■ 女子話

 その日。
 待ち合わせのカフェに表れたまもりちゃんは、とてもとても参っているように見えた。

 少し相談したいことがあります、なんてヘルプメールが来たのは2日前のことだったけれど、なにせこの子のことだから安心できない。メールをするまでに、きっと相当の日数悶々と抱え込んでいたのだろう……なんてことは想像に難く無いから。


「……なまえさんは、あの、浮気……されたらどうしますか?」

 店員が置いたばかりのコップを勢いよく煽って、まもりちゃんが切り出した。
 えーなんかこわーい。と茶化せる様子でも無いので、ちゃんと答えてあげようかなと言葉を探す。
 でも、あー、うん、そっか。そっち方面の悩みか。……うーん。

「程度と内容、気持ちと事実にもよるかなぁ」

 なんて、ね。我ながら随分とものわかりのいい、ズルい回答を選んだものだと思う。
 現役高校生だったあの頃の自分がそう言い切れたかは、また別なのだけれど。でも今の私はこう言うのさ。

「例えば、本当に何も『そういうこと』がなくても、実際に何度もデートしたり、相手を大事に思って過ごしていたならさ、タチが悪いと思うよ。そーいうのは結局、プラトニックとか言われるけど……『浮気』っていうより本気で『心変わり』してるからこっちからお断りよね。逆に恋してないけど、なんとなく流れで一回ってのなら、まぁいいかな。さすがに男の側の素行とか頻度とか反省具合にもよるけど」

 あっけらかんと答えてみせると、まもりちゃんは目を丸くしてこっちを見ていた。

「ええ!? 体の浮気でも、許せるんですか!?」

 おお、大胆。
 せっかくおねーさんがぼかして言ったというのに。

「え、一回致しちゃったっていうだけなら、どうにでもなるじゃない? まあ、情が移る前にトドメを刺すのは必須だろうけど。仮に一回だけの事故みたいなセックスなら、ツボを心得た私の方がいいってわからせるだけでいいし、別にいいかな」

 勿論、怒るけどねと笑って付け加える。
 露骨な言葉に赤くなるかと思いや、まもりちゃんは何やら難しい顔で空になったコップを睨んでいる。

「なーに? まもりちゃんってば、ひょっとして私の愛しの妖一くんと何かあった? 本気だったら散々嫌がらせして呪って、憂さが晴れたら手のひら返して応援するけど」
「……ちょっと、なまえさん。冗談でしょうけど、凄く怖いですよ」

 あ、怯えられた。やだなぁ……もちろん冗談ですよ。応援なんて出来るわけがないじゃない。

「そうじゃなくって、私の、恋人がなんですけど……」

 そういって、ポツリポツリとまもりちゃんは話し出した。
 他校生と付き合ってるってこと自体は、なんとなくそれっぽい話を聞いたりして知ってたけれど、詳しく聞くのは初めてかもしれない。


  ***


 まぁ、なんだ。
 要は、あんたマネージャー頑張り過ぎだよ。そんなんじゃ浮気されるよ。とお友達に言われたらしい。
 たったそれだけだ。男の子が何をどう言ったわけじゃない。けど、それでこんなに思い詰めちゃうってことは、まもりちゃん自身にも「そんなことないよ」と笑い飛ばせるだけの自信が無いってことだ。

 まあね、わからなくはない。
 彼氏くんからしたら、大好きな彼女は毎日毎日他の男(たち)のために、献身的に働いて、甲斐甲斐しく世話を焼いているのだ。これを面白くないと思うのは、まあ無理もないことだろう。しかも、あんなに気安い雰囲気だったら、たまんないだろうなぁ。
 何度かお邪魔した時の部活風景を思い出せば、あの日々がごく平均的な男子高校生の目にどう映るか……そんなことを想像するのは容易い。

 加えて、そんなんじゃ彼氏に愛想を尽かされるんじゃと騒ぎ立てる友人たちの心境というのも、容易に想像がつく。心配に、嫉妬に、羨望に、潔癖さ。善意も悪意も色々複雑に混ざる友人関係は、私としても経験があることだ。
 ないまぜになった感情から出来上がった、一見すると善意の姿をした忠告を受けて、まもりちゃんが不安になる気持ちも想像出来る。

 けど、私が彼女の友人たちをどれほど脳裏に描いたところで所詮それは憶測に過ぎないし、その友人たちの訴えもまた、彼氏くんへの憶測の集合に過ぎない。ならば、本人を置き去りにした、憶測に憶測を重ねた上での「想定」での「助言」や「忠告」などに何の意味があるだろう。

「けど、まもりちゃんはマネージャー辞める気はないんでしょ?」
「当たり前です!」
「よかった。なんて彼氏くんには悪いかもしれないけど、嬉しいなぁ。まもりちゃんがいないと、あの子たちも安心して頑張れないもの」

 デビルバッツにはあなたがいないとね、と続けると、真っ赤になるまもりちゃん。ああ、可愛いなぁ。

 姿も性格も知らない彼氏くんが浮気をするのかしないのか、そんなのは私はわからない。
 けれどそもそも、言っているのはまもりちゃんの友人だし、まもりちゃん自身もそれらの発言の根拠のなさと矛盾に気が付いている……ように思える。

 だから、何も知らないままで当てずっぽうのアドバイスなんて、私はしない。それに、きっと彼女も本当には助言なんてものは望んでないのだろう。

 ただ、話したかっただけだろう。
 これもまた想像だけれど。
 私が呼ばれたのは……きっと、そういった時期を越えてきたから。

 まあ、この手の恋愛話を見過ごせないというのは、青春真っ盛りの女子としてはある意味健全かもしれないな。
 顔も知らない彼女の友人たちに対してはそういう感想で締める事にする。
 だって、色々思ったものの総合してみれば……別に、非難するような気は湧かない。お節介な程の傲慢さと、正義感。私も昔は、そういうものを持っていたのかもしれないし。


 そこまで素早く考えて、あっさり気持ちを切り替える。
 ついでに追加のオーダーも済ませ、改めて目の前の少女に視線を合わせた。
 さあ、時間はまだまだある。せっかくだし、今日は思う存分喋ればいいよ。惚気だって愚痴だって、おねーさんが何だって聞いてあげるから。



  ***



「私の愛しの妖一くん」

 この人は、さらりとそう言った。
 ヒル魔君のことを、愛しいと。大切だと。誇張でも自慢でもなく、さらりと言った。

 例えば、そう言う言葉を口に出来る子は私の周りにはいなかった。
 それが軽口の中でだとしても、嘘も照れもなく言える子は教室の中にも外にも見当たらない。

「まもりってば、ちょっと酷いんじゃない?」
「彼が可哀想だよ。マネージャーってそこまでするの?」

 そう口々に言われても、どうしたらいいのかはわからなかったし、答えられなかった。
 だって彼も、彼らも、どちらも大切だ。第一、比べられるものじゃない。それに、彼だってマネージャーをする私を嫌だとは言わないのに。
 友達に言われた言葉に困惑しながらも話を続けては、その度に飛び交う「意見」や「助言」にカチンとしてしまって。それどころか「彼と私の時間も、彼自身も何も知らないくせに。勝手な事を言わないで」と思ってしまった身勝手な自分に気が付いて、衝撃を受けた。私はこんなことを思う人間だったのかと。
 そして、だんだん……そんな自分が嫌になった。あの子たちは、それでも一応は「私のため」に言っているのに。

 けれどある日。いつもの会話のなかでふと「親身なふりをして、その実面白がっているのでは……」と思ってしまった瞬間から、彼女たちにはもう何も話せなくなった。


 なまえさんの顔が浮かんだのは、いつだったろう。
 あのヒル魔君が選んで、あのヒル魔君を選んだ人。あの人なら、どう考えるだろう。

 彼女がヒル魔君と一緒に私たちの前に現れる機会は多くは無かったけれど、でもいつだってニコニコしていて、優しかった。
 ヒル魔君はなまえさんの前でも相変わらずの振る舞いだったけれど、それでもなまえさんに対しては明らかに違っていた。
 過剰じゃない。わざとらしくない。けれど、例えば言葉のひとつ、視線のひとつからでも、ヒル魔くんがなまえさんを大切にしている事はわかってしまう。そんな視線を受けるなまえさんは、気を使ったのか恥ずかしかったのか、結局なぜか私にばかり構ってくれたっけ。
 年上の女の人に、ああいう風に抱きつかれたり抱きしめられたり、あちこち触られるのはとっても恥ずかしかったけど……でも、嫌な感じはしなかった。

 このあいだスーパーでばったり会った時に、今度お茶しましょうと言ってもらったことを思い出す。
 あの時交換したアドレスに、今更送ってもいいものだろうか。


  ***


 そして、今日。

 結論としては、あの人は何も言わなかった。
 本当に他愛ないような話もあきれちゃうような惚気も披露し合ったけれど、ああしたらとかこうしたらとか、押し付けられると感じることは何も無かった。
 ただ、本当にたくさん話しをした。感極まった私が泣き出して、カフェにいられなくなって公園に移った後も、なまえさんはずっと付き合ってくれた。

 それを申し訳ないなと感じる反面、とても心地よくて……。そこでやっと、ああ、私はただ聞いて欲しかったかと気がついたのだ。

 あの子たちの基準で、私と彼との関係を決めつけて批判されるのが、とても嫌だと感じたことを。その悲しみと憤りと、私と彼はそんなじゃないという反論を、誰かに訴えたかったのだと気がついた。

 凄いなぁ、なまえさんって。
 優しくて、でも、優しいだけじゃなくて。
 私みたいな年下の甘えにも、ちゃんと正面から付き合ってくれる。会えば会う程、言葉を交わせば交わす程、彼女の事を好きになる。

 ヒル魔君が特別に扱うのが、わかる気がする。



(2013)(まもりちゃんのそれは錯覚です。埋まらない溝と時間)
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