■ 6

 あのね、私が言うのもなんだけど、女の家にあんまり無防備に上がっちゃだめだよー。

 台所の隅で椅子に座って、何が面白いでもないだろうに私を眺め続ける蛭魔くんに言う。
 生憎見られて作るのには慣れていないし、けっこうざっくり感覚でやってるから、そんな目で見られるとちょっとやりにくいんだけど。あーもう、気が散るっていうか、恥ずかしい。自分がこうなるって最初からわかってたから、ちゃんと居間で寛いでてって言ったのになぁ。

 あ、ちなみに。誤解されないように補足すると、一応最初に、手が要るなら言ってみろよ、なんて可愛い言い方で手伝いを申し出てくれたのだ。それを上記の理由であっさり断ったが故に、こうして「ただ座ってこちらを見続ける蛭魔くん」が出来上がったのです。

「本当にアンタが言える台詞じゃねぇな」

 まあね。けど、美人局って可能性もあるんだからねー。ご飯食べてたら怖いお兄さんが怒鳴り込んできて……なんてこともあるかもだしぃ。
 なんて適当な事を言うと、背後で蛭魔くんが噴き出した。うわぁ。うけちゃったよ。

「ハンッ 返り討ちにしてやらぁ。つーかまず、アンタが美人局ってのは無理あるんじゃねぇのか?」
 カチーン。おいこら、それはどういう意味なのかなぁ少年くんよ。
「失礼な。そんなこと言うけど、私って結構需要あるのよ?」
 
 なんて、顔を見られないのをいいことに、冗談めかして大口を叩いてみる。けれど……あれれ、反応がないなぁ。
 残念、今回は滑っちゃったか。無視されて取り繕うのもなんだか恥ずかしいので、蛭魔くんの方は見ずにまた料理に集中することにした。


  ***


 さあ、召し上がれ。勿論、感想も忘れずにね。

 食卓に並んだ料理を見て、蛭魔くんが一言「意外と……まあ、食えそうだな」と呟いた。
 二人揃って頂きますをして、けれども箸は持たずに蛭魔くんが食べるのを見つめる。一口、二口、そして……。黙々と口を動かす蛭魔くんに物言いたげな視線を送り続けていると、ようやく「なかなか、いいんじゃねぇのか」との反応が貰えた。

 やったね! まぁ、言わせた形になったけれど、この子の性格的に口に合わなかったら遠慮なくそう言いそうだ。ともかく、箸が進む様子に安堵して私は立ち上がり、冷蔵庫へと向かう。

 なぜかって?
 ……はい、ここで予想通りのアルコール!

 今夜はご飯に合う日本酒を用意してみました!どーん!
 ああ、じと目を向ける蛭魔くんの視線は気にしないことにしましょう。



 ほろ酔いパワーで僅かに有った緊張すら吹き飛ばし、今の気分は上々だ。
 蛭魔くんも当初の不機嫌など忘れたような機嫌のよさで、楽しく食事ができている。と、少なくとも私は思ったわけです。
 あれ、そう言えばなんであんなに機嫌が悪かったのだろう。今更ながらに気になってきたけれど、変に尋ねてまた不機嫌になられると面倒なので黙っておく。

 さて。その食卓に問題があるのではと思ったのは、食べ始めて暫く経った時だった。
 二言三言話した後は、ふたりして黙々と箸を動かしたりおちょこを動かしたりしていたわけだけれど、そこでふと気が付く。そう……私が黙っていると、蛭魔くんも黙っているのだということに。

 気付いてしまえば途端に、こんな風に会話の無い食卓は高校生男子にとっては退屈なだけなのでは、という不安が首をもたげる。
 私はいいのだ。可愛い子と、我ながら美味しく出来たご飯とを肴に並べてじっくり飲む酒は、それはもう最高に美味しいから。けれど、肴にされている少年としては、この環境は居心地が悪いかもしれない。

 しかしそこまで思ってみたものの、私の口は冗談を言う事も、天気の話題を振る事もしなかった。正直な所を言うと……そこに注目して蛭魔くんをより観察した結果、それどころではなくなったのだ。
 先ほど肴と呼んだのは誇張ではない。向かい合って座っていれば、話す時、食べる時、つまり始終ふとした瞬間に私の目は蛭魔くんを映す。その度に大変に美味しい思いをしたというのに、より注視してしまったどうなるか。ああ、そんなことわかりきっていた筈なのに。

 テーブルに落とされた蛭魔くんの視線は、なかなか私へは向かない。それを幸いとまじまじ見れば、やけに長い睫毛までしっかり確認出来た。そういえば、いままで会った時は照明は強いものの落ち着けないコンビニの店内だったり、街灯が光る夜の公園だったりしたのだ。私はやっぱり甘かった。
 こうして明るい部屋でしみじみ見つめた蛭魔くんは、ああ、この子って本当に整った顔をしていたのだと溜息を吐きたくなる有様じゃないか。しかも、黙っていると余計にその顔立ちが強調される。
 思わず気まずくなって視線を動かすと、今度は動き続けている手元に引きつけられた。

 ああどうしよう。これこそ、本当にいい酒の肴だ。
 視線を外したはずのそこにも、私を夢中にさせる姿があった。

 ただ食べているだけなのに、滑らかに動く手元はまるで手品でも見ているかのように美しい。
 目の前で繰り広げられるショーに、ほうと見蕩れてしまえば、知らず知らずの内に口に含んでいたお酒がとろりと喉を下っていく。
 ああ、食べ方きれいだなーとか、指長いなー、細いなー、あ、手首凄く色っぽい……とかぼーっと思っちゃうわけで。年頃のおねーさんらしく、つい、器用に動く長い指にムラっともきちゃうわけで。
 おまけに、ほろ酔い効果で頭も口も緩いわけで。

 ……この時のことを思い出すと、どこまでも自分が迂闊だとしか言えない。でも、後でするから「後悔」なのだ。
やっちまった時点では自覚がないのだから、仕方がない(こうして開き直るのがよくないことも薄々気がついてはいる)。


「蛭魔くんってさー、所作が綺麗よねー」
「はぁ?」
「さっきも言ったけどさー、本当にね、私ってそれなりに需要あるわけよー」
「おい、噛み合ってないぞ酔っ払い」
「でさー……蛭魔くん、私と付き合ってみない?」

 言いたいことを言ってスッキリにっこり。
 加えて、綺麗な顔がこちらを向いたことにすっかり満足した私は、また黙々と食事に戻る。返事を聞きたいっていう思いもあるけれど、今はまず蛭魔くんのこの表情!
 こんなに驚いた顔をしてくれる程、意表を突けたことが凄く楽しい。

 はい、どう見ても酔っ払いですよ、私ったら。
 浮かれた自分と、その浮かれを冷静に認識する自分がいるのがわかる。でもって、多分、もう少ししたら不安になったり後悔するんだろうな、という予感もちゃんとしている。
 でも、今はそれでもいいか……と思えている。うん、やっぱり酔っ払いだ。

 そんなことをぼへーっと考えながら、箸の止まった蛭魔くんをちらりと見る。視線に気がついて慌てたように食事を再開する蛭魔くん。あ、なんか、この雰囲気……うーん、この感じは、ダメだったかなぁ。時期尚早という言葉が脳裏に浮かぶ。

 次に蛭魔くんの声が聞こえたのは、ではこのすっかりやらかした滑りまくりな残念な食卓を、今更一体どう収めればいいのだろうと考え始めた時だった。

「おい糞アル中」
「なまえさんですよー」
「……なまえ。今の、本気で言ったのか?」

 呼び捨てかい。まぁいいけど。

「ええ、勿論。冗談であなたが釣れると思うほど、馬鹿じゃないもの」

 そう言って、にっこり笑いかける。
 こうなれば自棄だ。酔っぱらいは強いんだからね。

「……いいぜ。釣られてやる。付き合ってやるよ」

 オッケーだったらラッキー、くらいの勝算でのついぽろっとな発言だったから……しかも、諦めたばかりだったというのに。
 突然にもたらされた色よい返事の意味は当然ながらすぐには解らなくて、今度は私が目をぱちくりとする番だった。そして、そんな私に対して、してやったとばかりにニヤリと笑う蛭魔くん。
 ……どうしよう、おもしろいじゃないか。胸いっぱいに興奮が広がるのと感じながら、蛭魔くんに負けじと無理矢理笑みを作って口を開く。

「じゃあ、よろしくね。乾杯」



 とりあえず、彼氏ができました。



(2013)
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