■ 6月30日

 はい、どうぞ。
 食後にちょこんと小皿を出したら、蛭魔くんが目を瞬かせた。

「なんだこれ」
「綺麗でしょ。水無月って言って、今日食べることに意味があるお菓子よ」

 6月最後の今日は「夏越の祓」というのだと簡単に説明する。新年からちょうど半年経ったこの日は、半年分の穢れを祓う日なのだ。
 人々は神社の茅の輪くぐりに列をなし、穢れを祓うとともに残り半年の無病息災……とりあえずは間もなくやって来る暑さの中でも、夏バテせずに頑張れますようにと祈るのである。

「……なんてことは、ニュースにも出てるし今更かな。でまぁ、本題のこのお菓子だけど、貴族の雅な行事を庶民が真似て根付かせたっていうありがたい知恵の塊よ」

 それは昔々、氷も水も貴重だった夏のこと。
 京の都ではなんと、冬に出来た氷を夏まで残す文化があったのだという。
 勿論、そうやって夏まで残された氷にはとんでもない価値があった。そして、貴族たちは夏を迎えるこの時期に、その大切に貯蔵されていた氷を取り寄せて、口にすることで夏を乗り切るおまじないとしたらしい。

 だがしかし。

 当然ながらそんな贅沢には手の届きようがない庶民たちも、諦めて見ているだけではなかったのです。代わりにその氷を模したお菓子を食べて、美味しく楽しく涼を感じて夏を迎えることにしたのですよ。
 いやぁ、生活を楽しむ知恵と根性よねぇ。さすが。

 なんて笑って言えば、壁のカレンダーと三角形のういろうを見比べた蛭魔くんが呆れた表情で口を開いた。

「つーか、要するに土用の丑とか恵方巻ってやつと同じようなもんか」
「……え、あ、まあ、確かにお菓子屋さんの勝利だし、そう言われれば身も蓋もなんだけどね。でも美味しいし、今日食べることに意味があるって素敵じゃない?」
「お前、先月もそんな事を言ってちまきを買ってたよな。乗せられ過ぎだろ。……まったく、クリスマスだぁバレンタインだぁって日には、ろくにはしゃがねぇ癖に。なんでこういう事には熱心なんだろうなぁ」

 だってねぇ。勿論ああいうのも嫌いじゃないんだけど、街全体であそこまで賑やかだと、ちょっと商魂逞し過ぎて食傷気味になるというか。苦笑しながら、ぷるんと光る三角形へと視線を移す。

「それに、こういうもちもちしてるお菓子って美味しいじゃない」
「菓子ってだけで、甘くてげんなりするもんだがな」

 案の定、乗り気とは到底思えない様子の蛭魔くんは、お箸の先で水無月をぷすぷすとつっついたっきり持て余している。
 まあ、こうなるだろうってのは予想の範囲内ではあるけれど、それでも出したのには一応理由が有ってですね。

「そう言うだろうとは思ったんだけどね。まあ、無理にとは言わないけど、よかったらひと舐めでもしてみない? 一応、市販のよりは甘さ控えめにしたつもりだし」

 一瞬怪訝な顔をした蛭魔くんは、そのままぽかんとこちらを見つめてきた。
 そして、見開いた目のまま、お前が作ったのかと驚きの声を上げてくれる。

 そう、その反応が見たかったのよ!ふふん、どうだ驚いたかね!

 なんて内心ではガッツポーズを決めながら、表面上はえへへと笑って余裕のなまえさんを演出する私である。まあ、その演出に特に理由は無いけれど。これはもう習慣というか性癖というか、そういうものだ。

「だって、この辺りで水無月売ってるお店ってそうそう無いじゃない? だから作ろうかなぁって漏らしたら、ついでに用意して欲しいって教授からもリクエストがあってね。結局は話が大きくなって、なんか隣の研究室にまで配る羽目になったんだけど。……ってことで、美味しくできたから蛭魔くんにも一口食べてもらえたらなぁ、なんて」

 実は材料も工程も複雑じゃないし、作ろうと思えば結構簡単に作れるものだし、大量生産も余裕なんだけど。でもそんなことまで馬鹿正直に話す必要はない。

「……へぇ。配ったのか。そいつらもお前も物好きだな」
「でしょ。なかなか水無月を配る学生なんていないしね。物珍しさたっぷりで評判も上々」

 えへへと相変わらずの笑顔を浮かべる私としばらく見つめ合った後、蛭魔くんが動いた。
 ゆっくりと水無月に箸を沈め、そっとひと口分を切り分けて、少し眺めておもむろに口に放り込む。うわぁ、面倒そう。どこまでも変わらない表情のままで、もぐもぐごっくんと動く口まで徹底している。
 なんだよ、そんなに甘いの嫌いか。知ってたけどさ。

「どう?」
「……甘ぇ」

 やっぱりね。予想通りの答えに、むしろ私の笑みは深くなる。ちょっぴり残念なところはあるけど、でもわかって出したのは私だし、ならばあとはこの反応を楽しむだけだ。

「あら、残念。じゃあ、残りは私が貰おうかな」
「……甘ぇが、甘ったるくはねぇな」

 おやおや?
 珍しい言葉を紡いだその口は、二口三口と動き続けるではないか。

「嬉しいな。ひょっとして気に入った?」

 こくりと緑茶を飲んで一息ついた蛭魔くんのお皿は、すっかり綺麗だ。

「俺が、お前の作ったもんを食わねぇことがあったかよ」
「うーん、どうだったかなぁ。とりあえず、食べてからあれこれ言うことはよくあるよね」
「フン……そりゃ悪かったな」

 あ、まずい。
 むっと寄った眉間の皺が、これ以上深くなっては大変大変。

「おおっと誤解しないでね。何にせよ反応があるのは嬉しいし大歓迎だし。味付けとか好き嫌い含めて、あれこれ聞くのも楽しみの内なんだから」

 実際、物珍しそうに家庭料理に箸を伸ばし、時に素直に舌鼓を打ち、時にお世辞も無く酷評する蛭魔くんの相手はやりがいがある。なにより、ちゃんと一食一食に向き合ってくれるのがわかるから。おかげで、ここ数か月の自炊へのモチベーションはかつて無い程に絶好調だ。
 決して"なんでも食べる"というタイプではないこの少年を相手に、あれこれ趣向を凝らす食卓自体もゲーム性があって面白いと思えなくもない。

「それにさ、実は……この水無月は結構いけるんじゃないかって自信もあったんだよね。まあこれはちょっと前から考えていた事なんだけど……蛭魔くんが嫌う甘さって多分、甘味料の種類と使う量が問題なんじゃないかと思ってね」

 私も、似たようなジュースとかお菓子でも苦手な甘みと好きな甘さがあるし。で、多分蛭魔くんもそんな感じかなぁとね。ほら、うちで出す甘めのおかずも結構普通に食べてるでしょ。けっこうみりん入れてても完食するし。
 だからその辺を考量して砂糖の種類と量にこだわりながら、ういろうとして成立する甘さでどこまでいけるか!ってのをテーマにしたのが今日のコレなわけよ。どうだね私の着眼点はなかなかいいところを突いていると思わないかい。さっすが私!

 じゃじゃーんとネタばらしを力説する私を見ながら、蛭魔くんは面白いものを見るように笑っている。
 けれど「一年に一度の節句を、多分そういう行事とは縁の無さそうな蛭魔くんに意識させてみたい」という思惑が見事に成功した私はもっと上機嫌だ。

「だからまあ……いくら大半を学校に持って行ったばらまいたとしても、この水無月の大本命は蛭魔くんに他ならないのですよ。ってことで、本日は甘味にお付き合いありがとうございました。次回のリクエストもお待ちしております」
「ケッ。調子のいい奴」

 ケケケと笑った蛭魔くんの手が、テーブルの上をまっすぐこちらに向かってくる。
 どうしたのだろうと見ている前で、ひょいとその手が引っ込められ……。

「……あ」

 私のお皿から最後のひと口を華麗に奪っていった少年は、ごくりと喉を動かした後、なんでも無い風で言い放った。

「あー甘ぇ。確かに、こんな甘い菓子は年に一回で充分だな」
「酷い! 最後のひと切れだったのに!」

 嘆く私の向かい側で、蛭魔くんがけらけらと笑っている。


  ***


 食後、四角いモニターを覗き込んで二人で今日のおさらいをすることになった。知ったからにはちゃんと知りたいタイプの蛭魔くんとしては、私の適当な説明では満足できなかったらしい。知識を武器にするこの子は、どんなことにも貪欲だ。

「へぇ、この三角形が氷をねぇ。言われねぇと解らねぇな」
「検索って便利ねぇ。あ、見て見て。上の小豆は悪魔祓いの意図だって」
「…………フーン」
「あ。いや、まあ悪魔っていうか、昔だから災厄とか鬼って意味ね。うんうん」
「おいなまえ、その一文よりもおまえの反応の方が気に障るって気付いてるか?」
「え、だって蛭魔くんだし。デビルバッツだし」
「ケッ。好かれる悪魔なんざぁ、それこそ存在価値がねぇだろうが」
「え、でも私は悪魔な蛭魔くんも大好きなんだけど」
「…………」
「子猫な蛭魔くんも、天使な蛭魔くんも大好きよ」
「……お前、わざと言ってるだろう」
「うん」



(2014.07.03)
(↑6月30日に間に合いませんでした)
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