“あい”はここにあった

暗い廊下はすぐに終わった。簡素な扉に行き着くと、真白は迷うことなく開けた。同時にパッと明かりが付き、煌々と部屋を照らした。
中は書斎のような作りをしていて、ぎっしりと分厚い本が棚に詰まっている。簡単に背表紙を流し読みしていくと、一番右端にある本が目に留まった。近づいてよく見てみると、題名がなく、一見しただけでは何の本か解らない。真白は自然と手を伸ばし、その本を棚から抜き取った。

深緑のそれは表紙、裏表紙共に何も書いていない。もう一度棚を見渡してみれば、題名がない本はこの一冊だけだった。しかしあの人達が自分の研究に無関係な本を置いておく筈がないと、何故か自分に言い訳しながらソッと表紙を開いた。一ページ目は真っ白で、年月が経っているせいか少し黄ばんでいる。
何だか悪いことをしているような気持ちを抱えながら、真白は次に真っ白なページをめくった。

――ああ、見なければよかった。
瞬時にそんな思いが駆け巡る。しかしそんな気持ちとは裏腹に目は文字をしっかりと追いかける。

『八月三日 今日はとても暑いが、この施設は地下にあるおかげか幾分か涼しい』

これは日記だ。しかもあの人達・・・・の。小刻みに震える手が紙をくしゃりと乱れさせるが、一向に震えは止まらない。なのに読み進めてしまうのはどうしてなのだろう。

日記の内容は、他愛もない天気の話や、食事の話、そして夫婦間でのやり取りなど様々だった。あの人達もこんな人間らしいいちめんを持っていたのかと驚いていると、どくりと心臓が大きく打った。

『■月■日 待望の子どもが生まれた。かわいい女の子。私とあの人の子ども。これからこの子が憎きアイツらを倒す死神になるよう、私達の研究の成果を注ぎ込まなきゃ』

日付は掠れて読めないが、これが自分を指している事なんて容易に想像がついた。やはり産まれた時から、自分はあの人達にとって道具でしかなかったのか。判っていたこととは言え、まざまざと見せつけられる事実に奥歯を噛みしめる。何とか感情を堪えながら、やや乱雑にページをめくった。

『■月十五日 離乳食もやっと終わって、しっかり形のあるものを食べるようになった娘。このまま大きく育ってくれればいいけど』
『■月■日 真白が三十九度の高熱を出した。すごくしんどそう』
『二月■日 いろんな言葉を覚えてきた真白だけど、今日初めて「おかーしゃん、だいしゅき」と言ってくれた。うれしい』


「――え…………?」

読み進めていけばいくほど、内容は自分が想像していたものからかけ離れていく。これを書いた人は本当に自分の母親なのか。疑いながら次々と文字を追っていくと、ある日の日記にぴたりと目が止まった。

『■月■日 ここ最近の私はおかしい。私とあの人の恨みを晴らすために子どもを作って産んだのに。こんな気持ち知らない。こんな気持ちいらない。なのにどうして、こんなにもあの子が――』

もう頭の中は混乱状態だ。どういうことだ。先程とは違う意味で震える手でぱら…とページをめくると、

『■月■日 ああ、だめね。本来なら“道具”に対してこんな気持ちを持ってはいけないのに。……いいえ、あの子は道具なんかじゃなかった。私がお腹を痛めて産んだ、大切な私の娘だった。こんな当たり前のことをどうして忘れていたんだろうか。
けれど、今更計画を中止にするわけにはいかない。予定は変更せず、あの子を死神を殺す死神にする。けれどそれは私達の復讐のための道具としてではなく、あの子自身の力となる為に。――今まで面と向かってこの気持ちを伝えられたことはないし、これから先も伝えることはないだろう。けれどこれが、あの子にとって自分の未来を切り開くことが出来る力となりますように。

今まで酷いことを沢山してきたし、言ってきた。それは明日も明後日も続くだろう。それでも、いつか来たる未来で、あの子が幸せになれますように』



日記はそこで終わっていた。最後の裏表紙を閉じると、そこにぽた…ぽた…と雫が降ってきた。真白の涙だ。彼女は声にならない声を上げながら日記をぎゅっと抱きしめる。
ああ、ああ。愛はここにあったんだ。私がずっと求めていた愛が、ここに。

けれど、だとしたら。どうしてあの人は最後に朱音を殺すような真似をしたんだろう。結果的に死んでいなかったのだけれど、腑に落ちない。
謎が残りつつも垂れてきた鼻水をズズッとすすり、ごしごしと手のひらで涙を拭う。するとどこに挟まっていたのか、紙切れがひらりと宙を舞った。

「………? なにこれ、……『扉側の棚・上からみっつ・下からみっつ・真ん中』?」

暗号のようなものを呟きつつ、目で書いてある通りの場所を辿る。しかし上から三つ目と下から三つ目は交わらず、どうしても一つズレてしまうのだ。
指先で一つ一つ確認しながら何度か同じところを行ったり来たりしていると、上から三つ目と下から三つ目のところに、棚同士の隙間があることに気がついた。よく目を凝らしてみれば、薄っぺらいファイルが挟まっていた。

爪先で何とか取り出すと、ブワッと埃が舞う。それを吸い込まないように手で払いながらファイルを開けてみる。

「【斬魄刀・月車について】……?」