■ 11

 いつまでも悲しいお酒に浸るのは趣味じゃないし、いい加減夕飯の支度でもしないとね。なんて無理やり気分をかえて、さあ頑張ろうと気合いを入れて立ち上がる。
 夕方からお酒だなんて。この光景を蛭魔くんに見られたら、なんと言われるやら。

 ……そう。
 昼間の女子トークのおかげで思い切りへこんでいるというのに、実は今夜も一緒にご飯の約束なのです!
 今更、ごめん都合悪くなった、なんて言えないし。そして連絡をしなければ当然、練習終わりの蛭魔くんがもうすぐやって来る訳で。
 うーん、なんか困っちゃうね。かといって、他に選択肢など無いのだけれど。


  ***


「お前は本当に、酒が好きだなぁ」

 夕飯の高野豆腐をつまんで、さてお次は……と動かした手は、蛭魔くんの呆れた声を受けて動きを止める。
「え、うん好きよー。ちなみにこれは青森の地酒でね、友達のお土産なのよーん」
 そう言って、小さなグラスに注がれた液体を軽く揺らして見せる。そのままこくんと一口呑むと、たまらなく幸福である。

「女ってぇのはもっと甘ったるいカクテルとか、チューハイだぁノンアルだぁってのが好きだと思ってたが。お前はそんなんか、ウイスキーばっか飲んでるよなぁ」

 正直、こういう事を言われるのは初めてでは無かった。まあ、合コンとかでとりあえずビールからの流れで趣味に走ると、大体ここに食いつかれる。「意外と渋いね」とか言われるならまだいいものの、もっと露骨に「女の子なのに」とか「似合わないね」とか失礼なことを言う奴もいるのだ。
 だから、一時は人目を気にして、それなりに頑張る時は始めのうちだけでも無難なものを頼むのがパターンになっていた。と言ってもまあ、実際はメニューに気になるものがあったら、飛びつかずにはいられなかったのだけれど。(ちなみにここ最近は、初対面の相手の酒の好みにあれこれ口を出すような無粋な男は御免だと割り切って、いつだって好きに飲んでいた。)

 ……しかし、まさか蛭魔くんにまで言われるなんて。
 一瞬ギクリとしたものの、よく聞いてみれば、これは単純にギャップについて言いたかっただけだと伝わってくる。なんか、ちょっとほっとする。いや、まあ、蛭魔くんが「そういう人」じゃないってのは、わかっていたつもりなんだけれど。

「あー、まぁ、確かにああいうのが好きな子も多いよね。けど、こればっかりは嗜好だからねぇ。ま、蛭魔くんがハタチになったら二人で楽しく飲みましょうねー……」

 あ。

 ……あー、今の、失敗したかなぁ。

 出てしまった言葉の不味さに気づいてしまい、焦るものの遅過ぎる。私自分が今まで散々目の当たりにした失敗を……つまり、気安く未来を語る男に冷めた経験があるくせに……やってしまった。
 さらりと口にしたけれど、彼が二十歳になるまであと数年もある。一年は長い。二年も長い。三年はさらに長い。
その間に彼は高校を出て……まあ難関大学にでも進むだろう。

 そして、当然ながらその時は……私もモラトリアムを終えている。

 昼間の彼女の話が、否が応でも思い起こされる。

 恐る恐る向かいに座る少年を窺うものの、やはり失言だったようで反応はない。私は私で何か代わりの話題をと、思考を巡らすもどうにもならずで結局困り果ててしまう。
 ……さあ、これですっかり静かな食卓の出来上がりである。

 居心地の悪さから逃げたいという思いと、間を持たせたいという思いが、無意識のうちにグラスを持つ手に波及する。

「おい、さすがにそのペースは早過ぎだろう」

 かけられた声で我に返ると、ありゃま。いつのまにか瓶の中身は半分以上減っていた。
 ああ、勿体無い飲み方をしてしまった。ごめんなさい、もっと味わって頂くつもりだったのに。味わうこともされずお腹の中へと消えていったお酒たちに、心の中で手を合わせる。

「チッ。その調子じゃ、三年後はどうなってることか。アル中を相手に酒を呑むなんざぁ、御免だぜ」
「……あら酷い。ちゃんとわきまえて飲んでますわよーだ」

 調子を合わせて軽く言ってみたものの、今日の私では説得力がないね。
「まあ、でも、ちょっと控えるよ」
 苦笑すると、蛭魔くんがケケケと笑った。

「ハッ どうだかな。つーかお前は色々考え過ぎなんじゃねぇの。杞憂に時間を割くのは、暇人か馬鹿のすることだぜ」

 ……ああ。
 まったく、私の心は一体どこまでバレているのやら。けど、そうだね、杞憂か。
 君がそう言うのなら、きっと杞憂で終わるのだろう。

 なんていう、感傷的な気分にせっかくなったというのに。直後の蛭魔くんの言葉で、シリアスも情緒も全部吹っ飛んだ。

「杞憂っつうかな、だいたい別に今更酒くらい、ハタチにならなくても……」

 うん?
 一体どういう流れでこの発言に、なんて思わないでもないけれど、それより先に反射的に声が出る。

「あら、だめだって。おねーさんとしては、一応そこくらいはちゃんとしてもらわないと」

 一人の時までは責任持てないけれど、少なくとも私が一緒に居る以上は、未成年に酒を飲ますわけにはいかないのですよ。それがさすがに、向かう所敵なしで唯我独尊を我が道とするこの子でも。
 というか、もうここくらいしか拘れる事柄がないのだけれど。だって、愛用している危うい持ち物たちとか、あれこれやってる後ろ暗いこととか、その辺に今更私が口を挟めるわけがないし。
 けれど、一緒にお酒を飲むってことは、それらとは全く別だ。第一、私は後ろ暗いお酒は飲みたく無いからね。いつでもどこでも堂々と、お天道様に恥じない飲酒ライフが私のモットーなのだから。

「それに、なんでもやり放題の君だもん。むしろこれくらいの制約がある方が、先が楽しみにならない?」
「……つくづく思うが、変なやつだよな」

 笑って言うと、呆れた声が返ってきた。……ん? あれ? ひょっとして?

「えっと、ひょっとして、さっきからそれを考えてたの?」
「あ?」

 何を言い出す、という顔に自分の想像が当たっていたことを知る。
 ああ、なんだ。彼が引っかかったのは、三年後発言ではなかったのか。

 安堵と共に、私の顔にはまた笑みが広がる。

 先のことはどうなるかわからないけれど、それでも。
 今はこうして「先の話」に身構えない君と、一緒に居られるのがとても幸せだ。

 結局、昼間のことを当人相手に話題に出す勇気も度胸も無い私は、それ以上は何も言わず、ただ笑っていた。



(2013)
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