幼馴染みと再会する【前日談】


この話より前の話。承太郎が来る前、ジョルノ視点。






 SPW財団から空条承太郎がやって来る──

 その報せを受けて動揺したのはジョルノ──ではなく、ミスタの方だった。

「何故あなたが焦ってるんです?」

 届いたばかりの手紙から顔を上げ、ジョルノは目の前に立つ男を見上げた。グイード・ミスタ──彼とはもう長い付き合いになる。出会いはジョルノがまだ十五歳だった頃、ギャングの世界に飛び込んだばかりの時分だった。
 それ以来の付き合いともなると勝手知ったるもの。彼が大袈裟なくらいの反応を示すのにももう慣れた。だからジョルノは大きな事務机の前に腰掛けたまま、冷静に問いかける。
 するとミスタはその様子が気に入らなかったのか──不満げに片眉を上げ、「だってよォ〜……」と思わせぶりに言葉を止めた。

「お前……知ってるだろ?そいつは名前の、」

「ええ、昔なじみ、でしたよね?」

 それが何か?言外に滲ませると、ミスタはやれやれと肩を竦めた。これは『わかってねぇなァ〜』と言いたい時の仕草だ。ジョルノにはわかる。それに、彼が本当に言いたいことも。もう既に察しがついていた。

「そんなヤツがよォ〜……いきなりこっちに来るって?アメリカから?わざわざここの偵察に?テメーでなくてもできる仕事のために?……どんな暇人だよ」

 バカバカしい、見え透いたウソだ。ミスタはそう言って、唾を吐く真似をした。とはいえ真似だけだ。いかに気心知れた仲とはいえ、さすがに彼も弁えている。ボスの『事務室』に唾を吐くなんて本当にするわけがなかった。
 でも彼が苛立ってるのは本当だ。ミスタは顰めっ面で両腕を組んでいた。肘に置かれた人差し指は忙しなく拍子を刻んでいる。それでもジョルノは落ち着き払って、「偵察ではなく視察ですよ」と、一応の訂正をしておいた。

「こっちの状況もちゃんと見ておきたいんですって」

「ってのは口実だろ」

 それにはジョルノも同意だ。SPW財団。今はパッショーネと協力関係にあるが、だからといってジョルノにとってのミスタと同じというわけにはいかない。背中を預けられるほど信頼してはいなかったし、それは向こうだってお互い様だろう。
 だから財団は時折職員をイタリアに派遣した。名目は視察、かつて矢により爆発的に増えたスタンド使いたちがその後どうしているかというのを確認するのが主で、しかしその実彼らが警戒するのはパッショーネという組織それ自体であった。
 財団にとってパッショーネは──というよりジョルノが、と言った方が正確か──不穏分子に近しい存在だった。いや、危険視というより不安視だろうか。
 だが未知の能力となれば誰だって不安にもなるだろう。彼らの疑り深い眼差しを受け止めるのはジョルノにとってそう難しいことではなかった。それで平穏が保たれるなら安いものだとさえ考えていた。
 だから財団側もこの数年は態度を軟化しており──それ故に今さら空条承太郎という切り札を財団が切ってきたのが解せない。
 そう、ジョルノだってミスタほどではないが驚いていた。何故今になって彼が、イタリアに。ミスタと理由は違えど、ジョルノもまたこの報せに疑念を抱いていた。承太郎の真意は他にある、そうとしか思えなかった。

「要するに、だ……、お前らの結婚を聞いて焦ったんだろうよ、あちらさんは」

 そしてミスタはその真意を色恋沙汰と決めつけてかかった。
 彼はすっかり訳知り顔。知識人ぶった表情で幾度か頷きながらつらつらと言葉を続けた。

「幼馴染みっつーのはなかなか意識しづらいもんだからな、結婚したって聞いて今さら惜しくなったんだろ。バカだなァ〜……そーいうんは叶わねぇって相場が決まってんだよ」

 ……経験者ぶって語ってはいるが、彼に幼馴染みなんてものはいない。創作物か或いは彼自身の空想か。いずれにせよそんな幼馴染みなんてのは実在しない。
 しかしジョルノがそういった指摘をすることはなかった。ミスタが話すに任せ、彼が満足したところで「それはどうでしょう」とようやく否定の語を紡いだ。

「結婚前ならわかりますが……、もう済んだ話ですよ?それこそ今さらというのでは?」

 まぁこれが誓いを交わす前だったとしてもジョルノがミスタほどに狼狽えることはないだろう。ジョルノには確信があったし、名前もまた同じだ。

『もしも二つが一つになるとしたら、それはまさしく私たち──』

 そう口ずさんで微笑んだ横顔はまだ記憶に新しい。その時窓辺から見上げた北極星の眩さも、清らかなばかりの夜風も、喜びに鼓動する胸も。何もかもがジョルノの傍らにあった。
 だからジョルノに不安はない。彼女がいかに幼馴染みを大切にしていようと、今現在彼女が選んだのはジョルノだ。そしてそれを彼女は裏切らない。彼女は愛情深く、誠実な人だった。

「だから奪い取ろうって来る気なんだろーがッ!」

 わかんねーヤツだなッ!とミスタは机を叩いた。お陰で書類は傾くし置いていたペンだって危うく転がり落ちそうだった。それを寸でで止め、ジョルノは内心で溜め息を吐いた。
 しかしミスタはまだこの話を続ける気らしい。

「オメーは男心ってのがまるでわかってねぇッ!!」

 そう言って、いかに男というのが身勝手で嫉妬深いのかというのを語って聞かせてくれた。女を間に挟めばいったいどんな大事になるのか。男なら間男もろとも撃ち殺すものだとミスタは言う。男も女もみんなまとめてだ。そんな野蛮が許されるなんていつの時代の話だろう。

「まさか、彼は日本人ですよ。そしてぼくも名前も」

 イタリア人じゃあないんだから──というのはあまり大きな声では言えないこと。ジョルノはそこで言葉を止めたが、ミスタにはしっかり伝わった。
 「さて、どうだかね」ミスタはよほど血なまぐさい事件が好きなようだ。どうあってもジョルノと空条氏の間で戦争を起こしたいらしい。まったく、無関係だからって。

「そうなったらあなたにもしっかり働いてもらいますからね」

「おお、いいぜ。オレはお前が勝つって方に全財産賭けてっからな」

「はいはい」

 聞き流すと、ミスタは「善は急げ、だ」と言って受話器を取った。接続先はこの屋敷内。内線で名前を呼び出しながら、ミスタは片方の口角だけを持ち上げた。良からぬことを目論む者の表情だった。

「いったいどうしたの?緊急って……って、なぁに二人揃って。仕事の邪魔しちゃダメよ、ミスタ」

 ものの数分で叩かれた扉。部屋に入ってきた名前はミスタとジョルノを認め、眉を潜めた。それは子供を叱る母親の顔で、言い聞かせる声もまた成人男性にかけるには些か甘やかなものだった。
 ミスタは「なんでオレが邪魔する前提なんだよ」と口を尖らせ、しかしすぐに表情を改めた。

「ジョルノから話があるってよ」

 ジョルノはミスタを見上げた。視線が合う。と、途端ににやける頬。笑う目に、ジョルノは文句を言いかけ──「話?何かしら」しかし名前が不安げに瞳を揺らすのを見て、すぐに視線を外した。
 ミスタのことはもうどうでもよかった。彼に楽しみを提供するのは微妙な心境だが、それでももう構いやしなかった。名前が不安がる方がジョルノにとっては重要なことだった。

「大したことじゃあないんです。ただ連絡があったのであなたにも知らせようかと」

「連絡?」

「はい、……空条氏が近々こちらに来るそうですよ」

 ジョルノはなんてことない口ぶりで彼女に告げた。事実、なんてことない用件だ。空条氏の来訪に心当たりはないが、だからといって身構えすぎる必要もない。用心は大切だが、それだけだ。本当に……それだけのことだと思っていた。
 けれど口にした時、その名を名前に告げた瞬間──妙な感覚があった。近いのは胸騒ぎ、だがそれほど明確なものでもない。ただなんだか嫌な感じではあった。僅かな焦燥。ちくりと痛むのは──心臓か。
 ジョルノは名前を見上げた。静かに、けれど一瞬たりとも視線を外さず。瞬きすらも忘れて名前を見つめた。何故だか祈るような心地だった。彼女が何らかの合図を出すのを恐れていた。

 ──恐れ、だって?

「あら、そうなの?私には全然そんな連絡なかったのに……嫌ね、仕事人間って」

 ジョルノが何かに気づきかけた時、反対に名前はほっとした顔で──そしてすぐ不思議そうに首を傾げ、それから言葉通り眉間に皺を寄せた。
 その様子をジョルノはひとつ残らず目に焼きつけた。名前の瞳の奥までも観察し、彼女が真実知らなかったのだと確信した。既に嫌な感覚は去っていた。痛みも、恐れも。根拠のない不安の類いはジョルノの中からいとも容易く消えていた。

「そうだよなァ〜……やっぱ家庭を顧みない男はろくでもないよなァ〜……」

「そこまでは言ってないけど……」

「でも仕事ばっかで家のことほったらかし、連絡も寄越さないってのはナシだろ?な?」

「うーん、まぁそうね……、一緒にいれるに越したことはないんじゃないかしら」

「だろッ!?」

 ──なんであなたがそんな必死になってるんですか。

 ジョルノは内心で思いながら、しかしミスタを止めることはしなかった。彼が頻りに目配せしてくるのに笑みでもって応え、「名前、」と声をかけた。

「近くに日本料理の店ができたんですけど……今晩はそこにしませんか?」

 控えめに提案すると、名前は目を輝かせた。「いいわね、すてき」無邪気に笑う彼女はジョルノがミスタに視線をやるのも、ミスタがジョルノに「よくやった」と親指を立てるのも気づかなかった。

「ありがとうございます、ミスタ」

「いいってことよ、……お前らのためだからな」

 ミスタに背中を叩かれながら、ジョルノは思う。本当に、良き仲間、良き家族に巡り会えた。二人ともがジョルノにとってかけがえのない存在だった。ミスタはジョルノとあまりに違っていたが、それ故に多くの気づきを齎してくれた。
 先程のことだってそうだ。ジョルノは名前を信じている。それに間違いはない。ないが、しかし、──面白くないのもまた事実だった。
 それもミスタが仕掛けてくれなければ気づかないままだったろう。気づかず通り過ぎていたらいずれ何らかの凝りになっていたかもしれない。だから、これでよかったのだ。

「言葉ってのは結構重要だろ?」

「ええ、そうですね、その通りです」

「……ええっと、なんの話?聞いてもいいのかしら?」

 居心地悪げに訊ねてくる名前に、ジョルノはにっこりと笑う。そしてミスタは彼女の肩に手を回し、その耳に囁いた。

「オレがその店教えてやったんだよ、だからつまり……オレに感謝しろよ?」

 ……まぁ、そういうことでいいだろう。

 楽しげに言葉を交わす二人を眺め、ジョルノは窓の向こうに視線を流した。広がる石畳、風にそよぐ緑。流れて込んでくるのは柑橘類の爽やかな香りで、日差しは透き通り、柔らかな線を描いていた。
 ジョルノはもう一度二人を見た。そうした美しいものに包まれた二人を。穏やかなばかりの光景を眺め、目を閉じた。あまりにも安らかな心地であった。







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アン・ブラドストリート『我が愛する優しい夫に』より引用
お題箱より、ありがとうございました!