蕩ける声で名前を呼んで

仮初めの平和は、突然終わりを告げた。

瀞霊廷が『見えざる帝国ヴァンデンライヒ』に侵略され、卍解を奪われた隊長達がそれぞれの敵と対峙する。千年もの間、瀞霊廷の影の中に潜み力を蓄えていたと宣う滅却師達相手に、死神達は徐々に押され始めていた。

《どォーーーも、護廷十三隊隊長、それから副隊長のみなさんこんにちは! コチラは浦原喜助です。初めましての方も、よく知らない方もいらっしゃるかと思いますが、自己紹介は後回しにさせて下さい》

空から降ってきた声に、死神達は耳を傾けた。この状況であの男からの通信とは、何か意味があるに違いなかったから。

実際浦原喜助は、隊長副隊長、つまり“卍解を修得している者”の傍に黒い丸薬を転送させた。それに触れると丸薬はそこから吸収され、魂魄の内側まで浸透する。
――黒い丸薬。言うなれば滅却師にだけ効く“毒”。それ即ち――虚の力が凝縮されたものである。



瀞霊廷の外にいた真白は、傍に落ちている黒い丸薬を見つめると、ゆっくりと触れた。たちまち丸薬は消え、自分の中に“何か”が浸透する違和感を感じたが、卍解が戻ってくる気配は感じない。

「……例外もいるって、後で喜助に言わないとね」

改めて周囲を見渡すと、人っ気ひとつない無人の地。けれど花がいくつも咲いて風に揺られて踊っている。

かつてここには村があった。護廷からの支援もないここでは、“生贄の儀”が行われ、数多くの女が犠牲となっていた。そんな村が虚に食い荒らされた所へ真白が討伐にやって来たのだが、時すでに遅し。唯一の生存者である幼い少女を見つけたが、彼女は虚と繋がっていた。――いや、虚と共存していたのだ。

虚を殺しに来た真白に向かって、殺すなと両手を広げて虚を庇う少女。けれど少女の抵抗虚しく、真白は虚を殺した。それが任務だったからだ。
その後少女は自殺してしまったのだが、憎しみがこもった彼女の瞳は今でも自分の奥に焼き付いている。

だからこそここに――七十二地区『水無』にやって来たのだ。何十年経とうがこの地を忘れることは出来ないし、決戦前にどうしてもこの場所に訪れたかった。

「…………そろそろ行かないと」

腰を上げて立ち上がり、軽く死覇装をパンパンと叩くと瞬歩で地を駆ける。彼女が居なくなった場所には、野で摘んだ小さな花束が二つ、寄り添うように置いてあった。




「…戦況は、拮抗している様ですね」

ユーグラム・ハッシュヴァルトは、元一番隊舎で総隊長に就任した京楽と副隊長である伊勢の二人と対峙していた。薄い、それでいて自分の進行を阻む鬼道の壁を間に挟んで話す三人だったが、突然ユーグラムが剣を抜いた。
大きな爆発音が轟き、障壁を破壊する。そのまま二人に迫ろうとしたが、またも伊勢による先程とは違う障壁を展開され、再び足を止められる。

「……先程と随分形式の違う形だ」

何とか時間を稼がなければ、また此方がやられる。京楽は冷や汗を滲ませながら口を開いた。

「そういえば、うちの大事な子の卍解を盗んだのは誰か知ってるかい?」
「大事な子?」
「知っているだろう? ……縹樹真白を」

その名には確かに覚えがあった。ピクリと反応してしまったユーグラムを、京楽は見逃さなかった。「やっぱり君か…」声色がワントーン落とされ、ふとユーグラムが京楽を見れば、彼の表情にもう笑みはなかった。
ならばもう少し煽ってみようと、ユーグラムは二人に見せびらかすようにメダルを取り出した。

「どうやら縹樹真白の卍解は、戻らなかったようだ。やはり奪っておいて良かった」
「それを返してくれるかい」
「笑顔が崩れているぞ、京楽春水」

二人の視線が交わった瞬間、ヌッと後ろから鎌が現れ、ユーグラムの首を狙う。顔色一つ変えずにそれを避けて後ろを見れば、そこには今まさに話に出ていた人物が立っていた。

「縹樹、真白……」
「私の卍解、確かに返してもらったよ」
「――!」

そう言った真白の手には、確かにメダルがあった。ユーグラムが手を伸ばすよりも速く彼女はそれを鎌で砕くと、斬魄刀に自分の霊圧をぐんぐんと込めた。それは周囲にまで影響を及ぼし始め、伊勢は立っていられずにガクッと膝をつく。それでも霊圧の上昇は止まらず、流石のユーグラムも飄々とした表情が崩れて眉間に皺が寄る。

暫く高まり続けた霊圧がピタリと止まったのは、数分にも満たない時間だった。もう息も絶え絶えの伊勢に、そんな彼女を支える京楽、そしてここへ来て初めて冷や汗を流したユーグラム――…。そんな三人を一瞥すると、真白はゆっくりと唇を動かした。

「――おいで、ツキ」

とろりと蕩けるような、甘い甘い声だった。すると光が一点に集束し、より一際眩しく輝くと、パァン!と光が弾ける。そこには一人の幼い少年が立っていた。濡れた夜空のような黒髪に、月を思わせる金の瞳。
少年は真白を守るように彼女の前に立つと、タンっと軽く地を蹴っていつの間にか手に持っていた大鎌をユーグラムに向かって振り上げる。あまりの速さに避けられないと悟ると、彼は抜いていた剣で鎌を受け止めた。

「…随分な挨拶だな。先程まで私の卍解になっていたくせに」
「ツキをつかうことすらできなかったくせに、よくそんなことがいえるですね」
「何……?」

現れた少年、“月車”の台詞に京楽が反応する。

「やはり、何か仕掛けがあったのか」
「ただの情報不足でしょ、アンタの」

クスリと嘲笑したような笑い。見れば、真白が“月車”の後ろからゆっくりとこちらに向かって歩みを進めていた。

「ツキは私の霊圧にだけ反応する、唯一無二の斬魄刀。それを自分の物のように扱えると思わないで!」

『見えざる帝国』がどんな手段を用いて、自分達死神の卍解を奪い、使役出来るのかは判らない。だが“月車”は違う。
“月車”は正しく、真白の斬魄刀なのだ。真白の為だけに生み出された、真白の斬魄刀。それは天地がひっくり返ろうが変わらない事実。

「仕方ない。これ以上待つのも得策ではない。手荒い手段を取らせてもらう」

迫る殺気に応えようと、ユーグラムが剣を構えた時だった。ブンと彼の背後に光の五芒星が現れたのだ。どうやら通信機らしく、ユーグラムは「わかった」と頷くと、踵を翻して京楽や真白達に背を向ける。

銀架城ジルバーンへの帰投命令が出ました。失礼します」
「おいおい、ここまできて帰るってのかい」
「陛下の命は絶対です」
「お戻りはいつ頃だい?」
「命が下ればすぐにでも」
「そうかい。――次はとびきりの茶を淹れて待つとするよ」

返事を聞いた後、ユーグラムは影に飲まれるように消えた。

伊勢はやっとの思いで障壁を消すと、ドサリとその場に倒れた。京楽が支えていたため頭などを打ち付けることは無かったが、それでも気は失ってしまっていた。

「……ごめん、春水」
「おや、敬語じゃなくていいのかい?」
「敬語の方がよかった?」
「そう言われちゃうと、弱いんだよねぇ」

ゆっくりと伊勢を横たわらせ、被っていた笠を取る。影のなくなった目と真白の目が合わさると、「おかえり、真白ちゃん」と暖かい声が降ってきた。
真白が居なくなったことは各隊長達に伝わっていた。いつ戻ってくるかは判らなかったが、彼女がこのタイミングで戻ってきたのは僥倖だった。

「真白しゃま」
「ツキ……」
「っ、――」

そのままツキは言葉を続けようとしたが、ぎゅうっと優しい温もりが自分を包み、思わず口を閉じる。それは大好きな大好きな主人の温もりだった。

「ごめん、ごめんね、ツキ」
「真白、しゃま……っ」
「頭に血が上って、卍解を使うなって言われてたのに…っ……、軽率な判断でツキを奪われて、っ……」

自分の肩に埋まる真白の頭。痛い程に抱きしめられ、ツキの金の瞳から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。

「こわ、かった、です」
「うん」
「まっくらで、“そこ”がなくて、でも、でもっ……」

――めをとじると真白しゃまがいたから、ツキはきえなかったです。

その言葉に真白も涙を流した。
実に数日ぶりに、二人は再会を果たしたのである。