空からこんにちは

「(あの霊圧は確かに彼奴じゃったが…三番隊ではなかったはずじゃ。それにあの髪も…昔とは真反対ではないか…!)」

一護達(主に一護)が『霊珠核』に霊力を込める練習をしている間、夜一は悶々と先ほど出逢った女のことを考えていた。姿も話し方もまるで違うというのに…なぜこんなにも胸が騒つくのか。

「考えていても何もわからん…か」

月を見上げ、夜一はそっと呟いた。
今更会えたとしても、いったい何を言えようか。置いていった自分達を、彼女が許しているはずもないというのに。

「それじゃあ、行ってくるよ」
「はい。隊はお任せ下さい」

四席の堤根つつみねに見送られ、吉良は廊下を歩く。副官章を付けた腕が、妙に重く感じた。
隊に残った真白は、現在五席の五里ごりに怒られているところだ。何せ市丸と真白を不本意にも見送ってしまったのは五里なのだ。その二人が問題行動を起こして帰ってきたとなれば、当然説教もあるというもの。むしろ説教で済んで良かったと言うべきところである。
それを重々承知している真白は申し訳ない思いでいっぱいになり、大人しく頭を下げてその説教を聞き入れる。たとえ今回のことが真白にとっても不本意なものであったとしても、だ。一緒にいた市丸が隊首会に呼び出されてしまったのだ。ことはそう穏やかではない。
一人で行ってしまった市丸の姿を思い浮かべ、真白は静かに目を閉じる。彼が何を思って自分をあの場に連れて行き、ルキアとオレンジ頭の彼との関係性を教えてくれたのか――その意図が、まったく分からない。考えたところで思い当たるものなど何もなく、真白は歯がゆい思いを抱えるしかなかった。

「…来たか。さあ! 今回の行動についての弁明を貰おうか! 三番隊隊長――市丸ギン!!!」

『一』と書かれた大きな扉が勝手に開く。部屋の中には白い羽織りを羽織った十名もの人物が立ち並び、その奥にある上座に一人の老人が座っている。
中から発せられる威圧は普通の平隊士であれば卒倒ものだろうに。市丸は顔色ひとつ変えることなく、相変わらず飄々とした表情で中に入った。

「何ですの? イキナリ呼び出されたか思うたらこない大袈裟な…。尸魂界を取り仕切る隊長さん方がボクなんかの為にそろいもそろってまァ……――でもないか」

ふと気づいたように、市丸はふわりと髪を揺らす。

「十三番隊長さんがいらっしゃいませんなァ。どないかされはったんですか」
「彼は病欠だよ」
「またですか。そらお大事に」
「フザケてんなよ。そんな話しにここに呼ばれたと思ってんのか?」

一人強烈な威圧を投げるのは、十一番隊隊長の更木剣八。右目に眼帯を付けているせいか、片目で睨みつけるその顔は凶悪だ。

「てめえ、一人で勝手に旅禍と遊んできたそうじゃねえか…いや、一人じゃねえな。もう一人いたんだったか? しかも殺し損ねたってのはどういう訳だ? てめえ程の奴が旅禍の4・5人殺せねえ訳ねえだろう」

やはり、真白の存在にも気づかれていたか。市丸は「(遊びすぎてもたなァ)」とひとりごちると、「あら? 死んでへんかってんねや? アレ」とすっとぼけた。

「何!?」
「いやァ、てっきり死んだ思うててんけどなァ。ボクの勘もニブったかな?」
「…クク…」

右手を首の後ろに当ててそんなことを言ってのけた市丸に、一人の男の笑いが飛ぶ。

「猿芝居はやめたまえヨ。我々隊長クラスが、相手の魄動はくどうが消えたかどうか察知できないわけないだろ。――それとも、それができないほど、君は油断してたのでも言うのカネ!?」

ぎょろりと眼光を向けるのは十二番隊隊長、涅マユリ。技術開発局二代目局長も兼ねている彼もまた、絶対的な強さを誇っていた。
そんな彼らのやり取りに溜め息を吐くのは、隊長格の中ではまだまだ新参者の十番隊隊長、日番谷冬獅郎。他にも「やれやれ」と呆れた声すら聞こえてきたそのとき、

ぺいっ!

上座に座る老人――一番隊隊長でもあり、また護廷十三隊を纏める総隊長の位置にも就いている山本元柳斎重國が叱責を放つ。よく響き通るそれに隊長達の背筋も伸びた。

「やめんかい、みっともない! 更木も涅も下がらっしゃい! …じゃがまあ、今のでお主がここへ呼ばれた理由は概ね伝わったかの」

ボリボリとこめかみを掻いた山本は、静かになった隊舎の中をゆったりと見渡した。

「今回のおぬしの部下を連れた命令なしの単独行動。そして標的を取り逃がすという、隊長としてあるまじき失態! それについて、おぬしからの説明を貰おうと思っての! その為の隊首会じゃ」

やはり、真白を無理にでも置いてきてよかった。着いてこようとしていた彼女の姿を思い出し、市丸は気づかれぬように笑みを深くした。

「どうじゃい。何ぞ弁明でもあるかの――市丸や」

――やっぱり、連れてこなくてよかった。こんな空気、彼女にはもう二度と・・・・・味わせたくない。山本の重たい声ですら、市丸の目はいつも通り細まったままだった。

「ありません!」

ハッキリと言い切った市丸に、山本は「…何じゃと?」と聞き返した。

「弁明なんてありませんよ。ボクの凡ミス。言い訳のしようもないですわ。さあ、どんな罰でも――」
「…ちょっと待て、市丸…」

藍染が市丸の台詞を遮るが、次に藍染の言葉を遮ったのは緊急警報の鐘だった。ガンガンガンとけたたましい音が瀞霊廷内に大きく響く。

《緊急警報!! 緊急警報!! 瀞霊廷内に侵入者有り!! 各隊守護配置について下さい!!》

焦りを募らせる放送が鼓膜を揺らす。例に漏れず慌てる隊長達を尻目に、市丸は一人の女の姿を頭に過ぎらせていた。
剣八が出て行ったことすら、どうだっていい。今は一刻も早く隊舎に戻らなければ。

「…致し方ないの…。隊首会はひとまず解散じゃ! 市丸の処置については追って通達する。各隊、即時廷内守護配置についてくれい!」

総隊長の命令に各隊長は即座に動く。その足取りは重く、彼らの肩には並々ならぬ重責があった。
市丸も続こうかと思ったが、それよりも先に藍染が横を通り過ぎる。

「随分と、都合良く警鐘が鳴るものだな」
「…ようわかりませんな。言わはってる意味が」
「…それで通ると思ってるのか?」

冷たい応答が続く。

「僕をあまり、甘く見ないことだ」

その一言にどんな意味が込められているのか――考えなくとも分かってしまう。
そんな二人を静かに見つめていた日番谷は、眉間に皺を寄せるという幼い子どもの容姿には似合わない表情を浮かべていた。

「あ…隊長! お帰りなさい!」
「んー」

適当な返事をした市丸は、自然な動作で真白を見やる。後ろの方で立ち尽くす彼女の顔色は真っ青で、やはり自分の予想は当たっていたかと一瞬だけ笑みを消す。
あの警鐘の音は、彼女にとって悪夢を呼び起こす鍵だ。あの音で全てが狂ったのだから、そうなってしまっても無理はない。ここ百余年鳴らなかったせいか、真白の瞳には絶え間なくあの紅い花が見えていることだろう。市丸はそこまで考えて、皆に命令を告げた。充てがわれた守護配置に着くように、と。
慌ただしく出て行く隊士達を見送り、真白が無意識ながらも動こうとしたのを見て、市丸は彼女の手首を掴んで隊主室へと無理やり連れて行く。そこでやっと現状が理解できた真白は慌てて離れようとするも、力強く引っ張られてしまえばその抵抗は無きに等しくて。
気づけば、すっぽりと市丸の大きな体に覆われていた。

「たい、ちょ……?」
「…………」
「あの、わ、私も配置に、」
「………」
「…市丸、隊長…?」

本当は、分かってる。彼のこの行動の意味を。それでも分からないフリをしてしまう自分が心底嫌になる。
トクン、トクンと市丸の心臓の音が真白の耳にするりと入り込む。その音のおかげで激しく波打っていた自分の心臓が落ち着いていくのが真白は分かった。

「…もうそろそろや」
「え…」
「あともうちょっとの辛抱やで、真白」
「なに、が……」

ああ、見上げなければよかった。
そんな泣きそうな顔、しないでよ。

「“そんとき”がきたら、ちゃんと呼ぶんやで…斬魄刀の名前を」
「たいちょう…?」

なんで、そんなに悲しそうなの。
問いかけたい筈なのに、真白の口は重たく閉ざされてしまう。自分の口なのに、自分の意思ではない何かに阻まれているようだ。

「たとえ相手が誰やとしても、“そんとき”はちゃんと解放すんねんで」
「なに言って…」
「ほなら、ボクらも配置につこかァ。またサボりや言われたらたまったもんやないからな」

そう言った市丸の顔は、もうキツネのような笑みを貼り付けていて。それ以上尋ねることなんて出来やしなかった。
その直後、遮魂膜にぶつかった霊子の塊は四つに分かれて吹き飛んだ。