■ 太くてぬるりとして美味しくて元気が出るアレ ここ数日というもの、雲ひとつない青空ばかりだ。 洗濯物が乾くから嬉しいなんて感想を通り越して、正直いい加減にしてくれと思う。 外を歩けば、肌が焦げ付くんじゃないかという程に凶悪な日差しに焼かれるし、窓を開ければ生ぬるい温風が吹き込むし、夜すらずっと暑くて堪らない。 熱中症だー夏バテだーと世間が騒ぐのも納得というこの危機を、乗り越えるべく人々がすがるのが……毎年恒例のこの日でありますよ! 「どうだ、この大きさ! この身! このタレ! 美味しそうでしょう!」 テーブルへと案内する自分が、おめでたい顔をしているだろうという自覚はある。 こんなにニコニコしてはまるで食いしん坊じゃないか!とも思うのだけれど、対象が対象なんだから喜びが溢れるのも仕方が無い。ああ、本当になんて美味しそう! 「丼にしようか、ひつまぶし風にするかと迷ったんだけどね。あんまり弄らない方がいいかなと思って別皿に分けてみたよー」 「……やけに嬉しそうだから何かと思えば。そういや、今日だったんだな」 コンビニの店頭でも、予約だの何だの宣伝してたっけなぁと呟く蛭魔くんは、安定の通常運転だ。むぅ。これほどの鰻を見てテンションが上がらないとは……。 「いやぁ、夏はこの日があってよかったと毎年思うよ」 ああ、と吐く息が熱いのは、もちろん気温のせいだけではない。 「まあ土用の丑とか関係なく、年がら年中食べて美味しいご馳走なんだけど。でもやっぱり世間様が讃えるのに乗っかって味わうってのはまた別だよね。お祭り的な要素が加わって格別な楽しさが……」 「……おい。なんだおまえ、そんなに鰻が好きだったのか?」 ああ、大好きだとも! この贅沢のために例えばその後三日間、三食白米をおかずに白米を食べるような食卓が続いても嬉しいくらいには、大好きだとも! って、あれ、おかしいな。蛭魔くんの視線が呆れたものになっている。 ……てっきり蛭魔くんも鰻が大好きなものだと……うーん、前情報と違うんじゃ……? *** 「いただきます」 合わせた両手を離すと同時に、一方でお茶碗を持ち、一方で鰻の身を挟み、まずはひと口。 ……ああ! なんてふわりとしつつ蕩ける触感! 炭火独特の香ばしさと絶妙なミックスでまさに至上の一品……! グルメ漫画だったらここでバラ色の背景の中で宙を遊泳しているコマでも入るに違いない、というひと口目をごくりと呑み込んで、はぁ……と余韻に酔いしれる。 ……っていうか、本当にいい鰻ですよ流石ですよ。なんだこれ。お金持ちってのは、こんなのばっかり食べてるのか。スーパーの鰻でも充分幸せだけど、やっぱり長年愛好されるだけの違いは有るってことだな。ああ、さすが高級品。さすが老舗店の超一級品! 「つーかなまえ。おまえ幾らなんでも喜び過ぎだろ。ったく、嬉しそうな面しやがって……つーか、そんなに鰻が好きなら今度旨い店へ連れてってやるよ」 「おお、それは楽しみ! でも、なんか蛭魔くんが言うととってもお高そうなんだけどー」 親子揃っていいご趣味のようだからな、ということは思っても決して口には出さない。 蛭魔くんとお父様の関係はそれなりに複雑というか、蛭魔くんも頑固だからなあ。初めておじさまと会った時なんて、何であんな奴に付いて行ったのだと怒られたし、その後も散々拗ねられて大変だったのだ。 何でとか、行かなくていいとか、無視しろとか、正直そんなことを言われてもなあと思うのけど。 帰宅途中にやたらに高そうな車が走ってくるなあと思ったら、それが目の前に止まったのだよ。挙げ句、そこから出てきた身なり正しい屈強なおじさんにおかしいくらいに丁寧に声をかけられて、あまつさえ彼氏の父親の使いだけど今からお願いできませんかと言われたら、いち女子大生に断れるわけがないだろうに。 その上、今でもたまーにあのお使いの人を通して接触があったり、たまーに高そうなお店でご馳走になっているなんて知られたら……ああ、恐ろしい。 「ハッ。その替わり、めちゃくちゃ旨いぜ」 ……めちゃくちゃ、おいしい、うなぎ! キラキラと瞳を輝かせる私に気を良くしたのか、蛭魔くんのにやり笑いが深くなる。 「ま、そんじょそこらのコレとは比べられねぇだろうなぁ」 そう言って自分の皿の鰻に箸を付けた蛭魔くんだったけれど、ひと口食べるなりみるみる表情が変わった。一瞬キッと目を見開いて、それきり表情が無くなっていく。 「なまえ」 もぐもぐ、ごっくん。 美味しいものを食べているとは到底思えないような無表情の咀嚼の後には、地を揺らすような低い声が投げかけられた。正直、結構怖い。 「は、はい?」 「おまえこれ、どうした」 結構怖いけど、まあなんとなく予想していた展開の内のひとつだったので、冷や汗がばれないように笑顔を作るくらいの余裕はある。それでもびくりと肩が震えたのは、ご愛嬌と思って見逃して欲しい。だって予想していたとはいえ本当に怖いし。 「いや、これはほら、うん……ほら、美味しいって聞いたお店で……」 「確かに旨いが、大学生がほいほい持ち帰りを頼めるような店じゃぁない筈だがなぁ」 うわー。この口振りはしっかりお店に目星が付いているってことじゃないか。凄いぞ! ひと口食べてどこの店かわかるって、それこそどこのグルメ漫画だ! さすが、違いの分かる男、蛭魔くん! 「なまえ。茶化すな」 「うー……そんなに睨まないでよね。はいはい黙っていた私が悪うございましたー」 それでも、怒りの矛先が私自身に向いていないってのが分かるから、まだマシなのだ。 「サ、サンタクロースがね、持って来てくれたの……デス」 「……はぁ?」 さすがに予想外の答えだったのか、見事に肩透かしを食らった蛭魔くんからは、凍えるような怒気がふっと消えた。ついでに、白鬚赤服を纏った父親の姿でも思い浮かべたのか、プッと噴き出す。 おお、いい雰囲気だ。もういいやこの調子で流してしまおう。 「あの野郎がサンタって柄かよ。しかも今は夏だぜ。おまえ、いよいよ暑さで頭が沸いたか」 「酷いなぁ。ちなみに、そのサンタさんは春夏秋冬かかわらず、常にいい子にプレゼントを贈りたくて堪らないご様子でしたよ」 「で、貢がれてやったのか」 すっかり調子が狂ったようで、今や霧消した怒りの代わりにその顔にあるのは、呆れる様な面白がる様な表情だ。 「だーかーらー、貢がれるとかそういう人聞きの悪い言い方しないでって。今日というこの日に合わせて、わざわざピンポイントで、お使いの人が持って来てくれたのよ」 それも、どこで調べたのか、昼からの講義に向け家を出ようとしたタイミングで彼らはやって来た。 「いい年したおじさまたちが、わざわざこんな小娘宅に、真昼間から有名店の鰻を持って、よ? 大層すぎて、申し訳なくて、断れるわけないじゃない」 「……ああ、直接あいつと会ったわけじゃねぇのか」 屈強さを絵にかいたような短髪の男性と、物腰柔らかだけど有無を言わせない感じの初老の紳士でしたよと告げると、心当たりがあったようで。今度は短く「ああ」と呟く蛭魔くん。 「つーか、俺が相手にしないからっておまえにかよ。チッ、油断も隙もあったもんじゃねぇな……。よし。今度こそ、この家を二十四時間監視体制にしてみるか」 「ちょっと、また玄関にカメラ取り付けとかは止めてよね。蛭魔くんがやるといちいち大袈裟すぎて、逆にご近所さんから不審がられるんだから」 不穏なことをサクッと言う蛭魔くんにちゃんと釘を刺してから、そろそろいいかなぁと声をかけた。ねぇ、あのね。 「でまあ、せっかくの逸品だし。腹の一物は置いといてさ、今日のところは美味しい鰻を堪能しようじゃありませんか?」 まあどうしても、お父さんからの施しは受けたくないって言うのなら別だけど。 その場合はお考えを尊重しまして、蛭魔くんの分の鰻は私の明日のお弁当にしようじゃないか。 「あいつのことだ。どうせお前にそうやって『食おう』って言われりゃ、俺がほだされると思ってやがるんだろうよ」 「ああそう……じゃあ……」 「ま、確かに食いもんに罪はねぇし、おまえが喜んでるなら……俺は別にそれでいいんだがな」 フン、気にしない俺様の方がうわてだぜ、とでも言う様に切り分けた鰻をぱくりと口に入れる蛭魔くんを、私は珍しいものを見たと凝視する。 「なんだよ。おまえはこれを気に入ったんだろ? なら、それでいいんだよ」 ああ、と少し遅れて合点がいった。 とりあえず、お父さんへの反発より私の喜びの方を重視して色々受け流すことにしたらしい。まあ、当人の居ない所でむきになって反発しても、それはそれで疲れるだけだしね。 気を取り直して再度、極上のひと口に頬を緩めた私に向かって、ただし、と蛭魔くんが付け加えた。 「ま、当然ながら店で食うのが一番だからな。そっちは、俺に任せとけ」 ちらつく対抗心が微笑ましい、と笑ってしまえばまた機嫌を損ねることは目に見えている。 浮かんだ言葉の代わりにごくりと喉を鳴らし、盛大な喜びの声で応えてみせると、蛭魔くんにくすりと笑われた……のは別にいいのだけれど、その笑みが甘過ぎたのがちょっとばかり問題だ。 恐ろしいことに無自覚であろうこの甘ったるい表情に、見事に掻き乱された私はすっかり鰻の味どころではなくなってしまった。 (2014.07.30) (7/29が土用の丑でした……間に合わなかった!)(父親とかもろもろの設定はただの創作です) [ 戻 / 一覧 / 次 ] top / 分岐 / 拍手 |