ミミハギ様

感動の再会はそこまで。ひよ里はグスッと鼻をすすると、持っていた巨大なジョウロを地面に向かって傾けた。ドバァッと流れ出る液体に皆驚いたが、不思議と濡れた感覚がない。
浦原が言うには、これは尸魂界と断界、そして断界と現世の歪みに発生していた物質で、霊王宮へと向かう移動エネルギーの元になるそうだ。

「これで隊長サン達の霊圧と融合させます」

ふぅんと興味深げに手のひらで液体を掬う真白。すると浦原がひよ里達の名前を呼び、液体を見ていた真白も顔を上げた。

「解剖室の右手奥の棚に、死覇装があります。着替えてコチラに参加して下さい」
「なっ…」
「わかった」
「あ…コラァ! ウチまだ何も言うてへんぞ!! 放せ羅武!!」

喚くひよ里に、やはり死神側で一緒に戦うのは嫌なのかと俯く。だが慌てて顔を上げて、皆に自分のこんな顔を見られないよう、努めて普段と変わらない表情を作った。そんな真白を羅武はしっかりと見ていた。

「…ゴチャゴチャ言うんじゃねーよ。ローズもシンジも拳西も真白も命張ってる中で、どのツラ下げてこのまま帰るってんだオメーは」

羅武の科白に、ひよ里は俵担ぎをされたまま真白の方を見た。目が合った真白は眉を下げた情けない顔をして、肩をすくめていた。
そんな彼女を見てしまえば、もう文句なんて言えないじゃないか。ひよ里は覚悟を決めたような目で、羅武に担がれたまま解剖室の中へ入った。

「…で、どうすんだこれで? 霊圧込めたら全員で上にスッ飛んでくのか?」
「いいえ。これから創るのは『門』です。ここと霊王宮を直接繋ぐ『門』を創ります」
「『門』……」

浦原がしようとしていることが、改めて規格外だと思った真白は、足元に落としたままだった珠を拾って両手のひらに転がす。こんな珠から霊王宮に続く『門』が作れるのかと、未だ半信半疑だ。

どうやら一護が破った障壁を使うらしいが、戻る方法が無いかもしれないとのこと。情けなく落ち込んだ声色の浦原に、真白は珠から目を離して彼を見た。
砕蜂が怒った声を出す。浮竹も浦原を励ますような声を掛けた。最後に更木が「連中をぶちのめせりゃそれでいい」と締めくくると、浦原はやっと小さく笑んだ。

「キスケ」

そこへ少女も参戦する。呼び慣れた名前を呼び、己の中にある強い覚悟を瞳に滲ませた。

「信じてる」

たった一言。けれど浦原にとってはこれ以上ない励ましの言葉だった。
この少女からの信頼なんて、もう二度と戻らないと思っていた。それ程の裏切りをした。けれど今彼女は、真白は言った。『信じてる』と。

ならば、その信頼に応えたい。

――その時だった。
ドオオオオと鈍い音を立てながら屋根が文字通り砕け、空いていた天井は更にその穴を広げる。戸惑う一角達に浦原はまさかと空を見上げた。

「――これは……! 霊王が死んだのか――…!」
「な…なんでや!! 零番隊は何してんねん!! 一護はどないしてん!!」
「…考えたくはないですが…、零番隊は全滅し…黒崎サンは間に合わなかった…。そう考えるのが妥当でしょう…」
「そんなっ…! あの一護くんが間に合わないなんて、そんな!」

真白も悲鳴のような声を上げる。

「確実なのは、このままでは瀞霊廷は――…いや、尸魂界も、虚圏も、現世までも消滅する―――」
「っ…大量の魂魄が出入りする、不安定な尸魂界を安定させる為に創られたのが霊王。それが失われるなんて……!」

何か打つ手はないのか。皆が拳を握りしめて空を見上げると、「俺が」と一人の男が口を開いた。
真白はその声の主を見ると、彼の背後から“黒い影”が現れていた。

「…浮竹隊長……!?」

ルキアの戸惑う声が聞こえた。真白も目を瞠いて「じゅう、しろう……?」と名前を呼ぶ。震えたようにも聞こえたその声に、浮竹はそっと目線を落とした。

「浮竹サン…それは――…!?」
「俺が、霊王の身代わりになろう」
「そんな事が…!?」
「説明は後だ」

バサッと背負っていた“十三”の隊長羽織を脱いだ浮竹。露わになった背には、黒い目のようなものが浮き出ていた。

「やっぱり……それは…誰……!?」

相変わらず聡い子だ。浮竹は真白に背を向けながらそう思った。けれど今は答えてやれる余裕がない。彼はその場に座って、静かに斬魄刀を抜いた。

「ミミハギ様…」

静かな、とても静かな声だった。

「ミミハギ様、ミミハギ様。御目の力を開き給え。我が腑に埋めし御目の力を、我が腑を見放し開き給え」

ゆらり、ゆらりと大きくなる影。その計り知れないほどの存在に、真白の呼吸も浅くなる。ふと自分の背中に暖かい何かが触れた。そっと見れば、平子と市丸の二人が真白の震える背に手を当ててくれていた。

「ミミハギ様、ミミハギ様。御目の力を開き給え。我が腑に埋めし御目の力を、我が腑を見放し開き給え」

二度目の言の葉に応えた“ミミハギ様”は、徐々にその影を大きくしていく。やがて一ツ目はぎょろりとその影に見合う大きさにまで開眼した。

その影が完全に姿を現わすのと同時に、突然光の粒子が一点に集中する。パァンと光が弾け飛ぶと、そこには烏のような艶に濡れた黒い髪に、月を連想させる金色の瞳の少年が居た。――“月車”だ。
弓親は久々にツキに会うことが出来て、この状況も忘れて有頂天だった。美しいものを愛でることか大好きな彼は、やはり美しいツキのことが心底好きなのだ。

「まさか、“みみはぎさま”……いいえ、“れいおうのみぎうで”が、あなたのなかにいたとはおもわなかったです」
「霊王の右腕!?」

驚く声が研究室に響いたが、次の瞬間、浮竹が大量の血を口から吐いたのだ。「十四郎!」「隊長!!」真白とルキアの浮竹を呼ぶ声が同時に聞こえたが、彼は「騒ぐな!」と怒鳴った。
今まで浮竹に怒鳴られたことがなかった真白は、一歩踏み出そうとした足を止める。

「…俺の肺には、ミミハギ様の力が喰いついていた。その力を、全身の臓腑へと拡げる儀式を『神掛かみかけ』と言う。
今の俺の全ての臓腑はミミハギ様のもの。俺は全ての臓腑を捧げる事で、ミミハギ様の依り代となった」

ひくりと、喉が引き攣った。

「今の俺は、霊王の右腕そのものだ」

嫌だと叫びたかった。どうしてそんな事をしたんだと怒りたかった。
でも、真白は知っていた。彼が深く山本を敬愛していたことも、瀞霊廷を守ろうとしていたことも。

「一度拾ったこの命、護廷の為に死なば本望」

――だが、これっぽっちも納得はしていない。

「やだ……」
「真白…?」

震える。身体が、声が、全て。未だ背を支えてくれている平子と市丸の存在を感じながら、真白は堪らず浮竹に向かって手を伸ばした。

「いやだよ、じゅうしろ! 真白を置いて行かないで――!」

――嗚呼、あの子の声だ。泣いている。怒っている。応えてやりたい、甘やかしてやりたい、震える肩を抱きしめてやりたい。
だが、それでも。瀞霊廷を守るにはもうこれしか道がない。

「――真白」

どうか、笑っていてくれ。
堕ちていく意識の中、浮竹は聴こえてきた懐かしい声に躊躇わず目を閉じた。

「じゅうしろ! はやくげんきになって、真白とあそんでね! あ、しゅんすいまってー!」

あの頃は、楽しかった、なあ。