■ 4-6(His side)

 イライラしながらも、足は自然とあのコンビニへ向かう。
 今日はまだ夜ではないし、たとえ夜でも、あの女がいるとは限らないのに。


 が、なんという偶然だろう。

「あら」

 イライラ歩いていたら、目の前になまえがいた。
 予想外の事態に喜ぶ気持ちを隠そうと不機嫌な顔を作ったつもりが、もともとのイライラと混ざって八つ当たりのような態度として女に向かう。
 しまったと思ってはみても、今更上手くは取り繕えない。いつもならもっと上手くやれる筈なのに。自分らしくないにも程がある。
 けれど俺の本心がどうだろうと本来がどうだろうと、そんな見えないことは相手にとっては関係無いことだ。目の前の面倒ごとを避けるように先を急ごうとするなまえに、イライラは加速する。行くな。せっかく会えたのに。もっと、話を。いつものように。もっと。

 とっさに引き止めてはみたものの、台詞の粗末さに腹が立つ。見ろ、怯えているだろうが。
 こんな時、例えばあのジャリプロあたりだったらスマートに誘うのだろうか。続く沈黙に身動きできずにいたら、なんとなまえの方から助け舟をかけて来た。

「そうだ、ご飯一緒に食べる?」

 ……本当に、この女相手ではペースが乱される。


  ***


 なんだこの家、というのが正直な感想である。
 西のイントネーションと大学生という情報に、どうせひとり暮らしだろうとは思っていた。
 (それ以前に、あんな風に夜にふらふらコンビニで酒を買っているような女が、身内と暮らしているとは到底思えなかった。)

 しかし実際にこうして招かれた先は、なんというか予想の更に数段上をいく一軒家で。アパートの一室でも不用心だと嘲笑うところだが、これはさすがに。もう正直、何と言っていいやらだ。
 本当になんだこいつは。こんなに簡単に男を家に入れていいのか。誘っているのか。むしろ俺が男と認識されていないのか。
 甘いのか、無防備なのか、策略なのか。などと考え込んでいると、美人局なんて言うから噴き出した。美人局って言葉、今時そうそう聞かないぜ?

 そもそも、この状況で俺を案じるなんてどうかしている。やっぱこいつ、俺を男と思ってないだろ。
 そこに下手に突っ込むと無駄にダメージをくらいそうなので、美人局に突っ込んでおこうと軽口を返した。

「アンタが美人局ってのは無理あるんじゃねぇのか?」

「失礼な。そんなこと言うけど、私って結構需要あるのよ?」

 ……そうか。
 結局、どちらに話題を振ってもろくな思いはしないわけか。

 冗談めかしてはいるが、あながち冗談でもないだろうってことくらいは想像がつく。
 初対面からして変な女だったが、それでもなぜかそこまで嫌な気分にはならなかったし、なにかと年下扱いされるのも不思議と不愉快ではない。
 女自身の意識的な振舞いもあるのだろうが、それ以上におそらく無意識で測っている距離感や放つ空気によるものが大きいのだろう。そして、それらを実際にやってのけるこのバランス感覚と、感性。
 絶世の美女なんてモノでは決してないのだが、惹きつけられる。そんなつもりはない筈なのに、つい目が追ってしまう。もっと覗けば、まだまだ面白い部分が見えるのではないかという期待感をくすぐるような、そんな魅力がある。

 ああそうだ、認めよう。悔しいことに……俺にとってもこの女は、堪らなく魅力的だ。たとえなまえにとって俺がただの子供に見えているとしても。


  ***


 また酒かよ!
 本当に、こいつは会うたび飲んでばかりじゃねぇか。
 並んだ料理を前に食べる気がないのかと訝しんだが、無論そんなことはなかった。むしろ、酷かった。

 いや、実際の所、棚に並んだラインナップを見た時点で嫌な予感はしていたのだ。すぐ手の届くところにあんなに多種多様な酒を大瓶で用意しておくような女なんて、ろくなものではないのは明らかだから。
 これが他の人間なら、呆れてものも言えないなと、未練も無く突き放してしまえるのだろうが。
 そういう気にならないのは、これだけ飲んだくれているくせに、実はこの女がそれなりに一線を守って飲んでいることがわかってしまうからだ。もともと強い体質と本人の調整が上手いのだろう。好き勝手に飲んでいるようでも、実際は「ほどほど」で止めている。

 見苦しく酔っぱらった姿は晒すことなく、旨そうに飲んでいるから……だが、さすがに今夜は駄目だろう。
 いくらほろ酔いでセーブ出来るのだとしても、仮にも俺という男がだな……ほら、だから今日はもう飲むなって。

 これはいよいよ本当に男と見られていないか、いっそ誘われているかの二択しかないだろう。いや、誘うのならこんな風に飲むのはどうしたって逆効果だし、そもそも一口も勧めてこないことからも答えはわかりきっているのだけれど。

 率直に言えば、出された料理はどれも作り慣れた感があり、旨かった。
 上機嫌で酒を飲む女対して、わざわざ口に出して感想を伝えることはしなかったが……俺の手の動きで充分気が付いているだろう。

 ファストフードや機能性食品で乱暴に空腹を満たすことに慣れた身体は、久しぶりに食べる「相手の見える料理」に、自分でも驚く程に満たされていく。
 彼女が用意したのは、場を保たすためだけの余計な詮索も、形を重視する心の伴わない会話も、ひとつもない食卓だった。静かなその合間に一言二言と交わす遣り取りは、酔っぱらい女との緩いものばかりで、まあそれなりに心地よかった。

 だが、そう思えたのはなまえのこの発言までだった。

「さっきも言ったけどさー、 本当にね、私ってそれなりに需要あるわけよ」

 だろうな。なんてことは思っても口には出してやらない。

「おい、噛み合ってないぞ酔っ払い」
「でさー……蛭魔くん、私と付き合ってみない?」

 人の話を聞けこの酔っぱらいが!
 …………って、はぁ?
 ……ちょっと待て。今、何と言った。
 おいこっちを向け。なんでそんな涼しげな顔で(多少酔って赤くはなっているが)食事に集中している。……っておい、確かにこっちを向けとは思ったが、今度はそんな困ったような顔をして……一体どうしたというのか。
 というか本当にこの女、自分がたった今、何を口走ったかわかっているのか? 本気なのか? 冗談なのか?

「おい糞アル中」
「なまえさんですよー」
「……なまえ。今の、本気で言ったのか?」
「ええ、勿論。冗談であなたが釣れると思うほど、馬鹿じゃないもの」

 そう言ってにっこりと笑みを浮かべた顔は、どこか面白がってはいるようだったが、なぜか面白がられているという嫌な感じはしなかった。先ほどの、困ったような、奇妙な表情が思い出される。
 楽しそうに「付き合ってみない?」なんて言ったくせに、しかし決して、自信に溢れているわけでもなく。応じなくても別にいい、そんな飄々とした表情と言葉のバランスに違和感が募る。

 そんな笑顔で「本気」とはおかしなものだが……けれども。会えるか会えないかわからないような(そして会えないことの方が多い)こいつを求めてあのコンビニまで行くような、そんな不毛なことは「恋人」になればもうしなくていいわけで。


 ……いいぜ。釣られてやる。
 そうやって余裕ぶっていられるのも、今のうちだ。



(2013)
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