■ エピローグ

 あっという間に月日は巡る。

 初めての会社勤めは、そりゃあ楽にとはいかなくて。たくさん困って、たくさん失敗して、たくさん泣いて……いときなんて毎夜見る夢まで仕事のことだった。

 けれど……勿論それだけじゃなかったから。2年目の夏を迎えると同時に、こうしてひとり暮らしを再開することが出来たのだ。今度は、自宅から数キロの、この小さな部屋に場所を移して……がんばろう。


  ***


「つーか、せっかく戻って来た娘がまた1年そこらで出て行くなんざぁ、親は寂しがっただろ。別に、自宅通いに不便があったわけでも無いんだろ?」
「寂しがっているかは、どうかなぁ。まあ元々、実家にいるのは仕事に慣れるまでって話だったしね。案外、やっと出て行ったかって感じじゃないかな」
「……どうだかなぁ。しかし、言っちゃ悪いが、同じ選ぶならもうちょっと広い部屋でもよかったんじゃねぇのか」
「あら。社会人2年目なら、こんなもんで上出来じゃない? だいたい妖一くんの家が広すぎるだけでしょうが。あの部屋に比べたら、どんなマンションでも見劣りするわよ」

 何度かお邪魔した蛭魔くんのこちらでの住まいを思い出すと、そのスケールの違いと彼らしさに、もはや苦笑しか出てこない。
 一体どういう契約で借りたのか、学生の分際で上下2つの階が繋がった最上階のオーナーズルームを手に入れてしまったのだから、呆気にとられる他ない。
 しかも、注目すべきは立地や外観だけでなく、中身までもいちいちとにかく凄いのだ。
 無数のコンピュータやコード類で溢れる部屋の横には、筋トレマシンが並ぶ部屋があり、かと思えば更にその奥には模型やら資料やら何か色々置かれた部屋も……。
 どこを見てもどう考えても、大学生のひとり暮らし用の環境とは思えない住居である。
 けれどもそれは、彼の「砦」だと言われればこれ以上ないほどに「蛭魔妖一様仕様」で、上手く言えないけれどとにかく妙に説得力があるから更に凄い。

 そんなあれもこれも、全ては大学でのアメフト生活にかける情熱ゆえというのだから、堪らない。どこまでいっても、この人の芯はぶれない。

 出逢って丸2年が過ぎた、3度目の夏である。

 大学生になった蛭魔くんはあの頃以上に身体も出来上がって、恋人の贔屓目を無しにしても、そりゃあ大層素敵で格好いい青年に成長している。
 けれど、相変わらずアメフト命なところはちっとも変わっていないのだ。いや、もっとひどくなっているかな。

「おい、何がおかしいんだよ」
「いやぁ、次の試合も楽しみだなぁって思って。……ああそうだ。今度はね、うちの母とふたりで応援に行くから。ほら、こないだ会った時に私も行きたいって言ってたでしょ?」
「……おい。なんで今それを言うんだよ。……ったく、だいたい、あれって社交辞令じゃなかったのか」
「まさかぁ。社交辞令なら、あんな言い方はしないって」
「つーか、そもそも最初からおかしいだろ。俺相手になんであんなに好意的なんだよ。ふつーはもっと、こう……」

 そりゃあ、1年以上にわたり自宅の居間で散々、録画したエイリアンズ戦と、頼み込んで作ってもらった試合の(蛭魔くんの)名場面特別編集のビデオを流し続けた結果ですよ。
 最初こそ、その攻撃的な内容と彼を筆頭にしたアメフト選手たちの外見に眉を顰めた両親だったけれど……ところがどっこい。酒を飲みつつキャーキャー言って悶える娘の姿と合わせて見続けるうちに、まあすぐに見慣れてしまったというか、諦めたようだった。
 ……なんてことは、もちろん蛭魔くんには言わないけれど。

 まあともかくそんな感じで、親は(正直私もおかしいだろうと若干引いてしまうくらいに)私の現恋人を好ましく思っているようだった。
 実際、成り行きでばったり顔合わせとなってしまった先日などは、娘の私ですらどうかと思うくらいの熱烈歓迎ムードだったし。

「大丈夫だって。あの人たちもただ面白いことが好きなだけだし、社会人の娘の交友関係にまで口出すような過保護じゃないから。実際こないだ会ったのも事故みたいなもんで……ま、妖一くんは気にしなくていいよ」

 なにせ私の親だし、そんなに難しい事は考えていないって。そう胸を張ってみると、盛大に溜息を吐かれた。

「言っとくが、別にお前の家に行く気が無かったわけでも、親に会う気が無かったわけでも無いからな。ただ、突然過ぎて驚いただけで」

 ……実際、近々挨拶に行きてぇとは思ってたからな。
 え、ごめん何て言った?
 ぼそぼそと呟かれた声は良く聞き取れなくて、きょとんと蛭魔くんを見つめてしまう。
 いや、まあ、さすがにちょっとは聞こえたのだけれど。でも聞き間違いかもしれないし。そうだったら恥ずかしいし。

「……チッ。お前に聞いていたとおり、なかなか狭い街みたいだからな……。他人経由で変な噂が回る前に、一度ちゃんと顔見せといた方がいいかと思ってたんだよ」

 ああ、そう言えば。
 高校生の頃、どういう人と付き合っているのかを、いつの間にかご近所さんが全て知っていた……とか、意外とみんな目聡いから嫌になるんだよねーっていう話をしたことがあったっけ。
 確かに蛭魔くんってば、この通りこういう外見であの言動だからなあ。デート中にでも目撃されたら最後、一発でご近所の噂になるであろうことは想像に難くない。

「わお、気を回してくれてたのね。ご丁寧にありがとうございます」
「悪りぃが、お前の地元だからって加減は出来ねぇからな……お前も、俺の事でなんか言われたら隠さずに言えよ」

 わあ、この子ってば学内どころか地域ごと牛耳る気満々だ。
 口調こそ優しいけど、言ってることは物騒極まりないじゃないの。っていうかこれ、実際に告げ口したら相手はどうなっちゃうんだろうか。
「あー……まあ、うん、ありがとう。心の片隅に留めておくわ」



「しかしさぁ、本当に妖一くんは見ていて飽きないなぁ。在学中に何をしでかすのか、全然予想が付かないもん。まさか入学早々あんなことを……。ああ、一緒に学生生活を送れる子たちが羨ましいっ……!」
「フン……まだまだ先は長ぇんだ。たった2・3年やそこらで飽きられて堪るかよ」

「……へ?」



(完)(2014.06.16)
[ / 一覧 / ] 

top / 分岐 / 拍手