■ ・誰かの背中に託したい

 初めて見た時、妙にその子が気になった。
 ない知識をフル動員してかろうじて理解できたのは、並んだ12頭の内、12番目の人気だということだけで。
 わからないまま四苦八苦して買った紙切れは、レースが終わると何倍にも増えた現金となって戻って来た。
 それから、その子が近くに来る時は、なるべく現地へ行くようになった。


「随分とご機嫌じゃねぇか。そんなに儲かったのか?」
「やーねぇ、素人があれで儲けるなんて考えちゃ駄目よー。贔屓の子が可愛くて、格好良くて、しかも今日は勝った。それで充分なんだから」
「それでも、勝ったってことは儲かったんだろうが」
「でもまあ、他のレースは微妙だったからねぇ。トントンってとこかな」
「……そういうところ、おまえはなんつーか……ぬるいよなぁ」
「いいじゃない。ぬるく緩く浅く楽しむのが性に合ってるのよ」

 むしろ、賭け事で儲けようというのが性に合わないと言うか……。
 私はただ本当に、贔屓の子が歩く姿を見て、走る姿を応援して、それで満足なのだ。
 そりゃあ勝ったら滅茶苦茶嬉しいけれど、大体は入賞を逃してしまう子だし。だからか、結果が悪くてもむしろ今更というか、心底悔しくは思えない。
 そんな緩い楽しみ方しか出来ないので、口が裂けてもファンなんて名乗れないし名乗らない。

「なんて言いながら、しっかり搾取されてりゃ世話ねぇな」
「あら失礼な。それでも、一応マイナスにはなってないんだからね」

 そう。ささやかだけれど、そこは重要ですよ。
 そんな私のせめてもの反論に、蛭魔くんが首を傾げた。

「そこが不思議っつーか妙な所なんだよなぁ。別にあれだろ、相変わらず競馬新聞読んだりもネットで情報収集したりもしてねぇんだろうが」
「よ、よくご存じで。まあそうね。今日だって貰った案内をちょっと読んで、後はパドックで気に入った子に投入だったしなぁ」

 というか、ほぼパドックだな。いくら気になる名前でもオッズが高くても、パドックで気になる子でないと買わないし。惹かれる子がいないなら、そのレースは見に行かずにただずーっと陣取って次の子たちが出るのを待つくらいには、パドック重視で選んでいる。ていうかあんなに近くで見れるってすごいと思うし。

 とまあ、こんな感じの緩さでも、一応は交通費と入場料を差し引いてもマイナスにならない程度の安定した低空飛行を続けていられるのだから、不思議なものだと自分でも思う。
 むしろ最近では、これ以上に欲を出したら反覆するんじゃないかという気がしている。
 そりゃぁ、始めたての頃はこれで儲けちゃったらどうしよう、なんて期待があったことは否定しないけれど。でも、あれはあくまでも、未知の世界への期待だ。自分を知るのは大事。

「あー、まあ、だろうな。おまえには"馬可愛い"くらいの付き合い方が合ってんだろ。俺の知ってる奴ってのは、赤ペンと競馬新聞片手にラジオに噛り付いて派手に賭けては毎回派手にすってるしなぁ」
「ああ、そういうおじさん、会場でいっぱい見かけるねぇ。怖いから近寄らないけど。……蛭魔くんだったら、入念な下調べとやれる限りの分析と対策でもって馬単とか三連複とか狙いそうよね」

 そんでもって、当然ながらしっかり当てちゃうんだろう。

「ハッ、稼ぎたいだけならそんな効率の悪りぃ買い方はしねぇさ。結果の読めるようなレースじゃ当てたってリターンがねぇしな……むしろ……」

 ケケケと悪そうな笑みを浮かべる蛭魔くんに思わず見入ってしまっていたけれど、そこでハッと我に返った。
 馬券って、確かハタチ以上しか買えないんじゃ……でも、今の言い方はどう聞いても慣れて……いや、なんでもない。きっとなんでもない。気にしないことにしよう。

「つーか、今日はG1だったんだろうが。贔屓の馬もいいが、そっちの方はどうだったんだよ」
「あーうん……まあ予想通りの人気が3頭そのまま入賞で、そりゃ当然おめでたいけど、正直あまり……面白味にはかけたかなぁというのが……」
「おまえ、なんだかんだ言って番狂わせが好きだよなぁ」
「いやまあ、1番人気の子が勝つのも楽しいけどね。でも、今回買ったのは9番人気の子だったし……」

 ちなみにその子は中盤まではぐいぐい追い上げて、私も応援席で声を張り上げたのだけれど、結局その後失速してしまって着順は11番目だった。
 余談だけど、さすがにこう大きなレースになるといつもよりずっと人も多くて、応援するのも普段とは別の意味で楽しいのだ。何と言っても、普段の生活ではあんな風に(比喩で無く)地面が揺れる程の歓声に参加するなど、なかなかないことだし。

「一生懸命走っているあの子たちや騎手さんには悪いけど……結局いいとこ取りで楽しむただの"にわか"止まりなのよねぇ。買った子が負けても笑っていられるなんて、とても"応援してる"なんて言えないや」

 ぬるま湯につかって簡単に楽しんでいる自分の姿は自覚しているし。
 なんだかんだ言って、ただの「娯楽」と受け止めている狡さと浅さも、自分で嫌ほどわかっている。
 言葉を濁して苦笑する私を意外なほどの鋭い、真剣な目で見つめる蛭魔くんも、当然そんなことはお見通しだろう。

 だが、しかし。
 鋭い目で見つめていたかと思えば、突然に口角を上げてケケケと笑い出した。

「ま、馬相手ならそんなんでもいいんじゃねぇの。本気の濃いファンだけ相手にしてたって先は見えているからな。……新規獲得にあんだけCM打ってんだ。おまえみたいな『にわか』でもなんでも、賑やかしになる分いねーよりずっとマシじゃねぇの」

 そういえば蛭魔くんも、いちげんさん相手のアメフト宣伝に随分と力を入れているっけ。
 そうかなぁと曖昧に笑い返した頭を、ぽんと叩かれた。勿論、ちっとも痛くない。

「それになぁ、おまえは変なところで真面目過ぎだ」

 見下ろしてくる目は、面白くて仕方が無いと言う様に笑いを含んでいて、意図が読めない私は首を傾げて続きを促す。

「俺だって、いつでも何にでも熱くなれとは言わねぇよ。競馬場がぬるま湯だぁ? ……上等じゃねぇか。いつでもどこでも、おまえが熱くなってやる必要はねぇんだよ」

 にやりと、とってもとっても楽しそうに、嬉しそうに、蛭魔くんは笑った。

「ケケケ。大体おまえ、俺らの試合の時はそんなもんじゃ済まねぇだろうが」
「……そりゃ、まあ」

 試合中の蛭魔くんが、応援席で埋もれるように座る私に気付いているとは思えない。っていうか気付かなくていい。
 けれど、この間はつい油断していて……かすれた声と汗で濡れたタオルを首にかけたままという、あまりにもアレな状態でばったり遭遇してしまったのだ。正面のトイレは混むから近くの公園でいいか、なんて思ったのがまずかった。
 そうして思い返せば、以前も……試合後に家に来た蛭魔くんから「これ舐めとけ」とのど飴を投げて寄越された記憶まで出てくる。
 ……ということは、結構前からだ。デビルバッツの試合を眺める私が、到底冷静な状況に無いことなど蛭魔くんはお見通しだった。うわ、恥ずかしい。
 いや、選手を応援する姿は勿論恥ずかしいものではないのだけれど、見透かされていた上に、からかうでもなく見ないふりで済まされていたというのが、もの凄く恥ずかしい。

 なんて、思い出したことと気が付いたことにより赤面しそうになるのを抑えていたら、一体どこまでお見通しなのかいつの間にかさらに上機嫌になっていた蛭魔くんがとっておきの爆弾を放り投げて来た。

「アメフトと馬が逆だったら問題だったが……なあ。まあ、期待しとけって。クリスマスボウルまでまだまだ試合はあるからな……否が応でも毎回最高に興奮させてやるさ」

 うわちょっと、そんな不敵な笑みを浮かべないで下さいよ。っていうか何その殺し文句。心臓が跳ねますよ!
 うちの彼氏は本当にひどい。「私を甲子園に連れてって」ってこの場合は「私をクリスマスボウルに連れてって」か……いや、まあ南ちゃんと私じゃ、立ち位置もそれ以外も全然違うのだけれど、でも言われたい台詞ナンバーワンっていうくらいに王道で格好いい台詞じゃないですかそれ!
 そんな直球……いや、逆に蛭魔くんで考えると珍しいくらいの変化球、受ける用意なんて勿論してないんだからね! 萌え死んじゃうよ!

「……ちょ、ちょっと、蛭魔くん、今のそれは反則だよ」

 最早、先ほどまでの努力もむなしく真っ赤になっているであろう顔を手で覆って抗議すると、ケケケと楽しそうな声が返って来た。


 ああ、もう……形無しだ……。
 この可愛くて賢くて無敵のにゃんこくんに、すっかり遊ばれているのだとわかっているのだけれど、それでも不思議とそう悪い気分じゃなくて。

 そんな自分が余計に悔しい。



(2014.04.27)
参考:勝馬投票券の当てやすさ
 複勝>単勝>枠連>ワイド>馬連>馬単>三連複>三連単
ちなみに、蛭魔の言う「知り合い」はどぶろく先生です。
ちなみに、蛭魔の事なので当然、観客席の主人公には気が付いています。
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