■ 13

「今日帰る」

 午前零時。
 8月最後の日の始まりを知らせるメールは、短いけれどとっておきだった。

 けれど、これもやはり予約されたメールであるからには、あくまでひと月前の時点での予定なわけで。
 何があるかわからないのが人生で、予定通りに帰ってくるなんて確証もないわけで、さらに言えば、日本に帰るのとうちに来るのはまた別なわけで。

 それでも、きっと、蛭魔くんは出来ないことは言わない人なのだと思うのですよ。
 帰ると予告したのならちゃんと今日帰って来るだろうし、なんだかんだで、会いに来てくれると思ってしまうのですよ。期待してしまうのですよ。

 長く長く、待ちくたびれる程に待たされたお預けが解除される予感に、その夜は眠れなかった。
 そして当然、蛭魔妖一という男は、期待を裏切らない男なのだ。


  ***


「やーん蛭魔くん久しぶりー! おかえりー! 会いたかったー!」

 正直、一目見た瞬間にくらりと倒れ込みそうになったのだけれど、なんとか玄関の扉を閉めるまで自制して……閉めると同時に枷を外して抱き付いた。
 鍛えられた固い身体にしがみついてすーはーと深呼吸を繰り返せば、懐かしい匂いが鼻腔を通り肺へと広がる。
 ああ、本物だ。やっとやっと、蛭魔くんに会えた。

「……お疲れさま。そして、おかえりなさい」
「……おう」
「蛭魔くん? おかえりなさい」
「……ただいま」

 ようやくぶっきらぼうな一言を引き出せたと、上機嫌で抱きしめる腕にさらに力を込める。

「お話しも聞きたいし、お風呂もご飯もあるんだけど、蛭魔くんはどうしたい?」

 とりあえず、おねーさんは「ただいまのキス」が欲しいんだけどな。
 リクエストには、ニヤリと笑ってとっておきの口付けで返された。



「連絡しなくて、すまなかったな」

 大人しかったのはテーブルでだけで、食事を終えるなりすっぽりと抱えられて、それきり放される気配はない。
 と言っても、別にそのままベッドに倒されたりだとか、素肌を撫で回されたりだとか、色っぽい展開になるわけではなかった。ただ、抱きしめられるだけだ。
 こういう甘え方をされるのは本当に珍しいことで、ああ寂しかったのは私だけじゃなかったのだと無性に嬉しくなる。可愛いなぁ、もう。
 なんてにやける顔で思っていたら、苦しそうに吐き出された一言がこれだ。

「うん。それをわかってるなら、いいよ」

 結局最後までリアルタイムの連絡は無かったけれど、それが「すまない」に値することだとわかっているなら、それでいいんだよ。だからどうか、そんな痛そうな声を出さないで欲しい。

「それに、毎日素敵なメールが届いたし」
 おねーさん、あんなの初めてで感激しちゃったよ。

「蛭魔くんてば、なかなかあんな素直なこと言ってくれないしねぇ。なんだっけ、『お前の声を聞くと……」
「待ってろよ、データ全部消してやるから」
「やだなぁ冗談よ……って、さすがに悪趣味だったね。ごめんね」

 大事な大事な宝物のラブレターなんだから、いくら蛭魔くんでも消しちゃ嫌よと甘えれば、フンと照れた声が返って来た。ああもう、こういうとこまでいちいち本当に可愛いんだって、このにゃんこは!
 まあ……さすがに本当に消されることはないだろうけど、一応念には念をいれて。
 メールデータの方は用意周到に数個のUSBにコピーして保存してある上に、全文プリントアウト済みなことは黙っていよう。

  ***

 それからの蛭魔くんは、饒舌だった。

 エイリアンズとの試合のことや、アメリカでのことにはじまって、そしてもっぱら、強くなった彼らのデビルバッツの事とこれからの事。
 キラキラギラギラと輝く眼と凶悪な笑みで語る蛭魔くんが本当に楽しそうで、またまた私はくらりとしてしまう。

 けれども。浮かぶ感想は、そうそう素敵なものばかりでもない。
「まったく、本当に、なんと無茶をするのだろうかこの人は」なんて思いもわき起こる。
 明らかに数週間前とは違う身体に抱かれながら、怒濤の日々を語られれば……その内容と無茶につい嘆息してしまうのも、無理もないことだろう。

 ちなみに、幸か不幸か先ほどから引き続き、ずっとこの体勢のままなのでそれに関してそろそろ思う事もあったりしまして。
 重いでしょう、肩凝るよ、そろそろ放してみたらどうかな、とか幾度か訴えてみたのだけれど聞く耳持たずだから困ってしまう。
 それどころか、言う度にむしろより強く腕を回されるのだから、いい加減に諦めもするのだけど……それでもたまったものでは無い。

 ああ、もう。おねーさんの余裕をあまり買い被らないで欲しいものだ。
 暴走しそうになる理性を制して君を甘やかすのは、なかなかに堪えることなのだから。



(2014.04.20)
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