無知な私とおさらばしよう

「あの阿呆! こんな時に勝手に消えよって!」
「まあまあ、真子。そんなに怒らないであげなよ」
「ローズゥ……お前がちゃんと手綱握らなあかんやろ!」
「真子でも握れない手綱を僕が? 無理だね」
「清々しい笑顔で言うなや!」

場所は三番隊執務室。隊長格数名が卍解を奪われた今、戦闘力が格段に落ちてしまった護廷十三隊。
先日やって来た零番隊は、命を落とす一歩手前の朽木白哉と同じく負傷した阿散井恋次、朽木ルキア、そして今回の戦いにおいて唯一卍解を使っても奪われなかった死神代行の黒崎一護を連れて、霊王宮へと戻っていった。彼らを見送った後、各隊長達は己をまた一から鍛えるため鍛錬に励んでいた。

机を挟んで言い合う二人。その視線の先にあるのは一通の手紙だった。それは昨日真白が置いていった『探すな』という内容のもので、平子もローズも深いため息を吐く。

「場所の見当はついとるから、とりあえず迎えに行ってくるわ」
「待ちなよ真子」

ガシガシと頭を掻きながら迎えに行こうとする平子を止めたローズは、暫くは様子を見ようと敢えて探しに行かないという選択を取った。

「ローズ……?」
「こんな時にあの子がこんな行動を取るなんて、何か考えがあるんだろう」
「……はー…、判っとる。彼奴がもう、俺らの知っとる餓鬼みたァな彼奴やないって」

さみしいもんやな。ぽつりと呟かれた台詞は、紛れもなく彼の本音だった。


護廷から離れ、寄り道もせずに真っ直ぐに向かう先は、彼女が生まれ育った場所。眼前に広がる更地を暫く眺めた後、何かを探すようにぐるぐると歩き回る。やがてピタッと足を止めてザッザッと簡単に土を退けると、白くて丸い地下への扉が顔を出した。
真白は少し考え込むと、斬魄刀で手首を軽く斬る。そこから滴る血で白い扉は真っ赤に染まったかと思えば、その血を吸い込んだように一瞬でまた白に戻った。その変化を確認すると、傷口を回道で癒してやっと扉に手を伸ばした。開けるための取っ手がないのにどうするのか――真白はそんな疑問など全く無く、迷わずに扉を手のひらで押した。するとガコン…と鈍い音を立てながら扉は開いていく。スライド式だ。

中を覗くと、当たり前だが真っ暗。明かりを灯すためのスイッチは無く、仕方がないと苦笑すると真白は一歩足を踏み入れた。ザッザッと草履が階段を降りる音だけが響き、地上よりも薄ら寒い気温にぶるりと身体を震わせる。耳が痛い程の静寂に、自分が強烈に不安を覚えていることに気がついた。
ここまで平静を装ってきたが、やはり“月車”がいないことは精神的に大きいらしい。けれど、どれだけ不安でも足は止めなかった。今歩みを止めてしまえば、もう二度と進むことが出来ないと彼女は自分で判っているからだ。

「これ、何処まで続いてるんだろう…」

一度振り返ってみようかと思ったが、ふるりと首を振ってやめた。今は先へ進もう。
数分か、数時間か。どのくらいの時間が経ったのかは判らないが、急に段差がなくなって「ウワッ」と情けない声を出した真白。その瞬間明かりがパッとついて――真白は息が出来なかった。

「ぁ、あ………」

目の前に広がる光景は、数百年前のあの日のままのもの。其処彼処に血が飛び散り、そのままの状態で乾いている。
真白はへなへなとその場に座り込み、暫く立てなかった。此処で、この場所で、私は、あの人達を――。途端に動悸が激しくなり、ハッハッと浅い呼吸を繰り返す。この程度でこの有様では、もう先に進めやしないと思っていても、トラウマとはそう簡単に克服出来ないものなのだと彼女は初めて理解した。

「真白しゃま」

あの子の声が、聴こえた気がした。
ギリ…と血が滲む程に拳を強く握り締め、真白は立ち上がった。情けないことにまだ身体は少し震えていて、先へ進もうとする足は竦んでいるけれど。此処へ来るに至った覚悟だけは少しも揺らいでいない。
彼女は乾いた血の上を踏みしめながら、記憶を頼りに施設内を進んだ。

此処へ来た第一の目的は、“月車”のことを何か一つでも解りたいという想いからだった。ツキとは長い付き合いだが、真白にはツキが浅打の頃の記憶がない。どれだけ古い記憶を漁っても、いつだって自分は斬魄刀の名前を知っていた。
“月車”が一体どうやって生み出されたのか、真白は知りたかった。

「第一研究室……」

扉の上にあるネームプレートを読み上げ、真白はそっと取っ手に手を掛けた。ゆっくりと扉を開けると、中は破壊された機械と埃一つない真っ白なベッド、そしてデスクの上に乱雑に置かれた書類の数々があった。
荒らされた痕跡が色濃く残り、真白の手は勝手に震え始めた。やっとのことで拾い上げた紙もくしゃりとシワが寄ってしまったが、それでも何とか文字を目で追っていく。

「ちがう、これでもない、これもちがうっ……」

出てくる資料は自分が求めているものではなくて。けれどその内容は確かに身に覚えがあった。むしろこの身をもって体験していた。

「……今は、置いておこう」

部屋から出て、次は奥の方にある部屋に入る。どうやら資料室らしく、真白は足を踏み入れたことがなかった。ぎっしりと棚に詰められた本に、束になって乱雑に積み上げられた書類。何の気なしに裏返った紙を一枚取って見る。

「これ、コウだ。こっちはアカ……」

写真の右上に貼られた写真は、幼い紅綺だった。もう一枚あった紙には朱音の写真。簡単に目を通してみると、誕生日や血液型、家族構成などのプロフィールから始まっていた。そのまま読んでいくうちに、真白の目は驚きに満ち、紙を持つ手に力が入っていた。

「なに、これ………。どういうこと…」

慌てて側にあった別の紙を見れば、それを決定づける内容が上から下まで書かれてあって、疑いようのない真実なのだと突きつけられた。

「それじゃあ今、二人は――」

再会したあの日、何をしているのかと問うた真白に紅綺と朱音は何も答えなかった。あの時は抱きしめられたことが嬉しくてその話は流れてしまったが、今思えば答えられなかったんじゃないだろうか。
何かの間違いだと思いたくて、片っ端から紙を手に取っていく。けれど読めば読むほどにそれを決定付けていくものになってしまう。

気づけば全て読み終わっていた。呆然と立ち尽くす真白の顔に色は無く、やがて力が抜けたように床に座り込んだ。

「は、はは…。自分のことを探しにきたのに、どうして、こんな……」

ぽたり、ぽたりと床に涙が落ちていく。散らばった紙に雫が跳ね、じわりと染みを作っていくのを横目に、ふらふらと立ち上がると咄嗟に棚に手をついた。するとガコン…と鈍い音とともに棚が押され、自動的に横にスライドされる。現れたのは長い長い廊下だった。

「こんな部屋あったんだ…」

真っ暗で電気のスイッチすらあるのか判らない。けれど行かないという選択肢はなかった。まだ溢れる涙をぐいっと手の甲で拭い、彼女は暗闇へと消えた。