■ 放課後の嘘は計画的に

 それを「らしくない」なんて、思ってしまうのは仕方がない。むしろ、思わない方が無理がある。
 なにせ相手は「あの」ヒル魔先輩こと泥沼の悪魔……あ、間違えた。じゃなくて、えーっと、泥門の悪魔こと「あの」蛭魔妖一なのだから。



「あ、ヒル魔先輩だ」

 横を歩く友人に倣って視線を上げれば、なるほど。前にかかる歩道橋の端の方、鉄柵の隙間から見える特徴的な金髪と横顔は、我らがアメフト部の帝王様に間違いない。
 この場所というのが国道沿いの一本道であるからして、そして横顔の向きからして、階段を降りた彼と自分たちが同じ方角を向くことは決定している。ねえ、せっかくだからさ、ちょっと走って下で待ってみようか。どうせなら挨拶しよう……いつもならそう続けるだろう言葉は、けれども今日は一つも出てこなかった。

「え、え? あれって、え、マジでヒル魔先輩だよな……向こうの、誰だ?」

 そんなこと、僕に聞かれてもわかるわけないって。ていうか、僕こそ聞きたいよ。ていうか、でも、状況的に見ればきっと、いや、間違いなく……。

「か、彼女さん、かな?」
「だよなぁ、やっぱ! すげー!ヒル魔先輩ってすげー!」

 途端に鼻息荒く返ってきた声の大きさに、あああと眉が下がっていくのを止められない。
 どうしよう。気付かれた。絶対に聞こえている。いくら歩道橋がこの先だといっても、この声も内容もしっかり届いてしまっただろう。だって、ヒル魔さんだもん……地獄耳だもん……。

 僕だって気付いたんだ。モン太につられて視線を向けて、顔を認識して、そして数秒遅れて気が付いたんだ。ヒル魔さんの向こうにちらりと見えた人影に。しかも、どうやら女の人で。しかも、私服だってことに。
 瞬間、ああまずいよこれは、見なかったことにしなきゃと思ったし、今なら気付かないふりでUターンすればいいと閃いたのだけれど、こうなってしまっては全てが遅い。



  ***



 階段を降りた後ろ姿に追いつく手前で、その手にあるものがよく知る地元スーパーのビニール袋だと気がついて(しかもそれが結構ぱんぱんで)覚悟が折れそうになった。
 躊躇してしまった自分を他所に、いささかうわずっているとはいえ基本的にはいつもと変わらない調子のモン太が「ヒル魔先輩!」と声をかけてくれたことが救いだった。いや、そもそもモン太のせいでこんな思いをしているんだけども。

「あ? なんだテメーら、あれからまだ練習してたのか」

 さも「声をかけられて気が付いた」という様子で振り返ったヒル魔さんの顔には、まずいものを見られたという焦りも邪魔をされたという苦々しさも全く見付けられない。
 けれどその表情の奥にある筈の本心を窺おうとする前に、どうしても横の女の人に目がいってしまうのは……やっぱり仕方のないことだと思う。

 目が合ったと自覚するより早く、その人はにこりと微笑んで軽く頭を下げてくれた。髪が、さらりと揺れる。
 見惚れそうになったところを踏ん張って、慌てて自分たちもぺこぺこと頭を下げたけれど、赤くなってしまった顔は隠せなかっただろう。

 うわぁどうしよう、この人きっといい人だ。ヒル魔さんと同じタイプだったらどうしようとちょっと思っていたけど、多分きっといい人だ。

「じゃーな。明日も朝から練習だ、遅刻すんじゃねぇぞ」

 だというのに、このヒル魔さんという人は。二言目にして、もうこれだ。
 動揺を露わにしている後輩たちかけるには随分とそっけない言葉だとは思うけれど、こうして切り上げられては「はい」としか答えられない。
 そのままあっさりと前を向いて歩き出すだろうと思われたヒル魔さんは、けれど気を取り直したように僕たちの方へと向き直った。


 混乱真っ最中の頭では気付ける筈もなかったけれど、後になって振り返ればヒル魔さんを動かしたものが何だったのかわかる。あの女の人だ。
 勿論、その人は特に押し留めるような動作はしていなかったし、言葉でねだってもいない。ただ少しだけ首を傾げて、ちらりとヒル魔さんを見ただけだ。
 けれどきっと、その上目遣いだけで充分だったんだ。その人が何を望んでいるのか、何が言いたいのかは、つまり「紹介してくれないの?」という言葉はそれだけで伝わったんだ。


「あー……糞猿と、糞チビだ。ま、知ってんだろうけど」

 あんまりと言えばあんまりな紹介のされ方にも、今更不満を唱えるような僕たちではない。だってヒル魔さんだし、で思考停止だ。けれど、引き続きぺこぺこと頭を下げる片隅で、「知ってんだろうけど」という言葉だけはひっかかる。

「で、なまえだ」
「苗字なまえです。えーと、雷門くん、小早川くん、よろしくね」

 こないだの試合、格好良かったよ。
 さらりと告げられた言葉に、はっと顔を上げる。隣でモン太も同じ顔をしていたのだろう。

「チッ。試合の帰りに、テメーらがガブガブ飲んでたやつがあったろ。あれの大半がこいつからだ」

 てっきり校長先生かそのあたりからの強奪品というか献上品というかそういうものだと思っていたのにと、今知る衝撃の新事実に僕らの瞼はさらに限界ぎりぎりに丸くなる。
 ふたり揃って、ありがとうございました!と随分遅くなったお礼を叫ぶと、いいのいいのと軽やかな声が頭の上を撫でていった。

 ああ、いい人だ。どうしようこの人、やっぱりいい人だ。ヒル魔さんと一緒にいるのにいい人だ。

 うっかり生じてしまった、少しばかり失礼な思考に気付いたのだろうか。視界の隅で、ヒル魔さんの眉がピクリと動いた気がする。けれどいつもとは違って、ギリギリを狙う銃弾も遠慮なく振り降ろされる足も、襲い来る気配は一切なかった。



  ***



「うわー……すげーもん見ちまったな!」
「……うん。なんか、すごかったね」

 帰り道も一緒かな?という声に、いいえ僕たちこっちですから!とブンブン首を振って勢いよく歩道橋を駆け上がった手前、もう元の道には戻れる筈もなくて。
 こうなっちゃえば回り道して帰るしかないね。疲れた身体にはちょっと辛いけれど。なんて笑い合いながら、いつもの道を大きく外れて歩く帰り道。ここまで来てようやく肩の力が抜けたのか、気がつけばふたり同じタイミングでこらえていた熱を溢れさせていた。

「あの人、オレたちの名前知っててくれたな。うわー! 試合に呼んでたんなら、紹介してくれりゃいいのに! つーか年上美人とかすげー!! かっけー!!」

 我慢していた分の興奮をぶちまけるように、モン太はキラキラした瞳で握り拳を掲げた。
 突如響いた大声に、前を歩いていた人が勢いよく振り返る。そんな友人を諌めるでもなく、むしろ乗っかかるように言葉を重ねるのだから、やはり僕も相当に興奮している。
 だってあれだ。実際に言葉にされたわけではないけれど、あの空気で恋人でない方が、むしろおかしい。色々と説明がつかない。
 それになにより。

「ヒル魔さんがちゃんと名前を呼んでるのって、初めて聞いたかも」

 別れ際、彼はなんと言ったか。勿論、しっかりと聞いたし覚えている。面倒臭そうに溜息を吐いて一言、「行くぞ、なまえ」と口にしたのだ。
 いつもの「糞」も付けず、略すわけでもあだ名でもなく、そのままの名前で。そして、それに戸惑う素振りも見せず、笑って「うん」と頷いたあの人。
 ネギやごぼうが飛び出たぎゅうぎゅうの大きなレジ袋と、そんなに重くなさそうな鮮やかなエコバックを揺らして、仲良く歩いていた二人の姿も衝撃的だった。

 ていうか、重い荷物とか持ってあげちゃうんだ。あんなに自然に車道側を歩いてあげちゃうんだ。
 いつもよりも少しだけ棘の減った声だとか、険の和らいだ眼差しだとか、気付いてしまった瞬間にむしろ見ている自分の方が恥ずかしくなってくるのだから不思議だ。
 大事にしてるということを隠さない姿がヒル魔さんのイメージと違いすぎて、なんだか「知ってはいけないものを知ってしまった」気分になってしまう。

「やべーな! 前々から女子に無関心だなーとは思ってたけどよ、そりゃあんな彼女が居るんなら無理ねぇよな。つーかマジ、ヒル魔先輩かっけー!」

 よーしオレも、いつかまもりさんと!
 決意の炎をめらめらと燃やす友人は、気まずいとか明日どんな思いで顔を合わせばいいのかとか、そんな不安とは縁遠いようで少しだけ羨ましい。
 というか、下手すれば怖いもの知らずにもあれこれ突っ込んで尋ねてしまいそうだ。今のうちに、口止めしといた方がいいのかなぁ。硝煙弾雨のとばっちりは勘弁したいしなぁ。あれ、そういえば栗田さんたちは知ってるのかな……と考えてすぐに首を振る。知っていたら、差し入れのスポーツドリンクを前にした時点で何か言っただろう。いやそれとも、知っていたからこそ何も言わなかったのかもしれない。ううん、難しいなあ。


 あーあ。いっそのこと、いつもの「バラしたら承知しねぇぞ」なんていう脅迫口調で念を押してくれたらよかったのに。
 もしくはあの凶悪な笑みで凄んで、わかりやすく「秘密」だと示してくれればこんなに悩まなくてすむのになぁ。



(なんてことを思った数日後には、あの人はヒル魔さんの企みにより部室に顔を出すことになって、僕のこんな心配も気まずさもあっさりと解決したのだけれど。)
(でも当然ながらそんなことが予想できるわけはないから、栗田さんたちの顔を見る度に何度も心臓に悪い思いをした僕のことを、誰か労わってくれてもいいと思う。)



(2015.02.11)(タイトル:otogiunion)(後輩から好かれている蛭魔が書きたかった)(少年たちが"年上の女のひと"に夢見てたら可愛い)
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