門の先は別世界でした

皆が足を揃えて門を潜り、霊王宮へ向かったはず。――それなのに、眼前に広がる光景に誰もが目を疑った。

「…………な……何や………これは……!?」

平子の背負う“五”が風で揺れる。その背中を見ながら、自分の身体が酷く気怠い事に気がついた真白は無意識にはためく隊長羽織の袖を握ろうとしたが、それよりも先に暖かい温もりに包まれる。そっと見上げれば此方を一度も見ていないのに、平子が手を繋いでくれていた。

「真子…っ」
「…霊王宮に繋がった筈やのに、なんで滅却師の街に着いてん……」

前を見ながら戸惑う声を上げる平子は、感情のまま真白の手を握る力を強めて「どないなっとんねん喜助ェ!」と声を荒げた。

「座標は瀞霊廷の真上……ここが霊王宮の筈っス……」
「……つまり、さっき瀞霊廷から持ち上げた街を、霊王宮を潰して組み直したって事なんじゃないの」
「アホな! さっきの今でそないな事……」
「それ程の、」

平子の言葉を遮って、真白はぼそりと呟いた。

「それ程の力を手に入れたの……?」

どうしようもない恐怖が、彼女を襲う。けれど震えている自分を見せたくなくて、真白は必死に霊圧を押し殺し、震えを止める。早まる鼓動も今だけは知らないふりをした。

「見ろ。街並の縁が円になっている……」

砕蜂の爪先にある絶壁は、よく見れば確かに円形になっていた。

「恐らくここは、霊王宮の下に浮かんでいた五つの零番離殿の一つだったのだろう……。だが空を見ても、霊王宮は浮かんでいない」

一同が空を見る。そこには、有った筈のものが忽然と姿を消していた。

「これは……霊王宮が落とされ、その全てが敵の手に落ちたと言う事だ―――…!」

砕蜂が告げたそれは、悪化した事態を正確に表していた。
青ざめていく顔色と共に、真白は此処へ来て己の体調不良に苛立った。大事な局面で、何故こうも思い通りにいかないのか。未だ気怠い身体に、彼女は手を繋いでいないもう片方の手で髪をぐしゃぐしゃと掻き乱した。
そんな真白の様子を見て、白哉は確信した。

「……どうやら、ここでは霊子で足場を作る事は難しい様だな」
「……どういう事っスか?」
「兄も感じているだろうが、霊王宮ほ大気に満ちる霊子濃度は極めて高い。本来ならばこれ程の霊子濃度で足場を作れぬ訳は無い。ならば、それができぬ理由は一つ」

ついに真白は立っていられず、がくりとその場に膝をついてしまった。「真白!?」と慌てる平子の声を聞きながら、白哉は続ける。

「この一帯の霊子全ての支配権を、滅却師側むこうが握っていると言う事だ」

最後まで言い終えると、白哉は真白の近くまで歩み寄り、虚ろな目と己のそれを合わせる。酷くしんどそうな彼女の額に自分の手をそっと添えた。

「びゃく、…や、くん……?」
「だからこそ、高い霊子濃度が必要な真白にとって、此処は言わば地獄の様な場所――。長居するのは得策では無い」
「じごく……、?」
「それに今の真白は、霊力も充分に貯め切れていない。そんな状態でこの地に留まり続ければ、今以上に体調が悪くなるのは目に見えている」

いくら“花蜜”を投与して花の呪いが解けたと言っても、真白の身体は縹樹夫妻の実験を受けた特別性。ただの死神とは違うのだ。
白哉は額に添えている手のひらから、少しずつ真白に霊圧を送る。その心地良さに真白はホッとしたのか、平子と手を繋いだまま安心したように目を閉じた。



京楽によって新しい霊王を決める方針で固まった護廷側。まずは道に沿って進もうと決めた矢先、唐突な揺れと共に巨大な“城”が聳え立った。誰も何も言わなくても解る。――あの場所に、敵が居るのだと。
隠す必要もない。来たければ来ればいい。自分は逃げも隠れもしない。そう言われているようで、京楽は心底腹が立った。これ程に怒りを感じるのはいつ以来だろうか。

けれどこれで行く先は定まった。一同は息を揃えて道を走り始めた。




暫く走り続けていると、だんだんと人数が減ってきている事には嫌でも気がつく。得体の知れない狙撃手に辟易していると、ついにこの男が足を止めた。

「っ春水!」
「アホォ! 止まったら敵の思うツボや言うてるやろ!」

真白と平子の止める声がその場に響く。すると京楽は斬魄刀を抜いて彼らに背を向けたまま、緩やかに口を開いた。

「また、美味しいいちご大福でも食べようか」

そう言って行ってしまった京楽に、平子達は首を傾げて「いちご大福て、何で今やねん!」と吠える。けれど真白だけはその言葉の意味を理解した。

「…また一緒に食べれるって、信じていいんだよね……!」

もう見えなくなった京楽の背の残像を目で追いかけて、真白は先へ進んだ。立ち止まる暇は、ない。


すると前方から滅却師の弓が行く手を阻んだ。明らかに此方の足を止めるような撃ち方に、皆が怪訝な表情で前を見ると同時に、真白の死覇装が全員の目に映った。

「真白っ!?」
廻れ、『月車』!

誰かが真白の名を呼んだが、本人には聞こえなかった。躊躇いなく始解をして大鎌を横一線に振るうと、数十はある光の矢が一斉に断ち斬れ、更には建ち並んでいた建物さえもスッパリと綺麗に斬れた。

「誰や、どっからや……!」
「大丈夫。…誰なのかも、何処からなのかも解ってるから」

そう言った真白の表情は後ろにいる平子達には見えなかったが、声は震えていることには気がついた。ギンが彼女に声をかけようとするよりも先に、真白が鎌の刃でギャリリリッと地面に傷をつける。

「隠れてないで出ておいで」

とても親しい者に話す喋り方。ルキアは自分達と話す時よりも少し甘くなった声色に、自然と己の眉間に皺が寄るのを感じた。
いち、にい、さん。三つ数えると、一陣の風が吹く。皆が吹き荒れる風で開けられなくなった目に手を添えると、次に目を開けた時には見知らぬ男と女が並んで立っていた。

「だ、誰だ……?」
「初めて見る奴だが…瀞霊廷には居なかったよな!?」

ルキアと阿散井が戸惑い、ジッと二人を見つめる。けれどこの中で唯一、平子には見覚えがあった。

血のような真っ赤な髪。記憶の奥底に眠っていたそれは、その髪を見ただけでいとも簡単に浮き上がる。

「お前等、あの実験施設におった……」

呆然と呟く平子に、真白は苦笑した。やはりこの人は覚えていたか、と。

「――やっと会えたね。紅音、紅綺」

柔らかく、甘く微笑む真白に、名を呼ばれた二人はただひたすらに矢を構えた。