天秤

こうして対峙するのは三度目かと、ユーグラム・ハッシュヴァルトは真っ白い髪を靡かせる真白を見ながら思った。自分も三度も顔を合わせておきながら生きているだなんて、その“幸運”に素直に舌を巻く。

「(だが、その“幸運”もここで終わりだ)」

対して真白はボロボロの市丸に心配の色を瞳に滲ませる。

「ギンっ…そんな傷だらけになって、なんで一人で……」
「…真白の卍解奪った奴に、一泡吹かせたかってんけどなあ」
「……莫迦」

力無く笑う市丸の表情と科白に、真白はたった一言だけ文句を言うと、素手のままユーグラムと向かい合う。後方から見ていた石田は「無茶だ!」と声を荒げた。

「斬魄刀を何処にやったんだ!? 素手で彼奴に向かうなんて――」
「無茶? …あのねぇ、こう見えても私、斬魄刀を使わない時期が長かったんだから」
「え……」
「だから、前衛は頼んだよ――ギン」
「懐かしいなぁ。今までの百年間はずっとこう・・やったからな」

前に市丸が立ち、後ろに真白が立つ。斬魄刀を使えない百年間はこうして戦ってきたのだ。
今目の前に立つ彼の背中には白い羽織も、“三”の文字もないけれど。彼女にとってはとても見慣れた背中だった。

射殺せ『神鎗』
破道の五十八 『闐嵐てんらん』!

迫る攻撃にユーグラムが狼狽えることはない。翳した盾が攻撃を阻み、自身の聖文字によって同じ攻撃量が相手にダメージを与える。
考えなくとも解る結末だ。攻撃は当たらず、“攻撃した”という事実がある限り彼らに傷が増えていくだけ。それなのに、何故あの二人は戦うことをやめないのだろう。

「っ、はぁ、はぁっ……」
「ほんま、っ……けったいな能力や…」

どの傷も致命的で、息をするだけで苦痛なはず。けれど二人は立ち上がることをやめず、強い光を伴ってユーグラムを射抜く。

「……何故、諦めない?」
「はぁ?」

思わず漏らした問いに、真白は心底莫迦にしたような表情を浮かべた。

「最初に喧嘩を売ってきたのはそっちでしょう。勝手に人の部屋に入り込んで、人の卍解盗んで! しかも朱音と紅綺をあそこまで苦しめたのはあんたでしょ!」
「朱音と紅綺? …なるほど、あの二人と繋がっていたのか」

それならばと、ユーグラムは冷然とした態度であることを告げた。

「あの二人が陛下を裏切った場合、その力が陛下へ還ることは知っているのか?」
「――――!」

怒りで目の前が真っ赤に染まる。チリチリと肌を突き刺すような霊圧に、挑発したユーグラムも息を詰めた。限度を知らずにグングン上昇するそれは、城を、霊王宮を揺らす。

「真白」

名を呼ばれる。幾度も呼ばれた声に、意識が急速に取り戻されていく。前を見ればいつも傍にあった背中があった。

「落ち着きぃな」
「あ………」
「まぁ、今のですっ飛んでくるやろうけどな」

何がと問いかけるよりも先に、自分を呼ぶ声が空から降ってきた。

「真白しゃまああああ!」

幼い少年が城の天蓋を突き破り、瓦礫と共に参上した。濡れた烏のような黒髪の奥から覗く金色の瞳が、ひやりとした冷たい温度を持ってユーグラムを捉える。ただの斬魄刀のそれに、ユーグラムは確かに恐怖を覚えた。

「(……恐怖? 私が?)」

己の感情に自問自答するユーグラム。その一瞬の隙に、鎌を振りかざす真白が迫っていた。ざっくりと肩を斬り付けられ、血飛沫が吹き出す。しかしすぐにこの痛みも無くなるだろうと思っていたが、一向に傷は真白に移らない。

「何故だ」
「“幸運”やら“不幸”やら、世界調和がどうとか語ってくれたけど。そもそも前提が違う」

傷が癒えたわけではない。現に彼女は酷く辛い顔で立っている。それでも奮い立つ彼女の動力は、一体何なのだ。

「私達死神は魂の調整者。そして私は、その死神を殺す為に作られた死神」

鈍い光が斬魄刀の刃に反射し、ギラリと城を照らす。

「“月車”は私の霊圧にだけ反応する、“月の力”で攻撃する唯一の斬魄刀。そして月には不運も幸運も無く、有るのはただ満ち満ちた源力だけ」

肩に斬魄刀を担ぎ、強く地を蹴り上げる。迫る“白”にユーグラムはやっと剣で鎌を受け止めた。

「僕ンこと忘れてはらへん?」
「ッ、」
「ハァァっ!」

市丸の揶揄う声と共に、真白の渾身の一撃がユーグラムを襲った。地面は割れ、ガラガラと瓦礫が落ちていく事さえ気にせず、真白は更に攻撃を重ねていく。

炎舞 “火照月輪”!
「クッ……」

燃え盛る炎の輪を盾で防ぎ、もう片方の手で持つ剣を振るう。けれど服に付いた火花は瞬時に広がり、彼の身を焼こうと襲う。思わず舌を打ったユーグラムはすぐに上着を脱いで、荒い言葉を投げかけた。

「何故そこまでして戦う! 何故負けを認めない! 陛下は既に未来を“視た”! あのお方が“視た”限り、未来は変わらない! 変えられない!」
「うるさい!」

今にも倒れそうな足で踏ん張り、彼の叫びを遮る。

「誰がどんな未来を視たかなんて関係ない! だって私は未来なんて一片も知らないし、興味もない!」
「だが、人は何かを選び、何かを捨てる生き物だ! その秤からは誰も逃れられない!」
捨てない!

チリ、と身を焦がすような霊圧がまたユーグラムの肌を刺激した。満身創痍な筈の女は、焼けるような眼差しで自分を見ている。

「迷いもするよ、逃げもする! でも捨てない! 私は全部選んで、手に入れてやるんだから!」

その答えに、ユーグラムは静かに目を閉じた。――直後、彼の身を飲み込むように光が降り注いだ。

驚愕する市丸や真白達の目の前で光は消え、ゆっくりとユーグラムは倒れていく。力を奪われた彼の息はかつてないほど荒く、冷や汗が止まらない。

「何、今の……」
「敵さんがなんややらかしたみたァやな」
「はっ……聖別、だ……はぁ…。私だけではない、他の星十字騎士団の奴らも……おそらく…」
「! それって……」
「朱音と……紅綺…。彼らも…対象に入っている……だろう…」
「〜〜〜…っ!」

目を閉じて唸る真白は、「ツキ!」と呼ぶ。すぐに具象化したツキは「いってくるです!」と応えると、先程自分で開けた天井の穴から出て行った。

「斬魄刀に、何ができる……」
「ツキの力はあの二人にも作用する。…アカもコウも、あの夫妻の被験体だから」
「ふ、そうか……。…本当に、お前は…縹樹真白は……全てを手に入れるのか……?」
「…その為に努力するんだよ」
「……友達と……命、それが天秤にかけられたのなら……お前は、どちらを…」
「だから、どっちもって言ってる! 友達も助けて、自分も助かる。それが一番の最善でしょ」

何を言っているとでも言いたげな言い方に、ユーグラムはやっと何の含みも持たずに笑った。

「真白にこれ以上そんな話は無駄やで、無駄」
「…市丸ギン……」
「あの子、見た目と違ごて豪胆やからなぁ。しかも諦め悪いし」
「ハハ……そのようだな」

もっと早くに出会えていれば、何か違ったのだろうか。だがもう関係ない。これでやっと、何の憂いもなく友人に――大切な友人に会いに行けるのだから。

今更だと怒られるだろうか。けれど彼なら、バズビーなら仕方がないと笑って許してくれるだろうか。

「……さようなら、ユーグラム・ハッシュヴァルト」

おやすみなさいと瞼に優しく触れられる。その温もりに応えるように、ユーグラムは微睡むように目を閉じた。



「ほんま、優しいな」
「優しい? どこが…。ツキを使ったら助けられた命を、私は助けなかった。…選んだんだよ、ユーグラムの命より、アカとコウの命を」
「後悔しとるん?」
「……してないよ」

やっと終わった戦いに、二人揃って座り込む。石田雨竜はとうに何処かへ走ってしまい、今この場には二人きりだ。

「平子サンは?」
「ツキが治療してくれたから、大丈夫だと思う」
「さよか」

ゆっくりとした時間が流れ、ぽっかりと空いた穴から覗く空を眺めた。

「今頃一護くん、ユーハバッハと戦ってるのかな」
「せやろなぁ。何でも背負って戦うんがあの子やからな」
「最後の最後で彼に助けてもらっちゃってるね、私達」
「またお返しせな」
「ふふ、一護くんが負けるところなんて想像できないや」

どれだけ絶望的な状況だって、彼はいつの間にかそれに追いついて、追い越して、勝つのだ。

「……帰ったら、十四郎に会いに行こうね」
「せやなぁ。…よぉ頑張りはったな、あん人も」

穏やかに笑い、常に見守ってくれていた暖かなあの人を思い浮かべ、真白は静かに髪紐を解いた。