魄刀を……何て言いました?」
「打ち直すじゃ。このままお主のような高い戦闘能力を持つ者を放っておく訳にはいかぬからな」
「勝手なことばかり言うのはやめてください。私の斬魄刀は『月車』だけです」

零番隊相手にも怯まず真っ向から言い返す真白。面白そうにそれを眺める他の零番隊の隊員を他所に、彼女は無意識に霊圧を上げて叫んだ。

「ただの他人が! 人の問題に口出してこないで!」

叫んでも怒りは収まらないらしく、真白は少しずつ霊圧を下げながらこの場を後にする。「卍解も無いのに、これからどうやって戦うつもりじゃ?」嘲るような声が後ろから聞こえる。――そんなの、

「そんなの、奪い返すだけに決まってる。私の大事なツキを奪ったんだもの、この借りはきっちり返しますよ」

それだけ言うと、今度こそ瞬歩で去った真白。彼女の霊圧が完全にこの場に無くなり、平子は手のひらで額を抑えながらも面白そうに笑った。護廷十三隊の誰もが零番隊に対して後手に回っていた中、その空気をあっさりと変えたのだ。流石としか言いようがない。




あれから真白は三番隊にやって来た。一度自室に戻ったが、荷物をまとめて直ぐに隊舎に来たのだ。彼女は自分の机の上を軽く片付けると、執務室に入って隊長机の上にある紙を置いた。

「……行ってきます」

そう言った彼女の顔は、覚悟を決めた表情だった。
真白が置いて行った紙には、こう書かれてあった。

――もう一度、自分の原点に戻ってきます。探さないで下さい。