「(だが、その“幸運”もここで終わりだ)」
対して真白はボロボロの市丸に心配の色を瞳に滲ませる。
「ギンっ…そんな傷だらけになって、なんで一人で……」
「…真白の卍解奪った奴に、一泡吹かせたかってんけどなあ」
「……莫迦」
力無く笑う市丸の表情と科白に、真白はたった一言だけ文句を言うと、素手のままユーグラムと向かい合う。後方から見ていた石田は「無茶だ!」と声を荒げた。
「斬魄刀を何処にやったんだ!? 素手で彼奴に向かうなんて――」
「無茶? …あのねぇ、こう見えても私、斬魄刀を使わない時期が長かったんだから」
「え……」
「だから、前衛は頼んだよ――ギン」
「懐かしいなぁ。今までの百年間はずっと
前に市丸が立ち、後ろに真白が立つ。斬魄刀を使えない百年間はこうして戦ってきたのだ。
今目の前に立つ彼の背中には白い羽織も、“三”の文字もないけれど。彼女にとってはとても見慣れた背中だった。
「射殺せ『神鎗』」
「破道の五十八 『
迫る攻撃にユーグラムが狼狽えることはない。翳した盾が攻撃を阻み、自身の聖文字によって同じ攻撃量が相手にダメージを与える。
考えなくとも解る結末だ。攻撃は当たらず、“攻撃した”という事実がある限り彼らに傷が増えていくだけ。それなのに、何故あの二人は戦うことをやめないのだろう。
「っ、はぁ、はぁっ……」
「ほんま、っ……けったいな能力や…」
どの傷も致命的で、息をするだけで苦痛なはず。けれど二人は立ち上がることをやめず、強い光を伴ってユーグラムを射抜く。
「……何故、諦めない?」
「はぁ?」
思わず漏らした問いに、真白は心底莫迦にしたような表情を浮かべた。
「最初に喧嘩を売ってきたのはそっちでしょう。勝手に人の部屋に入り込んで、人の卍解盗んで! しかも朱音と紅綺をあそこまで苦しめたのはあんたでしょ!」
「朱音と紅綺? …なるほど、あの二人と繋がっていたのか」
それならばと、ユーグラムは冷然とした態度であることを告げた。
「あの二人が陛下を裏切った場合、その力が陛下へ還ることは知っているのか?」
「――――!」
怒りで目の前が真っ赤に染まる。チリチリと肌を突き刺すような霊圧に、挑発したユーグラムも息を詰めた。限度を知らずにグングン上昇するそれは、城を、霊王宮を揺らす。
「真白」
名を呼ばれる。幾度も呼ばれた声に、意識が急速に取り戻されていく。前を見ればいつも傍にあった背中があった。
「落ち着きぃな」
「あ………」
「まぁ、今のですっ飛んでくるやろうけどな」
何がと問いかけるよりも先に、自分を呼ぶ声が空から降ってきた。
「真白しゃまああああ!」
幼い少年が城の天蓋を突き破り、瓦礫と共に参上した。濡れた烏のような黒髪の奥から覗く金色の瞳が、ひやりとした冷たい温度を持ってユーグラムを捉える。ただの斬魄刀のそれに、ユーグラムは確かに恐怖を覚えた。
「(……恐怖? 私が?)」
己の感情に自問自答するユーグラム。その一瞬の隙に、鎌を振りかざす真白が迫っていた。ざっくりと肩を斬り付けられ、血飛沫が吹き出す。しかしすぐにこの痛みも無くなるだろうと思っていたが、一向に傷は真白に移らない。
「何故だ」
「“幸運”やら“不幸”やら、世界調和がどうとか語ってくれたけど。そもそも前提が違う」
傷が癒えたわけではない。現に彼女は酷く辛い顔で立っている。それでも奮い立つ彼女の動力は、一体何なのだ。
「私達死神は魂の調整者。そして私は、その死神を殺す為に作られた死神」
鈍い光が斬魄刀の刃に反射し、ギラリと城を照らす。
「“月車”は私の霊圧にだけ反応する、“月の力”で攻撃する唯一の斬魄刀。そして月には不運も幸運も無く、有るのはただ満ち満ちた源力だけ」
肩に斬魄刀を担ぎ、強く地を蹴り上げる。迫る“白”にユーグラムはやっと剣で鎌を受け止めた。
「僕ンこと忘れてはらへん?」
「ッ、」
「ハァァっ!」
市丸の揶揄う声と共に、真白の渾身の一撃がユーグラムを襲った。地面は割れ、ガラガラと瓦礫が落ちていく事さえ気にせず、真白は更に攻撃を重ねていく。
「炎舞 “火照月輪”!」
「クッ……」
燃え盛る炎の輪を盾で防ぎ、もう片方の手で持つ剣を振るう。けれど服に付いた火花は瞬時に広がり、彼の身を焼こうと襲う。思わず舌を打ったユーグラムはすぐに上着を脱いで、荒い言葉を投げかけた。
「何故そこまでして戦う! 何故負けを認めない! 陛下は既に未来を“視た”! あのお方が“視た”限り、未来は変わらない! 変えられない!」
「うるさい!」
今にも倒れそうな足で踏ん張り、彼の叫びを遮る。
「誰がどんな未来を視たかなんて関係ない! だって私は未来なんて一片も知らないし、興味もない!」
「だが、人は何かを選び、何かを捨てる生き物だ! その秤からは誰も逃れられない!」
「捨てない!」
チリ、と身を焦がすような霊圧がまたユーグラムの肌を刺激した。満身創痍な筈の女は、焼けるような眼差しで自分を見ている。
「迷いもするよ、逃げもする! でも捨てない! 私は全部選んで、手に入れてやるんだから!」
その答えに、ユーグラムは静かに目を閉じた。――直後、彼の身を飲み込むように光が降り注いだ。
驚愕する市丸や真白達の目の前で光は消え、ゆっくりとユーグラムは倒れていく。力を奪われた彼の息はかつてないほど荒く、冷や汗が止まらない。
「何、今の……」
「敵さんがなんややらかしたみたァやな」
「はっ……聖別、だ……はぁ…。私だけではない、他の星十字騎士団の奴らも……おそらく…」
「! それって……」
「朱音と……紅綺…。彼らも…対象に入っている……だろう…」
「〜〜〜…っ!」
目を閉じて唸る真白は、「ツキ!」と呼ぶ。すぐに具象化したツキは「いってくるです!」と応えると、先程自分で開けた天井の穴から出て行った。
「斬魄刀に、何ができる……」
「ツキの力はあの二人にも作用する。…アカもコウも、あの夫妻の被験体だから」
「ふ、そうか……。…本当に、お前は…縹樹真白は……全てを手に入れるのか……?」
「…その為に努力するんだよ」
「……友達と……命、それが天秤にかけられたのなら……お前は、どちらを…」
「だから、どっちもって言ってる! 友達も助けて、自分も助かる。それが一番の最善でしょ」
何を言っているとでも言いたげな言い方に、ユーグラムはやっと何の含みも持たずに笑った。
「真白にこれ以上そんな話は無駄やで、無駄」
「…市丸ギン……」
「あの子、見た目と違ごて豪胆やからなぁ。しかも諦め悪いし」
「ハハ……そのようだな」
もっと早くに出会えていれば、何か違ったのだろうか。だがもう関係ない。これでやっと、何の憂いもなく友人に――大切な友人に会いに行けるのだから。
今更だと怒られるだろうか。けれど彼なら、バズビーなら仕方がないと笑って許してくれるだろうか。
「……さようなら、ユーグラム・ハッシュヴァルト」
おやすみなさいと瞼に優しく触れられる。その温もりに応えるように、ユーグラムは微睡むように目を閉じた。
「ほんま、優しいな」
「優しい? どこが…。ツキを使ったら助けられた命を、私は助けなかった。…選んだんだよ、ユーグラムの命より、アカとコウの命を」
「後悔しとるん?」
「……してないよ」
やっと終わった戦いに、二人揃って座り込む。石田雨竜はとうに何処かへ走ってしまい、今この場には二人きりだ。
「平子サンは?」
「ツキが治療してくれたから、大丈夫だと思う」
「さよか」
ゆっくりとした時間が流れ、ぽっかりと空いた穴から覗く空を眺めた。
「今頃一護くん、ユーハバッハと戦ってるのかな」
「せやろなぁ。何でも背負って戦うんがあの子やからな」
「最後の最後で彼に助けてもらっちゃってるね、私達」
「またお返しせな」
「ふふ、一護くんが負けるところなんて想像できないや」
どれだけ絶望的な状況だって、彼はいつの間にかそれに追いついて、追い越して、勝つのだ。
「……帰ったら、十四郎に会いに行こうね」
「せやなぁ。…よぉ頑張りはったな、あん人も」
穏やかに笑い、常に見守ってくれていた暖かなあの人を思い浮かべ、真白は静かに髪紐を解いた。